今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

何の日・1月

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 平成24年1月2日(月)昨日:「安全」は「ムラの掟」の紛い物。

 原子力業界が安全委24人に御寄付 総額なんと8500万円也

 東京電力福島第一原子力発電所の事故時、中立的な立場で国や電力事業者を指導する権限を持つ内閣府原子力安全委員会の安全委員と非常勤の審査委員だった89人のうち、班目春樹委員長を含む3割近くの24人が2010年度までの5年間に、原子力関連の企業・業界団体から計約8500万円の寄付を受けていた。うち11人は原発メーカーや、審査対象となる電力会社・核燃料製造会社からも受け取っていた。 原子力業界では企業と研究者の間で共同・受託研究も多く、資金面で様々なつながりがあるとされる。中でも寄付は使途の報告義務がなく、研究者が扱いやすい金銭支援だ。安全委の委員へのその詳細が明らかになるのは初めて。委員らは影響を否定している。

 ※ 国策とは、かくすればかくなるものと知りながら … に尽きます。
 国策で善きことひとつだに無しと 戦禍くぐりし古老の言ひき。



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 1月2日は、「初夢の日」「初づくしの日」 です。

 ◇ 子心に早く寝たがる宝舟(江戸川柳)

 古来、初夢で一年の吉凶を占う風習があります。伝統の「初夢」とは、何日の宵が良いのか? 大晦日、元日、正月二日、節分等々ありますが、一般には正月二日の夜の夢が初夢とされています。 室町時代から良い夢を見るには、七福神の乗った宝船の絵に「永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」という、回文の歌を書いたものを枕の下に入れて眠ると良いとされています。これでも悪い夢を見た時は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しとします。

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 ◇ 伝統の諸芸始め 〜 姫はじめ恵方へ向けと馬鹿亭主(江戸川柳)

 秘め始めの由来は諸説あり。お正月の強飯(こわいい:蒸した固いご飯、おこわ)から、初めて姫飯(ひめいい:柔らかいご飯)を食べる日。 また、飛馬(ひめ)初め:乗馬初めの日。また、火水(ひめ)初め:火や水を初めて使う日。 また、女伎(ひめ)初め:衣服を縫い始める日。また、姫糊初め:女性が洗濯・張物を始める日。 等々、諸々御座います。

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 ◇ 辰年に夢より醒むる寅なりき

 映画『寅さんシリーズ』のオープニングに、寅さんの夢が多用された。良い夢の場合、醒めてしまって何とも残念な寅さんの顔。悪い夢の場合、醒めてよかったと、安堵する表情がファンの心をとらえた。 しかし、3.11の自然災害とメルトダウンの人災事故との悪夢の年が明けても、決してこの悪夢が醒めることはない。少なくとも今後、数十年のスパンで継続する怖ろしい悪夢であり、極めて苛酷な現実なのである。



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   ◇ 今日の誕生花・オモト(ユリ科)(万年青)

   花言葉は、「母の愛」「長寿」。

   初夢の扇ひろげしところまで   後藤夜半

   初夢で逢ひしを告げず会ひにけり   稲畑汀子

 正月の二日を働き初めとして 万年青の手入を手伝いにけり  鳥海昭子

 ※ 根茎が太く大きいことから、「大本(おおもと)」 → 「おもと」とか。 また、大分県の「御許山(おもとやま)」で良質のオモトが産出されたとも。 根は薬用になり、「万年青(おもと)」は漢名で、「まんねんせい」とも呼ぶ。この時期、赤い実を守るが如くに、しっかりとした葉が取り囲む。 引越しの際、新居の玄関にこのオモトを飾ると縁起が良いと言われます。かの家康も江戸城入城の際、まず万年青の鉢を先頭にしたとか。


 【参照】1月2日、福袋の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49973787.html

 【参照】1月2日、事始めの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26351641.html

 【参照】1月2日、道元禅師の誕生日(旧暦1200年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39285838.html

 【参照】1月2日、高野悦子の誕生日(1949年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46320946.html

 【参照】東洋大・柏原が区間新、東洋大初の往路優勝(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46325453.html

 【参照】1月2日、箱根駅伝往路の日(2011年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51647505.html
 平成24年1月1日(日)昨日:年の瀬に、何もかもが … いやになり。

 オウム真理教が関与した目黒公証役場事務長の仮谷清志さん監禁致死事件で、警察庁から逮捕監禁致死容疑で特別手配されていた教団の平田信容疑者(46)を名乗る男が、12月31日深夜、警視庁丸の内署に出頭した。 警視庁が確認したところ、平田容疑者と指紋が一致し、同庁は1日未明にも逮捕する方針。

 捜査関係者によると、平田容疑者は仮谷さん事件の実行グループの一人で、1995年2月28日夕、品川区内のJR目黒駅近くの路上で、仮谷さんがレンタカーのワゴン車内に連れ込まれた際、犯行を指揮していた井上嘉浩死刑囚(42)の運転手役を務めるなどした疑いが持たれている。仮谷さんは、山梨県上九一色村の教団施設に連れ込まれ、薬物を大量に投与されて死亡。平田容疑者は16年以上に渡って、逃亡を続けていた。



 1月1日は、角田房子の命日 です。

 ◇ 角田房子(つのだ 、1914年〜2010年) 日本ペンクラブ名誉会員

 東京府生まれ。福岡女学校専攻科卒業後、ソルボンヌ大学へ留学。第二次世界大戦勃発により、ソルボンヌ大学を退学して帰国。 戦後、夫の転勤に伴って再度渡仏。1960年代より執筆活動を開始。精力的な取材と綿密な検証に基づく歴史小説を数多く手掛ける。 2010年1月1日に死去していたことが同年3月12日に公表された。95歳。主著に『閔妃暗殺』など。

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 『 閔妃(ミンピ)暗殺〜朝鮮王朝末期の国母 』

 時は19世紀末、権謀術数渦巻く李氏朝鮮王朝宮廷に、類い稀なる才智を以て君臨した美貌の王妃・閔妃がいた。この閔妃を、日本の公使が主謀者となり、日本の軍隊、警察らを王宮に乱入させて公然と殺害するという前代未聞の事件が起こった。 本書は、国際関係史上、例を見ない暴挙であり、日韓関係に今なお暗い影を落とすこの「根源的事件」の真相を掘り起こした問題作です。第一回新潮学芸賞を受賞。


 ◇ 石塚英蔵法制局参事官(当時朝鮮政府顧問)の報告書より

 王妃排除ノ儀ハ、モシ時機ガ許セバコレヲ決行シタシトハ、不言不語ノウチニ誰人モ含ミ居リタルコトニコレ有候得共、モシ一歩ヲ過ラバ忽チ外国ノ関係ヲ惹キ起シ永ク彼ノ国ニ占ムル、日本ノ地歩ヲ亡失スルハ必然ノ儀ナレバ、深ク軽挙ヲ戒シムベキハ今更申ス迄モ之レ無キ儀ニ御座候。
(中略) 守備隊ノ将校兵卒ハ門警護ニ止マラズ門内ニ侵入セリ。殊ニ野次馬連ハ深ク内部ニ入リ込ミ王妃ヲ引き出し二三カ所刃傷ニ及ビ、且ツ裸体ニシテ局部検査ヲ為シ最後ニ油ヲ注ギ焼失セル等誠ニ之ヲ筆ニスルニ忍ビザルナリ。 (井上馨文書『末松法制局長官宛石塚英蔵書簡』、国立国会図書館憲政資料室所蔵)


 ◇ イザベラ・バード『朝鮮紀行』より

 暗殺団が部屋に入ると、宮内大臣は両手を広げてうしろにいる王妃をかばい守ろうとしたが、それは相手に誰が王妃かを教える結果となってしまった。両手を切り落とされさらに傷を負いながらも、彼は身を引きずるようにベランダから国王のもとへ行き、そこで失血死した。 暗殺団から逃げだした王妃は追いつかれてよろめき、絶命したかのように倒れた。

 が、ある報告書は、そこでやや回復し、溺愛する皇太子の安否を尋ねたところへ日本人が飛びかかり、繰り返し胸に剣を突き刺したとしている。そのとき、前にわたしも会ったことのある乳母が王妃に覆いかぶさり、そのため顔が見えなかったとはいえ、王妃が絶命していたかどうかは甚だ疑問である。それなのに、日本人暴徒は王妃を板切上に載せ、絹の蒲団をかけて隣の鹿園にある松林へと運んだ。そして王妃のまわりに粗梁を置き、灯油をそそいで焼いた。あとには小さな骨が数片しか残らなかった。



 ◇ 年の瀬に、何もかもが … いやになり。

 イタリアでギネス級の白寿“おめでた”離婚(12月31日21時12分配信)

 英紙デーリー・テレグラフ(電子版)は31日、イタリアで99歳の夫が96歳の妻に離縁を言い渡す世界最高齢離婚があったと報じました。 夫はクリスマスの数日前、箪笥から古い小箱に入ったラブレターを発見。1940年代、若かりし妻がひそかに浮気していたのに気付き、怒りが収まらなかったという。 妻は浮気の過去を認め、洗いざらい白状したが、夫の離婚の決意は固く、翻意しなかった。夫妻は77年間連れ添った仲だった。5人の子供、10人以上の孫、さらに、曾孫も1人います。

 ※ 過去の過ちは過去のもの。今日まで秘匿した恋文は現在のもの、断捨離。



 ◇ 新成人は122万人と5年連続で過去最少を更新

 総務省がまとめた2012年1月1日現在の人口推計によると、同年の干支である辰年生まれの人口は1022万人となった。総人口に占める割合は8.0%で十二支の中では3番目に少ない。 一方、1991年生まれの新成人は122万人と5年連続で過去最少を更新。最も多かった70年(49年生まれ)の半数を下回った。 辰年生まれを男女別に見ると、男性が496万人、女性が526万人。出生年別では、第1次ベビーブーム直後の52年生まれと第2次ベビーブーム直後の76年生まれが共に179万人と最も多い。次いで64年生まれの167万人、40年生まれの153万人となっている。

 ※ 日本国のダウンサイジングが、急坂を転げ落ちるように止まらない。経済的な「日本沈没」が目の前に迫っているような気がする。社会の仕組みを抜本的に変えねばならないにも拘らず、選挙での負け戦を嫌ってホントの事を云えない政治家。問題の先送りに与する有権者。 先の敗戦と言い、この度の原発事故と言い、日本のお粗末な「その場しのぎ」が病巣であると思われる。



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   ◇ 今日の誕生花・マツ〔アカマツ・クロマツ〕(マツ科)

   花言葉は、「不老長寿」「向上心」。

   青空にきず一つなし玉の春   一茶

   元日や神代のことも思はるゝ   守武(もりたけ)

 元旦の膳にのせたる若松の 不老長寿の約束におう  鳥海昭子


 【参照】1月1日、お年玉の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/49967520.html

 【参照】1月1日、初詣(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/26302350.html

 【参照】1月1日、大神神社の「繞道祭」
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/51642395.html

 【参照】1月1日、中くらいなりおらが春(2008年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39261509.html

 【参照】1月1日、元日(2009年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46302880.html
 平成23年1月31日(月)昨日:エジプトの邦人出国、チャーター機派遣を決定。

 外務省は30日夜、エジプトの治安悪化を受けた緊急対策本部(本部長・前原外相)の会合で、現地の邦人出国のため、チャーター機を派遣することを決めた。 中東で確保し、現地時間の31日にカイロ〜ローマ間を3往復させることを検討しており、約540人の出国が可能だとしている。

 これに先立ち、菅首相、前原氏、枝野官房長官らが首相公邸でエジプト情勢への対応を協議。前原氏は成田、関西両空港行きエジプト航空便のキャンセルでカイロ空港に日本人観光客が足止めされていると報告。人数は約630人という。前原氏はアブデルナーセル駐日エジプト大使と同航空の日本支社長を外務省に呼び、善処を求めたことも伝えた。前原氏はルース駐日米大使とも電話で意見交換した。

 米大統領、ムバラク氏は具体的行動を


 ◇ エルバラダイ氏もデモ参加 ムバラク政権打倒訴え

 エジプトの民主化を訴える国際原子力機関(IAEA)前事務局長のエルバラダイ氏は30日夜、首都カイロ中心地タハリール広場での反政府デモに参加し「われわれが始めたことは後戻りできない」と、強権的なムバラク政権の打倒までデモを続けるよう訴えた。 エルバラダイ氏は、夜間外出禁止令が出た後も広場に残る群衆に向かって「われわれの要求はただ一つ。政権の終わりと新時代の幕開けだ」「国民が尊厳を持って自由に生きられる新たな段階を目指そう」などと訴えた。

 エルバラダイ氏は27日夜に滞在先のウィーンから帰国、翌日のカイロでの大規模デモに参加。自宅軟禁になったとされたが、各地が騒乱状態となり警官が姿を消したことで、事実上、軟禁は解除されたもよう。 国営テレビによると、治安筋は30日、街頭から姿を消していた警官が31日から任務に戻ると述べた。交通整理や犯罪捜査に当たるが、デモへの対応は動員されている軍に委ねるという。

 ※ なかば無政府状態となったエジプト。親イスラエル政権の遠からぬ転覆は、イスラエル、米国、親米政権ニッポンなどに、大きな影響を与える。世界の覇権構造を揺るがす “大きなデモ”が止らない。



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 1月31日は、真矢みきの誕生日です。( 1964年生まれ )

 ◇ 真矢みき( 元宝塚歌劇団花組トップスター )

 広島市西区南観音町生まれ、大阪府豊中市育ち。豊中市立第二中学校卒業。大地真央への憧れから1979年に、宝塚音楽学校に入学。1981年、67期生として宝塚歌劇団に入団。同期は女優の北原遥子(元娘役スター、日本航空123便墜落事故で死去)、黒木瞳(1982年から1985年まで月組娘役トップスター)、涼風真世(1991年から1993年まで月組トップスター)。毬藻えり(1989年から1992年まで星組娘役トップスター)、演劇プロデューサー、活弁士、日本舞踊講師の幸風イレネ(現・イレネ飯田)がいる。現役では専科の梨花ますみがいる。

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 初舞台当初から注目を集め、歴代花組トップスターに勝るとも劣らぬ個性派スターとしての道を歩み、特に1992年〜1995年は2番手ながらトップとほぼ同等な扱いを受け、芝居・ショーともに活躍。安寿ミラとの男役同士のコンビは当時呼び物となった。1995年では安寿の退団により『エデンの東』で花組トップスターに就任。相手役は純名里沙。純名の退団後は千ほさち(現・森ほさち)を相手役に迎えた。

 1998年10月5日に退団。長髪のヘアスタイルやナチュラルな舞台メイク、独特の着こなしや、退団直前につんく♂プロデュースによる日本武道館でのソロコンサートの開催、篠山紀信撮影による写真集の出版など、宝塚に新しい風を積極的に吹きこみ「ヅカの革命児」とまで言われた。

 真矢みきのCF




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   ◇ 今日の誕生花・ギョリュウバイ(フトモモ科)(御柳梅)

   花言葉は、「蜜月」。

   手袋の左許りになりにける   正岡子規

 あなたのため私のためにギョリュウバイ 一月尽の花として咲く  鳥海昭子

 一月尽、嗚呼、光陰は如箭。
 ※ 一月「行く」、二月「逃げる」、三月「去る」、あっと云う間に新年度。


 【参照】1月31日、晦日正月
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46759528.html

 【参照】1月31日、「愛妻の日」(I・3・1)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39952363.html

 【参照】映画『今度は愛妻家』
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50135352.html

 【参照】1月31日、日本初の婦人専用電車(1912年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50133347.html

 【参照】1月31日、大江健三郎の誕生日(1935年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27833219.html

 【参照】1月31日、小林繁投手「屈辱の日」(1979年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39947094.html
 平成23年1月30日(日)本日:安全バー「触って確認せず」コースター転落死。

 30日、東京ドームシティアトラクションズ(東京都文京区)で起きたコースター転落事故。落下防止の安全バーはきちんと固定されていたのか。警視庁が係員らから事情を聞くなどして解明を進めている。運営会社の幹部は痛切な表情で謝罪した。 遊園地を運営する東京ドームは同日午後4時頃、東京ドームホテル(文京区)で記者会見を開いた。北田英一・専務取締役執行役員らが「亡くなった方に心よりおわび申し上げます。事故の原因を究明し、二度とこのような事故が起きないように努力していきます」と頭を下げた。

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 同社によると、事故が起きた「スピニングコースター舞姫」はドイツ製。全長約300メートルのコースを地上約10メートルの高さまで上昇した後、座席が360度回転しながら走行する。最高速度は時速40キロで、2分で1周する。急カーブが続くため、大きな遠心力がかかり、体が大きく左右に振られるのが特徴で、死亡した会社員倉野内史明さん(34)(東京都羽村市)はスタートから約30秒後に転落した。 安全バーは各座席に設置されている。客が手前に引いて腹部のあたりで固定し、締まるとカチッと音がする仕組み。体形に応じて8段階で固定されるが、自動で確認する装置はなく、係員が目視や手で触れて固定具合を確認する。大柄などの理由で安全バーが固定できない場合は、乗車させない規定になっていた。

 倉野内さんは身長1メートル85以上で体重も100キロ超という大柄な体格だった。警視庁は安全バーの固定が不十分なまま走行した可能性があるとみて、31日に業務上過失致死容疑で現場検証を行う。事故当時、安全バーの点検はアルバイトの女子大生が担当しており、女子大生は同庁の事情聴取に対し、「口頭で『安全バーを下ろしてください』とアナウンスしたが、手で触っては確認しなかった。バーが下りているように見えたので、発車しても大丈夫だと思った」と話したという。

 ※ 生命の安全に直結することにも、アルバイトを使う東京ドーム側の認識の甘さは非難されるべきだ。いわば、危険を売り物にして楽しむアトラクションで、危険が日常化する潜在的恐怖への配慮が始めから欠けていた。同様の事故は、かつて何度も起きている。そして、これからも必ず繰り返されるだろう。 死は、日常のすぐ隣に在る。



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 本日1月30日、大阪国際女子マラソンで赤羽有紀子が初優勝。

 今夏の世界選手権(韓国・大邱=テグ)代表選考会を兼ねた第30回記念大阪国際女子マラソンは30日、大阪・長居陸上競技場発着の42.195キロであり、前回途中棄権した赤羽有紀子(ホクレン)が2時間26分29秒で初優勝した。2位はマラソン2度目の伊藤舞(大塚製薬)、3位に前回7位の堀江知佳(ユニバーサル)が入り、2大会ぶりに日本勢が3位までを独占した。前回6位の木崎良子(ダイハツ)は5位。 スタート時の天候は晴れ、気温3度、湿度49%、東の風2.4メートルだった。

(1)赤羽有紀子(ホクレン)    2時間26分29秒

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(2)伊藤舞(大塚製薬)         26分55秒

(3)堀江知佳(ユニバーサル)      27分26秒

(4)アンナ・インチェルティ(イタリア) 27分33秒

(5)木崎良子(ダイハツ)        29分35秒

(6)奥永美香(九電工)         30分36秒

(7)アドリアナ・ピルティア(ルーマニア)32分44秒

(8)宮内洋子(京セラ)         36分43秒

 レースは3人に絞られた先頭集団から35キロ手前で堀江が遅れ、赤羽、伊藤のマッチレースの展開に。ともに先頭をうかがうものの、共に離れず、並走するような形で39キロ地点付近まで火花を散らした。

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 ところが、残り3キロで赤羽がスパート。ついに伊藤を引き離し、その差を広げて逃げ切った。 今大会には外国招待選手4人、国内招待選手8人、一般参加377人、ペースメーカー3人の計392人が参加。また、「2011大阪ハーフマラソン」(21.095キロ)も大阪城公園スタート、同競技場をゴールとする新コースに変更されて実施され、約4千人が健脚を競った。


 ◇ ママさん王者・赤羽、「娘の笑顔で体が軽くなった」

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 夫でコーチの周平さん(31)、娘の優苗(ゆうな)ちゃん(4)と歩んできたママさんランナーは、昨年リタイアした地点とほぼ同じ38キロ付近からスパート。レース後の会見では、「沿道で声援を送ってくれた優苗に『やっと、やったよ』と報告したい」と、周平さんと共に笑顔を見せた。 「今回は長居陸上競技場で待っていてほしいと有紀子にいわれた。優勝するという自信の表れだったんでしょうね」。

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 昨年まで沿道で指示を与えていた周平さんは今回、競技場でレースを見守った。「外で移動しながら見ている方が、時間が過ぎるのを早く感じる。ほかの選手も強そうでドキドキしました」と話すが、赤羽選手は約束通りにトップでゴール。迎えた周平さんは優しく妻を抱き寄せた。 優苗ちゃんも、周平さんとともに初優勝の原動力となった。この日優苗ちゃんは、17キロ付近と30キロ付近で応援。「前半、ペースが速いかなと思ったが、娘の笑顔を見かけて、すごい体が軽くなった。娘の存在は大きい。いつも力をもらっている」。 給水ポイントに置いてあるドリンクボトルにも、優苗ちゃんの写真がはり付けられていた。

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 周平さんが「本当はもっと娘といたいのかもしれないが、今の有紀子は目標に向かって集中している。優苗も泣いたりしないし、頼もしい」と話すと、赤羽選手も「ロンドン五輪の代表に選ばれるように頑張りたい」と応えた。家族3人は、しっかりと同じ目標を見据えているようだ。

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   ◇ 今日の誕生花・カルセオラリア〔巾着草〕(コマノハグサ科)

   花言葉は、「助け合い」。

   手をあてて火鉢のへりのなつかしく   大木あまり

 お守りを入れし巾着の形して カルセオラリアふくらみにけり  鳥海昭子

 ※ 和名は巾着に見立て、ギリシャ語では小さな靴(カルセオラリア)に。
 また一説には、16世紀イタリアの植物学者カルチエオラリの名に因むとも。


 【参照】1月30日、ブルームーンの日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50128041.html

 【参照】1月30日、『善の研究』刊行(1911年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39924787.html

 【参照】1月30日、ジラード事件(1957年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46743999.html

 【参照】1月30日、Vista 発売(2007年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27780609.html
 平成23年1月29日(土)昨日:君が代強制、都の通達を一転「合憲」東京高裁。

 東京都教育委員会が入学式や卒業式で教職員が国旗に向かって起立し、国歌斉唱するよう通達したのに対し、都立学校の教職員ら395人が都と都教委を相手取り、通達に従う義務がないことの確認や損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決が28日、東京高裁であった。 都築弘裁判長(三輪和雄裁判長代読)は「通達は、思想・良心の自由を定めた憲法に違反しない」と述べ、通達などを違憲とした上で教職員に起立や国歌斉唱の義務はないとした1審・東京地裁判決を取り消し、原告側の請求を退けた。

 都教委は2003年10月、都立学校の各校長に対し、式典での国旗掲揚や国歌斉唱を適正に行い、校長の職務命令に従わない教職員は服務上の責任を問うとする通達を出し、これ以降、違反回数に応じて減給や停職などの懲戒処分をしてきた。 都側は裁判で、「通達に基づく職務命令は、教職員の内心まで制約するものではない」と主張したが、2006年9月の1審判決は「懲戒処分まですることは思想・良心の自由を侵害する行き過ぎた措置だ」として、1人3万円の慰謝料を含めて請求を認めたため、都側が不服として控訴したもの。



 1月29日は、チェーホフの誕生日です。

 ◇ アントン・パーヴロヴィッチ・チェーホフ(1860年〜1904年)

 南ロシアの港町・タガンロクで生まれ、少年時代に両親はモスクワに移る。チェーホフは一人故郷で中学校卒業までの3年間を家庭教師をしながら勉強を続けた。その後、再び家族と暮らすようになり、モスクワ大学で医学を学ぶ。この頃から小説を書き始め、学費の助けとした。大学卒業後は医者となるも、小説も書き続けた。

  私は医学を自分の正妻とみなし、文学を愛人と考えているが、
  私にとって愛人は、妻より愛しいものだ。   by 知恵豊富

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 『富籤』(抄) アントン・チェーホフ 神西清:訳

 イワン・ドミートリッチは中流階級の人間で、家族と一緒に年に千二百ルーブルの収入で暮らして、自分の運命に大いに満足を感じている男であった。或る晩のこと夜食のあとで、彼は長椅子の上で新聞を読みはじめた。 「私、今日はうっかりして新聞も見なかったのよ」と彼の細君が、食器のあと片附けをしながら言った。 「当り籤が出てないか、ちょっと見て下さいな。」「ああ、出てるよ」とイワン・ドミートリッチは言った、「だけど、お前の富札は質流れになってるんじゃないのかい?」「いいえ、火曜日に利子を入れて置いたのよ。」「何番だったね?」「九四九九号の二十六番ですわ。」「よしよし、……ひとつ探してやろう。……九四九九の二十六と。」

 イワン・ドミートリッチは籤運などは信用しない男であったから、ほかの時なら何と言われたって当り籤の表など振り向きもしなかったにちがいない。けれど今はほかに何のすることもないし、おまけに新聞がちょうど眼の前にあるので、彼はついその気になって番号を上から下へと指で追って行った。するとたちまち、まるで彼の不信心を嘲笑うかのように、九四九九という数字が彼の両眼に跳びついて来た。彼はもう札の番号などには眼もくれず見直しもしないで、いきなり新聞を膝の上に落としたかと思うと、まるで自分の腹の上に冷水でもはねかけられたように、鳩尾のところに冷やりと実にいい気持がした。擽ったいような、空恐ろしいような、妙に甘ったるい気持がした。
「マーシャ、あったぞ、九四九九が!」と彼は胴間声をあげた。

 細君は彼のびっくりしたような呆れ返ったような顔をじろじろ眺めて、これはふざけているのじゃないと思った。「本当に九四九九なの?」と彼女は顔色を変えて、折角たたんだテーブルクロスをまた卓の上にとり落としてしまった。「そうだ、本当なんだ……本当にあったぞ!」「でも、札の番号はどう?」「あ、そうだっけ。まだ札の番号って奴があるんだね。だが、お待ち。……ちょっとお待ち。いいや、それが何だというんだ。どっちみち、俺たちの番号はあるんだ。どっちみちだよ、解るかい?……」

 イワン・ドミートリッチは細君の顔を見ながら、まるで赤ん坊が何かきらきらする物を見せられた時のような、幅ったるいぽかんとした笑顔になった。細君も笑いだした。彼がただ号の番号を言っただけで、この幸運の札の番号を急いで探さないところが、彼女にもやはり楽しみだったのである。ひょっとしたら舞い込むのかもしれない幸運の期待で、自分の心を苛立たせ焦らすのは、何とまあわくわくして面白いんだろう!

 「俺たちの号はあったんだ」とイワン・ドミートリッチは少し黙ってから言いついだ、「つまり、俺たちが当たったのかもしれない見込みがあるんだ。見込みだけなんだよ。けど、その見込みは儼然としてあるんだ。」「そうよ、だから見て御覧なさいよ。」「待て、待て。幻滅の悲哀を味わうのはまだあとでもいいさ。上から二行目だから、つまり七万五千ルーブルという訳だ。そうなるともうお金じゃない、力だ、資本なんだぞ。今すぐ、ひょいとこの俺が表をのぞいて見る、すると、ちゃんと二十六なんだ。ええ、どうだね。俺たちが本当に当たっていたら、いったいどうなるんだね?」

 夫婦は思わず笑いだして、もう何も言わずに長いことお互いの顔を見詰め合っていた。幸運が舞い込むかもしれないという考えで、二人ともすっかりまごついてしまった。この七万五千ルーブルで何をしようか、何を買おうか。どこへ出かけようか、そんなことは思いにも浮かばず口にも出せなかった。彼等はただ、九四九九と七五〇〇〇という数字のことばかり考えていた。その数字ばかりを思いに描いていた。大いに可能性のある幸福それ自身の方へは、どうした訳か考えが向かなかった。

 何これと言って考えることもない。ただ甘い夢想に耽っている。今日も、明日も、明後日も勤めに出なくていいのだ、とそんなことを身体ぜんたいで感じている。寝ころんでいるのが厭きてくると、こんどは乾草の原っぱへ出かけたり、森へ茸をとりに行ったり、でなければ百姓が投網をするのを見物する。日が沈むと、タオルや石鹸を持ってゆっくりと歩いて水浴場へ行く。行ってからも別にせかせかせずに、悠々着物を脱ぎ、裸になった胸を丁寧に掌で撫でまわしてから水につかる。水の中には、ぼんやり透いて見えるシャボンの環のまわりを、小っちゃな魚たちがちらちらしているし、また青々した水草の揺れるのも見える。水浴がすむと、クリームと牛乳入りのビスケットでお茶を飲むことにする。……晩は、散歩をするかそれとも近所の人たちと骨牌《カルタ》をやる。

 小春日和が過ぎると、曇った陰気な季節になる。夜昼の境目もなく長雨が降りはじめて、裸になった木々が泣く。冷たいじめじめした風が吹く。犬も馬も鶏もみんなびしょ濡れで、しょげ返って小さくなっている。散歩どころか家からひと足だって出られはしない。一日じゅう部屋の中を行ったり来たりして、怨めしそうに陰気な窓を睨んでいなければならぬ。ああ退屈だ。 ここまできたとき、イワン・ドミートリッチは考えを中止して細君の方を見た。「ねえ、マーシャ、俺はそれよりも外国へ出かけるね」と彼は言った。 そして彼は、晩秋になって外国へ出かけたらどんなに素晴しいだろうと考えはじめた。どこか、南仏か、イタリアか、それともインドあたりへ。「私だって、きっと外国へ行きますわよ」と細君が言った、「もういい加減で札の番号を見てちょうだい。」「お待ちよ、まあ、もう少しお待ちよ。……」

 『だが女房は俺にもとてもけちけちするだろうな』と彼は細君をじろりと眺めて考えた、『あの札は女房ので、俺のじゃないんだからな。それにしても、いったい女房なんか外国へ出かけて何になるんだ。結局行かないのも同じことさ。ホテルに閉じこもったきりで、この俺まで傍から放しはしまい、……ちゃんと解ってるさ。』

 そして彼は生まれてはじめて、自分の細君がすっかり老けこんで、容色が落ちて、身体じゅう糠味噌の臭いが滲みこんでしまってい、いっぽう自分の方はまだ若く、健康で、新鮮で、もういちど結婚してもいいほどの男振りなことに気がついた。

 『この女は金に対する観念なんかまるでないんだ。だからけちけちするんだ。もし籤が当たったとしても、この俺には百ルーブルとはよこすまい。あとの残りは … 錠前だ。』 そして彼は笑顔どころか、憎悪に燃えた眼つきで細君を睨みすえた。彼女の方でも嫌悪と怨恨のごちゃまぜになった眼で夫を睨み返した。細君にも自分の計画や思惑や、虹霓《にじ》のような夢想があるのだった。そして自分の夫が今なにを空想しているか、とてもよく察しがついた。自分の当り籤にまず第一に熊手を差し出す者は誰なのかを細君は知り抜いていたのであった。

 『他人の懐を当てにして、よくもそんないけずうずうしい事が考えられたものね!』と細君の眼が語っていた、『いやなことだわ、あなたにそんな事をさせてなるもんですか!』 夫は細君の眼を読んだ。すると彼の胸は嫌悪でいっぱいになってしまった。そこで彼は細君をやっつけるために、構わず新聞の第四面に眼を投げると、いとも厳かな口調で読みあげた。

 「九四九九号、第四十六番、二十六番に非ず。」

 希望も憎しみも、両方ともいっぺんに消え失せてしまった。たちまち、イワン・ドミートリッチにも細君にも、その部屋が薄暗く狭苦しく安っぽく見えはじめ、今しがた食べた夜食さえもがちっとも腹の足しにならずに、ただ胃の腑の下のところにぼとんと溜っただけのような気がした。宵の時間までが長ったらしく退屈で堪らなくなった。

 「一体これは何という態《ざま》だ!」とイワン・ドミートリッチはそろそろだだを捏ねはじめた、「一歩あるけば、きっと紙屑を踏んづけるんだ。見ろ、この何だかの屑や殻を! 一ぺんだって箒を手に持ったこともないんだ。こいじゃ、厭でも出て行きたくなる。悪魔めにさらわれてみたくなっちまう。俺は出て行くぞ。そして一番先にぶつかった柳の木で首を縊っちまうぞ!」

  無関心とは、精神の麻痺であり死の先取りである。


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   ◇ 今日の誕生花・ハナアナナス(パイナップル科)花アナナス

   花言葉は、「たくわえる」。

   遠くまで歩きて日脚伸びにけり   雨宮きぬよ

 いのちなる力はじけてハナアナナス 花のひとつの今朝のむらさき 鳥海昭子

 ※ 南アフリカ原産でピンク色の部分(花苞〔かほう〕:葉の変化したもの)は花ではなく、その縁についた小さな青いものが花。学名は Tillandsia cyanea (チランドシア・シャニア)。 チランドシアと称する。ハナアナナスは和名です。 アナナスとは、本来はパイナップルのこと。園芸上では、パイナップル科の植物で観葉植物として価値のあるものの総称を意味することが多い。


 【参照】1月29日、タウン情報の日
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46728322.html

 【参照】1月29日、深沢七郎の誕生日(1914年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/39901608.html

 【参照】1月29日、ガソリンカーが脱線転覆炎上(1940年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/27725522.html

 【参照】1月29日、日野草城忌(1956年)
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/50123099.html

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