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平成26年3月11日(火)東日本大震災影響の倒産:1485件、阪神の3.8倍。 帝国データバンクは3日、東日本大震災の影響で倒産した企業件数(負債1000万円以上)が、2月末までの約3年間で1485件だったと発表した。 1995年の阪神大震災後、約3年間の関連倒産件数の約3.8倍に上った。 負債総額は1兆4627億円で、阪神大震災関連の負債総額(1126億円)の実に13倍となった。 倒産の理由は、被災による「消費意欲の減退」が最多の808件で全体の54.4%を占めた。次いで社屋の倒壊などの「物理的な被害」が133件、供給網の寸断など「流通の混乱」が113件と続いた。 倒産件数は毎年減少しており、3年目(2013年3月〜14年2月)の1年間では、前年同期比で29.2%減の346件となった。ただ、営業再開しても顧客が戻らず、収束には時間がかかるという。 ◇ 安倍首相「復興はまだ道半ばだ」 参院予算委にて 安倍首相は10日午前、参院予算委員会の集中審議で、東日本大震災の被災地での防潮堤建設事業について、「発災直後の気持ちがだんだん落ち着き、住民の意識も相当変わってきた。今後、見直しについて、国も自治体と相談しながら考えていく必要がある」と述べ、見直しもあり得るとの認識を示した。 防潮堤の高さを当初計画から引き下げるよう求める動きが被災地で出ていることを踏まえたものだ。 首相は、11日で発生から3年を迎える震災からの復興に関し、「いまだに27万人の方々が避難生活をされている。復興はまだ道半ばだ。今年は被災地の皆さまに復興をより実感していただけるようにしたい」と述べ、被災地支援に全力を挙げる決意を重ねて示した。 ※ 復興は未だ道半ばと云う表現は、あらかたの復興を終えて猶これからも更に、鋭意努力する意志を強調するために使うものである。だが現実はどうかと言えば、福島などでは、3年前と殆ど変わっていない状況すら少なくないのだ。時間の経過と共に、不幸にも災害関連死が増え続けている。高齢の被災者には、絶望があるばかりだ。安倍内閣は、机上のプランに終始するばかりで、地元のニーズには全く関心がない。彼が執心するのは、情報統制と原発再稼動のみか。自民を選挙で大勝させてしまったツケは余りにも大きい。 ◇ 中日社説 3・11から3年「死者の声に耳傾けよ」 津波の国に住みながら、われわれは、先人の経験を風化させてはいなかったか。大震災の悲しみを忘れず、未来に向けて死者の声に耳を傾けたい。 故・吉村昭さんの著書「三陸海岸大津波」(文春文庫)に、印象に残る一節がある。 三陸海岸の羅賀(らが)(岩手県田野畑村)での出来事である。 はるか眼下に海を望む丘の中腹に立つ民家。一八九六年の明治三陸大津波を知る当時八十五歳の古老は、家の中に漂流物があふれていた、と振り返った。 その話を聞き、取材に同行していた田野畑村長が「ここまで津波が来たとすると … 」と驚きの声をあげたというのである。 この本が『海の壁』の原題で出版されたのは一九七〇年。その時すでに、地元でも、惨事の記憶は風化しつつあったのだろうか。 文庫版のあとがきとして、吉村さんは、その羅賀で二〇〇一年に講演した際のエピソードを書き加えている。 「話をしている間、奇妙な思いにとらわれた。耳をかたむけている方々のほとんどが、この沿岸を襲った津波について体験していないことに気づいたのである」 明治の大津波では羅賀に五十メートルもある津波が押し寄せた、という話をしたところ、沿岸市町村から集まった人々の顔に驚きの色が浮かんだのだという。 羅賀の高台には、明治の大津波で海岸から運ばれたと伝えられる巨石があった。一一年三月十一日の津波は、その「津波石」と集落を再びのみ込んだ。 親も子もない。助けを求められても、立ち止まらずに逃げろ…。「津波てんでんこ」は、三陸の悲しくも重要な教訓である。 「われわれは明治、昭和の大津波と同じことをしてしまった」と三年前を振り返ったのは、名古屋市で先月開かれたシンポジウムに招かれた岩手県釜石市の野田武則市長である。 大きな揺れが収まって三十分ほど。いったん避難した後、家族の安否などを心配して自宅に戻った大勢の市民が津波にのみ込まれてしまった。「平時には冷酷に聞こえる『てんでんこ』だが、その教えは実に正しかった」。 より犠牲者が多かった市街地 … 野田市長の率直な講演は示唆に富む。「犠牲者が多かったのは、沿岸部ではなく、海の存在を忘れがちな市街地だった」「防潮堤や防波堤は高くなるほど危ない。海が見えなくなるからだ … 」 守るよりも、まず、迷わず逃げよ。平成の三陸大津波の犠牲者が残した教訓も、結局は、明治、昭和と変わらぬ「てんでんこ」だったのではないか。国土強靱化が海の脅威を視界から遮ることにつながるとすれば、このまま突き進んで大丈夫なのだろうか。 よく知られるようになった岩手県宮古市重茂姉吉(おもえあねよし)地区の「高き住居は児孫の和楽/想へ惨禍の大津浪/此処より下に家を建てるな」と刻まれた古い石碑。 その地では、三年前の大津波で住宅被害が一戸もなかった。死者の声を風化させなかったことが後の人々を守った好例である。 過去に繰り返された津波の被害や到達地点を伝える石碑や古文書は、紀伊半島沿岸部など南海トラフ巨大地震の大津波が予想される地域にも数多く残されている。 同じように関東、東海地方でも、一七〇三年の元禄地震津波の犠牲者を供養する千葉県山武(さんむ)市の「百人塚」など、房総半島や伊豆半島にいくつもの津波碑が建てられている。 先人たちが石に刻んで後世に残そうとしたメッセージを再確認する試みが、東日本大震災を機に、各地で始まっている。 その土地で何が起きたのか。将来、何が起きうるのか。逃げるべき場所はどこか。よそから移り住んだ人にも、一時的に立ち寄る人にも、先人の経験を共有できるようにする工夫を歓迎したい。 こうした津波碑は漢文など古い文体で書かれている上、物理的に風化していたり、こけむしていたりで判読の難しいものが多い。 例えば南海トラフ地震の津波想定域にある三重県志摩市阿児(あご)町の「津波遺戒碑」。だれにでも分かるように、地元の自治会が内容説明の看板を碑の隣に設置した。碑には、一八五四年の安政東海地震の津波で百四十一戸が流失し、十一人が溺死した被害状況とともに「後世の人が地震に遭った際は、速やかに老人、子どもを連れて高台に逃げよ」と刻まれていた。 人間は忘れるからこそ前進できるという考え方もあるが、東日本大震災で、また多くの犠牲者を出してしまった事実は重い。なぜ、命を救えなかったのか。悲しみを忘れることなく、死者の声にあらためて耳を傾けたい。 本日3月11日、東日本大震災 あれから3年 … 虚しき限り首相の言葉 … 来春に常磐自動車道を全面開通 首相「復興を実感してもらう年に!」 安倍晋三首相は10日夕、東日本大震災発生から11日で3年を迎えるのを前に官邸で記者会見し、「常磐自動車道の開通は復興の起爆剤だ」と述べ、震災で被災した常磐自動車道を来年の大型連休までに全面開通させる方針を示した。首相は「被災地のできるだけ多くの子供たちを東京五輪に招待したい」とも語り、震災が起きた平成23年に被災地で誕生した子供たちを五輪に招待する考えも明らかにした。 会見で首相は「4年目は被災者が復興を実感できる1年にしていく」と決意を表明。「これからはハード面の復興だけでなく、心の復興に一層力を入れていく」と強調した。 原発については「原子力規制委員会が世界で最も厳しいレベルの基準で審査を行い、これに適合すると認められた原発は再稼働を進める」と述べ、再稼働に取り組む姿勢を訴えた。 ※ この度の原発事故も「世界で最も厳しいレベルの基準で審査」をパスした原発で起こったものだ、という事を安倍首相はお忘れなんだろうか? 世界一安全な原発が、世界一恐ろしい3基ものメルトダウンを起こしてしまった、という事実を安倍首相は、どのように考えているのだろうか? 2020年の東京五輪は決まってしまったのだから、原発事故に関して少しは本当の事を話してみたらどうなのか。もとより、来るべき東京五輪開催時にも、メルトダウンは未解決のままだろう。今のままでは、被災者と国とが乖離するばかりだ。 ◇ 京都・滋賀の避難者9割、なお帰郷困難 東日本大震災3年 … 福島第1原発事故や東日本大震災の影響で京都府や滋賀県に避難している人のうち、帰郷のめどが立たない人が9割を超えることが京都新聞社が避難者50人に行ったアンケート調査で分かった。うち半数以上が避難先で永住する意向を示し、別居する家族がいるとの回答も全体の7割を超えた。発生3年を迎えても依然、復興の遅れや放射能への不安が解消しないままで、帰還が困難な状況が浮き彫りになった。 アンケートは2月に聞き取り式で行った。内訳は福島県からの避難者が38人、宮城、岩手両県や関東地方の出身者が12人。原発事故が理由の自主避難が41人で、自宅が避難区域になった人が5人、津波や地震で自宅が壊れた人が4人だった。 避難期間の見通しを尋ねたところ、「分からない」が21人で最も多く、避難先での永住を検討している人が17人、永住を決めた人が9人いた。自由記述では放射能汚染に対する不安が目立ち、「空間線量は下がっても、土壌汚染が心配」「安易に帰還を呼び掛けず、無理なものは無理と言ってほしい」などのほか、「福島に戻っても故郷の人口が減り、仕事ができるか分からない」との声もあった。 他府県に別居の家族がいるとの回答も37人に上り、過去2年間の調査よりも多かった。 震災1年、2年で行った同様の調査でも、9割前後が帰還見通しが立っていなかった。回答者が異なるため単純に比較できないが、月日の流れが避難生活の解消につながっていない切実な現状が垣間見える。 ※ 為政者は机上の空論で帰郷を促し、避難者は脚実地を踏んで棄郷する。 ◇ STAP細胞の論文、取り下げを提案 … 共同研究の山梨大若山教授 理化学研究所の小保方晴子研究ユニットリーダーらが発表した新型万能細胞「STAP(スタップ)細胞」の論文について、共同研究者である山梨大の若山照彦教授が、小保方氏らに論文を取り下げるよう提案していることが、10日分かった。 若山教授は同日夜、山梨大(甲府市)で取材に応じ「STAP細胞の担当ではない理研のグループディレクター3人から論文取り下げのアドバイスを受けた」と説明。「小保方さんに論文取り下げを提案した」と話した。 理研の担当者は若山教授の提案について「指摘を真摯に受け止めている」と説明。論文を取り下げる場合には、共同で執筆した研究者の合意が必要なため、「国内や米国の研究者も含めて対応を協議する」として取り下げも含めて検討する。 若山教授は論文の取り下げを提案した理由について「論文に使われた写真が小保方さんの博士論文と同じ。これが決定的な不信になった」と指摘。さらにSTAP細胞の作製を証明する重要な証拠である遺伝子変化のデータについて、理研はこれまで変化があると報告していたが、理研が先週発表した作製方法の説明文書では否定されていたことにも疑問を持ったという。 ただ、若山教授は論文を取り下げた場合は「全力をあげて、STAP細胞を再現できる完璧な論文を作成したい」と述べた。 STAP細胞は弱酸性の溶液にマウスの血液細胞を浸すだけで作製できるとして、理研は英科学誌「ネイチャー」に論文を発表。理研は、同じ万能細胞であるiPS細胞より簡単な方法で作製できると説明していた。 しかし成果の発表後、論文の内容を巡って疑問が相次いだ。論文に掲載された画像データに加工されたように見える部分があることや、別々の実験による画像データがよく似ているといった指摘があった。他の研究者からも「作製を試みてもできない」として再現性を疑う見方が出ていた。 一連の指摘を受け、理研は研究に関わっていない内外の専門家に調査を依頼していると説明するとともに、再現性の問題を払拭するため、STAP細胞の詳しい作製手法も公表した。 理研は調査結果については「速やかに公表する」と説明していた。 ※ 事の真偽は未だ分明ならず。されど、小保方氏はいかにも脇が甘かった。 ◇ 今日の誕生花・キランソウ(ラジオ深夜便) 花言葉は、「あなたを待っています」。 欄干や東に見ゆる春の山 子規 ゆらぎ見ゆ百の椿が三百に 虚子 ※ あらたふと師弟相和す春夢幻 春暁やあさき夢見し夢の中 草間時彦 流れつつ色を変へけり石鹸玉(シャボンだま) 松本たかし 人を待ち人に待たれる春の日の 野のキランソウ深いむらさき 鳥海昭子 ◇ 「十九の春」琉球地方俗謡・本竹裕助補作詞 私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした いまさら離縁というならば もとの十九にしておくれ もとの十九にするならば 庭の枯木を見てごらん 枯木に花が咲いたなら 十九にするのも易けれど(焼いた魚も泳ぎでる) みすて心があるならば 早くお知らせ下さいね 年も若くあるうちに 思い残すな明日の花 一銭二銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市に住みながら あえぬ吾が身のせつなさよ 主さん主さんと呼んだとて 主さんにゃ立派な方がある いくら主さんと呼んだとて 一生忘れぬ(添えない)片思い 奥山住まいのうぐいすは 梅の小枝で昼寝して 春が来るよな夢を見て ホケキョホケキョと鳴いていた ※ 琉球時代の俗謡は、薩摩藩と幕府とに収奪された悲哀を今に伝える。 「十九の春」を奪われて、「主さん」と恃んだ人にも裏切られる無念さ。 それは、沖縄返還後も一向に変わらぬ基地依存と、「主さん」と頼む日本の米国依存と … 。 翻って原発にも米国との“密約”があり、自民政権下では再稼動は既定の案件。安全神話に踊らされ、国策としての原発誘致に靡いたものの、みすて心に … 。 今はただ呆けたように、ホケキョホケキョと鳴いてみる。 |

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