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平成26年7月9日(水)本日:岐阜空襲から69年、次世代への継承に向け模索。 各地の空襲を記録する会は作家の早乙女勝元さん(82)が1970年に発足させた「東京空襲を記録する会」を皮切りに全国で相次いで誕生した。近年は会員の高齢化で活動が低迷する会が目立ち、次世代への継承に向けた模索が続く。 「空襲・戦災を記録する会全国連絡会議」の工藤洋三事務局長(64)によると、年1回開かれる全国大会の参加団体は現在30程度。今年で44回を数えるが減少傾向が続く。「理論的支柱だった設立当初の会員が引退し、活動が停止してしまった団体もある」という。連絡会議では2000年以降、懇親会的要素が強かった全国大会に、米軍資料の活用方法を考える研究会を併催するなど、調査力の向上と新規会員の獲得に向けた取り組みを本格化。参加者は当初の20人から60人程度に増えたという。 本日7月9日は、岐阜空襲から69年 の日です。 市内で平和の鐘、未来へ響け 米軍の爆撃で市街地が甚大な被害を受けた1945年の岐阜空襲から69年がたった9日、岐阜市内の寺院など約130ヶ所で、犠牲者への鎮魂と平和への祈りを込めた「平和の鐘」が鳴り響いた。 平和の鐘は平和都市を宣言する市の呼び掛けで毎年実施し、25回目。午前9時に一斉に鳴らした後、市民が自由に打ったほか、戦争に関する絵本の展示や、平和を訴える講話などもあった。 同市加納西広江町の光国寺では、近くに住む園部熊男さん(95)が世話人となり、地元の加納東老人クラブ第2皆寿喜会の協力で「79点鐘の集い」を行った。午前7時から鐘楼が一般開放され、登校前の小中高生や会社員らが訪れて鐘を突いた。 岐阜空襲があったことを、フィリピンの戦地で無線を聞いて知ったという園部さん。「平和ほどありがたいものはない。毎年続けている行事を通して、地域の子どもたちにその大切さを伝えたい」と話した。 市によると、岐阜空襲は1945年7月9日午後11時40分から10日午前2時ごろまで米軍B29爆撃機による焼夷弾を受け、全戸数の約52%に上る2万戸以上が焼失、863人が亡くなった。 ◇ 今日の誕生花・ギボウシ(ユリ科) 花言葉は、「静かな人」「沈静」。 涼しさや雲に碁を打つ人二人 子規 (明治28年の句) ※ 明治35年に没する子規。献身的看病をする虚子と碁を打つことも … 団子坂上り下りや鴎外忌 虚子 ※ 子規は遼東半島で鴎外を知る。鴎外、子規、虚子らで句会を共にす。 鬼灯市夕風のたつところかな 岸田稚魚 旅ゆけば我招くかに擬宝珠咲く 角川源義 ふところに四万六千日の風 深見けん二 ※ 【四万六千日】:観音さまの御縁日は「毎月18日」ですが、これとは別に室町時代以降に「功徳日」と呼ばれる縁日が新たに加えられました。月に一日設けられたこの日に参拝すると、百日分、千日分の参拝に相当する御利益が得られると信仰されてきました。中でも7月10日の功徳は千日分と最も多く、「千日詣」と呼ばれていました。 ところが浅草寺では、享保年間(1716〜36)頃より「四万六千日」と呼ばれるようになり、その御利益は実に46,000日分(約126年分)に相当すると云われるようになりました(この数については「米一升分の米粒の数が46,000粒にあたり、一升と一生をかけた」など諸説ありますが、定説はない)。 この10日を待って一番乗りで参拝したいという民衆の思いから、前日の9日より人出が多く、7月9・10日の両日が四万六千日の御縁日と受け止められるようになりました。 また、この両日には「ほおずき市」が開かれます。そもそもこの市は、芝の愛宕神社の縁日に始まり、「ほおずきを水で鵜呑みにすると、大人は癪を切り、子どもは虫の気を去る」といわれるなど、薬草として評判であったようです。その愛宕神社の縁日は観音さまの功徳日にならい四万六千日と呼んでいたのですが、やがて「四万六千日ならば浅草寺が本家本元」とされ、ほおずきの市が浅草寺境内にも立つようになり、かえって愛宕神社をしのぎ盛大になったと伝えられています。 ギボウシの花の一つにもぐりたる 蜂がかそかな音たてるなり 鳥海昭子 |

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