平成26年7月2日(水)スタバ:スターバックスがオーストラリアから撤退する理由。
世界に約2万店舗を展開するコーヒー・チェーン最大手のスターバックス(スタバ)が、不振のオーストラリア事業から手を引く。同国内からスタバが消えてなくなるわけではないが、残る全直営店の運営権を地元企業に売却する。スタバがオーストラリアで成功しなかったのはなぜか。 米国のスターバックス・コーポレーション(米スタバ)はこのほど、オーストラリア国内に残る全スタバ直営店の運営権を地場の小売大手「ウィザーズ・グループ」に売却することを決めた。ウィザーズ・グループはオーストラリア東海岸を中心にセブン・イレブン約600店舗を運営するコンビニ国内最大手。同グループのウィルモット最高経営責任者(CEO)は「スタバをオーストラリアのコーヒー・チェーン最大の成功例にする。(セブン・イレブンの運営を通して)世界的なブランドの地元に最適化したスキルを生かしたい」と述べた。
スタバは1971年に米シアトルで創業。世界展開を進め、オーストラリア1号店を2000年にオープンした。店舗網を拡大したが、ブルームバーグによると2008年までに約1億米ドル(約102億円)の赤字を出した。同年、84あった店舗の約4分の3を閉鎖、従業員約700人を削減した。 米スタバの2013年9月期決算書によると、連結売上高は前年度比12%増の149億米ドル(約1兆5,000億円)。62の国・地域で1万9,767店舗(直営1万194店、フランチャイズ9,573店)を展開する世界最大のコーヒー・チェーンだ。国・地域別の店舗数(直営とフランチャイズの合計)は、最大拠点の米国が1万1,457店と半分以上を占め、次にカナダ1,337店、中国1,017店、日本1,000店、英国764店、韓国559店などの順に多い。
全世界での同年度の新規開店数から閉店数を引いた店舗の純増数は1,701店と全店舗数の約9%と順調にネットワークを拡大している。しかし、オーストラリアの店舗数は08年のリストラを経て現在では24店舗を残すのみとなっていた。日本では、現在1034店舗あり、1996年に上陸して以来、順調に成長していきているが、南半球の大陸では、スタバ文化が根付かなかったことになる。
『 Amazing Grace 』
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1839年7月2日、アミスタッド号事件 が起こりました。
1839年、スペイン籍の奴隷輸送船で起こった乗っ取り事件。
キューバ沿岸を航行中のスペイン籍の商船ラ・アミスタッド号(La Amistad、スペイン語で「友情」の意)では、船内のアフリカ人奴隷が反乱を起こし、船を乗っ取った。その後、彼等はアメリカ合衆国ニューヨーク州ロングアイランド近辺(現モントーク岬州立公園(Montauk Point State Park))にて、アメリカ海軍により逮捕、勾留された。 本事件に関連して米国で行われた裁判は、「アミスタッド号事件」として大きく注目を集め、奴隷廃止運動を前進させる結果をもたらした。 1840年、連邦予審法廷は、これらのアフリカ人たちについては、もともとのアフリカ大陸からの移送が非合法であったと認定し、彼等は法的に奴隷ではなく、自由の身にあると認めた。1841年3月9日、合衆国最高裁判所によりこれらの事項が認められ、1842年、これらのアフリカ人たちは故郷へ帰還した。
◇ 海上の反乱
アミスタッド号の航海は、1839年6月28日、当時はスペイン植民地であったキューバのハバナから始まった。船には、奴隷として購入されたとされた53人のアフリカ人が乗っていた。船は、キューバのプエルト・プリンチペ(カマグエイ州)に向かっていたが、7月2日、アフリカ人の一人、ジョゼフ・シンケ(Joseph Cinqué、本名Sengbe Pieh)が自らの鎖を解くことに成功し、仲間の鎖も解いた。彼等は、船のコック(アフリカ人たちに対して、目的地に着いたあとどのようにして彼等が殺され、食べられることになっているかを語って脅していた)と船長を殺害、2人のアフリカ人も戦闘の中で命を失い、また2人の船員が逃走した。アフリカ人たちは、偽造書類上奴隷たちの所有者となっていたホセ・ルイス(José Ruiz)とペドロ・モンテス(Pedro Montez)の2人については、彼等が船をアフリカに向かわせると信じて殺さず、また船長が個人的に所有していた奴隷についても命を奪わなかった。
しかし、舵を握ったルイスたちはアフリカ人たちをだまし、アミスタッド号をアメリカ合衆国海岸沿いに北へ航行させた。アミスタッド号は沿岸でしばしば目撃され、同年8月26日、ロングアイランドの半マイル沖に投錨し、数名のアフリカ人たちが水や物資を確保するために上陸した際に、アメリカ海軍ブリッグ艦ワシントン号(1837年建造)により発見された。司令官のゲドニー(Gedney)大尉の命令により、ワシントン号乗員はアミスタッド号及び奴隷たちを拘留し、コネチカット州へ連行した。大尉はそこで海事法に基づいて、船体、積荷、及びアフリカ人たちの海難救助報告書を提出した(この行為は、文書誹毀罪に相当)。伝えられるところによれば、ゲドニー大尉はコネチカット州では(ニューヨーク州とは異なり)奴隷所有が合法であったために、コネチカット州に上陸し、奴隷たちから利益を得ようとしていた。
Amazing Grace @ Basel Tattoo 2009
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◇ アミスタッド号関連訴訟
1839年9月、反乱罪及び殺人罪に関する訴訟が、コネチカット州ハートフォードの合衆国巡回裁判所に提訴された。裁判所は、本件はスペインの領海内にてスペイン籍船上で起きた行為であり、本裁判所に管轄権はないとした。そのため、複数のグループが奴隷、船、積荷に関する所有権を巡る訴訟を、巡回裁判所よりも下位の地方裁判所へ提訴した。訴訟を起こしたグループには、ルイスとモンテス、ゲドニー大尉と、ロングアイランドの浜辺でアフリカ人たちに遭遇し、その逮捕に助力したと主張するヘンリー・グリーン大佐がいた。またスペイン政府は、1795年に米西間で結ばれたピンクニー条約(Pinckney's treaty)に基づいて、船体、積荷及び奴隷をスペインへ返還するように求めた。
本条約の第9条には「公海上にて海賊、盗賊の手から救出された全ての船及び商品は、その性格に関わらず、全て正しい所有者に返還される」と記されていた。そのため、合衆国はスペイン政府の代理として、所有権を提訴した。 奴隷廃止運動家たちは、ニューヨークシティの商人であったルイス・タッパンを指導者として「アミスタッド協会」(Amistad Committee)を設立し、アフリカ人を弁護するための資金を集めた。当初、英語もスペイン語も話さないアフリカ人たちとの意志疎通は困難を窮めた。そこで言語学者ウィラード・ギブズはアフリカ人たちの母語であるメンデ語で10までの数字を覚え、ニューヨークの港に赴いて、通訳の出来る人物が見つかるまで大きな声で数を数え続けた。この人物は、英国籍フリゲート艦バザード号に乗る二十歳の水夫、ジェームズ・コヴェイであった。コヴェイ自身、西アフリカ出身の元奴隷である。
奴隷廃止運動家たちは、ホセ・ルイスとペドロ・モンテスに対して暴行、誘拐、及び不当監禁の罪で訴訟した。同年10月にニューヨークにて彼等が逮捕されると、保守層及びスペイン政府は激怒し、彼等は保釈されキューバへ向かった。奴隷廃止運動家たちの地方裁判所における主たる主張は、1817年のイギリスとスペイン間の条約と、これに基づくスペイン政府の宣言によって、大西洋を横断する奴隷貿易は非合法となっている、ということであった。そして、彼等が立証したのは、アフリカ人たちは、メンディランド(現シエラレオネ)にて捕らえられ、1839年4月にフリータウンの南、ロンボコにてポルトガル人貿易商に売られ、ポルトガル籍船にて非合法にハバナに輸送されたということであった。よって、アフリカ人たちは奴隷ではなく、非合法な誘拐の被害者であり、自由が認められるべきであった。彼等が1820年以前からキューバ内で奴隷であったことを示す書類は偽造であると示された(これはキューバでは広く行われている行為であった)。
当時のアメリカ合衆国大統領マーティン・ヴァン・ビューレンは、奴隷制については特に強い主張を持っていなかったが、スペインとの関係や、南部からの再選支持を憂慮し、スペイン政府側に立場をおいた。彼は、望ましい判決がでたら、上告が行われないうちにアフリカ人たちをキューバに送るよう合衆国政府のスクーナーをニューヘイブン港に準備させた。しかし、地方裁判所は奴隷廃止運動家の主張を認め、1840年1月、アミスタッド号と積荷をゲドニー大尉に引き渡し、アフリカ人たちは合衆国政府によって母国へ帰還させるよう命じた。(アメリカ合衆国連邦政府は、1808年に他国との奴隷貿易を禁じ、1818年施行(1819年改正)の法により、密貿易による奴隷は全て政府の負担により帰還させることを決定している。)アミスタッド号船長所有の奴隷は、船長の相続人の合法的所有物と認められ、キューバへの送還が命じられた(この奴隷はカナダへ逃亡)。
合衆国政府の法定代理人は、ヴァン・ビューレンの命令により、巡回裁判所へ即時抗告を行った。巡回裁判所は1840年4月に地方裁判所の判決を支持しつつも、国際的重要性を鑑みて、最高裁判所へ案件を送致した。この時点に及んで、前大統領、マサチューセッツ州選出連邦議会議員ジョン・クィンシー・アダムズが、最高裁判所においてアフリカ人たちの弁護を行うことを引き受けた。最高裁判所は、アフリカ人たちが誘拐されたものであると認定し、彼等が(スペインの法に照らしても)合法的な奴隷ではなく、ルイスとモンテスの所有物ではなく、よってピンクニー条約第9条は適用されないとし、その自由を認め、暴力行為によって自身の自由を守る権利を認めた。また、彼等は合衆国に売却目的で運ばれたのではないため、1818年施行の法は適用されず、連邦政府はそのアフリカへの帰還費用を負担する義務なし、とした。
◇ 今日の誕生花・タチアオイ(アオイ科)
花言葉は、「灼熱の愛」。
薫風や裸の上に松の影 子規
箒木に影といふものありにけり 虚子
※ 遠くに箒木(ははきぎ)を認むも、近くよれば見えぬ伝説の木。
立葵咲き終りたる高さかな 高野素十
夕刊のあとにゆふぐれ立葵 友岡子郷
立葵沖見むと咲きのぼりけり 岸原清行
咲きながら登りきりたるタチアオイ梅雨明けのひかり降りそそぐなか 鳥海昭子