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平成25年5月1日(水)昨日:公明党、96条先行は「慎重に」。自民との溝 …。 公明党が5月3日に発表する憲法記念日アピール案が30日、判明した。憲法改正の発議要件を緩和する96条の先行改正について「慎重に扱うべきだ」と反対姿勢を明記。9条は戦争放棄や戦力不保持を定めた1、2項を堅持し、自衛隊の存在や国際貢献の在り方を新たな項目で加えるかどうか検討するとした。 自民党は、安倍晋三首相が唱える発議要件緩和の先行実施を夏の参院選公約に明記する方向。改憲問題をめぐる自公両党間の違いが鮮明になった。連立関係に影を落とす可能性がある。 アピール案では、96条が衆参両院とも総員の3分の2以上の賛成を発議要件としている点について「妥当性があるというのが党内論議の大勢だ」と強調した。 ※ 諸外国に比べても決して厳しすぎるものではない、わが国の憲法改正の発議要件を緩和しようとする、安倍首相は謂わば確信犯的に「戦力保持」を獲得して、人並みの国家としての体裁を整えようとしている。戦力なき国家など、およそ存在し得ない事は自明で、安倍首相の信念は尤もである。けれども、時勢にまかせて安易に発議要件緩和に手を染めるのは、やはりフェアとは思えない。公明党の分別は充分に納得できる。だが、これっぽっちも変えられない憲法にも、やはり愛想が尽きるのだ。 今のままで、総員の3分の2以上の賛成が得られた時こそ、わが国の自主独立の成った時であると思うのだ。 ◇ 諸外国における戦後の憲法改正の回数 アメリカ 6回 イタリア 15回 カナダ 18回 オーストラリア 3回 フランス 27回 ドイツ 57回 中国 9回 韓国 9回 日本 0回 スイス 140回 メキシコ 400回 本日5月1日は、狭山事件の発生から50年になる日 です。 石川一雄さん(74)、無実を訴え続けて半世紀 真犯人は兄? 狭山市で1963年に女子高生(当時16歳)が殺害された狭山事件が5月1日、発生から50年を迎える。強盗殺人罪などに問われて無期懲役刑が確定し、現在は仮釈放中で第3次再審請求をしている石川一雄さんは各地で無実を訴え続けている。当日は事件現場とされる同市内を歩く集会が行われる。 「もう一度裁判を開いてもらえば必ず無実と分かってもらえるはず。その気持ちは50年たった今も変わらない」。 逮捕当時24歳だった石川さんは、連日のように講演をしたり、裁判所前で署名を呼びかけたりして無実を訴えている。 事件が起きたのは、東京五輪の開幕を翌年に控えた1963年5月1日。石川さんは同23日に逮捕されて否認していたが、29日間の取り調べの末に自供。1審では死刑判決を受けた。 1964年に東京拘置所で出会った刑務官が、「人間らしく生きなさい」と語りかけてくれたことがきっかけとなり、「真実を話そう。日本の司法を変えなければいけない」と考えを変えた。控訴審から否認し、1994年に仮釈放され、無実を訴えている。 第1次、第2次再審請求は棄却されたが、取り巻く環境は大幅に変わった。2010年には足利事件の菅家利和さんが、2012年には、東電OL殺害事件のゴビンダ・プラサド・マイナリさんがそれぞれ無罪判決を受けた。 「狭山事件」でも、2006年から東京高裁で始まった第3次再審請求で、これまでは行われなかった裁判所、検察、弁護側による「3者協議」が初めて行われた。 高裁が検察に証拠の開示勧告を出し、検察は取り調べ時の録音テープや石川さんが逮捕時に書いた上申書など121点の証拠を初めて開示した。弁護団は、被害者宅に届いた脅迫状と上申書の筆跡が一致しないとする鑑定書などの新証拠を提出した。 弁護団の中山武敏弁護士は「50年の節目を迎え、大きな流れが来ている。検察は証拠の全面開示を行い、裁判所は早期に事実調べの決定をしてもらいたい」と話す。 ◇ 31年超服役の石川一雄さん(74)に聞く(中日新聞) 事件から半世紀、やっていないのに有罪とされ、ずっと犯人として生きてきました。刑務所では勉強、仮出獄後は再審を求めて各地を駆け回った。とにかく一生懸命で、振り返れば短かったような気さえします。 警察に逮捕された時、「違うことは違う」と言えば通ると思っていた。実際、一ヶ月は否認したんです。警察は当初、三人の犯行と考えていたようで、「仲間も自白したぞ」なんて言う。小突かれもしたが、貧しい家に育った私には、そんなのなんともなかった。警察も私がなかなか認めないから焦ったでしょうね。 そしてある日、取調官から「お前じゃないなら、犯人はお兄さんだ」と言われた。事件の夜、兄は確かに遅くに帰ってきたんです。外は雨で、びしょぬれの兄は風呂場で汚れた服を脱ぎ、裸で歩いていた。私の家族は、鳶職だった兄の稼ぎでやっと生計を立てていた。兄が捕まると家族は生活できない。「お前がかぶれば、お兄さんは逮捕しない」「十年で出してやる」。警察にそう言われ、泣きながら「自白」しました。兄にアリバイがあったことは、知らなかったんです。 家が貧しく、学校には殆ど通えなかった。字が書けず、弁護士と云う職業を知らなかった。警察官から弁護士は嘘吐きだと言われ、接見に来ても追い返しました。一審の死刑判決後も、まだ約束通り十年で刑務所を出られると信じていた。無知が自分を追い詰めたと思っています。刑務所で感じていたのは苦しさではなく、悔しさ。字が書けるようになると日記に当時の捜査員三人の名前を記し、「復しゅうする」と書き込みました。警察と一体で私を犯人視する当時の新聞にも怒りを覚えました。 仮出獄して三人の捜査員を訪ねると、全員亡くなっていました。再審を目指す中で多くの支援者にも出会い、1996年には妻と結婚しました。今は、悔しさを乗り越えた先に、必ず無罪判決があると信じています。 ※ 獄中で両親を亡くしている。だが、石川さんは一度も墓参りをしていないという。「無罪を勝ち取って両親に報告したい。それまでは支援者と共に訴え続ける」と語っている。 石川さんが晴れて両親の墓参りができる日の早からんことを願うばかりだ。 それにしても、この事件はさまざまな意味で極めて特殊な事情を抱え込んでいる。そして、余りにも日本的情緒性に埋没している。 もっと論理性を! 「疑わしきは罰せず」の大原則を尊重せよ! 百人の有罪者を見逃しても、一人の冤罪者をつくること勿れ。 ◇ 今日の誕生花・スズラン(ユリ科) 花言葉は、「純愛」「希望」。 袂には鼻紙もなし更衣 子規 事務多忙頭を上げて春惜しむ 虚子 ※ 虚子は明治31年、雑誌『ほとゝぎす』の経営権を買取り経営に手腕発揮。 下京の雨の八十八夜かな 関戸やす子 多摩川の五月明るき日を流す 今井千鶴子 すずらんのりりりりりりと風に在り 日野草城 スズランの群生ありき 霧雨にぬれてさ揺れて涯もなかりき 鳥海昭子 |

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