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◇ 日本異人の伝 「声」を借り受け候 大坂に、美しい声で謡曲を唄う者がいた。ある時、道ばたで異人に逢い、「その声を三十日ばかり借りたい」と言われた。何気なくその男は承諾すると、次の日から声が潰れて謡えなくなった。なれど、本当に異人なる者が借りたとは思いもよらず、祈願のため住吉神社に行く途中、向こうから異人がやって来る。 「頼みがいのない奴め。わしに声を貸してくれたではないか。なのにたった三十日も待てず、住吉神社に祈ろうとは、なんと憎らしい。お前が祈れば、わしは必ずお咎めを被るであろうし、そうなればわしとてもお前を只では済まさぬぞ。短い間だから、約束どおり貸しておくれ。そうすれば声を返す時に、よい咒禁(じゅごん)法を教えてやるほどに」。 男はたいそう恐ろしく感じ、かたく約束して別れた。それから三十日の間は声が潰れていたが、また例の異人が来て声を返してくれ、咒禁法を教えてくれた。それはどんな病気にも効いたので、後には謡曲をやめて、まじないのみで安らかに世を送るようになったと言う。 「耳と口」を借り受け候 上総の国、東金の孫兵衛という男は、箱を作る職人であったが、ひどく下手くそだった。ある時、異人が訪れて、「おまえの耳と口を三年ばかり貸しておくれ」と言うので、孫兵衛は何となく請け合うと、その日から痴呆のようになり、あまつさえ口がきけない状態となった。周りの人は、急にこうなったことに首をかしげ、神罰ではないかと噂し合った。 それから三年過ぎたある日、例の異人が来て遠くから孫兵衛を呼ぶのだが、惚けたようになっているため立つのがなんとも遅い。そこで異人は、ひらりと後ろへと廻り、「借りていた耳と口を返しに来たぞ。受け取るべし!」と言うと、掌で背中をしたたかに叩いた。それに驚いて、かれは正気づいたように覚えた。そして、耳が聞こえ、口もきけるようになっていた。 「このお返しに、おまえが生涯を安らかに送れるようにしてやろう。わしが守ってやる」、異人はそう言い残して去った。このとき打たれた跡が、大きな手形となって、後々まで黒く残っていた。孫兵衛の話を聞いて、人々は大いに驚いた。また、異人の言葉どおりなら、きっと箱をつくる腕が上がるだろうと考えていたが、なぜかますます下手になるばかりで、とうとう注文する客がいなくなった。ところが何を思いついたのか、孫兵衛が成田不動の前町に蕎麦屋を出してみると、それが流行りに流行って、今も繁盛しているとか。 (「仙境異聞」上三より 平田篤胤著/文政五年成立) 異人とは、いわゆる天狗。孫兵衛が蕎麦屋を出したのが成田不動の前だったのは、偶然ではなさそうです。よく天狗とみなされる修験者が最も崇拝している神格、お不動さまの加護があったのでしょう。 ◇ 石灯籠の怪 相模の国・小田原のとある寺に、幾星霜を経たと思われる石燈籠がひとつ、薮の中に立っていた。元禄年間、この地の天守閣を修理するにあたって、江戸は神田の棟梁・北村某と言う者が工事のため、暫く当地に滞在していた。 左官の弥三郎という者がこの燈籠を見つけて、「比類なき珍しい燈籠です。手に入れられては」と、棟梁に告げた。棟梁が住職にかけあってみれば、「もともと薮に埋もれていたものですから。どうぞどうぞ」と、心易く譲ってくれた。 大工たちは石燈籠を作業小屋に運び入れて、笠、火袋、竿、台座に分解し、ひとつひとつに箱を用意し、破損しないよう、隅々には藁をつめた。さらに筵で箱を覆って荷造りすると、船に積みこみ、江戸へ運ぶ準備を着々と整えた。 ところがその夜、職人の一人が高熱にうかされて、狂気のように口走るのは、燈籠のことばかり。「何故に我が墓標を他国へ送るのか。ここに留めなければ、祟りをなすぞ」。誰もが怖れ驚いて、急ぎ燈籠を元の場所へ送り返した。 「なぜ急にいらなくなったのですか」、そう尋ねる住職に事の仔細を伝えると、「そういえば、以前も、二、三箇所から所望されて譲りましたが、何日かすると、ただ何となく返しに来ましたっけ。わけも聞かなかったので、気づかずにおりましたが、成る程、左様なことがありましたか。よほど厳しいお方の墓標だったのでしょうなあ」。以来、その五輪塔は二度と動かされることがなかった。 ◇ 平将門の首塚(東京都千代田区大手町、旧大蔵省敷地内、都旧跡) たびたび将門の怨霊が災いをなし、将門の死後360年の1307年、時宗の真教上人が「蓮阿弥陀仏」という法号を将門に追贈し、供養した時に建てたのがはじまりとされる板碑(南無阿弥陀仏)が前に立ちます。その後、日輪寺が供養し神田明神に祀ることで、ようやく将門の霊魂も鎮まり、東京守護神になったと伝わる。(将門の「体」が訛って「神田」になった?) |

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