今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

折りにふれ思う

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あゝ、ベルイマン逝く

 あゝ、ベルイマン逝く


 スウェーデンの巨匠・イングマル・ベルイマン監督死去(7月31日)

 スウェーデンを代表する世界的な映画監督イングマル・ベルイマン氏が30日、バルト海にある同国のフォーレ島の自宅で死去した。89歳。スウェーデン通信などが家族の話として伝えた。死因は明らかにされていない。

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 同国ウプサラ生まれ。子供の頃から人形劇や演劇に興味を示し、1940年にストックホルム王立オペラ劇場の演出助手になった。その後、シナリオライターの助手などとして映画界入りし、40年代半ばに監督デビュー。「夏の夜は三たび微笑む」「処女の泉」などで世界に知られるようになり、1957年の「野いちご」でベルリン映画祭金熊賞を受賞。

 神の沈黙3部作として有名な60年代の「鏡の中にある如く」「冬の光」「沈黙」を経て、「叫びとささやき」(1972年)「鏡の中の女」(1976年)「ファニーとアレクサンデル」(1982年)で名監督としての地位を確立。「ファニーとアレクサンデル」の撮影風景を自身が記録した「ベルイマンの世界」(1985年)もある。

 「ファニーとアレクサンデル」以降は映画よりも舞台演出に専念。85歳を迎えた2003年には記念として、久しぶりにテレビドラマ制作を手掛け、映像世界での健在ぶりを発揮した。1991年には高松宮殿下記念世界文化賞(演劇・映像部門)を受賞。

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 ◇ ベルイマン監督の追悼切手発行へ、スウェーデン (8月3日)

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 スウェーデンの郵政当局スポークスマンは2日、先ごろ死去した世界的な映画監督イングマール・ベルイマン氏を追悼する切手を来年1月に発行する方針であることを明らかにした。

 郵政当局は来年のベルイマン氏の生誕90年に合わせ、記念切手を発行する計画を立てていたが、同氏の死去を受け、追悼切手に変更するという。

 どのような図柄になるかは未定。

 スウェーデン郵政当局は過去に、ベルイマン氏の代表作「野いちご」や「叫びとささやき」をテーマとした切手を発行している。





 ◇ 映画引退(?)のベルイマンの新作フィルム「サラバンド」(2003年)

 1982年『ファニーとアレクサンデル』を最後に「すべてやり尽くした」と、映画からは引退を表明したベルイマンだったが…。新作「サラバンド」は、1974年『ある結婚の風景』の続編であり、その30年後と言う設定だ。主演は『ある結婚の風景』の主演の2人、リヴ・ウルマンとエルランド・ヨセフソン。

 ベルイマン独特のモノクロ画面、或いは霞がかったような陰湿感あふれる画面は、そこにはなく、新作「サラバンド」は、どこまでもクッキリハッキリ。それもそのはず、この映画はデジタルで撮影され、デジタルで上映されている。自ら「遺作」と公言して、新作『サラバンド』を世に問うた。

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 『サラバンド(Saraband)』 112分
 (Saraband:17〜18世紀、欧州で流行した緩やかな三拍子の舞曲。)

 マリアン(リヴ・ウルマン)は、かつての夫ヨハン(エルランド・ヨセフソン)を30年ぶりに訪ねる。ふたりは再会を祝福しあい、過去の軋轢がなかったかのように親し気に対話を重ねる。

 ヨハン宅の近くで暮らす彼の息子ヘンリックは、チェロの才能を持つ娘のカーリンを溺愛する。ある日、父親の抑圧的な愛情に苛立つカーリンは、マリアンに苦しみを訴えるが…。

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 2年前に妻を癌でなくして以来、カーリンを妻の代わりに愛情で縛り付けてしまい、彼女をチェロのソリストとして育てようとするヘンリックと、父の押し付けがましい愛情に反発しつつも音楽家として自立することや、父を置き去りにしていくことへの不安を抱くカーリンの葛藤が、マリアンの前で展開されてゆく。

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 『秋のソナタ』のイングリッド・バーグマン

 ストックホルムにて生まれる。19歳で映画界入り、母国スエーデンで11本の作品を撮り、ハリウッド入り、大女優となったイングリッド・バーグマン最後の映画作品。彼女の愛らしい瞳とは対照的に、実生活では実に奔放にして積極的な人生を生ききった。

 バーグマンは英語読みで、スエーデンではベルイマンと呼び、監督と同じ姓。バーグマンは67歳の誕生日に癌で亡くなっている。この最後の作品は63歳の時。

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 『秋のソナタ』

 ピアニストであり家庭に不在がちであった母・シャーロッテは長年、付き合っていた愛人と死別した。その知らせを聞いた娘エヴァ(リブ・ウルマン)は自分の家で一緒に暮さないかと母に相談を持ちかける。母親はすぐさまその相談を承諾し、7年振りにエヴァの元へと訪れる。

 そこには脳性小児麻痺の娘レナがいて、シャーロッテは余りいい気分ではない。それでもレナの前では明るく振る舞う。そんな母の二面性に苦しめられてきた娘エヴァは、シャーロッテを告発する。自分を捨てて他の男の元へと走った時、自分と父親はどんなみじめな気持で毎日を過ごしたか延々と語るのである。

 ※ 人生の最晩年に、イングリッド・バーグマンは、シャーロッテとして自らの人生を反芻する。それは苦渋に満ちたものに違いなかったけど、身内には非難めいたことも言われ続けて来たけれども、自らの選択に悔いはなかった。ベルイマンがハリウッドに手紙を認め、バーグマンがこれに応じた。人生の達者ふたりの意気が呼応した名品となった。リブ・ウルマンも実に良かった。

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 弱り目、祟り目、ニャンコの目
 落ちるところまで、堕ちて行くのは、意外と「快感」?

 安倍政権、求心力低下に歯止めなし
 組閣以前、「お前はすでに、死んでいる」?

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 ◇ 防衛次官人事で火花、防衛相の独断に官邸は「相談ない」

 小池防衛相が一度内定した守屋武昌防衛事務次官(62)の退任が13日、凍結された。在任5年目で官邸と太いパイプを持つ守屋氏に相談しないまま小池氏が警察庁出身者を後任に決めたため、守屋氏が反発。塩崎官房長官も根回し不足を理由に「待った」をかけた。(塩崎官房長官って、時期政権構想からハズレてますね。)13日には小池、守屋両氏が代わる代わる首相官邸を訪れ、安倍首相や塩崎氏と直談判する異例の事態に。で、結論は、27日ごろの内閣改造ってことで…。

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 ◇ 防衛人事決着も、「政治主導」に深傷(8月18日)

 混乱に混乱を重ねた防衛省人事がようやく決着した。首相官邸が小池防衛相と守屋事務次官の争いにやっと断を下した。だが、官僚の抵抗に手をこまねいた結果、「政治主導」が傷ついた代償は大きい。結論を先送りしようとする安倍首相に対し、与党内からも批判が上がる一方、エスカレートするばかりの対立に、さすがにまずいと感じての決着だろう。今回の決断も遅きに失した。

 小池防衛相は在任4年を超える守屋次官を退任させ、後任に警察庁出身の西川徹矢官房長を充てようとした。これに、続投に意欲のあった守屋次官が反発し、生え抜き組の山崎信之郎運用企画局長らの起用を求める異常事態に発展。一方、塩崎官房長官は小池氏の調整不足を理由に収拾に乗り出さなかった。27日予定の内閣改造後に先送りされるはずだったが、増田好平人事教育局長を事務次官に充てる人事を内定した。

 小池氏が推す西川氏、守屋次官が推す山崎氏をともに退け、増田氏の抜てきで、防衛省の出直しを図る狙いもある。塩崎氏は「官邸がリーダーシップを取らなければいけないと判断した」と、官邸主導の決着をアピールしたが、迷走劇の失態が帳消しになるわけではない。事務次官が大臣に公然と歯向かうことなど、あってはならない事。

 国の針路の決定権は、役人ではなく、国民に選ばれた議員の側にある。今回の混乱で、その「政治主導」が揺らいだ責任を、安倍氏は感じているのだろうか。

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 「おかしなことになる」から小池氏留任?(8月19日)

 自民党の中川秀直幹事長は19日、テレビ朝日の番組で、防衛事務次官人事をめぐる混乱に関連して「小池百合子防衛相を切れば、事務次官の抵抗に負けて閣僚を代えたことになり、おかしなことになる」と述べ、27日の内閣改造では小池氏を続投させるべきだとの認識を示した。

 次官人事の混乱については「辞める次官の抵抗が最大の問題だ」として、守屋武昌事務次官の対応を批判。併せて守屋氏が官邸で安倍晋三首相に会い、巻き返しを図ったことに触れ、「(首相の)幕僚たちの問題だ」とし、塩崎恭久官房長官らの判断ミスと指摘した。

 これに関連し、石破茂元防衛庁長官も19日のフジテレビ番組で「人事権は大臣が持っている。事務次官も自衛隊員であり、次官はシビリアンコントロールに服さなければいけない」と述べ、守屋氏を批判した。守屋氏を退任させて警察庁出身の西川徹矢官房長を後任に充てるとした小池氏の人事案については「ある意味でよく考えている人事かもしれない」と一定の評価をした。



 ◇ 首相の「閣僚の靖国参拝、個人の自由」と言う建前も…

 安倍首相は13日、全閣僚が終戦記念日の15日に靖国神社に参拝しない意向を示していることについて、「靖国神社に参拝することは当然閣僚といえども個人の自由で、それぞれの見識で判断される」と述べ、各閣僚の判断に任せる考えを示した。

 高市少子化相は10日の記者会見では「今年は15日は難しいかなと思っている。15日にはこだわっていない」と述べ、終戦記念日には参拝しない意向を示唆していたが…

 高市早苗少子化担当相は15日、安倍内閣の閣僚の中で1人だけ靖国神社を参拝した後、記者団に「国務大臣高市早苗」と記帳して公人として参拝したと明らかにした。参拝は本殿に上がる「昇殿参拝」の形式で、ポケットマネーから玉ぐし料を納めたという。

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 平沢勝栄衆院議員は、「波風を立てたくないという理由なら意気地がないと批判されるでしょうね。

 中国は、総理や官房長官などの参拝はダメと言ってますが、他の閣僚については何も言っていない。したがって参拝してもいいのですが、スズメの学校ですから、右向けといえば皆右向く」。

 右を向かなかった高市早苗さんは、エライ?

 そもそも、千鳥ケ淵戦没者墓苑に献花して、靖国を避ける一国の総理とは、一体何者なんだろうか?







 ◇ 土俵際の横綱・朝青龍と安倍首相、待ったなし

 朝青龍問題は実は、相撲協会そのものの本質的な問題を露呈したものと言われる。翻って、安倍政権が抱えた諸々の問題は、ひとえに安倍晋三個人の資質・限界に起因したものと言える。元凶(もと)を断たなきゃ、どんな組閣をしても、ダメなんじゃないかな?

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 ◇【安倍内閣メールマガジン 第42号】官邸の暑い夏(2007/08/16)

[こんにちは、安倍晋三です]

● 官邸の暑い夏

 残暑お見舞い申し上げます。安倍晋三です。とても暑い夏になりました。暦の上では「残暑」とはいえ、今が夏本番。官邸のまわりもセミの鳴き声が日増しに大きく聞こえます。帰省、旅行、自宅でゆっくり、仕事、勉強など、それぞれの夏をお過ごしのことだと思います。

 私は、子どもの頃、夏になると、両親に連れられて山陰の父の生家で過ごしたものです。夏が近づくと、その日がくるのを指折り数えて楽しみにしていました。おもいでの山と川。夏草の匂いと木の香り。蝉とり。海水浴。夏祭り。塩をふって食べたスイカの味。幼い頃の夏の思い出は、今でも色あせることはありません。

 夏の風物詩といえば甲子園。今年も連日熱戦が続いています。みなさんも、地元の高校の応援には、自然と力が入っているのではないでしょうか。勝っても負けても、後から振り返れば、球児たちにとっては、かけがえのない大きな経験。ひと夏を越えて、ひとまわりも、ふたまわりも大きくなってほしいと思います。

 お盆を過ぎると夏休みも後半戦。まだ半分残っていると思いながら、あっという間に過ぎてしまう経験を何度も味わったものです。山のように残された宿題と必死になって格闘した思い出は、私だけではないでしょう。そうした思いの中で、今年は、お盆の間も官邸で過ごしています。

 通常であれば、お盆はゆっくりしたいところですが、来週は海外出張がありますし、また、選挙の結果を受けて、国民の声をどう政策に反映させていくかということも、この時期にじっくりと考えたいと思っています。昨日は、62回目の終戦記念日。全国戦没者追悼式に出席し、戦没者のご冥福を祈り、黙とうを捧げました。

 今日の日本の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲の上に築かれています。この平和を守り続けていくこと、さらに世界の恒久平和の実現にむけて積極的に貢献していくことへの決意を新たにしています。(晋)

 ※ 「安倍内閣メールマガジン」は、はたして何号まで続くのでしょうか。今週のメルマガは、第42号でした。これって、「死に番」? やっぱ、レイム・ダック?
 おだやかな死生観・生死一如

 秋川雅史の「千の風になって」がミリオンヒット


 テノール歌手・秋川雅史(39)のシングル「千の風になって」が20日付オリコンランキングでクラシック歌手として史上初めてミリオンヒットを達成。2006年5月24日の発売から1年以上のロングヒットを続け、ついに100万枚突破。CDシングル市場が冷え込む中でも追い風に乗り続けた。

 発売週のセールス枚数は、千にも満たなかった。シングルチャートの初登場も168位。当初、世間の耳目を集めることのなかったこの曲は、2006年のNHK紅白歌合戦が追い風となった。「千の風」は、1月15日付の同チャートで4位にランクイン。テノール歌手として史上初のトップ5入りを果たすと、同22日付ではついに1位に上り詰め、初登場100位以下の曲が史上初めて頂点を極めた。

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 「千の風」は新井満のカバー曲。新井が米国に伝わる『Do not stand at my grave and weep』(お墓の前で嘆き悲しまないで)を日本語訳詞、作曲、歌ったものを、秋川があふれる歌唱力で歌い上げた。秋川は、「この“千の風になって”という曲が詞が自ら風を起こし、何かを伝えようとしているのだと感じます。私はこの歌を生涯歌い続け、そして、歌い手として次の世代に歌い継いでいきたいと思います」とコメント。

 ※ 何かと酷評されがちなNHK紅白歌合戦。それが、ひょんな事からその存在感をアピールする形となった。芥川賞作家・新井満だけでは、今日の現象は起きなかった。大晦日の脳天気なテレビ番組が、日本人の伝統的な死生観を呼び醒ました。


 ◇『Do not stand at my grave and weep』

 Do not stand at my grave and weep,
 I am not there, I do not sleep.
 I am in a thousand winds that blow,
 I am the softly falling snow.
 I am the gentle showers of rain,
 I am the fields of ripening grain.
 I am in the morning hush,
 I am in the graceful rush
 Of beautiful birds in circling flight,
 I am the starshine of the night.
 I am in the flowers that bloom,
 I am in a quiet room.
 I am in the birds that sing,
 I am in each lovely thing.
 Do not stand at my grave and cry,
 I am not there. I do not die.

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 ◇ この詩の作者とされる、メアリー・フライ(新井満氏は作者未詳とする)

 Mary Elizabeth Frye(1905〜2004、主婦・詩人)
 Baltimore housewife whose poem Do Not Stand at My Grave and Weep
 Widowed in 1964, Frye is survived by her daughter.
 Mary Frye, housewife and poet, was born on November 13, 1905.
 She died on September 15, 2004, aged 98.


 ※ この詩を、再生・輪廻という風にとらえるよりも、おだやかな死生観と受けとめたい。生と死と、ふたつに分かつ以前の「生死一如」の、生き方・死に方・暮らし方。肯定すれば全宇宙に、吾ならざるは無く、否定すれば、塵ひとつとして我が物無し。大いなるひとつの「いのち」の中に、生かされてある、この命。ほんのひと時、不肖私めに預託されし、かりそめの命。いかでか、粗略に扱うべきや。

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『夕凪の街 桜の国』

 ◇ 『夕凪の街 桜の国』こうの史代・著 (双葉社 2004年10月)

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 著者「あとがき」:「広島の話を描いてみない」と言われたのは、一昨年の夏、編集さんに連載の原稿を渡して、帰省したとかしないとか他愛のない話をしていた時のことでした。やった、思う存分広島弁が使える!と一瞬喜んだけれど、編集さんの「広島」が「ヒロシマ」という意味であることに気がついて、すぐしまったと思いました。

 というのもわたしは学生時代、なんどか平和資料館や原爆の記録映像で倒れかけては周りに迷惑をかけておりまして、「原爆」にかんするものは避け続けてきたのです。でもやっぱり描いてみようと決めたのは、そういう問題と全く無縁でいた、いや無縁でいようとしていた自分を、不自然で無責任だと心のどこかでずっと感じていたからなのでしょう。

 わたしは広島市に生まれ育ちはしたけれど、被爆者でも被爆二世でもありません。被爆体験を語ってくれる親戚もありません。原爆はわたしにとって、遠い過去の悲劇で、同時に「よその家の事情」でもありました。怖いという事だけ知っていればいい昔話で、何より踏み込んではいけない領域であるとずっと思ってきた。

 しかし、東京に来て暮らすうち、広島と長崎以外の人は原爆の惨禍について本当に知らないのだという事にも、だんだん気付いてきました。わたしと違ってかれらは、知ろうとしないのではなく、知りたくてもその機会に恵まれないだけなのでした。だから、世界で唯一(数少ない、と直すべきですね「劣化ウラン弾」を含めて)の被爆国と言われて平和を享受する後ろめたさは、わたしが広島人として感じていた不自然さよりも、もっと強いのではないかと思いました。

 遠慮している場合ではない、原爆も戦争も経験しなくとも、それぞれの土地のそれぞれの時代の言葉で、平和について考え、伝えてゆかねばならない筈でした。まんがを描く手が、わたしにそれを教え、勇気を与えてくれました。慣れない表現は多いし、不安でいっぱいでしたが、何も描かないよりはましな筈だと自分に言い聞かせつつ、ともかく描き上げる事が出来ました。

 ※ 以下は、「立ち読みページ」のコーナーより

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 ◇ 映画「夕凪の街桜の国」

 物語は、広島で被爆した家族の13年後(映画)を描く「夕凪の街」と、その子どもが生きる現代を描く「桜の国」の二部構成。「夕凪の街」では麻生久美子さん、「桜の国」では田中麗奈さんを中心として物語が進みます。

 昭和33年、広島。快活に振る舞いながら、被爆体験を心の傷として抱える平野皆実。 美しいと感じるたび、幸せだと思うたび、すべてを失ったあの日に引きずり戻される・・・。

 現代、東京。皆実の姪・石川七波。被爆2世にあたる。 広島への旅を通じて、祖母や父の中に残された原爆の影と向き合い、自分自身、家族のルーツを見直していく。


 昭和33年広島市街、復興の進んだ街は活気を取り戻していた。平野皆実(麻生久美子)は父・妹を原爆でなくした心の傷をかかえながら、母フジミ(藤村志保)と二人暮らしをしている。そんな彼女に訪れたささやかな恋。ようやく過去の傷を乗り越え幸せになることを決意する彼女であったが…。

平成19年夏。数十年の時間が流れ、皆実の姪・石川七波(田中麗奈)は東京で暮らしていた。皆実の弟、七波の父・石川旭(堺正章)の最近の不可解な態度を突き止めようと、七波は尾行することに。七波は駅で偶然であった同級生・東子(中越典子)とともに父を追い広島まで向かうことになる。父・旭は自分の母・フジミと姉・皆実と過ごした思い出の地や二人が眠る墓地、そして二人を知る人々を訪ねて歩く。

七波はそんな父を追いかけながら、自分の生まれてきたルーツや、過去から今につながる想いを知ることになる。

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 クランクアップ記者会見より

 田中麗奈、「この原作を読んで、原爆で何年も苦しんでいる人を知って胸が苦しかった。しかしいろいろ勉強にもなった。日本だけではなく世界中の人にこの内容を知って欲しい」

 麻生久美子、「原作を読んで、皆実にとても惹かれた。女優を何年もやっているが、自ら"演じたい"と思ったのは今回が初めて。不思議な縁を感じています」

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 堺正章、「家族が被爆し、自分だけが東京にいて生き残ったという役。この役がどういった思いだったかがとても難しく複雑だったが、監督にあって"この人についていけば大丈夫だな"と思った。戦後60年たって描くにふさわしい集大成のような作品」

 藤村志保、「被爆者の気持ちを理解するのは難しい。この役のセリフで『原爆で死ぬのを見るのはもういや』というのがあります。とても大事なメッセージだと思います。世界の人へのメッセージのような作品」

 中越典子、「撮影時に広島で感じたことが、澄んだ美しさ。広島にはいろんなパワーがある。悲しい話だが希望に変わる明るさをこの作品からは感じてもらえると思う。自身もいろんな影響をうけた」

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 映画「夕凪の街桜の国」オフィシャル
 http://www.yunagi-sakura.jp/

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 ◇ 久間発言と「神の摂理」「祈りの長崎」

 原爆忌を評して、「怒りの広島、祈りの長崎」といわれる。
 世界に強い怒りのメッセージを放つ広島に比べ、
 長崎原爆忌では、「核の犠牲者は私たちを最後に」
 との静かな祈りに包まれる。

 長崎原爆忌に祈りのイメージを定着せしめたのは、永井隆博士といわれる。
 手記『長崎の鐘』での「祈りの長崎」のイメージは多くの県民を癒した。


 被爆の中心地・浦上地区はクリスチャンが多い地域だった。自ら被爆しながら救護活動に従事して、「聖者」とたたえられた永井博士は「神の摂理」を説いた。戦争という愚かな殺し合いに狂奔した人間の罪に対して神が罰を与えたのだ、と。長年、数々の苦難にさらされてきた信者にとっても、その言葉は救いでもあったのだ。



 『批判精神やむことなく』山田貴己(よしき、38歳、長崎新聞記者)
  (2003年8月4日長崎新聞掲載)

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 「神の摂理によって爆弾がこの地点にもち来らされた」「世界大戦争という人類の罪悪の償いとして、日本唯一の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ燃やさるべき潔き羔(こひつじ)として選ばれた」

 自ら被爆し救護活動に従事した故永井隆博士(1908〜1951)は、長崎・浦上に投下された原爆について、著書「長崎の鐘」でこう記している。「浦上の聖者」とたたえられたカトリック信者の永井博士は、長崎市名誉市民であり天皇の見舞いも受けた人だ。

 父・山田かんは1972年、雑誌に掲載された「聖者・招かざる代弁者」で、永井博士の言説について「『原爆』の内質としてある反人類的な原理をおおい隠すべき加担にほかならなく、民衆の癒しがたい怨恨をそらし慰撫する、アメリカの政治的発想を補強し支えるデマゴギー(事実に反する扇動的な宣伝)」などと厳しく指摘。批判の姿勢を崩すことはなかった。

 掲載当時、家庭内にはタブーに触れた恐れのような、うっすらとした不安感が漂っていたのを覚えている。それでも父は「差別され被爆したカトリック信者は永井の言葉に救われたかもしれない。だが『原爆は神の摂理』という永井の言説は、長崎原爆に神や祈りのイメージを付加し被爆者を沈黙させ、原爆による大量虐殺の本質、使ったアメリカの罪悪を覆い隠す役割を果たした」と語っていた。

 永井博士の言説の意味や社会への影響については、特に近年、地道な研究も進んでおり、賛否両論がある。

 父は、被爆体験と非常なる読書量で得た知識、言葉と論理の研鑽によって、多岐にわたり怒りの意志を表現した。平和祈念像とその制作者、浦上天主堂を取り壊した長崎市、白馬の天皇、核を作動させ保有する権力、その権力におもねる権力…。これらに対する怒りだ。

 被爆五十八周年のこの夏、私は、父の詩集や今も長崎原爆の象徴的位置にあり続ける永井博士の著書などを読み返し、父の怒りの意味を考えている。まだ時間がかかりそうだが、未来を見据えるため、被爆地長崎がこの五十八年間で何を積み上げ、置き去りにしてきたのかをとらえる上で必要な作業だと思っている。

 父が息を引き取る十時間ほど前、有事関連法成立などについて父と会話した作家の中里喜昭さん(67)は、告別式の弔辞で「きみは、はらはらするようなほんとのことを、けっして飾らない言葉でそのまま言ってしまう恐ろしい詩人でした」と述べた。

 母・和子(69)は「批判精神の裏側には人間に対する優しさがあったのだと思う。だからこそ、無残な死に方を強いた戦争と原爆に怒り、それを覆い隠すすべてのものにも憤り続けたのかもしれない」と話す。(『批判精神やむことなく』おわり)

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 ※ 山田かんは、原爆は罰ではなく、キリスト教の地・米国が同じ信者を含む人々の頭上に落とした大量殺人爆弾だと断じた。そして、戦後占領下のGHQに永井説は大いに歓迎され、大量虐殺の本質や米国の罪悪を覆い隠す役割を果たしたと、山田かんは指弾した。(永井博士は、反ソ・反共の傾向が顕著だった。) 山田かんは死の床で、最期のメッセージをこう残した。

 「言い過ぎてもいい。そこから変化は生まれる。思考を停止するな」。

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