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平成24年8月3日(金)昨夜:中日・モリミチさん、9回逆転にチョーご機嫌。 < 巨人 2―3 中日 > (2日・東京ドーム) 高木守道監督(71)も最終回の逆転勝ちにご機嫌だった。「考えられんような点の取り方。(3連戦)何とか勝ち越しをと思ってたけど、2つ勝って引き分けは御の字。踏ん張ったということです」。1点を追う9回は森野の打球が左翼高橋由が後逸する同点打となり、最後は2死満塁で柳田が勝ち越しの押し出し死球。首位攻防3連戦を2勝1分けで終えて3.5に縮め、指揮官も興奮を隠せなかった。 ◇ 五輪・馬場馬術で71歳の法華津氏が円熟の手綱、場内を沸かす ロンドン五輪の馬場馬術の個人1次予選(2日間)が2日始まり、日本の五輪史上最年長選手の法華津(ほけつ)寛(71)=アバロン・ヒルサイドファーム=が出場した。手綱を巧みに操り、人馬一体の演技を披露。華麗なステップを刻み、場内を沸かせた。 シルクハットをかぶり、正装した姿で愛馬ウィスパーにまたがって登場した法華津。背筋をピンと伸ばし、やや緊張した面持ちだったが、日が差し込む中、2006年からコンビを組む愛馬と共に演技を開始。速歩で駆けたり、スキップを踏むなど美しい動きを見せた。数分間の演技を終えた後には、会場の拍手に帽子を取って応え、最後に愛馬の首をポンポンとたたいた。 馬場馬術は、馬の動きの美しさを競う採点競技。20メートル×60メートルの長方形の馬場で行う。1次予選は内容が決められた規定演技で、正確性や美しさを7人の審査員が判定。法華津は出番順13で、自身の終了時点で8位だった。 8月3日は、中城ふみ子の命日 です。 ◇ 中城ふみ子(1922年〜1954年) 歌人 戦後歌壇に彗星のごとく現れ、その渦中31歳の生涯を閉じた 北海道河西郡帯広町(現・帯広市)出身、富裕な呉服店の長女として生まれる。北海道庁立帯広高等女学校(現・北海道帯広三条高等学校)、東京家政学院卒。背が高くみめかたちが美しく勝ち気な性格で、幼時より読書に親しむ。 池田亀鑑の指導を受けて短歌を始める。本名、野江富美子。妹の野江敦子も歌人。中城は離婚した夫の姓。 1942年、中城博と見合い結婚。博は北大出の札幌鉄道施設部の技師。三児をもうける。戦後、博は不祥事から閑職に就かされ、闇物資を流すブローカーに手を染める。この件もあり夫婦仲が冷え、やがて別居にいたる。ふみ子は心の憂さを歌に吐き出す。 戦後の代表的な女性歌人の一人で、後進に大きな影響を与えた。 1953年、『潮音』同人になる。1954年4月、第1回『短歌研究』50首詠(後の短歌研究新人賞)応募作が編集者・中井英夫に見出されて特選になる。同年7月1日、川端康成の序文を付けた第一歌集『乳房喪失』を刊行する。同年8月3日、札幌医大の癌病棟に没す。 作品の主要テーマは恋愛と闘病。大胆な身体描写、性愛の表現は、当時の歌壇では賛否両論であった。評者の道徳観を押し付けるような作品批判を受ける一方で、五島美代子、葛原妙子、長沢美津らの『女人短歌』(女性歌人による超結社集団)のメンバーからは擁護された。近年は我が子をテーマにした歌も注目されている。また、表現技法の点では、葛原や森岡貞香からの影響が指摘されている。 ふみ子の病室を訪れて取材した時事新報記者・若月彰により、1955年に評伝『乳房よ永遠なれ』が書かれ、10万部が売れた。同年中に、この評伝を原作とする映画『乳房よ永遠なれ』(日活、田中絹代・監督、月丘夢路・主演)が制作公開され、ふみ子の名は広く知られることになる。 川端康成は小説『眠れる美女』にふみ子の歌を登場させ、渡辺淳一は、ふみ子をモデルにした小説『冬の花火』を書く。 灼きつくす口づけさへも目をあけて うけたる我をかなしみ給へ 母を軸に子の駆けめぐる原の晝 木の芽は近き林より匂ふ 背かれてなほ夜はさびし夫を隔つ 二つの海が交々に鳴る 熱き掌のとりことなりし日も杳く 二人の距離に雪が降りゐる 陽にすきて流らふ雲は春近し 噂の我は「やすやすと堕つ」 音たかく夜空に花火うち開き われは隈なく襲はれてゐる ※ 昭和28年10月、右乳房へ転移した癌を手術。11月、右側胸部を再手術。 29年1月、乳癌再発、左側胸部皮膚に転移、再手術のため札幌医大病院に入院。病状の進行につれ、痰や血痰がでる。ここにきてふみ子は死を意識したらしく、おもいたって歌に打ち込むことになる。折しも目にした雑誌「短歌研究」の第一回新人五十首募集に応募する。4月、特選一席に「乳房喪失」と題され編集部(編集長・中井英夫)選で入選する。 失ひしわれの乳房に似し丘あり 冬は枯れたる花が飾らむ 灯を消してしのびやかに隣に来るものを 快楽の如くに今は狎らしつ 冬の皺寄せゐる海よ今少し 生きて己れの無惨を見むか 冷えしきる骸の唇にはさまれし ガーゼの白き死を記憶する ※ 8月3日、「死にたくない」と口にしつつ死去、享年31。
(皺 → 雛 も可?)
◇ 楽しさ抜群、ロンドン! ロンドン! ◇ 取らぬ狸の皮算用が過ぎたJOC ロンドン五輪は間もなく折り返し地点を通過する。連日熱戦が繰り広げられるなか、競技はもとよりメダルの数も注目されるが、日本は現時点で目標を大きく下回っており、後半戦に期待が高まる。だが、後半戦でどれだけ巻き返せるのか? 日本オリンピック委員会(JOC)の目標は「金メダル数で世界5位」で、達成には15〜18個が必要とみられている。しかし、前半戦で日本の獲得メダル数は、金2、銀4、銅11の計17個(2日現在)と目標を大きく下回るペースで、今後の主要競技での奮起が欠かせない。 お家芸の柔道で金メダルを思うように獲得できていない点が大きな誤算。 ロンドン五輪大会の8月1日までの国別メダル獲得数では、計30個でトップの中国を29個の米国が追い上げており、日本も計17個で3位につけている。しかし、金メダル数でみると日本はカザフスタンに次ぐ9位となる。 開催国の英国は選手の強化・育成に資金を注ぎ込み、メダル獲得数も大幅増が見込まれていたが、現時点では金2、銀3、銅4の計9個にとどまっている。 ◇ 10歳にして大成功 … 、でも急転直下の「ホーム・アローン」主人公 大ヒット映画『ホーム・アローン』に主演し、当時わずか10歳にして一躍ハリウッドスターの仲間入りを果たしたマコーレー・カルキン(31)。彼が、実は麻薬中毒であり、余命わずかなのではないかという噂が浮上した。 アメリカの一部メディアは、マコーレーが様々な幻覚剤やヘロインの中毒であるばかりか、余命わずか半年だと報道。たしかに、今年2月には、激やせした姿がパパラッチされているマコーレー・カルキン。急激な体型変化は、やはりヘロインと関係があるのだろうか? マコーレーは、『ホーム・アローン』で大成功をおさめたものの、自分が稼いだお金をめぐり両親が裁判で争うなどの災難に見舞われ、俳優活動を休業。1998年4月には、17歳という若さで同い年の女優と結婚、2年後に離婚している。 その後、現在アシュトン・カッチャーと交際していると噂されているミラ・クニスとも長年交際していたが、昨年1月に破局を発表。一説には、この失恋がきっかけで麻薬中毒になってしまったのではないかとも言われている。 これに対して、マコーレー・カルキンの代理人が米TMZに話したところによると、「こういった報道はマコーレーにとって何のメリットもないばかりか、まったく根も葉もないデタラメだ」とコメント。真っ向から報道を否定している。 ※ 『ケーキ屋ケンちゃん』の宮脇康之の場合も、家族が崩壊したようだ。 ◇ 今日の誕生花・ニチニチソウ(キョウチクトウ科) 花言葉は、「楽しい思い出」「友情」。 夕立の虹こしらへよ千松嶋 子規 (千松嶋:松島の古名) 船虫の波に洗はれ何も無し 虚子 日々草あすの蕾の上に散る 檜 紀代 大事より小事重んじ日々草 伊丹三樹彦 雨宿りのやうに棲む人日々草 北野紙鳥 子規庵を訪ふひと絶えず日々草 杉 良介 集い来てよく笑いたる子らなりき ニチニチソウが咲けば想えり 鳥海昭子 |

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