|
◇ 4人はね1人死亡、90歳逮捕 「赤信号分かっていた」 神奈川・茅ケ崎 2018/05/29 28日午前10時55分ごろ、神奈川県茅ケ崎市元町の国道1号で、乗用車が歩行者ら4人を次々とはねた。4人は病院に搬送されたが、女性1人が死亡し、男女3人が軽傷を負った。県警茅ケ崎署は自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で車を運転していた斉藤久美子容疑者(90)=同市若松町=を逮捕した。 高齢運転死亡事故、増加傾向=85歳以上は4倍−警察庁 同署によると、斉藤容疑者は「自分の車を運転して、交通事故を起こしてしまったことは間違いない」と容疑を認めているという。逮捕前の調べに、「赤信号と分かっていたけれど、急いで通過しようと思った」などと話していた。 死亡したのは茅ケ崎市赤松町、職業不詳松浦久恵さん(57)。斉藤容疑者は軽傷で、事故を目撃した2人が気分の悪さを訴えて病院に搬送された。 斉藤容疑者の車は横断歩道を渡っていた歩行者をひいた後、ハンドルを左に切って歩道に乗り上げたとみられる。死亡した女性は歩道で倒れていた。 斉藤容疑者は、3月上旬に運転免許を更新したが、認知機能に目立った問題はなかったという。 現場はJR茅ケ崎駅の北約300メートル。片側1車線の直線道路で、付近には市役所や商業施設が点在している。 ※ この死亡事故は、悪質であると言うべきだ。「赤信号分かっていた」とは、信じがたい言葉だ。あるいは、90歳のご婦人の「認知機能に目立った問題はなかった」との判断に、疑問の余地があるのだろうか。常識的には、赤信号で進む方はハンドルを握るべきではないと言うべきだろう。 人の振り見て我が振り直せ、と申します。他山の石として、己を慎まざるべからず。 事故後、斉藤容疑者の長男が取材に応じ、家族の中で免許返納を促していたことを明らかにした。斉藤容疑者は今年3月、免許を更新したが、その際には「これが最後」と家族に話していたという。 斉藤容疑者は足が悪く、週1回程度、近くの病院への通院時に運転していた。 運転を控えるよう助言しても、「歩くのが難しいので車を使いたい」と希望していたと言う。 数年前にガードレールへの接触事故を起こした以外、事故はないとされる。長男は「車が好きで、運転に慣れていると思っていたのだろう。皆さんに申し訳ない」と述べた。 斉藤容疑者は28日午前、茅ケ崎市元町の国道1号を車で走行中、横断歩道を通行中の4人をはねたとされ、同市の松浦久恵さん(57)が死亡、39〜63歳の男女3人が負傷した。県警茅ケ崎署によると、赤信号を無視してまで急いで発進した理由について、事故前に寄った自動車修理店の関係者が見送りに出てきたため、「早く行かないと申し訳ないと思った --- 」と供述しているという。(杉山雄飛) ※ 「早く行かないと申し訳ないと思った --- 」。 すぐ目の前の人への過度な配慮が、全く無関係な無辜の人々を殺傷してしまった。どれほど悔いても、取り返しのつかない致命的ミスを犯してしまったのは何故なのだろう。 目先のことで人に迷惑をかけても、平然とした心持ちを保つことも肝要なのだ。その上で恭しくお礼を申し上げれば済むことだ。頭を下げている人に申し訳ないと、心を取り乱してアクセルを踏むなど論外なのだ。 人には大いに迷惑をかけよう。最善の努力をした結果がそうならば、誰しも許してくれよう。 ◇ 高齢運転死亡事故、増加傾向=85歳以上は4倍―警察庁 5/29(火) 7:08配信 神奈川県茅ケ崎市で4人が死傷した事故は、車を運転していたのが90歳の女性だった。 政府は認知症対策の強化など高齢運転者の事故対策を進めているが、昨年の80歳以上による死亡事故は235件と前年からわずかに減ったものの、全体の7.2%を占め、増加傾向は依然続いている。 警察庁によると、昨年の死亡事故について、ドライバーの年齢層別に免許保有者10万人当たりの件数を調べたところ、75歳未満の平均が3.7件だったのに対し、75〜79歳は5.7件で約1.5倍、80〜85歳は9.2件と約2.5倍だった。85歳以上は14.6件で、4倍近くに達した。 政府は昨年、80歳以上のドライバーによる事故の死者数を2020年までに200人以下とする数値目標を設定。警察庁も80歳以上の実車試験の導入などを検討しているほか、高齢運転者に対する運転適性相談の強化や、運転免許証を自主返納しやすい環境整備を推進している。 今年1〜4月の80歳以上の免許の自主返納は、過去最多だった昨年の同時期から約7000人増え、6万3696人(暫定値)に上っている。 ※ 私事ですが、この11月で72になります。今でも運転を致しております。免許証はゴールドです。スピード違反と駐禁はかつて有りましたが、交通事故は、起こされたことも無ければ、起こしたことも幸いに有りません。無事故のままに免許証自主返納が望むところですが、今しばらくは車が手放せません。生活の足としての利便性は、高齢者にこそ欠かすべからざるものと思います。(若者よ、自らの脚で世間を渡り歩け!) ◇「なぜ免許返納していなかったのか」 名古屋大大学院の加藤博和教授(公共交通政策) 運転していた女は、事故の約半年前に受けた認知機能検査では問題がなかったものの、動体視力など安全な運転をするための何らかの機能は衰えていた可能性がある。将来的には、一定の年齢に達したら一律で運転免許の取り消しや返納などの措置をとることも検討する余地がある。 また、高齢運転者は一般的に運転の経験年数が長く、技術に自信がある人が多い。今回の女も運転歴は数十年とされる。一方、加齢などの影響で自分自身も気づかないうちに技術が急速に衰えることも珍しくない。どのようにして事前に返納の必要性を理解してもらうかが重要になる。 私が自治体での講演会などで伝えているのは、免許を持っていないことは恥ずかしいことではないということだ。むしろ、返納してバスなどを使う方が、発車時間の確認など手間のかかることをしっかりこなしているという意味で、すばらしいことなんだと価値観の変換を促している。 さらに、事故があった茅ケ崎市は、山間部など人口の少ない地域に比べて路線バスなど公共交通網はしっかりしている。車を手放すと生活が成り立たなくなる地域とはいえず、なぜ女が90歳まで免許を返納していなかったのか疑問が残る。 各自治体はタクシー割引などの行政サービスを提供しており、高齢者が認知機能検査を受けるときに、警察などがサービス内容を伝達する取り組みを進めることも大切だろう。 ※ 加藤博和教授(1970年生まれ)という方、高齢者の「プライド」には無関心なのかもしれない。免許証を持っていないことを恥ずかしい、などとは思うまいが、長年にわたり使いこなしてきた道具を手放すことは、決して容易なことではあるまい。自身の体の一部を削がれるような、空虚感、脱力感が否めないのだ。自分が免許証を持つに値しない人間、車を運転するに相応しくない存在であるかのような、疎外感を禁じ得ないのだ。 これまで出来たことが、ひとつ、またひとつと、出来なくなってゆく老化と言うプロセスを、どのように緩やかに迎え入れるかが問われる。高齢者の生きざまは、人それぞれだ。それぞれの高齢者に、それぞれの老い方があるだろう。人生の老いを十二分に味わったならば、随意に人生の免許を返上するもまた一興かも知れぬ。 ※ 認知機能の低下とは悲しいものである。今日が旅行の当日であることに気付かず、ドタキャンせざるを得ない事とはなりにけり。ああ!情けない。友らは何処へ行ったやら --- 。
|
折りにふれ思う
[ リスト | 詳細 ]
|
◇ 同居母の死を2日後に発見した女性「私が悪いのでしょうか」 2018/5/20(日) 7:00配信 孤独死遺体には引き取り手のないケースも(撮影/アフロ) 親と同居はしているが折り合いが悪くほとんど顔を合わせていない、日中は仕事で親をひとりにしている、高齢の親を呼び寄せ同居を始めたが会話はあまりしていない、… あなたの周りでこんな家庭に心当たりはないだろうか。今、こうした環境で孤立する高齢者が後を絶たない。さらには、同居をしているのに、孤立状態で異常死を遂げる「同居孤独死」も増えているという。「老後は家族と一緒が幸せ」という概念を考えなおす時が来ているのだろうか。 ──福岡県遠賀郡の民生委員がこんなケースを紹介する。 「同居している息子に毎日のように罵倒され、逃げるように一人暮らしを始めたお爺さんもいます。もう80代と高齢なのに、長年住んだ自分の家から息子に追い出されるなんて、本当に不憫でした。半年後、お爺さんはアパートの部屋で一人で亡くなってしまったのですが、息子は病院にも来ず、葬儀も全てこちら任せ。最後まで顔を見せることはありませんでした」 引き取り手のない遺体の葬儀を行う葬儀社「富士の華」の元木正一さんが言う。「身内が亡くなったことを知らせても葬儀に参加せず、『お金は払うから勝手にやってくれ』と言う遺族は少なくありません。遺体の死亡届を提出するためのサインを求めても、『別の人に頼んでください。故人とは一切かかわりたくない』と言われることもあります。実際の葬儀の時には私たちが故人の骨を拾わせていただくのですが、寂しい気持ちになりますね」 だが歴史を紐解けば、そうした感情も、近代になってから培われたものだという。古典エッセイストの大塚ひかりさんが話す。「日本人全体が老人を敬うようになったのは、江戸時代に儒教思想が普及してからです。それ以前の古代や中世の老人は、基本的に社会のお荷物とされていました。息子が老母を背負って山に捨てに行く『姥捨て山伝説』は事実ではないともいわれていますが、全国津々浦々に残っているのは、それだけ共感を呼んだからでしょう」。 大塚さんは、今起きている同居孤独死は、昔話『舌切り雀』の原話とされる鎌倉時代の物語で説明できると話す。 あるところに三世代同居のお隣さん同士がいた。一方の家のおばあさんがけがをした雀を介抱していると、子や孫から「ボケたのか」と小馬鹿にされたが、やがて回復した雀がおばあさんに恩返しし、一家は大金持ちになる。 悲惨なのは隣家のおばあさんだ。自分の子や孫から「隣のばあさんに比べてあんたは役立たずだ」と罵られた。悔しさのあまり、おばあさんは真似をして雀にけがをさせるが、怒った雀の逆襲に遭い殺されてしまう。 「小馬鹿にされたり罵られたりと、この物語は、鎌倉時代の老人の地位の低さがよく表れています。最初におばあさんが雀を介抱したのも、同居している子や孫から厄介者扱いされた孤独感からでしょう。近代になり教育が行き届いたことで、“老人蔑視”は落ち着きましたが、社会が不安定になり余裕がなくなった今、近代以前のように家庭内で苦しめられる老人がいても不思議ではありません」(大塚さん) 実際、2002年の福島県の資料によると、福島県の自殺者の4割が老人で、そのほとんどが家族と同居していたというデータもある。これに対し、一人暮らしの老人の自殺の割合は全体の5%以下だった。 一方で、親を孤独に追いやる家族もまた、深い苦悩を抱えている。昨年12月、同居する母(75才)が自宅で亡くなっているのを2日後に発見した都内在住のA子さん(48才・パート主婦)が語る。「死因は心筋梗塞でした。母は足が悪かったので、一日自室で過ごすことも多く、ほとんど外出はしませんでした。食事は一日一食しか食べない人だったので、一緒に食卓で食べることもあまりなかった。 亡くなった日の前後は、私もパートや地域の見守り会、子供のお弁当、夕食作りに塾の送迎など毎日バタバタで…。夫は単身赴任中で手伝ってくれる人もいないし、一日24時間あっても足りないくらい忙しいんです。高校生の子供は私立に通わせていて、教育費にお金もかかりますし、パートを辞めるわけにもいきません。死後二日も気付かなかったことは本当に申し訳ないと思っています。でも、顔を見ていないな、と思ったら亡くなっていたなんて…、私が悪いのでしょうか」。 ※女性セブン2018年5月31日号 ◇ 「孤独死保険」に注目集まる おひとりさま老後の悲しい現実 2017.10.23 11:00 独り暮らしの高齢者が増える中、保険各社が販売する「孤独死保険」が注目されている。そこからは人生の“清算費用”をめぐるシビアな現実が浮かび上がる。 内閣府調査によると、2000年に約300万人だった65歳以上の独居高齢者は2015年には約600万人へと倍増した。それに伴い、「孤独死」も激増している。 日本少額短期保険協会の「孤独死の現状レポート」(2016年3月)によると、東京23区内の65歳以上の孤独死者数は、2002年の1364人から2014年には2885人に増加。遺体発見までの平均日数は、男性で23日、女性で7日だという。 問題は死んだ後だ。住宅で孤独死が発生し、遺体が何日もそのままになると、腐敗が進行して異臭騒ぎが起きることもある。特殊清掃会社「A&Tコーポレーション」の高江洲敦氏が説明する。 「4階で亡くなった人の体液が、3階を通過して2階の天井まで染み出したケースもありました。ハエの駆除だけでも大変な手間がかかりますし、完全に綺麗にするには、部屋全体をリフォームするしかありません」 部屋をリフォームしても、その後の入居者が見つからないケースは多い。前述の「孤独死の現状レポート」によると、孤独死者の残置物処理費用や原状回復費用の合計額は平均60万円前後に及ぶ。身寄りのない人が亡くなった場合は、それを家主が負担することになる。 そこで、大手の損保会社は孤独死が社会問題化した2015年ごろから、賃貸物件の家主向け保険商品を相次いで発売しているのだ。 ◆ 保険料は入居者負担 三井住友海上火災保険とあいおいニッセイ同和損害保険は2015年10月、家主を対象にした火災保険の特約・付帯サービスとして「家主費用・利益保険」の共同販売を開始した。 孤独死が発生した際の補償内容の一例としては、遺品整理などの「事故対応費用」が最大10万円、敷金を超える清掃・修復などの「原状回復費用」が最大100万円、家主に支払われる。事故後に借り手がつかず空室となった場合の減収分なども補償対象(賃料の80%を最大12か月間)だ。 東京海上日動火災保険も「孤独死対策プラン」を販売している。こちらは事故対応費用として「お祓い」や「供養」の費用まで認められている点が特徴だ。 ここまで挙げた「家主が保険料を支払い、“万が一”の時に家主が補償を受ける」タイプの保険に加え、今後増えていくとみられているのが、個人(入居者)が加入して保険料を負担するタイプの孤独死保険である。 ジック少額短期保険が家財保険のオプションとして販売する「孤立死原状回復費用特約」は、2014年に誕生し、すでに契約件数が1万5000件を超える。保険料は2年間2000円で、万一の補償は最大50万円。「高齢で身寄りのない方が賃貸物件に入居を希望する際、家主さんが保険の加入を条件にするケースが多いですね」(同社広報部) ※ 死ぬにもお金が必要だ。元気で居りゃこそ、日暮らしが楽しめる。 ◇ 家族と同居でも高齢者が孤立する「日中独居」が起きる理由 2018.05.19 16:00 家族と同居しているにも関わらず、孤立状態で死を迎える高齢者の「同居孤独死」が問題となっている。東京都福祉保健局の2016年調査によれば、都内で家族と同居しているにもかかわらず、孤立状態で“異常死”した65才以上の高齢者は、2044人(男性1103人、女性941人)。一人暮らしの孤独死3121人(男性2018人、女性1103人)に迫る勢いなのだ。 なぜ同居しているにもかかわらず孤独死が起こるのか。全国展開する遺品整理業者「グリーンハート」の専務取締役・吉留健一さんが指摘する。 「私の知る同居孤独死の事例は、ほぼすべて一戸建てで家族仲がよくないという共通点があります。同居して常に側にいるという安心感が逆に油断させるのでしょう。そのうえ仲がよくないと顔を合わせなくなるので、容体の急変に気付きにくい」 「日中独居」のケースも大きな要因の一つだ。日中独居とは、同居する家族が、日中は仕事や学校に出かけるため、家に取り残された高齢者が事実上の「独居状態」になること。淑徳大学社会福祉学部の結城康博教授が指摘する。 「日中独居は、親子二人暮らしの家庭で陥りやすい。中でも最近目立つのは、子供が独身で要介護の親と同居しているケースです。そうした、介護が必要な高齢者ほど行政や外部の目が必要になりますが、同居家族がいる場合、地域包括支援センターのスタッフや民生委員の訪問は対象外になってしまう。経済的に困窮している家庭なら、なおさら介護費用を工面するのは難しいでしょう。外部とのコミュニケーションが絶たれ、周囲の目が届かなくなるほど、孤独死のリスクが増すことは言うまでもありません」 ◆ 「こんなはずじゃなかったのに…」 一方で、一見賑やかで、普通の家庭に見える家庭の中にも、問題の本質は潜む。横浜市在住の松尾恵さん(仮名・82才)は、息子夫婦(50代)と孫(20代)、犬一匹の3世帯暮らし。恵さんは、5年前に癌で亡くなった夫と建てた自宅で、死ぬ時まで暮らすと決めていたが、近頃この家が終の棲家だと思えなくなったという。 日中は家族が全員働きに出ており、足腰が弱った恵さんは誰もいない家に一人とり残される。かつて近所にいた友人たちはほとんど他界して、話し相手もいない。「同居を始めて以来、息子の嫁としっくりいかず、よそよそしい関係が続いています。昔は懐いていた孫も、今は携帯をいじるばかりで、私のことなど気にもかけません。唯一の後ろ盾のはずの息子も仕事で帰宅が遅いうえ、露骨に妻に遠慮して私の肩を持つことはありません」 恵さんはそう嘆息する。一家は食事時間もバラバラ。恵さんはいつも簡単な食事を自炊して自室で食べているという。 「夜、部屋で横になっていると、リビングから楽しそうな話し声が聞こえることもありますが、私が行くと会話がやむんです」(恵さん) 「こんなはずじゃなかったのに… 」毎晩、恵さんは夫の位牌に語りかけながら考える。私がこの家で死んでも、きっと家族は気付いてくれないだろう、と。 こうした老人の寂寥感を描いた漫画『傘寿まり子』(講談社)が今、重版に次ぐ重版で、大ヒットを記録している。 80才の主人公・幸田まり子は、息子夫婦、孫夫婦、曽孫と同居している。狭い家に四世代が集まると、家族関係はギスギスしてまり子の落ち着ける場所はない。 そんな中、まり子は同じ四世代同居で暮らす知人女性が同居孤独死したことを知る。ショックを受けた彼女は、“忙しくて構っていられなかった”と開き直る遺族に、知人の心境をおもんぱかりこう告げる。 《自分でもつらいのよ。どうせこの先長くない人間なのに。まだ生きててごめんなさいって》 その後、家族が自分に内緒で自宅の建て替えを計画していることを知ったまり子は、家を出て一人暮らしすることを決意する。引き留める長男に打ち明けた言葉が胸に刺さる。 《あの家は私の家なのに、いるだけで息苦しくて。でも家族というくくりがあるから一緒にいなくちゃって》 《(あの家が)嫌いじゃないからつらかったの》 作者のおざわゆきさんが語る。 「私の母が80代で、周囲にも高齢の方が多い。身近な存在を形にするうえで、現役も親世代も、今後無視できない問題を取り上げました。まり子を描くうえで、高齢者の気持ちをいかに理解するかに悩みましたが、最終的には、母を含め高齢者の方々の孤独や不安に共感しました」 作品の反響は、40〜50代の子供世代の読者からが多いという。親や将来の自分と重ね合わせる人も多いのだろう。「高齢者は、いろいろな意味で“孤独のプロ”。今後も孤独という課題をうまく乗りこなす魅力的なキャラクターを描くつもりです」(おざわさん) 地域の高齢者に向けて配食サービスなどを行うNPO法人「支え合う会みのり」の担当者は言う。「家族と一緒に暮らしていても、日中はすれ違いばかりだったり、自室にこもって誰とも話をしないお年寄りはたくさんいます。孫が小さい時は面倒を見ても、成長するにつれ家族との接点がなくなるケースも多いです。そうしたかたが口々に言うのは、『家族のなかで孤立することがいちばん寂しい』ということ。『一人暮らしの方が気が楽』と嘆く高齢者も多いです」 ※ 女性セブン2018年5月31日号 ◇ 家族と同居しているのに“異常死”の高齢者、都内で年2000人 2018.05.18 11:00 大量の衣類が介護ベッドの上に散乱し、テレビにはぶ厚く埃がかぶっている。床には、ペットボトルや高齢者用の健康食品が無造作に置かれ、足の踏み場もない。だが、それより気になったのは、鼻を突き刺すような異臭だった。 「部屋に入った瞬間、これは紛れもない死臭だとピンときました。おそらく死後一週間は経っていたでしょう」 そう語るのは、関東全域で遺品整理業を営む「ドクターエコ」取締役の塩飽(しわく)貴哉さん。今年4月、塩飽さんは、茨城県在住の女性(60代)から、「2階の散らかった部屋を片付けてほしい」との依頼を受けた。いつものように掃除道具を携え、一室の扉を開けると、冒頭の光景が目に飛び込んできた。塩飽さんは恐る恐る尋ねた。 「どなたかここで、亡くなっていますよね?」 思わぬ言葉に一瞬体を震わせた依頼者だったが、ためらいながらこう答えた。 「実は、そうなんです。つい先日、気付いたら母がこの部屋で亡くなっていたんです」 母親は、この家で娘夫婦と同居していながら、誰にも気付かれず、ひっそりとひとりで亡くなったのだった。 総務省が4月13日公表した人口推計によると、65才以上の高齢者は3515万人と、総人口の27.7%を占め、その割合は過去最高を更新した。 超高齢化社会に突入し、国の医療・社会保障費は増え続け、日本はかつてないほど多くの課題に直面している。 そんな中、現代社会の新たな“闇”が顕現化している。それが、「同居孤独死」だ。東京都福祉保健局の2016年調査によれば、都内で家族と同居しているにもかかわらず、孤立状態で“異常死”した65才以上の高齢者は、2044人(男性1103人、女性941人)。一人暮らしの孤独死3121人(男性2018人、女性1103人)に迫る勢いである。 異常死とは、端的にいえば東京都監察医務院の検案対象となった死亡事案を指す。自殺や事故死なども分類されるが、孤独死が多くを占める。自宅で容体が急変して救急車で運ばれ死亡した事例は含まない。 これまで孤独死といえば、身寄りがなかったり、家族と離れて暮らす独居老人が人知れず亡くなるケースが取り沙汰されてきたが、昨今、家族と同居しながら、誰にも看取られずに一人で亡くなるケースが多発しているのだ。 冒頭の茨城県の事例はその象徴ともいえる。同居していた80代の母親と、60代の娘夫婦は、ある時些細なことで喧嘩してから、すっかり疎遠になっていたという。塩飽さんは話す。「一階には娘夫婦、二階には母親が住んでいましたが、階段は物で溢れて行き来するのも困難な状態。母親は必要最低限の時しか、一階に下りないようにしていたようです。『物音が一切しなくなったので不審に思い様子を見に行くと、変わり果てた母の姿がありました』と娘さんは話していました」 全国展開する遺品整理業者「グリーンハート」も、これまで30件ほどの同居孤独死に立ち会った。専務取締役の吉留健一さんは話す。「直近の案件は今年正月。千葉県の二世帯住宅で、一階に住む50代の息子夫婦が年始の挨拶をしようと、二階に住む70代の父親の部屋を訪れたら、亡くなっていたそうです。玄関は別々とはいえ、家の中は階段でつながっていたのに、丸一週間気付かなかった。遺品整理の際、『お父さんの写真どうしますか』と聞くと『全部要らない』と言っていたので、普段からあまり仲がよくないことは窺えました。 昨秋、大阪市で起きたケースも、50代の娘と80代の母親の二人暮らしでしたが、一階と二階で生活空間を分けていました。一階に住む娘が異臭に気付き二階を見に行くと、既に亡くなっていた。死後三日ほどして発見したそうです」 ※ 女性セブン2018年5月31日号 ◇ 大原麗子さんに寄り添った元マネージャーが孤独死の真相告白 2017.08.28 11:00 2009年8月に流れた女優・大原麗子(享年62)の突然の訃報、それも死後3日経ってから発見されたという悲しい最期は日本中を驚かせた。それから8年という月日が経過したが、毎年命日が近づくと、メディアはこぞって彼女の特集を組む。可憐な美貌と独特の甘い声と共に、「国民的女優」として多くのファンの印象に残っている。 彼女はなぜ淋しい死を迎えたのか。デビュー当時からのマネージャーで、亡くなる直前まで寄り添っていた佐藤嘉余子氏(81)が、これまで明かされなかった大原との40年間、そして“孤独死”の真相を初めて語る。 早いもので、麗子さんが亡くなってから今年の8月3日で8年を迎えました。 麗子さんのことが語られるとき、「孤独死」という言葉がよく使われます。離婚を繰り返して、仲の良かった人々も離れていって、一人寂しく死んだというような報道も目にしました。 でも、実はそうではないんです。私自身、傘寿を超えて、もう先が見えてきた。生きているうちに、麗子さんが歩んだ足跡や語られなかった彼女の姿を世間の人に伝えるのが私の仕事かなと思い、今回お話しすることにしました。 大原は2004年以降、テレビなどの表舞台から姿を消した。それから2009年に亡くなるまでの約5年間、そばに寄り添った人が佐藤氏だった。40年の長きにわたり、大原を公私共に支えてきた佐藤氏は、その最期が「孤独死」というネガティブな響きの言葉でしか語られてこなかったことに、もどかしさを感じていたという。 亡くなる6年ほど前、彼女と同居していた時期があったんです。そのころ、彼女の衣裳部屋の壁には『孤独な鳥の、5つの条件』という詩が貼ってありました。サン・ファン・デ・ラ・クルスというスペインの詩人が書いたその詩を彼女は毎日眺めていたんです。 一つ、孤独な鳥は高く高く飛ぶ。 二つ、孤独な鳥は仲間を求めない、同類さえ求めない。 三つ、孤独な鳥は嘴を天空に向ける。 四つ、孤独な鳥は決まった色をもたない。 五つ、孤独な鳥はしずかに歌う。 普通の人だったら毎日見るような詩じゃないでしょう。この詩は麗子さんの生き様そのものなんです。 亡くなる二年ほど前から、麗子さんは「カヨさん、私は死ぬ時にはスーッと消えて、そのままいなくなりたい」って言うようになりました。彼女は孤独に追い込まれたのではなく、自ら「孤高」を選んだのです。 二人の出会いは大原がデビューした翌年、1965年に遡る。当時19歳だった大原は可憐なルックスからは想像できない勝気な性格で、9人の男性マネージャーたちを散々振り回した。ついには台本を届けるスタッフもいなくなった。そこで所属事務所で唯一の女性マネージャーだった佐藤氏が担当となったという。以来、大原が事務所を移籍しても専属マネージャーとして行動を共にし、実の姉妹のように寄り添ってきた。 女優としては初めから天性の才能を持っていました。音に敏感で、音声さんも気づかない雑音に気づいて指摘することもありました。 映画『尼寺(秘)物語』(1968年)では、中島貞夫監督に「裸になれっ!」とずいぶん言われていました。裸を安売りする気はないから「簡単に脱いでたまるか!」と監督にタンカを切ったんですよ(笑)。芯の強さを感じましたね。 女優とマネージャー以上の濃密な関係を続けてきた二人だが、一時期だけ、絆が途切れたことがある。大原が主演したNHK大河ドラマ『春日局』終了後の1990年、佐藤氏はマネージャーを辞した。 そのころ麗子さんは舞台に夢中だったんです。でも彼女は日本舞踊など、舞台に必要な稽古を積んでいなかった。だから舞台から落ちて骨折したり靭帯を切ったり、体を壊しながら演じていました。そんな麗子さんを見ていられなくて、私は舞台に出ることに大反対したんです。それでも彼女は「舞台には魔力がある」と譲らず、「なら、もういい」となってしまったんです。 お互いに連絡することもなく、月日が過ぎていきました。ところが約10年後の1999年、いきなり麗子さんから電話がかかってきたんです。「カヨさん、私、病気になっちゃった」って。以前発症していたギラン・バレー症候群が再発していたんです。 【ギラン・バレー症候群】:感染症などがきっかけで発症する末梢神経の疾患。手足や顔面の筋力が低下し、激しい痛みを伴い歩行困難を引き起こす難治性疾患とされる。 それは大晦日の夜でしたが、声が地獄の底から出てくるような、聞いたこともないような低い声で……。心配になって夜が明けた元旦、彼女の家にタクシーを飛ばしました。 その後、同居を頼まれたんです。勝ち気だった麗子さんが、かなり憔悴していて、「一緒に住んでくれたら一番いい」と何度も言うのです。 同居生活では、私は料理がからきしなので、食事は麗子さん担当になりました。私が外出先から帰ってくると「お帰りなさい」といって麗子さんが手料理を出してくれる。じゃこを使った料理などを振る舞ってくれましたが、それがとても美味しくて。嬉しかったなぁ。 でもささいな生活習慣の違いから喧嘩になってしまって、5か月で同居は解消してしまいました。その後も連絡は頻繁に取っていましたが、麗子さんはみるみる衰えていきました。 そんな中でも女優としてのプライドを捨てなかった。亡くなる一年ほど前、「具合が悪くなったから夜中に救急車を呼んだ」って電話してきたんです。 それだけでもびっくりなのに、もっと驚いたのは「自宅から徒歩5分くらいの場所を指定して這って行った」って言うんですよ。思わず「何考えてるのよ!」と声を荒げたら、「女優だから家がバレたらいけないと思って……」と。「大原麗子の家なんて、近所中みんな知っているわよ!」って叱ったこともありました。 亡くなる前年の11月、大原が自宅で転倒した頃から、急に連絡が途絶えたという。2009年8月6日、大原の弟・政光氏からの電話で、佐藤氏は彼女の死を知ることになる。死因は不整脈による脳内出血、すでに死後三日が経過していた。 彼女の家の冷蔵庫を開けると、お中元で送られてきた西瓜の切れ端が二個半だけ残っていました。 これを見て淋しさや悲しさを感じる一方で私は、“ああ、麗子さんは天寿を全うしたんだな”とも思ったんです。体力の限界を悟って、「スーッと消えていく」という願いを本当に実行しようとしていた。だから冷蔵庫の中に、もらいもののスイカ以外に自分で用意したような食料がなかったのだと思います。 聞き手/宇都宮直子(ジャーナリスト)/週刊ポスト2017年9月8日号 ◇大原麗子(1946年11月13日 〜 2009年8月3日) まさに「国民的女優」として、あれほど多くのファンに強い印象を残した大原麗子さんも、潮が退くように世間から急速に忘れ去られてしまった。 曰く、可愛くなくなったから --- とか。 美人の女優ならば数多いるけれど、あれほど愛らしい顔だちと、甘い囁きのようなセリフが嫌味なく響いてくる女優は、他には居なかったのだ。そして御本人も、自分は可愛くなければダメなんだと、強く思い込んでいたようだ。或いは、役者としての脱皮に消極的だったのか。 1975年には、神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症。そして、1999年11月から翌年にかけて同症候群が再発したとして芸能活動を休止する。 その後、ギラン・バレー症候群の主治医が亡くなると、うつ病になった。 2008年11月には、足元がふらついて自宅で転倒、右手首の骨折と膝の打撲という重傷を負った。 ギラン・バレー症候群は、再発することは滅多にないと言われ、大原の実弟も再発は姉の思い込みだったのではないかと否定的だ。 晩年の彼女は、すっかり「電話魔」になってしまったようだ。かつて付き合いのあった脚本家などに、延々と長電話をしまくり止むことがなかったようだ。自宅敷地内に増設された舞台稽古場は、殆ど機能することがなかったと言う。 2009年8月6日、連絡が取れずに不審に思った実弟が警察に通報し、自宅で亡くなっているのが発見された。その時、彼女は携帯電話を取ろうとして手を伸ばした状態だったと言う。享年62。 携帯電話までの距離は僅かに15センチ。携帯電話に手が届いていれば、死なずにすんだ可能性もある。死因は不整脈による脳内出血であると診断された。 8月23日、東京青山葬儀所で「お別れの会」が開かれ、森光子、石井ふく子、浅丘ルリ子らが発起人となり、元夫である渡瀬恒彦や森進一のほか、八千草薫、池内淳子、徳光和夫、加藤和也、井上順、堺正章、松原智恵子、音無美紀子、浅野ゆう子、中村雅俊らが参列。戒名は「花香院麗風妙舞大姉」。 衷心より御冥福をお祈り申し上げます。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
◇ 5人死傷事故、てんかんが原因か = 危険運転罪で追送検へ 〜大阪府警〜 〜 5/19(土) 19:29配信 〜 大阪市生野区で2月、聴覚支援学校の児童ら5人がショベルカーにはねられ死傷した事故で、運転手が持病のてんかん発作を起こしたことが原因とみられることが19日、捜査関係者への取材で分かった。 大阪府警は、運転していた佐野拓哉容疑者(35)=自動車運転処罰法違反(過失運転致死傷)容疑で送検=を、より法定刑が重い同法の危険運転致死傷容疑で近く追送検する方針。 事故は2月1日に発生。府立生野聴覚支援学校前の歩道にショベルカーが突っ込み、下校中の児童や教員計5人がはねられ、うち5年生の女児=当時(11)=が死亡した。 捜査関係者によると、佐野容疑者を鑑定留置するなどして健康状態や精神状態を調べた結果、てんかんの持病が判明。防犯カメラ映像では、ショベルカーは交差点で停止した後に、ゆっくり前進し避けた様子がないまま児童らに衝突しており、府警は当時発作が起きていたと判断した。 同容疑者は、逮捕当初「アクセルとブレーキを踏み間違えた」と説明。現在は黙秘しているという。府警は過去に発作による事故があったかや、勤務先が持病を把握していたかを調べている。 ※ 癲癇(てんかん)(英: epilepsy):てんかんとは、脳細胞に起きる異常な神経活動(てんかん放電)のため、てんかん発作をきたす神経疾患、あるいは症状を言う。 神経疾患としては、最も一般的なものである。 古くから存在が知られる疾患のひとつで、ソクラテスやユリウス・カエサルが発病した記録が残っている。特に全般発作時の激しい全身の痙攣から、医学的な知識がない時代には狐憑きなどに代表される憑き物が憑依したと誤認され、時に周囲に混乱を起すことがあり、差別の対象ともなることがあった。 全世界の有病者数は5000万人ほどで、患者のおよそ80%は発展途上国の国民である。各国の疫学データでは発症率が人口の1%前後となっている。 昔は「子供の病気」とされていたが、近年の調査研究で、老若男女関係なく発症する可能性があるとの見解も示され、80歳を過ぎてから発病する報告例もあるが、エーミール・クレペリンなどは老年性てんかんは別個のものとして扱っている。 てんかんは予防不可能かつ根治不可能だが、大部分は安価に管理可能な病気であり、抗てんかん薬が用いられる。 WHOの定義によると、てんかんとは『種種の病因によってもたらされる慢性の脳疾患であり、大脳ニューロンの過剰な放電に由来する反復性の発作(てんかん発作、seizure)を主徴とし、それに変異に富んだ臨床ならびに検査所見の表出が伴う』とされている。 この定義は「大脳皮質の過剰な発射ではない」、「反復性でない」、「脳疾患ではない」、「臨床症状が合わない」、「検査所見が合わない」ものは、「てんかん」から鑑別するべきだという意味合いが込められている。 日本神経学会のてんかん治療ガイドライン2010では、『てんかんとは慢性の脳の病気で、大脳の神経細胞が過剰に興奮するために、脳の症状(発作)が反復性(2回以上)に起こるものである。発作は突然起こり、普通とは異なる身体症状や意識、運動および感覚の変化が生じる。明らかな痙攣があればてんかんの可能性は高い』と記載されている。 大脳ニューロンを由来としない不随意運動は、てんかんではない。例えば脊髄性ミオクローヌスや下位ニューロン障害の線維束攣縮などは、てんかんではない。また経過が慢性反復性でなければならないことから、薬物中毒の離脱期におこる痙攣はてんかんではない。 ◇ てんかん発作およびてんかん症候群の分類 ◇ てんかんの一回ごとの発作をてんかん発作という。てんかん発作は痙攣であることが多い。痙攣とは、全身または一部の筋肉の不随意かつ発作的収縮を示す症候名である。不随意運動のミオクローヌス、他の症候では失神との鑑別が必要な症候である。痙攣は、必ずしもてんかんではない。例えば何らかの誘因がある発作、1回だけで反復のない孤立発作、急性の全身疾患や頭部外傷直後などに関連して起こった急性症候性発作では、てんかんとは診断されない。 誘因のある発作の代表例がラム発作といわれるもので、アルコール中毒患者が風邪をひき、飲酒をやめたためおこる発作である。これらの発作は皮質機能が一過性に障害されたときに起こる正常脳の自然な反応として考えられている。何らかの誘因する原因、機会がないにもかかわらず反復して2回以上かそれ以上起こったてんかん発作があってはじめててんかんと診断することができる。 てんかん症候群という言葉は、毎回随伴して起こる徴候、症状の組み合わせや病因、誘因因子、発症年齢、重症度および慢性化傾向などに特徴づけられる症候群である。脳波・臨床症候群とも言われ、若年ミオクロニーてんかんやWest症候群、Lennox-Gastaut症候群などが有名である。 ◇ てんかん発作の症状 ◇ 部分発作では、大脳ニューロンの過剰放電が起こる部位(発作焦点)に応じて、大脳皮質機能局在に基づいた症状がおこる。運動発作、感覚発作、自律神経発作や精神発作が知られている。意識障害を伴わない部分発作を単純部分発作、側頭葉などに発作焦点をもち意識障害を伴う部分発作を複雑部分発作という。発作焦点が前頭葉皮質の運動領野にあると部分発作として痙攣が生じうる。 単純部分発作は、焦点局在部位によって、運動徴候をともなうもの、自律神経症状をともなうもの、体性感覚症状あるいは特殊感覚症状を伴うもの、精神症状を伴うものに分類される。一次運動野に発作焦点がある場合は対応する片側顔面、上枝、下肢に痙攣が生じる。 間代性痙攣は筋の過剰な収縮と弛緩をある程度規則的に反復するガクガクとした痙攣である。過剰筋収縮が持続し、肢を伸展、すなわち突っ張るような、あるいは屈曲位を持続するのが強直性痙攣である。強直性痙攣から間代性痙攣に移行するのが強直間代性痙攣である。 発作焦点から始まった局所的な大脳ニューロンの過剰放電が一次運動野にそって波及すると、例えば顔の片側に始まった痙攣が同側の手指から前腕、上腕と波及していくことがあるジャクソンマーチという。 痙攣した後に痙攣した肢が一過性に麻痺することがありトッドの麻痺という。前頭葉眼球運動野に発作焦点がある場合は眼球、頭部が病巣の対側に回旋するような向回発作が生じる。また補足運動野に発作焦点があると焦点と対側の上枝を伸展挙上しこれを見上げるように眼球と頭部をむける姿勢発作が起こることがある。 ◇ 難治性てんかん ◇ てんかん発作を持つ人でも、その7割以上は発作が完全に抑制されており、とくに問題のない健全な生活を営むことができる。適切な抗てんかん薬、2〜3種類以上の単剤あるいは併用療法で、かつ十分量で2年以上治療しても発作が1年以上抑制されず日常生活に支障がある場合は、難治性てんかんと考える。 最初に使用した抗てんかん薬で発作が抑制される患者が47%、2剤目または3剤目になると13%、2剤併用では3%とされている。このことから2〜3剤で投与効果がないときは難治性てんかんと考えられる。 ◇ フーテン(瘋癲)とは ◇ 瘋癲(ふうてん)とは、もともと精神疾患をさす言葉であった。精神病院を、その昔は瘋癲病院とも言っていた。それには明らかに差別的な意味合いが強くありました。 翻ってフーテンの寅さんの「フーテン」とは、もともと自虐的な通り名で、定職も持たずにぶらぶらと世間を渡る「風来坊」を意味するものと思われます。 そしてまた、1960年代から1970年代の日本における和風ヒッピーの俗称としても、「フーテン」は用いられました。吹けば飛ぶような軽い語感が、時代感覚にマッチしたと言うことでしょうか。 「フーテンの寅」さんを演じきった渥美 清は、本名・田所康雄さんは、極めて無口で生真面目な実生活を送ったと伝えられますが、それは「寅さんシリーズ」が不動の大看板になってからのことで、まだまだ若い頃の渥美は、NHK-TVの連ドラに出ていた頃の渥美 清は、銀座の喫茶店でお店の若い娘を相手にバカ話をするような、身も心も軽い愉快な芸人でした。私が中学生の頃、伯母さんに連れられて喫茶店に入ると、すぐ目の上に渥美 清の色紙がありました。私は声に出して「あっ、渥美 清だ!」と喜んだものです。すると、隣のご婦人が「渥美 清が来ておりますよ」と教えてくれた。見ると、店の奥の方の席で、数人の若い子を相手に大いに盛り上がっている渥美 清が居りました。 ※ 役者にとってシリーズ物の大当たりとは、いいのか、わるいのか? 答えは風の中に --- 。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用
|
葉桜や身に添ふものは風ばかり ながらへて葉桜となる意気地なし
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


