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平成24年6月10日(日)昨日:シャラポワが「生涯グランドスラム」を達成。
テニスの全仏オープン第14日は9日、当地のローランギャロスで女子シングルス決勝があり、第2シードのマリア・シャラポワ(ロシア)が6−3、6−2で第21シードのサラ・エラニ(イタリア)を降し初優勝した。シャラポワは2004年ウィンブルドン、2006年全米、2008年全豪に続く4大大会制覇で、女子で史上10人目の生涯グランドスラム(4大大会全制覇)を達成した。女子ダブルスを制したエラニは単複2冠と4大大会初制覇を逃した。
【生涯グランドスラム】:4大大会の全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンをすべて制することを指す。もし、同一年で達成した場合は「年間グランドスラム」と表現される。女子ではシャラポワは、2003年の全豪でセリーナ・ウィリアムズ(米国)が成し遂げて以来の10人目の達成となる。年間グランドスラムは過去、女子が3人、男子では2人が成し遂げている。
6月10日は、辰巳ヨシヒロの誕生日 です。
◇ 辰巳ヨシヒロ( 1935年生まれ ) 漫画家、古書店経営
大阪府大阪市天王寺区出身。本名、辰巳嘉裕。兄は漫画家で漫画出版社経営の桜井昌一。 貸本漫画家として活躍しながら「劇画」という名称を提唱、「劇画」誕生にあたって重要な役割を果たす。 1970年代以降は、社会の下層に位置する人々の苦悩を陰鬱なタッチで描いた作品群を発表。その作品は海外でも高く評価された。
大阪市東門町に生まれるが、太平洋戦争激化により大阪府箕面へ、次いで豊中市蛍池に疎開し、豊中で育つ。少年時代から漫画好きで、2歳年上の兄・義興(後の桜井昌一)と共に手塚治虫の漫画に熱中する。 実家の経済的困窮もあり、豊中第二中学校時代から兄と共に、雑誌『漫画少年』ほか多数の雑誌の読者投稿コーナーに盛んに投稿し、たびたび入選して賞金を獲得した。1950年2月には、京都の丘西克明ら同年代の漫画家志望者6名で「子供漫画研究会」を作り、肉筆回覧雑誌『漫画の明星』を4号まで発行。また、同年9月には、毎日中学生新聞に掲載された「子供漫画家たちと手塚治虫の座談会」に出席。手塚との知遇を得て、その後に手塚が上京するまで、何度も宝塚の手塚の実家を訪問した。
1951年、大阪府立豊中高等学校に進学。同年、兄の勧めで大城のぼるに手紙を書いて返事をもらい、描き上げた中編・長編漫画を送って批評をもらうようになる。 1952年、大城から上京して弟子になるよう勧められるが、悩んだ末断る。同年、執筆した長編「こどもじま」を大城に郵送したところ、大城から鶴書房に紹介され、1954年3月に単行本として刊行され、漫画家デビューとなる。 高校卒業を控えて、京都市立美術大学(現在の京都芸術大学)を受験するが、実家の経済的な事情を考えて、進学を断念。
1954年、さまざまな大阪の貸本出版社に持ち込みをした後、八興社(日の丸文庫)を訪問。山田秀三社長・山田喜一専務の兄弟、顧問の久呂田まさみらに『七つの顔』が採用されて刊行。以後、ほぼ「日の丸文庫専属」のような形で貸本漫画を執筆するようになる(他社で仕事をする際は、ペンネームを用いた)。また、後にライバルとなる松本正彦とも出会う。
1955年の『開化の鬼』以降、映画的な表現を取り込んだシリアスな作品を発表。1956年4月から、久呂田の発案で日の丸文庫から短編雑誌『影』が発刊され、メイン作家として人気を博す。 だが日の丸文庫は、新たに企画した「大人漫画」の作家たちの新書版単行本の売り上げ不振で、1957年に倒産。久呂田の勧めで、名古屋のセントラル出版が企画した『街』に参加。だが同年秋に日の丸文庫が「光映社」として再建されたため、新生『影』の編集長に抜擢される。一方、貸本漫画業界は『影』の影響で探偵物の短編集ブームが起こり、辰巳はさまざまな出版社の雑誌に寄稿する。
1957年末、『街』に描いた作品『幽霊タクシー』で、ハードボイルド小説の影響を多大に受けた自身のシリアスな作風を従来の「漫画」と区別するため、作品表紙に「劇画」という表記を使用した。1958年には、セントラル出版の東京進出のための誘いもあり、さいとう・たかを、松本と共に上京し、国分寺に住む。1959年、兎月書房から新雑誌『摩天楼』の刊行にあたって、日の丸文庫出身の若手作家たちと「劇画工房」を結成。メンバーは辰巳、石川フミヤス、K・元美津、桜井、山森ススム、佐藤まさあき。後にさいとう、松本も参加した。
だが、貸本漫画業界に訪れた劇画ブームのため、メンバーの足並みが揃わず、1960年に辰巳、さいとう、松本は「劇画工房」から脱退する。その後は衰退する貸本業界の中で、1963年に自身の出版社「第一プロ」を設立(のち、「ヒロ書房」と改名し、1971年まで活動)。また、1960年代後半以降、『ガロ』やメジャー少年誌などで大々的な「劇画ブーム」が起こるが、劇画の提唱者であった辰巳は、ブーム化して乱造された「劇画」に幻滅。1968年には、「劇画と決別するための」の著書、『劇画大学』を刊行する。
以降、辰巳は主に社会の底辺にある人々を主人公とした陰鬱な短編作品を発表するようになる。1990年代以降は、主に仏教関係の作品を発表している。一方で、1950年代SF短編の味わいの再現を狙った連作短編『SFもどき』など、時おり多彩な試みに挑むことも忘れてはいない。 国外からも1980年代以降に作品が紹介され、「下層労働者の心情を初めて、リアルに描写した漫画家」として高い評価を得るようになる。また国内でも、2002年に青林工藝舎から刊行された『大発見』から、再評価が進んでいる。
1986年、神保町で漫画専門の古書店「ドン・コミック」を開店。ただし、2002年からは目録販売専門店となっている。 2008年には、1995年から2006年まで「まんだらけ」のカタログ誌に連載された半自伝漫画『劇画漂流』が刊行された。また、その続編をカナダの出版社からの依頼で、執筆予定。
※ 子どもの頃、『影』と『街』が大好きだった。淀川長治さんは、映画で人生に必要な全てを学んだと言うけれど、子どもの私は『影』と『街』とで、見えにくい大人の世界の構図を垣間見た気がするのだ。 「辰巳ヨシヒロ」と云う名前がとても懐かしい。
◇ 高木監督、県岐阜商の後輩・和田を絶賛「今、一番ですよ」
< 中日 2―1 楽天 > (9日・ナゴヤドーム)
連勝で首位を守った中日・高木守道監督(70)は、決勝打の和田を称えた。前日8日の逆転サヨナラ2ランに続き、この日も6回に勝ち越しタイムリー。「今、(頼もしさは)一番ですよ。彼は3、4、5番と経験しているし、調子さえよければどこでも力を出せる」。県岐阜商の後輩でもある3番に、最敬礼の高木監督だった。2位巨人とは、僅かに0.5差。
◇ 今日の誕生花・ユキノシタ(ユキノシタ科)
花言葉は、「切実な愛情」「博愛」。
青梅ややもり火に透く門らんぷ 子規
※ 灯ではなく火、ガス灯か。「門らんぷ」が時代を感じさせる。
梅雨傘をさげて丸ビル通り抜け 虚子
※ 虚子が率いる俳句結社『ホトトギス』は、丸ビルのテナントだった。
漸くに落つくくらし雪の下 深川正一郎
夢殿のほとりの別れゆきのした 八木三日女
ゆきのしたかろがろ咲いてはなやげる 渡辺水巴
ユキノシタ煎じて咳止め作りたる 若かりし日の母を想えり 鳥海昭子
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