今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 平成26年4月3日(木)昨日:小保方研究は「極秘」扱い、勉強会でも発言辞退。

 STAP細胞の論文に捏造などの不正が認定された問題で、理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(30)の研究内容は、発表まで理研内ではごく一部にしか知らされていなかったことが2日、複数の理研関係者の証言でわかった。 小保方リーダーは理研内の勉強会でも発言を辞退するなど、研究内容は「極秘扱い」で、発表前に十分なチェックを受けていなかった。

 組織としての問題を検証するため、理研は近く外部の有識者を含む委員会を設置する。委員会は、こうしたSTAP細胞の研究チームの閉鎖性が、不正を生む一因になったと見て調査する見通しだ。 STAP細胞の論文は、小保方リーダーや、理研発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の笹井芳樹副センター長らが書いた。1月末に同センターで開いた報道関係者向けの説明会で論文の内容が初めて明らかにされた。 センターのある研究者は、「論文発表まで内容は全く知らされなかった。影響が大きい研究で、『外に漏れると他の研究者にまねをされるから』と聞いた」と話した。

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 ※ 理研は「まねされる」ことを極度に怖れた。それ故の閉鎖性が未熟な論文となり、見切り発車の発表会見となったのではないか。二番手では全てを失う惧れがある。 だが、STAP細胞の存在そのものが疑問視される状況下で、小保方氏はどのように理研に対して反撃できるのだろうか? 日本屈指の研究機関である理研に、今ひとりの女性が一矢を報いんとして腹をくくった。



 1582年(天正10年)4月3日、快川紹喜禅師が恵林寺楼門上にて焼死する。
 快川禅師は、武田の残党を匿ったとして信長により恵林寺を焼打ちされる。

 これは、快川禅師が匿っていた佐々木次郎や大和淡路守、三井寺の上福院らを逃がしたことによるものであった。江戸時代の『常山紀談』では、織田兵が山門の下に草を積み上げて火を放ったという。群がる兵士は槍襖を作っていたが、快川の「法の絶えるのは口惜しい。とても逃れられぬが、楼門から飛び降りよ」と言うのをうけて、末宗瑞曷も飛び降りて上州へ逃れた。飛び降りて骨折した者もいた。兵は僧たちが飛び降りる瞬間に、命に背いて槍を伏せたのであった。 末宗は、天正14年(1586年)に鉄山和尚と共に家康に召し出され、恵林寺住持を命ぜられた。のちに京都妙心寺住持となる。

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 武田信玄が師事した禅僧が甲斐の恵林寺に住する快川禅師であった。信玄が1573年に没すると、武田は次第に衰えてゆく。やがて、信長・家康連合軍に亡ぼされる(長篠の戦い、1575年)。三千丁と言われる鉄砲の前に、武田の騎馬軍団はあえなく屍を重ねた。 だが、信長は快川禅師の徳を慕っていた。

 信長は信玄亡き後、礼を尽して快川禅師を自分の師にと招きますが、快川禅師は武田家との恩義を重んじて信長の申し入れを辞退する。その後、快川禅師が武田家の一味と誼を通じているとの報を聞いて激怒した信長は、快川が住している恵林寺を急襲し焼き討ちをかける。 信長勢は快川禅師以下一山の僧百余人を山門楼上に追いこみ、楼門の下に薪を積み重ねて四方から火を放った。やがて火焔が被らの周辺を包むと、快川は一山の憎に向かって号令する。

 「皆の者よ、われらを焼き亡ぼすこの火焔に向かって、いかに対処するか、平生体得した悟りの力量の程をいえ、それを最期の言葉とせん」。 快川禅師の命にしたがい、それぞれ思い思いに自分の悟りの境涯を偈頌にして述べた。最後に快川禅師は自らの心境を次のように示す。 「安禅不必須山水  滅却心頭火自涼」  快川禅師は粛然として、猛火に焼かれて没す。名だたる戦国武将も、その豪胆ぶりに畏敬の念を禁じえなかったと伝わる。天正10年(1582年)4月3日の凄惨な出来事であった。


   「無寒暑」 ⇒ 「無生死」 

 洞山良价禅師(869年没)のもとへ修行僧来たりて問う。「寒暑到来 いかんが回避せん」。洞山答えて曰く「何ぞ無寒暑の処に去らざる」。 僧さらに問う「いかなるか是れ、無寒暑の処」 洞山「寒時には闍利を寒殺し、熱時には闍梨を熱殺す」。


 利休「寒熱の地獄に通う茶柄杓も心無ければ苦しみもなし」 → 虚無
 利休の遺偈(1591年)
 人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤我得具足一太刀 今此時抛天



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   ◇ 今日の誕生花・ヒトリシズカ(センリョウ科)

   花言葉は、「隠された美」。

   二大隊花見の中を通りけり   子規

   ※ 千人の兵士が花の中を行く 壮観ながらも無粋の極み  四季桜

   海女とても陸こそよけれ桃の花   虚子

   一人静むらがりてなほ淋しけれ   加藤三七子

   人にそう呼ばれて一人静なり   橋 寮弌覆んせき)

 藪陰にひっそりとしてすがやかに 一人静の花咲きました  鳥海昭子


 【参照】4月3日、【神武天皇祭】(紀元前586年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/54086349.html

 【参照】4月3日、シーサーの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/41433918.html

 【参照】4月3日、済州島四・三事件(1948年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30785929.html

 【参照】4月3日、仁科亜季子の誕生日(1953年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51964903.html

 【参照】大垣日大、準優勝(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/30812939.html

 【参照】4月3日、両リーグは今日、開幕しまーす。(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47649707.html

 【参照】もうすぐ開幕 ! 中日先発は浅尾(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/47655630.html

 【参照】4月3日、「iPad」米国で発売(2010年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50454698.html

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