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平成26年8月27日(水)昨日:橋下氏が朝日に「慰安婦誤報のケツをふけ」。 慰安婦問題での誤報を認めた朝日新聞に対して、日本維新の会代表の橋下徹氏(大阪市長)が“追撃態勢”に入った。記者会見などで朝日批判を展開し、市政担当の朝日記者にも「ケツをふいてくれ」と迫る執拗さだ。朝日の誤報により国際社会で日本への不当な評価が広まったという強い憤りが原動力となっているが、自身の慰安婦発言で朝日が批判の急先鋒だったことなど過去の因縁も少なからず影響を与えていそうだ。「しつこくいってやろうと思う」。橋下氏の怒りはしばらく収まりそうにない。
「朝日には自分たちが日韓関係をこじらせた最大の責任者という認識がまったくない」
橋下氏は、8月8日の定例会見で朝日の検証記事に対する批判を展開していた。次の市長公務の予定が迫る中で「本当はこれをずっとやりたい」と残念がり、しゃべり足りない様子で「どうなんですか、これ」と朝日記者に逆質問した。朝日記者の「言う立場にない」という趣旨の返答に失望した表情をみせ、こう要求した。「朝日に所属して仕事をやっていくなら、しっかりケツをふいてもらいたい」。 朝日は5日、6日付の朝刊で慰安婦報道に関する検証記事を掲載。その中で、昭和57年からたびたび報じてきた「韓国・済州島で女性を強制連行した」という吉田清治氏の証言を「虚偽」だったとし、初報から32年後にようやく関連記事を取り消していた。 橋下氏は朝日の大々的な報道で世界的に「慰安婦=性奴隷」が定着し、国際社会ではドイツ・ナチスのホロコースト(ユダヤ人大虐殺)と同じ土俵で論じられるようになったと指摘。さらに、慰安婦問題は本来、日韓基本条約に合わせた日韓請求権協定で解決していたという認識を示した上で、「朝日の大誤報で韓国の人も踊らされ、日韓基本条約では解決できない問題とたきつけられた」と批判した。 橋下氏が誤報に加えて問題視しているのは検証記事で産経新聞など他紙も同様に吉田証言を取り上げたと言及している点だ。産経は過去に吉田証言を報じたが、その後の取材で証言は「虚構」「作り話」と繰り返し報道している。にもかかわらず、他紙の報道を取り上げた朝日の検証記事を橋下氏は容赦なくぶった切る。 「言い訳に満ち、検証記事が台無し。読んでいて不快」。 橋下氏の憤りの根底には、かつて朝日に煮え湯をのまされた経験がある。昨年5月13日、慰安婦について「当時は世界各国の軍が必要としていた」と発言した際、批判の急先鋒は朝日だった。 「言語道断で侮辱的だ」。発言からわずか3日後の16日、米国務省の報道官が記者会見で橋下氏の慰安婦発言を非難したが、これは朝日の男性記者が質問して引き出していた。さらに、この記者は慰安婦の表現の仕方について「性奴隷ですか、慰安婦ですか」と見解を迫り、報道官に「われわれは過去に慰安婦と表現した」とかわされていた。とはいえ、米政府高官が橋下氏の発言に対して強い言葉で公然と不快感を示したのは初めてだったため、ニュースは世界をかけめぐった。 5月22日には橋下氏が視察予定だった米サンフランシスコから受け入れを拒絶する文書が届き、橋下氏は視察を断念。その後もサンフランシスコ市議会で橋下氏に対する非難決議が採択され、発言撤回と元慰安婦への取材を求める決議文が届けられた。 「米国務省の声を引き出し、『アメリカ政府が騒いでいる』『アメリカで大問題』とやった」 「朝日記者が国務省の会見で性奴隷という言葉を使った」 当時、対米で苦境が続いていた橋下氏は朝日に怒っていた。こうした経緯もあってか、朝日が今回、海外に向けて大々的に誤報を伝えようとしない姿勢には我慢できないようだ。「朝日が本気なら、赤字覚悟で(検証記事の)国際版を毎日刷り、『強制連行はなかった』『性奴隷はやめて』と世界各国に配信するしかない」。 橋下氏は近年、常に朝日と対立を繰り返してきたといっても過言ではない。大阪維新の会の候補が出馬し、敗北を喫した昨年9月の堺市長選をめぐり、橋下氏は投開票日直前に政党広告の掲載を拒否されたとして、朝日に対して維新関連の取材を拒否。その方針は今も続いている。 平成24年10月に朝日の子会社である朝日新聞出版が発行する週刊朝日に橋下氏の出自に関する連載記事「ハシシタ 奴の本性」が掲載されたことも火種になった。 橋下氏の反発や社会的な批判の中で連載は打ち切られ、同出版幹部が橋下氏に謝罪。橋下氏もいったんは矛をおさめていたが、昨年4月、週刊朝日に「賞味期限切れで焦る橋下市長」などとする記事が掲載された。 「週刊朝日、朝日新聞が人権侵害報道機関であることを明らかにする」。橋下氏は激怒し、出自に関する連載記事をめぐり同出版を提訴。怒りの矛先は親会社の朝日にも向かい、ツイッターで朝日の論調を逆手にとりながら謝罪を要求していた。「日本国は謝り続けろ、アジア諸国に配慮しろ、傷つけた相手には配慮しろ、いつも言っているじゃないか。自分たちの事でも実践しろよ」 「しかし同胞である日本人には冷たいね」。 朝日との因縁の戦いでフラストレーションをため続けてきた橋下氏は今、慰安婦報道の誤報というタイミングを逃さずに一気に攻め立てる。8月9日に大阪市内で開かれた「維新政治塾」の修了式ではこう宣言していた。「やっと朝日が30年以上にわたる誤報を認めたが、しつこく言ってやろうと思っている。ここで終わらせたらいけない」。(産経新聞) 8月27日は、貝原益軒忌 です。 ◇ 貝原益軒(1630年〜1714年(正徳4年8月27日)[10月5日])本草学者、儒学者 筑前国(現在の福岡県)福岡藩士、貝原寛斎の五男として生まれる。名は篤信、字は子誠、号は柔斎、損軒(晩年に益軒)、通称は久兵衛。 1648年(慶安元年)、18歳で福岡藩に仕えたが、1650年(慶安3年)、二代藩主・黒田忠之の怒りに触れ、7年間の浪人生活を送ることとなる。 1656年(明暦2年)27歳、三代藩主・光之に許され、藩医として帰藩。翌年、藩費による京都留学で本草学や朱子学等を学ぶ。このころ木下順庵、山崎闇斎、松永尺五、向井元升、黒川道祐らと交友を深める。また、同藩の宮崎安貞が来訪。7年間の留学の後、1664年35歳の時に帰藩し、150石の知行を得、藩内での朱子学の講義や、朝鮮通信使への対応をまかされ、また佐賀藩との境界問題の解決に奔走するなど重責を担った。藩命により『黒田家譜』を編纂。また、藩内をくまなく歩き回り『筑前国続風土記』を編纂。 幼少の頃から読書家で博識であった。書物だけにとらわれず、自分の足で歩き目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な面を持つ。また世に益することを旨とし、著書の多くは平易な文体でより多くの人に判るように書かれた。 70歳で役を退き著述に専念。著書は生涯に60部270余巻に及ぶ。 主な著書に『大和本草』『菜譜』『花譜』といった本草書。そして教育書の『養生訓』『和俗童子訓』『五常訓』。思想書の『大擬録』。紀行文には『和州巡覧記』がある。 1911年(明治44年)6月1日、贈正四位。 ◇ 今日の誕生花・ユウガオ(ウリ科) 花言葉は、「魅惑の人」。 ふつくりと七面鳥のたつや秋 子規 純白の朝顔もあり色の中 虚子 夕顔の音のしさうな蕾かな 星野 椿 夕顔やひらきかゝりて襞深く 杉田久女 夕顔は恋のをはりかはじまりか 渡辺恭子 ユウガオのほのかに白く 花ひらく空気の音をきくような刻 鳥海昭子 心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花 『夕顔』 夕顔は、『枕草子』では「いとをかしかりぬべき花」とされ、『源氏』には「花の名は人めきて」として、短命の一夜花を薄幸の女性にかさねた。 ヒルガオ科のヨルガオをユウガオと呼ぶこともあって、実に曖昧模糊としている“夕顔の君”なのだ。 だが、実は紐状に剥いて干瓢にするので、極めて実用的でもある。実にくびれのないものをユウガオ、くびれるものをヒョウタンと、区別しています。 |

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