今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

何の日・7月

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 平成26年7月1日(火)昨日:「STAP細胞実証へ最大限努力」と小保方氏がコメント。

 理化学研究所が、小保方晴子ユニットリーダー(30)がSTAP細胞の検証実験に参加すると発表したのを受け、小保方氏は30日夜、「心より感謝し、誰もが納得いく形で存在を実証するために最大限の努力をする所存です」とするコメントを理研を通じて公表した。 小保方氏の代理人の三木秀夫弁護士は報道陣に、「存在を証明する一歩だと受け止めている」と歓迎。小保方氏とは電話やメールで打ち合わせし、決定に喜んでいる様子だったという。

 三木弁護士によると、小保方氏は体調について「万全ではない」と話している。30日時点でも入院中だが、三木弁護士は「参加できないというほどの状況ではない」と説明。参加方法の詳細を検討中で、STAP細胞の存在は「速やかに証明できるのではないかと考えている」と語った。 検証実験は、理研発生・再生科学総合研究センター(CDB、神戸市)が4月から実施している。小保方氏が参加する際は、透明性を確保するため、複数のビデオカメラで記録し、監視役が必ず立ち会うという。7月末から8月初旬に中間報告を発表する予定。 一方、論文の新たな疑義に対する予備調査について、三木弁護士は「コメントを控えたい」と説明を避け、検証実験と論文不正は別の問題との認識を示した。懲戒処分の先送りは「落ち着いて(検証に)参加するということでは良い要素になる」と話した。



 1939年7月1日、日ソ国境紛争・第二次ノモンハン事件が始まる。

 ◇ ノモンハン事件

 ノモンハン事件とは、1939年(昭和14年)5月から同年9月にかけて、満州国とモンゴル人民共和国の間の国境線をめぐって発生した紛争で、1930年代に大日本帝国とソビエト連邦間で断続的に発生した日ソ国境紛争(満蒙国境紛争)のひとつ。 満州国軍とモンゴル人民共和国軍の衝突に端を発し、両国の後ろ盾となった大日本帝国陸軍とソビエト労農赤軍が戦闘を展開し、一連の日ソ国境紛争のなかでも最大規模の軍事衝突となった。

 清朝が1734年(雍正十二年)に定めたハルハ東端部(外蒙古)とホロンバイル草原南部の新バルガ(内蒙古)との境界は、モンゴルの独立宣言(1913年)以後も、モンゴルと中華民国の間で踏襲されてきた。しかし、1932年(昭和7年)に成立した満洲国は、ホロンバイルの南方境界について従来の境界から10〜20キロほど南方に位置するハルハ河を境界と主張、以後この地は国境係争地となった。1939年(昭和14年)5月、フルンボイル平原のノモンハン周辺でモンゴル軍と満州国軍の国境警備隊の交戦をきっかけに、日本軍とソ連軍がそれぞれ兵力を派遣し、大規模な戦闘に発展した。


 ◇ 満州国建国

 日本の関東軍は1931年(昭和6年)に満州事変を起こし、翌年満州国が建国され勢力下に置いた。翌1932年の日満議定書で満州国防衛のため関東軍は満州全土に駐留するようになった。満州国軍は1935年時点で歩兵旅団26個と騎兵旅団7個の計7万人と称したが、練度や装備は良好ではなかった。ソ連は満州国を承認しなかったが、満州国内の権益を整理して撤退する方針を採った。北清鉄路を南満州鉄道の売却交渉が始まったが難航した。

 ソ連はモンゴルと1934年(昭和9年)11月に紳士協定で事実上の軍事同盟を結ぶ。1936年にはソ蒙相互援助議定書を交わし、ソ連軍がモンゴル領に常駐した。モンゴル人民革命軍はソ連の援助で整備され、1933年には騎兵師団4個と独立機甲連隊1個、1939年初頭には騎兵師団8個と装甲車旅団1個を有していた。 こうして日ソ両国の勢力圏が大陸で直接に接することになり、満州事変以後、日本とソ連は満州で対峙するようになり、初期には衝突の回数も少なく規模も小さかったが、次第に大規模化し、張鼓峰事件を経てノモンハン事件で頂点に達した。


 ◇ 第一次ノモンハン事件(5月11日〜31日) 軍事衝突と前哨戦

 係争地では満州国軍とモンゴル軍がパトロールしており、たまに遭遇し交戦することがあった。5月11日、12日の交戦は特に大規模なものであったが、モンゴル軍、満州国軍がともに「敵が侵入してきたので損害を与えて撃退した」と述べているため、真相は不明である。 第23師団長の小松原道太郎中将は、モンゴル軍を叩くために東八百蔵中佐の師団捜索隊と2個歩兵中隊、満州国軍騎兵からなる部隊(東支隊)を送り出した。5月15日に現地に到着した東支隊は、敵が既にいないことを知って引き上げた。しかし、支隊の帰還後になって、モンゴル軍は再びハルハ川を越えた。 この頃、上空では日本軍とソ連軍の空中戦が頻発し、日本機は自国主張の国境を越えてハルハ川西岸の陣地に攻撃を加えた。両軍とも、敵の越境攻撃が継続中であると考え、投入兵力を増やすことを決めた。

 5月21日に小松原師団長は再度の攻撃を命令した。出動した兵力は、歩兵第64連隊第3大隊と連隊砲中隊の山砲3門、速射砲中隊の3門をあわせて1058人、前回に引き続いて出動する東捜索隊220人(九二式重装甲車1両を持つ)、輜重部隊340人、さらに満州国軍騎兵464人が協同し、総兵力2082人であった。指揮は歩兵第64連隊長山県武光大佐がとり、山県支隊と呼ばれた。 ソ連軍も部隊を送り込み、5月25日にハルハ川東岸に入った。その兵力は、第11戦車旅団に属する機械化狙撃大隊と偵察中隊からなり、装甲車としては強力な砲を装備するBA-6装甲車16両を持ち、兵力約1200人であった。これにモンゴル軍第6騎兵師団の約250人をあわせ、ソ連・モンゴル軍の総兵力は約1450人、装甲車39両、自走砲4門を含む砲14門、対戦車砲6門であった。歩兵・騎兵の数は少ないが、火砲と装甲車両で日本・満州国軍に勝っていた。ソ連軍の指揮官は機械化狙撃大隊長のブイコフ大佐で、歩兵の3個中隊のうち第2中隊を北に、第3中隊を南に置き、正面の東をモンゴル軍に守らせて、半円形に突出する防衛線を作った。西岸には第1中隊を控えさせ、砲兵を配した。


イメージ 4

 ◇ 第二次ノモンハン事件  ソ連軍の攻撃

 ソ連政府は5月末の交戦を日本の侵略意図の表れとみなし、日本軍の次の攻撃はさらに大規模になると考えた。白ロシア軍管区副司令官のゲオルギー・ジューコフ中将が第57軍団司令官に任命され、この方面の指揮をとることになった。このときジューコフは大規模な増援を要求し、これが容れられた。 6月17日から連日、増強されたソ連軍航空機が自国主張の国境を越えてカンジュル廟を攻撃し、爆撃は後方のアルシャンにも及んだ。

 ソ連軍の爆撃に対して関東軍は、戦車を中心に各種部隊を増強して反撃する計画を立てた。新たに加わったのは第1戦車団(戦車2個連隊)と歩兵第26連隊(第7師団)のほか砲兵や工兵を含む自動車化部隊の安岡支隊で、第1戦車団長の安岡正臣中将が率いた。作戦にはハルハ川を越えることが含まれていたが、大本営には越境攻撃までは知らされなかった。 6月27日、日本軍はモンゴル領の後方基地タムスクに大規模な空襲を行った。大本営は越境空襲を事後に知らされて驚き、昭和天皇を動かして係争地を無理に防衛する必要はないとの大命を29日に発し、敵の根拠地に対する航空攻撃を禁じる参謀総長の指示を出した。その頃、攻撃のため国境付近に集結しはじめた日本軍に対し、ソ連軍は自国主張の国境を越える威力偵察部隊を送り出して交戦した。

 集結を完了した日本軍は、7月1日に敵の背後を断って撃滅する意図をもって行動を起こした。当初の作戦では、ハルハ川に橋を架けて戦車を含む主力が西岸に渡り、敵の背後から包囲攻撃をかけることとされた。しかし、西岸攻撃のために工兵が用意できた橋は演習用の器材を使った貧弱なもので、戦車を渡すことができず、それどころか橋を越えた補給継続の見込みも薄かった。そこで作戦が変更され、歩兵が西岸に渡って退路を遮断し、東岸に残った戦車が北から攻撃をかけて南下し、敵をハイラースティーン(ホルステン)川の岸に追い詰めて殲滅することを企図した。西岸攻撃には第23師団の第23歩兵団長小林恒一少将が師団所属の歩兵第71連隊と第72連隊をもってあたり、安岡支隊から引き抜いた自動車化部隊の歩兵第26連隊と砲兵隊、工兵隊が後続した。一方、東岸の安岡支隊の主力は戦車第3連隊と戦車第4連隊で、歩兵第28連隊の1個大隊と歩兵第64連隊主力、馬で牽引する野砲兵1個大隊、工兵1個連隊、満州国軍騎兵が属した。うち東を封じるのは満州国軍に任され、今回は南に兵力を送らなかった。総兵力は約1万5000人であった。

 ソ連軍は、前回の戦闘と同様、歩兵戦力で日本軍に劣ったが火砲と装甲車両の数で遥かに勝った。ソ連軍司令部は、ハルハ川東岸への日本軍の攻撃を予想して、第149自動車化狙撃連隊と第9機械化旅団を置いていた。さらに増援軍にハルハ川を渡河させて日本軍の側面を衝く作戦を立て、第7機械化旅団、第11戦車旅団、第24自動車化狙撃連隊が7月1日にタムスクを発った。 ソ連軍と日本軍はほぼ同じ進路で逆向きの渡河攻撃を計画したが、日本軍が先んじて7月2日に渡河をはじめ、3日に橋を架けた。渡河に直面したのはモンゴル軍の騎兵第6師団であったが、抵抗らしい抵抗をしなかった。ソ連増援軍は3日に戦場に到着し、南に進んでいた日本軍と接触した。装甲部隊を前にして日本軍の行軍は止まった。午前中の戦闘でソ連軍戦車は果敢に突撃して大損害を出したが、午後には遠巻きにして砲撃を加えるようになり、日本兵の死傷ばかりが増えた。第23師団はその日の夕方に撤退を決め、4日から5日にかけて橋を渡って戻った。

 ハルハ川東岸(右岸)では、日本軍が87両の装甲車両で攻撃をかけた。主に軽戦車からなる戦車第4連隊は、2日夜に装甲部隊による夜襲をかけた。(大規模装甲部隊による夜襲は世界初で、大変珍しい例である。)攻撃は成功をおさめたが、戦局に影響するほどのものではなかった。主に中戦車からなる戦車第3連隊は、翌3日に対戦車砲とピアノ線鉄条網で防御された敵陣地に対して正面攻撃を敢行した。この戦闘は失敗で、主力の中戦車13両と軽装甲車5両を失い同連隊は壊滅的損害を受けた。当時最新型であった97式戦車に搭乗していた連隊長吉丸大佐もこの戦闘で戦死した。

 ソ連軍は7月4日に反撃をはじめ、6日に日本軍は退却した。装甲部隊の軽微ならざる損耗に動揺した関東軍司令部は、これ以上の戦車戦力の損害を避けるため、9日に安岡支隊を解隊、さらに26日に日本軍戦車を戦場から撤収させた。この期間には、ソ連軍の航空勢力が増大した。一方、日本の航空偵察はこの戦闘中ずっと「敵軍が退却中である」という誤報を流しつづけ、上級司令部の判断を決定的に誤らせた。

 ※ 伝わる処によれば、昭和天皇は第二次ノモンハン事件については、かなり御不興とか。



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・ハンゲショウ(ドクダミ科)

   花言葉は、「内に秘めた情熱」。

   一匕(匙)のアイスクリムや蘇る   子規
   ※ 闘病子にして健啖家、子規の面目躍如たるの一句。

   どかと解く夏帯に句を書けとこそ   虚子
   ※ 鎌倉の料理屋で、酔いに興じた女中頭がかような振る舞いに …

   千年の杉や欅や瀧の音   草間時彦

   七月の青嶺まぢかく溶鉱炉   山口誓子

   木の揺れが魚に移れり半夏生   大木あまり

 どことなく寂しい風情の半夏生 秘めた想いのさゆらぐような  鳥海昭子


イメージ 2

 ※ 「半夏生」と言うもの、なかなかに奥が深いというか、ややこしいものである。先ず、半夏生は雑節の一つで、烏柄杓(カラスビシャク)という薬草(塊茎が半夏という生薬)が生える頃をさすもの。 あるいはまた、半化粧(カタシログサ)という草の葉が名前の通り半分白くなって化粧しているように見える頃とも言われる。半夏生は夏至から数えて11日目です。即ち、天球上の黄経100度の点を太陽が通過する日となります。

 農家にとっては大事な節目の日とされ、この日までに農作業を終えて、この日から5日間は休みとする地方もあります。また、この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたりしました。また三重県の熊野地方や志摩地方の沿岸部などでは、「はんげ」という妖怪が徘徊するとされ、この時期に農作業を行うことに対する戒めともなっています。

イメージ 3

 ※ 上方ではこの日に蛸を食べ、讃岐では饂飩を食べ、福井県では大野市などで焼き鯖を食べる習慣があります。いずれも、農作物の順調な生育を願う心が反映したものとか。 タコを食べると田畑に植えたものの根が、蛸のようにしっかりと根をはると言われます。

 【参照】7月2日、半夏生(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/10274714.html


 【参照】7月1日、釜蓋朔日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/10165369.html

 【参照】7月1日、童謡の日、童話の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/10137267.html

 【参照】7月1日、瑞龍寺の「ひとつやいと」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/34217188.html

 【参照】7月1日、車谷長吉の誕生日(1945年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52298697.html

 【参照】7月1日、香山リカの誕生日(1960年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50879127.html

 【参照】7月1日、森 昌子 デビュー(1972年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/48815149.html

 【参照】7月1日、「ウォークマン」発売(1979年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/54303212.html

 【参照】7月1日、日本全国タスポ導入(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43303452.html
 (町のタバコ屋さん撃沈、コンビニ隆盛。タスポとは、何だったのか?)

 【参照】7月1日、「再生可能エネルギー」の買い取り制度開始(2012年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53404160.html
 平成25年7月31日(水)昨夜:首位・楽天が4連勝、4位・中日は4連敗。

 ◇ 首位楽天・星野監督、4戦連続逆転勝ちも … 「関係ない」

   < 楽天 9―4 西武 > (30日・盛岡)

 楽天が4連勝。0―1の4回に島内の3ランなどで4点を奪い、4―4で迎えた5回は失策で勝ち越し。7回は枡田の2点二塁打と松井の2ランで加点した。則本は5回4失点で9勝目。西武は菊池が4回4失点と振るわなかった。 楽天は前カードのロッテ3連戦から4試合連続の逆転勝ち、球団記録の貯金を「16」に伸ばした。2位西武とのゲーム差も5と開いたが、星野監督は「関係ない。貪欲に行かんと … 」と現状に満足していない。

イメージ 3

 ◇ Bクラス・守道監督、「点が取れない、いつも言ってるので言いたくない」

   < 阪神 8―1 中日 > (30日・甲子園)

 3ヶ月ぶりに先発復帰した中田賢一投手(31)が5回1/3を6安打4失点で黒星を喫した。 中日は大勢が決まった九回に1点を返し、零敗を逃れるのがやっと。これで4連敗、借金は今季最多タイの「13」となり、高木監督は「打てない、点が取れない。いつも言っているので言いたくない」と肩を落とした。 後半戦初の2桁安打を放ったが、全て単打。2併殺で10残塁と相変わらずの拙攻。指揮官は「あしたはするよ」と打線の組み替えを明言した。 3位・DeNAとは2.5差、既にCS絶望? 明日なき監督の、明日なきドラゴンズ。 ドラの明日は、どっちだ!

 ※ 選手らの「信」失なひし監督の、末路かくなるものと思へど … 。



 7月31日は、黛まどか の誕生日 です。

 ◇ 黛まどか( 1962年 ) 俳人 本名:黛 円

 神奈川県足柄下郡湯河原町生まれ。父は俳人の黛 執。 1983年、フェリス女学院短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り、俳句の世界に魅了される。1988年、「東京きものの女王」を受賞。1990年、俳句結社「河」に入会、吉田鴻司に師事。 1994年、「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞、初の句集『B面の夏』を出版。 同年、女性のみの俳句結社「東京ヘップバーン」を立ち上げる。1996年、女性会員による俳誌『月刊ヘップバーン』を創刊、代表となる。

 1999年、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路、約900kmを徒歩で踏破。 2001年から翌年にかけて、韓国釜山からソウルまでを徒歩で踏破。 2002年、句集『京都の恋』で第2回山本健吉文学賞を受賞。 2006年、『月刊ヘップバーン』を通算100号で終刊。2010年より1年間、文化庁文化交流使としてフランスで俳句を指導。 現代俳句を代表する女流俳人の一人として活躍中で、「おしゃれ吟行会」など数多くのイベントの選者を務めている。


イメージ 4

   春の泥跳んでお使ひ忘れけり

   また同じタイプに夢中万愚節


   旅終へてよりB面の夏休

 頭でつくった句の典型。下手な句ではないが、この程度の発見で満足してもらっては困る。この国の詩歌が困ってしまう。いかにも、イマジネーションがひ弱いのだ。しかし、平成俳句の一断面として、記録しておく価値はあるだろう。作者について、同性の中野翠が「サンデー毎日」(6月9日号)で書いている。「 … 女だっていうことにそんなに甘えちゃいけない気がする。おじさんたちの純情にそんなにつけこんじゃあいけないような気がする」。『B面の夏』(1994)所収。(清水哲男)


   観覧車より東京の竹の春

 竹は秋になると青々と枝葉を茂らせる。この状態が「竹の春」。作者によれば、この観覧車は向丘遊園のそれだそうだが、そこからこのように竹林が見えるとなると、一度行ってみたい気になった。最近の東京では、郊外でもなかなか竹林にはお目にかかれない。竹は心地よい。元来が草の仲間だから、木には感じられない清潔な雰囲気がある。木には欲があるが、竹にはない。観覧車から見える竹林には、おそらく草原ないしは草叢に似た趣きがあるだろう。作者の責任ではないにしても、せっかくの「東京の竹の春」なのだから、こんなに簡単に突き放すのではなくて、もう少しどのように見えたかを伝えてほしかった。「竹の春」という季語に、よりかかり過ぎているのが残念だ。惜しい句だ。『恋する俳句』(1998)所収。(清水哲男)


   かまいたち鉄棒に巻く落とし物

 都会的センスを求められがちな作者だが、何気ない写生句にも大きな魅力がある。通学路や公園の落とし物は、目の高さあたりのなにかに結ばれて、持ち主を待っているものだ。それはまるで公園のところどころに実る果実のように、マフラーや給食袋などがいつとはなく結ばれ、またいつとはなくなくなっている。ひとつふたつと星が出る頃、ぽつんと明かりが灯るように鉄棒に巻かれた落とし物が人の体温を伝え、昼間鉄棒にまといついていた子どもたちの残像をひっそりとからみつかせている。また、かまいたち(鎌鼬)とは、なにかの拍子でふいに鎌で切りつけられたような傷ができる現象をいう。傷のわりに出血もしないことから伝承では3匹組の妖怪の仕業などとも言われ、1匹目が突き飛ばし、2匹目が鎌で切り、3匹目が薬を塗る、という用意周到というか、必要以上の迷惑はかけない人情派というか、なんとも可愛らしい。この妖怪じみた気象現象により、夜の公園でかまいたちたちがくるくると遊んでいるような気配も出している。(土肥あき子)

 【鎌鼬】:突然皮膚が裂けて、鋭利な鎌で切ったような傷ができる現象。特に雪国地方でみられ、越後の七不思議の一つとされる。空気中に真空の部分ができたときに、それに触れて起こるといわれる。昔は、イタチのしわざと信じられていた。鎌風。《季 冬》



イメージ 2

 ◇ 上村春樹・全柔連会長、8月中辞任と執行部総退陣を表明(やれやれ)

 公益財団法人・全日本柔道連盟(全柔連)の上村春樹会長(62)は30日、東京都文京区の講道館で開かれた臨時理事会で8月中の辞任と執行部の総退陣を表明した。 内閣府から8月末を期限に組織の立て直しを勧告されており、上村会長は記者会見で「勧告を重く受け止めた。不祥事など色々なことを踏まえて判断した」と、引責辞任であることを認めた。理事会後の臨時評議員会で協議された理事23人の解任議案は否決された。

 退陣するのは、上村会長を含め、藤田弘明(75)、佐藤宣践(のぶゆき)(69)の両副会長、小野沢弘史・専務理事(66)、村上清・事務局長(63)の執行部5人。執行部は理事職も退く。 今すぐ総退陣に踏み切れない理由の一つに、上村会長は、第三者委員会から問題があるとされた計6055万円の助成金の返還問題を挙げた。現体制でこの問題を処理した上で、「8月中旬に開く臨時理事会で辞任する。新体制にはきれいな形で引き継がなければならない」と述べた。

 ※ 「汚い」現体制よ、サヨナラ。伝統の技は進化するも伝統の組織は腐敗する。



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・フシグロセンノウ(ナデシコ科)

   花言葉は、「転機」。 (節黒仙翁)

   夏草や兵共がゆめの跡   芭蕉

   凌霄(のうぜん)の花に蝉鳴く真昼哉   子規

   日課なる昼寝をすませ健康に     虚子

   遠くにて水の輝く晩夏かな   高柳重信

   どれも口美し晩夏のジャズ一団   金子兜太

 うすぐらい林道は登り道にして フシグロセンノウきっぱり赤し  鳥海昭子


 【参照】7月31日、愛宕神社千日詣
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/35189141.html

 【参照】7月31日、柳田国男の誕生日(1875年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/14734711.html

 【参照】7月31日、真空管終焉の日(1979年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43833706.html

 【参照】7月31日、杉原千畝の命日(1986年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53474856.html

 【参照】7月31日、鶴見和子忌(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49093307.html

 【参照】7月31日、吉村 昭の命日(2006年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52410988.html

 【参照】7月31日、長良川中日花火大会(2010年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51012837.html
 平成25年7月30日(火)昨日:典型的な見込み捜査、繰り返される単純ミス。

 なぜ不十分な捜査が繰り返されるのか。大阪府警に誤認逮捕された男性会社員(42)の起訴が取り消された。昨年の遠隔操作ウイルス事件を教訓に、容疑者の言い分には真摯に耳を傾けると誓ったはずだった。「捜査機関の信頼性が問われている」。大阪地検と府警は危機感を募らせている。 「典型的な見込み捜査だった」。起訴取り消しを聞いた府警幹部は肩を落とした。

 捜査関係者によると、今回の窃盗事件を捜査したのは北堺署の「直轄警察隊」。署長直属で街頭犯罪を担当する捜査班だ。刑事課長代理(警部)をトップに計8人が捜査し、男性を誤認逮捕してしまった。経験が浅い若手が多かったという。一方、有罪を信じて男性を起訴したのは地検堺支部の副検事だった。 ただ、いずれも上司に捜査結果を報告して決裁を受けている。府警のベテラン捜査員は「上司がなぜ気付かなかったのか」と首をかしげた。検察には府警の捜査過程をチェックする役割もある。 起訴取り消しを発表した地検の上野友慈次席検事は「検事は府警の捜査を信用してしまった。(誤りがあるかもしれないという)思いが至らなかった」と述べた。検察幹部も「決裁時に見抜けなかった理由を検証する必要がある」と強調した。

 大阪では昨年、遠隔操作ウイルスに感染したパソコンで犯行予告が書き込まれた事件で、府警がアニメ演出家の男性を誤認逮捕した。地検も起訴し、その後、起訴を取り消した。府警は昨年12月、検証結果を公表し、「容疑者が否認した場合、供述内容をよく聴き、第三者関与の検討を徹底する」と約束した。 別人が犯人であることを理由に起訴が取り消されるのは異例だが、ずさんな捜査は繰り返された。府警幹部は「全警察官が捜査に臨む姿勢を根本的に改めなければならない」と声を荒らげた。 府警の大村喜一・刑事総務課長は29日、「男性や家族にご迷惑とご心労をかけたことに深謝申し上げる」とのコメントを出した。北堺署の小坂義之署長は男性に直接謝罪する意向で、府警は捜査の検証結果を公表する方針。

 ※ 記録時刻の確認を怠る極めて初歩的ミス:アリバイ捜査と防犯カメラなどの記録時刻の確認。基本的なことさえ調べていれば、誤認逮捕や起訴には至らなかった可能性が高い。無能な捜査機関が逮捕権を持っているという恐怖を、全大阪府民が感じている … 。



イメージ 2

 7月30日は、新美南吉の誕生日 です。 < 生誕百年 >

 ◇ 新美南吉(1913年〜1943年)児童文学作家 本名:新美正八(旧姓:渡辺)

 愛知県半田市出身。雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、代表作『ごん狐』(1932年)はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったため、作品数は多くない。童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残した。彼の生前から発表の機会を多く提供していた友人の巽 聖歌(たつみ せいか)は、南吉の死後もその作品を広める努力をした。

 地方で教師を務め、若くして亡くなった童話作家という共通点から宮沢賢治との比較で語られることも多い。賢治が独特の宗教観・宇宙観で人を客体化して時にシニカルな筆致で語るのに対し、南吉はあくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風で、「北の賢治、南の南吉」と呼ばれ、好対照をなしている。 作品の多くは、故郷である半田市岩滑新田(やなべしんでん)を舞台としたものであり、特に少年達が主人公となる作品では、「久助君」「森医院の徳一君」等、同じ学校の同じ学年を舞台としたものが多い。主人公は「久助君」「大作君」など作品によって変わるが、「徳一君」や「兵太郎君」などはほとんどの話に登場して世界観をつなげる役目を果たしている。 出身地の半田には、新美南吉記念館のほか、彼の実家や作品ゆかりの場所を巡るウォーキングコースも作られています。

イメージ 3

 1917年に、母・りゑが29才の若さで逝去 。1919年2月に、父・渡辺多蔵は再婚。義母の名は「志ん」。その三日後に、弟・益吉が誕生。 1920年、知多郡半田第二尋常小学校(現・半田市立岩滑小学校)入学。おとなしく目立たない児童で、体は少し弱かったが成績は良かった。 1921年7月19日、父・多蔵離婚。同年12月、同じ相手と再婚している。

 正八は1921年7月28日、母方の祖母である新美志も の養子となり、新美正八と改姓。祖母と二人で暮らし始めるが、12月には新美姓のまま実家である渡辺家に戻る。 1926年、旧制愛知県立半田中学校(現・半田高校)へ入学。 1928年頃から童謡や詩の投稿を始める。また、文芸誌『赤い鳥』や小川未明の『日本童話集』にであう。

 1931年3月、岡崎師範学校を受験するも体格検査で不合格。4月、愛知県知多郡半田第二尋常小学校の代用教員となるが、8月には一身上の都合で退職。 5月、『赤い鳥』に初めて童謡が掲載される(5月号「窓」)。 1932年1月、『赤い鳥』1月号に童話「ごん狐」が掲載される。4月、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部文科文学に入学。 1934年、2月25日、喀血。この頃は顔色も優れず、しきりに盗汗をかく。(盗汗:寝汗、肺結核など病気の一症状として現れることがある)

 1936年3月、東京外国語学校を卒業。 神田の貿易商会に勤めたが、二度目の喀血をして11月には帰郷している。 1937年4月、知多郡河和小学校の代用教員となる。夏に体調を崩し、7月31日に退職。 9月、杉治商会(家畜の飼料製造販売)鴉根山畜禽研究所に入社。 1938年3月、安城高等女学校(現・安城高校)の教員となる。英語、国語、農業を担当した。

 1941年、初の単行本『良寛物語 手毬と鉢の子』(学習社)を刊行。 1942年10月、初の童話集『おぢいさんのランプ』を刊行。 1943年1月、病状悪化(喉頭結核)。2月、安城高等女学校を退職。 3月22日、逝去。享年29。 9月10日、童話集『牛をつないだ椿の木』、9月30日、童話集『花のき村と盗人たち』と2冊の童話集が相次いで刊行された。


イメージ 4

 ◇ 生誕百年を迎える新美南吉が友人に宛てた手紙六通 見つかる(2013.7.8)

   初恋 挫折 夢つづる新美南吉 青春の手紙に「自分は非凡」と自負

 『ごんぎつね』で知られる愛知県半田市出身の童話作家、新美南吉(1913〜43年)が16歳から17歳にかけて、旧制半田中(現半田高)時代の同級生に宛てた6通の手紙が同県東浦町の中央図書館で見つかった。青春時代の初恋や挫折が友人相手の率直な文章でつづられ、創作活動を通じて「自分は非凡」などと自信を取り戻していく様子がうかがえる。

 6通は昭和4年8月〜6年7月に書かれた。いずれも半田中から旧制八高(現名古屋大学)に進み、後に愛知県立大学教授となった国文学者の久米常民(1913〜77年)に宛てたものだった。 最初の手紙では、当時同級生だった久米に「失礼ですが、小説などを毎日かいてゐられるでせう」と問い掛け、「僕もさうです」と対抗心を燃やす一方、初恋の女性と二十日間会っていない寂しさを打ち明けている。

 岡崎師範学校(現愛知教育大学)の受験に失敗した時期に書かれた6年4月の手紙では、八高に進学した久米からの手紙を「僕に同情した事ばかりかいてある。僕は癪にさわって仕様がない」となじる一方、母校の半田第二尋常小(現・半田市立岩滑小)で代用教員を務めるようになると、創作活動に打ち込む姿がつづられ、自作の童謡が雑誌「赤い鳥」などに掲載されたことを自慢。「俺はまた此の頃、自分が非凡の男の様に思へて来た」「もう俺は白秋にみとめられてるつもりだ」「僕は僕以外の誰にもなりたくない。僕は現在の僕が一ばんいとしい」とすっかり自信を取り戻した様子がうかがえる。

 新美南吉記念館(半田市)の学芸員、遠山光嗣さん(41)は「寂しい一生を送った印象がある南吉だが、何でも語り合える友人がいた。共に文学を志していた久米という存在の大きさや、才能を伸ばしていく様子が伝わってくる」と話している。

  新美南吉記念館
  http://www.nankichi.gr.jp/

  〒475‐0966 愛知県半田市岩滑(やなべ)西町1‐10‐1
  TEL 0569-26-4888 FAX 0569-26-4889



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・ハマボウ(アオイ科)

   花言葉は、「楽しい思い出」。

   夕立や一かたまりの雲の下   子規

   蜘蛛よりもががんぼ音がして陽気   虚子
   ※ ガガンボ:蚊を一回り大きくしたような「大蚊」、人を刺さない。

   滝の上に水現れて落ちにけり   後藤夜半

   瀧落ちて群青世界とどろけり   水原秋櫻子

   夜の雲のみづみづしさや雷のあと   原 石鼎

 少しずつ重なりあって張り合って 花びら五つのハマボウ咲けり  鳥海昭子


 【参照】7月30日、新美南吉の誕生日(1913年)(『ごん狐』)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43816246.html

 【参照】7月30日、荒井 注の誕生日(1928年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52407720.html

 【参照】7月30日、露伴忌(1947年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51008962.html

 【参照】7月30日、プロレス記念日(1953年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/14585186.html

 【参照】7月30日、谷崎潤一郎忌(1965年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49086996.html

 【参照】7月30日、小田 実の命日(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53472463.html

 【参照】自民の歴史的大敗、中川幹事長辞任(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/35154240.html
 平成25年7月29日(月)昨日:自転車の前を「どかなかった」から殴り死なす。

 千葉県警千葉西署は28日、自転車の通行を巡って口論となった男性を殴るなどして死亡させたとして、千葉市美浜区、自称アルバイトの少年(19)を傷害致死の疑いで逮捕した。 同署によると、少年は26日午後6時50分頃、千葉市美浜区幸町の歩道で自転車に乗っていたが、犬の散歩で前にいた同市稲毛区小深町、無職市原昇さん(69)と口論になり、市原さんの顔を殴るなどして死亡させた疑い。 少年は逃走したが、28日午前7時頃、母親に連れられ同署に出頭。調べに対し、少年は「ベルを鳴らしてもどかなかったので口論になり、腹が立ってやってしまった」などと供述しているという。

 ※ 殺人の動機を「太陽が眩しかったから」と述べる不条理な主人公を創出して、カミュは46歳の若さでノーベル文学賞を受賞した。 19歳の少年は、「どかなかった」から殴り死なせてしまった。彼がこれからの長い生涯で支払うべき代償は余りにも大きい。余りにも悲しい。そもそも、歩道を行く自転車は、歩行者をどかせる目的でベルを鳴らしてはいけない決まりなのだ。 人間とは、かくも不条理な存在なのか。



イメージ 2

 本日7月29日、中日・山崎選手の引退会見が ありました。

   若い選手に夢を託したい …

 セ・パ両リーグで本塁打王を獲得したプロ野球現役最年長野手の中日・山崎武司内野手(44)が29日、名古屋市内で記者会見し、今季限りでの現役引退を発表した。 26日に二軍降格を通告され、「交流戦後、二軍に行くようなことがあれば、けじめとしてユニホームを脱ぐと決めていた。やり切ったとは言えないが、若い選手に夢を託したい」と引退の理由を話した。

 中日、オリックス、楽天の3球団で通算1833安打、現役選手では最多の403本塁打。山崎は、「これだけ長くやって、2000本安打に届かず、目標にしていた(巨人軍終身名誉監督の)長嶋さんの444本塁打も抜くことができなかったのは、何かが足りない男だなあと思う」と27年間の現役生活を振り返り、「山本さん(47)より先にやめるのは悔しい」と周囲を笑わせた。

   引退決断の理由は …

 「交流戦以降、2軍に落ちれば決心しないといけないと思っていた。けじめとして、自分の進退を懸けながらやってきた。そういう中で2軍に落ち、今季ユニホームを脱ぐと、高木監督、中日球団に申し入れた」

   現在の心境は …

 「体も元気だし、痛いところはない。まだまだできると、何年も野球をやりたい気持ちはある。気持ちは晴れ晴れとは言えないけれど、ドラゴンズの若い選手に夢を託したい。大好きな山本先輩より先にやめるのは悔しいけれど … 」

   選手生活を振り返って …

 「一つ、二つ足りない男だなとは思う。ヒットも2千本打てなかった。長嶋さんの444本塁打を抜くことに2千本よりこだわっていたけれど、できなかった。わがままで監督とも衝突して、もう少し大人になっていれば2千本に到達したなと思い返している。27年も現役生活ができたのは誇り」

   指導者への憧れは …

 「自分で決められるものではないが、いずれ後輩を指導したい気持ちはある。野球界のためにも恩返しできればいい」

   東北のファンには …

 「オリックス時代に野球が大嫌いになって、ボールを二度と握るか、バットも二度と持つか、と思っていたところに、新しい球団ができてプレーすることができた。震災の慰問でも励まされた。感謝、感謝の気持ちしかない」。



 ◇ 中日 vs 巨人戦、3連勝後の3連敗、律儀なるかなドラゴンズ

    高木監督「気力出していかな … 」

   < 中日 0―1 巨人 > (28日・ナゴヤドーム)

イメージ 3
 中日・高木守道監督(72)は、ライバル視する巨人に3連敗でガックリ。自分に言い聞かせるように「気力出していかな … 」と話した。 打撃陣が3安打無得点とさっぱり …   高木監督「打てんね。(巨人菅野は)やっぱり力があるしね、ボールに。うちのバッターが攻撃的じゃない。結果としてみんな打たされとる。狙いを定めて初球からというのがない。攻撃的なバッティングをしないと、どっちつかずになる」。   高木監督「藤井も落ちてきたしね。大島も休養十分だろうということで … 、まだまだ内容的には良くない。クラークもあかんしね。巡り合わせも良くない。ルナが帰ってきたから勝てるというわけじゃない。今いるメンバーで頑張らないと」。 巨人戦3連敗 …  高木監督「どうしようもない。これではいかん。ちょうどいい流れが来たところでオールスター休みでストップをかけられた感じ。DeNA初戦(24日)でいいゲームができんくて戻っちゃった。まあ、でも戻ったとか言っとる場合じゃない。気力出してやらな。何か元気がない」。 山崎が現役引退 …  高木監督「それは(本人に)聞いて下さい」。

 ※ もらい物 のしつけ返す お人よし 3連勝 律儀に返す お中元 …CBC。



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・チングルマ(バラ科)

   花言葉は、「可憐」。

   其底に木葉年ふる清水哉   子規

   夏痩の頬を流れたる冠紐   虚子

   手花火を命継ぐ如燃やすなり   石田破郷

   夕やけの大きな山に迎へられ   及川 貞

   立山へ一歩をしるすちんぐるま   池田栄子

 チングルマほおけて風にゆれていき 父がめんごい花だと言いき  鳥海昭子


 【参照】7月29日、尾張津島天王祭・朝祭
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/35125985.html

 【参照】7月29日、静、男児を出産(1186年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/14431717.html

 【参照】7月29日、凱旋門の日(1836年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49080365.html

 【参照】7月29日、アマチュア無線の日(1952年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52404314.html

 【参照】7月29日、秋吉久美子の誕生日(1954年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43797887.html

 【参照】7月29日、小野リサの誕生日(1962年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51004465.html

 【参照】7月29日、高木美保の誕生日(1962年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53470260.html
 平成25年7月28日(日)昨日:星野監督、貯金14も「まだまだ恥ずかしいな」。

   < 楽天 8―1 ロッテ > (27日・Kスタ宮城)

 投打のかみ合った楽天が快勝し、貯金を球団史上最多となる14とした。先発の戸村健次投手(25)が8回1失点と好投。 打線も14安打8得点で2位ロッテを圧倒し、ゲーム差を4に広げた。それでも、球団記録の貯金14に星野仙一監督(66)は「14で記録? まだまだ恥ずかしいな」と、気を緩めることなく引き揚げた。


イメージ 2

 ◇ 若武者・中井の逆転3ランで巨人が貯金20の大台に

   < 中日 3―9 巨人 > (27日・ナゴヤドーム)

 2者連続押し出し四球で逆転を許す、巨人にとっては最悪の流れを、売り出し中の23歳が吹き飛ばした。六回2死一、二塁から中井が左中間席へ豪快な3ラン。逆に2点差をつける千金弾に「自分でも驚いている。本当にいいところで打てたのでうれしかった」と、はにかんだ。

 指揮官は中井の長所に「思い切りの良さ」を挙げる。同じく決勝弾を放った7日の試合後には「どんな大選手になっても、今の気持ちというものを忘れずに戦ってもらいたい」とも語った。 本人もわかっている。「使ってもらっている以上、必死で結果を出そうとやっている」。がむしゃらにバットを振り続け、球界を代表する打者に成長した坂本の背番号「61」を受け継いだ若武者に、ブレークの予感が漂う。

   連日の逆転負けに高木監督「ひどい内容です」

 中日は首位巨人に連日の逆転負けを喫した。初回に平田のタイムリーで先制。逆転された後の5回には5連続四球で再逆転。このまま畳みかけたいところだったが、クラーク、繁が凡退。その後6回に逆転を許し、7回には和田の送球ミスなどもからみ追加点を許してしまった。 途中出場の若手もアピールできず、高木監督も「ひどい内容です」と、あきれ顔。


イメージ 3

 ◇ 中日の山崎、現役引退を視野に進退を模索 …  本塁打王2度、44歳

 中日の山崎武司内野手(44)が今季限りでの現役引退を考えていることが27日、分かった。既に、楽天時代の監督である野村克也氏ら関係者に去就について相談している。山崎は愛知県東海市の自宅前で「野村さんにも相談した」とした上で、「まだ考えており結論は出ていない」と述べた。 同日、山崎は出場選手登録から外れており、「シーズン残り2ヶ月の時期に(2軍に)落とされた意味は、立場的にもわかっている」と話した。

 山崎は愛知・愛工大名電高からドラフト2位で1987年に中日に入団。2003年にオリックスへ移籍し、2005年に新規参入の楽天に加入。2012年から中日に復帰していた。実働25年の通算成績は2237試合に出場し、1833安打、403本塁打、1204打点。本塁打王に2度、打点王に1度輝いている。

 ※ 武司の相談相手は星野さんじゃないんだよねー。ノムさんは信頼できる。



 本日7月28日、中日の山崎武司選手が引退を決意 されました。

 プロ野球の現役の野手では最年長となる44歳の中日・山崎武司選手が、今シーズンかぎりで現役を引退する意向を固め球団側に伝えました。 山崎選手は、プロ27年目となる今シーズン、主に代打での起用が続きましたが、27日、1軍登録を外れました。 球団関係者によりますと、山崎選手は、27日、28日と球団幹部と話し合い、今シーズンかぎりで現役を引退する意向を固め球団側に伝えたということです。

 山崎選手は、28日午前、球団幹部との話し合いのあと、名古屋市中川区のナゴヤ球場で報道陣の取材に応じ、「この時期に1軍を外れることがどういうことかは、長く野球をやっているのでよく分かっている。チームがクライマックスシリーズ出場に向けて戦っているなか、個人の話で引っ張ってはいけないので、あす、何らかの報告をしたい」と話し、29日、記者会見を開いて引退を表明することにしています。

 山崎選手は愛知県出身で、プロ野球の現役の野手としては最年長の44歳。愛工大名電高校からドラフト2位で中日に入団して、長距離バッターとして活躍しました。オリックスや楽天でもプレーした山崎選手は、これまでの27年間にホームラン王2回、打点王1回のタイトルを獲得し、通算でホームラン403本を打っています。



 ◇ 松井氏の引退式 1日限りでヤンキースと契約

イメージ 4
 ヤンキース、巨人などで活躍し、昨年、レイズを最後に引退した松井秀喜氏(39)が28日、ヤンキースタジアムで1日限りのマイナー契約を結び同チームの一員として引退セレモニーに臨んだ。  ダークスーツを身にまといカートで球場に登場。スタンドには「ありがとう松井」と書かれた日の丸や、「松井選手、夢をありがとう」と書かれた横断幕が掲げられるなど、大きな拍手で迎えられた。松井の両親、兄も松井の元に歩み寄り、母親から松井氏は花束を手渡された。   ホームベース後方に特設されたテーブルについた松井氏はキャッシュマンGMらが持参した契約書に筆記体で「ヒデキ マツイ」とペンを3度走らせた。 式典を前の記者会見では「本当に光栄。1日だけヤンキースの一員になれて、引退できることを感謝したい」と話した。 契約を終えた松井氏の元に大きな額縁に入った背番号55のユニホームを運んできたのは、ジーターだった。松井氏はヤンキースのメンバーと記念撮影を行い、黒田とガッチリ握手をかわした。 松井氏は始球式も無事にこなした。 ヤンキースが、他球団を最後に引退した選手を称える引退式典を行なうのは異例のこと。「ゴジラ」の愛称で親しまれた松井氏の存在感の大きさをうかがわせた。



イメージ 1
   ◇ 今日の誕生花・コマクサ(ケシ科)

   花言葉は、「高嶺の花」「誇り」「気高い心」「貴重品」。

 美しい花と、常に砂礫が動き、他の植物は生育できないような厳しい環境に生育する事から「高山植物の女王」と呼ばれている。和名はその花の形が馬(駒)の顔に似ていることに由来する。学名のMakinoは、命名した日本の植物学者の牧野富太郎の名から。


   人住マヌ湖中ノ島ノ茂カナ   子規

   金亀子(こがねむし)擲つ闇の深さかな  虚子

   駒草や谷へかたむく道しるべ   若井新一

   をさなごのひとさしゆびにかかる虹   日野草城

   駒草や蔵王荒膚(あらはだ)なすところ   福永耕二

 峰近く駒草は咲きいたりけり 小さな風に素直にゆれて  鳥海昭子


 【参照】7月28日、菜っ葉の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50999995.html

 【参照】7月28日、なにわの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49073622.html

 【参照】7月28日、東大寺解除会
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/35097362.html

 【参照】7月28日、乱歩忌(1965年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/14265571.html

 【参照】7月28日、森野将彦の誕生日(1978年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/52400714.html

 【参照】7月28日、長谷川町子に国民栄誉賞(1992年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/43779755.html

 【参照】7月28日、第56回全国選抜長良川中日花火大会(2012年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/53468196.html

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
10/31まで秋の行楽キャンペーン実施中

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事