今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

折りにふれ思う

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今昔物語・女の嫉妬

 「今昔物語・女の嫉妬」

 今は昔、ながらく京に住まいせし者、郷里美濃に帰らむと勢田の橋にさしかかれり。橋の中ほどにひとりの女人佇む。通り過ぎむとする男に女は声を掛けた。「もし、あなたさまは何処へゆかれますか」。みれば女はこれまで見たこともないほどの美しさであった。男は馬より下りて「美濃に参るところです」と答えた。

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 「実は人に渡して頂きたい物があるのですが…」「わたしにできる事でしたら…」。女は懐から絹に包んだ小箱を取り出した。「某の郡の…某の郷の…某の橋まで、この筥(はこ)をお持ちくださいますれば、橋の西詰めに女が立っております」。

 男は内心迷惑であったが、その美しい女はある種の凄みのようなものを湛えており、断り切れなかった。小箱を受取ると、女は「ただひと言、申し添えますが、決してこの筥をお開けになりませぬよう。では何卒よろしくお願い申しまする」。

 男には従者が三人ばかり従っていたが、その者らには女の姿はさらに見えず、下馬した主人が何事か独り言を言うを怪しみ訝しむばかりだった。

 男は、当の橋にさしかかった時、件の約定を失念、そのまま通り過ぎてしまい、美濃の我が家へと着いてしまった。自室にてくつろいだ処で、かの女のことを思い出し、約を果たさぬを悔やんだが、いずれ出向いて渡すべしと思い、ひとまずは納戸に仕舞い込んだ。

 一日、男の妻が納戸に仕舞い置く小箱を見つけ、悋気こころに定めて隠し女への京土産なるべしと邪推し、筥を取り出し蓋を開けてみれば、こはいかに…。




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 筥の中には、抉り抜かれた眼球が少しと、切り取られた男根がぎっしりと詰まっていた。妻女は驚き魂消て、帰宅せし夫を呼び入れて事の次第を糾す。「決して見ぬ約束であったが、はてさて厄介なる事になったものよ」と、元のように蓋をして紐で結んだ。

 早速、件の橋に出向くと、なるほど一人の女房が立ち現れた。男は例の小箱を差し出す。女は受取りながら低い声で、「中を、ご覧に、なりましたねー」と能面のような顔でつぶやいた。その眼は笑っているようにも、怒っているようにも見えた。

 逃げ帰るように家に戻ると、男は俄かにひどい頭痛に見舞われ床に就いた。二度と枕の上がらぬまま、男は最期に「決して開けぬと約束したのに、そなたの浅はかな心から此のような仕儀とは相なった」と、妻に恨み言を遺してみまかった。

 ※ 「今昔物語」は、妻の嫉妬、猜疑心を戒めるが、精神分析から観れば、橋の女も妻女も、共に男のいのちを食い破る存在なのだと映る。豈、懼れざるべからず。
 そこそこに、差し控えたる大掃除

 ※ 掃除と言うもの、やればやるほど気になる処が目についてくる。まことにキリが無い。やらなければ、やらないで無事に新年はやって来る。とはいえ、そこそこに大掃除の真似事などをして、新年を迎える気分にひたるのも悪くはない。


 年賀状、書いて今年も皆仕舞い

 ※「明けまして」の賀状はもとより、新年に認めるもの。12月15日に投函するなど、邪道中の最たるもの。厳に慎まざるべからず。「大つごもり」に急かされる如く、それでも世情の縁絶ち難く、義理に衝き動かされて、賀状を出さざるを得ざりし今年一年も大過なく過ぎんとす。まことに無事是れ貴人。

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 一年が、あっという間に玉手箱

 ※ 子どもの頃、祖母が「浦島太郎」の話をよくしてくれた。

 「そうして浜辺にたどりついた浦島さんは、乙姫さまとの約束をやぶって、玉手箱を開けてしまいました。するとどうでしょう。玉手箱からは白いけむりがもっくもく。あっという間に浦島さんは、おばあさんになってしまいました」

 「あっ、おばあちゃん、またまちがえたっ!」
 「そうだねー、おばあちゃん、間違えちゃったね…」   向田邦子
 初めに言葉ありき、

 言葉は神と共にありき、

 言葉は神であった。 (ヨハネ第一章一節)

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 ※ 神に離反せし言葉を追い求めて、

   これに相見えむと欲する、これ宗教なり。 (さる言語学者)
 ◇ ぎふ中日文化センター開講30周年記念 第62回岐阜中日文化サロン

    養老孟司(解剖学者) 演題『オヤとコドモのつきあい方』

    岩合光昭(動物写真) 演題『ネコからホッキョクグマまで』

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 養老孟司(ようろうたけし)

1937年、神奈川県生まれ。

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了。
医学博士。

専門の解剖学に軸足を置きながらも、

趣味の昆虫採集など幅広い経験をもとに

社会や文化を鋭い視点で切り取る。

「からだの見方」でサントリー学芸賞。

ほかに「唯脳論」「バカの壁」など著書多数。


 ※ 今年6月に養老氏は、「『親になる』を考える会」の座長になっております。

 「『親になる』を考える会」設立 、少子化対策で養老氏ら(6月11日)

 親になることの意味を積極的にとらえ直し、家族の絆について新しい価値観を提案していくことで、少子化の流れを食い止めたいと、養老孟司東大名誉教授らが「『親になる』を考える会」の設立を11日、東京都内で発表した。

 養老氏を座長に、委員としてサッカーJリーグチェアマンの鬼武健二氏、子育て経験もある作家の鈴木光司氏、子育て団体の代表らが参加。養老氏らは「少子化とは“少親化”のこと」との視点から、公開シンポジウムや内部で議論を重ね、親になることの重要性を広く訴える考え。

 『親になる』を考える会 http://www.oyaninaru.jp/

 1人の女性が生涯に産む子どもの数を示す合計特殊出生率が少子化の目安となり、人口学では1.3を割った国を超少子化国と呼ぶ。日本は1975年に2.0を割り込んだまま減少傾向が続き、2005年は過去最低を5年連続で更新、1.25になった。

 晩婚・未婚化や働く女性の増加などが原因とされる。将来の働き手不足による経済成長の鈍化や、現役世代の税・社会保障負担の増加、社会の活力低下が懸念されている。

 ※ 昨今の若年世代の非正規雇用の増加を見れば、合計特殊出生率が「1」を割ることもそう遠い将来とも思えない。「雇用の多様化」なる規制緩和が若者を締め付け、ひいては日本経済の沈滞を招いている。そしてこれ以上、雇用が海外流出すれば、日本の消費経済は破綻するだろう。


 ◇ 養老孟司 演題『オヤとコドモのつきあい方』

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 日時:2007年12月2日(日) 13:00〜16:15
 会場:じゅうろくプラザ(岐阜市駅前)2階ホール
 聴衆:500〜600名ほど

 養老孟司氏の講演を拝聴するのは2回目だが、氏はその守備範囲が誠に広く、興にまかせて話す方なので話の方向が定まりません。ときたま、「えー、なに話してんだか分かんなくなったんですが…」ってことになります。でも、話しは抜群に面白い。


 ・とっても喰えないはなし

 バッタとかキリギリスを飼育している人が嘆いている。「この前、自家栽培の菜っ葉が切れてしまったので、スーパーで買った野菜を与えたらみんな死んでしまった」「バッタとかキリギリスが全滅するものを食べても平気な人間て、凄いんですね」。

 チベットでは鳥葬が行われていた。死者の肉体を丘の上で細かく砕いて鳥に食べさせるもの。それにより死者の霊魂は良い来世を迎えることが出来るという信仰である。だがチベットは、その鳥葬を取りやめた。なぜなら、最近の鳥たちが死者の肉体を食べてくれなくなったからだ。鳥あたまなどと侮蔑される鳥たちも、学習したらしい。人間を喰うと体に悪いと。この地上における最も危険な食べ物として、われら人間はトップクラスにランキングされる。


 ・違いの分かる子どもたち、全てを同化させる大人たち

 こども時代の全き感性を、教育により鈍磨させる。人は皆本来、絶対音感に近い感性を持ち合わせている。たとえば幼児期に「タカシちゃん」と呼ばれる際に、高い声で呼ばれた時と、低い声で呼ばれた時とでは、それは全く違うモノなのだ。だが、しだい次第に知恵がついてきて、高い声でも低い声でも“同じ”「タカシちゃん」と認識するようになる。それを親がとても喜んでくれる。かくて全き感性の幼児は、鈍感な大人たちに積極的に同化してゆく。その結果、感性はますます鈍磨する。


 ・よく遊ぶ子どもは、絶えずプログラミングしている

 幼児期は、言ってみれば大冒険大航海時代。日々、自分の世界を拡張している。ベビーベッドの中で自分の手のひらをかざして見る(入力)。さらに指を動かす(出力)。つねにフィードバックを繰り返して、自己の世界を獲得してゆく。ヒトは皆、超早産で産まれる。極めて安定した胎内から不安定な外界に意図的に早めに晒すその意味は? 脳に外界の刺激を受けさせ少しでも早く脳の発達を促すためである。これを思えば、乳母日傘がいかに大脳発達を疎外するか、容易に知れよう。

 子ども時代に、親の言うことをよく聞く世話のかからぬ子は、所詮は可もなく不可も無いところで終わってしまう。親の目からは不出来な子は、絶えず難問をクリアしてゆく才能を日々磨いていることになる。もしも出藍の誉れを望むならば、親の言うことを聞かぬ子に育てよう。

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 ・文武両道 → 知行合一 ⇒ 入出力のサイクル

 「文」は入力、「武」は出力。両者を互いにフィードバックして向上をめざす。陽明学の知行合一は、テロリストの理論武装に使われたが、もともとは入出力のサイクルを説いたもの。

老いさらばえて…

 ◇ 『老人と孫の肖像』ドメニコ・ギルランダイオ(1449〜1494)

 赤瘡によって損なわれた鼻を持つ年老いたフィレンツェの貴族とその孫の肖像。実際には、老人の死後に描かれたものかも知れない。温和で慈悲深い眼差しを向ける老人と、彼の腕の中に抱かれながらも老人の鼻を不思議そうに見上げるブロンドの巻き毛の孫。「生」を渇望する「老い」と、「生」の只中にあってそれを知らぬ「若さ」と、冷厳なる事実がもたらす一枚。

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 『Old Man with a Young Boy』(ルーブル美術館)
 http://tinyurl.com/24xhlt


 ◇ 老人と孫の肖像(絵の無い画集、No.325)

 わたしには見える。
 この肉体がことごとく、塵となって風に吹き飛ばされていくのが。
 あとには白い骨が残るが、それもやがては砂となって崩れていくのだ。

 わたしには見える。
 わたしという存在の全てが消えていくのが。
 わたしの富も名声も、なんの意味も持たなくなる時が来るだろう。

 それでも、わたしはまだ生きている。
 つまらぬ思いで、不愉快な顔をして過ごしたくはない。
 何か意味のあることをしたいとも思うが、
 何もしないことこそ、期待されているのだろう。

 静かに穏やかに、はた迷惑にならずに退場することを望まれている。
 それで良かろう。
 苦渋と憂鬱とに満ちた表情で、周囲を暗くしてはならぬ。
 命の残り火を、せめて微笑みに費やそう。それでいい。

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 無邪気な子供は、老人の思いとは関わりなく、鼻のイボイボを見て、「おじいちゃん、おはな、どうしたの?」と尋ねる。

 周囲の大人たちは決して触れようとしない自分の鼻のことを、ためらいもなく、この子は聞いてくれるのだ、愛すべき者よ。

 老人は、こころの中で、呵呵大笑する。


 ※ ちるさくらのこるさくらも 散るさくら ふるさとまとめて花いちもんめ

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