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平成25年2月25日(月)一昨日:イラン、原発16基の増設計画を発表。 イラン国営テレビ「プレスTV」によると、同国原子力庁は23日、新たに原子力発電所16基を建設する計画を発表した。また、過去1年半の間に新たなウラン鉱床を発見し、資源量は35年前に比べ4.5倍になったとしている。 イランと国連安保理常任理事国にドイツを加えた6ヶ国の協議が26日にカザフスタンのアルマトイで開かれるのを前に、新たな原発計画を公表することで、核開発では妥協しないとの姿勢を示す狙いがあるとみられる。 ※ 原発が戦略的外交政策であるのは、何もイラン、北朝鮮に限らない。 2月25日は、ピエール=オーギュスト・ルノワールの誕生日 です。 ◇ ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841年〜1919年) フランスの印象派の画家。後期から作風に変化が現れ始め、まれにポスト印象派の画家とされることもある。 風景画、花などの静物画もあるが、代表作の多くは人物画。初期にはアングル、ドラクロワなどの影響を受け、モネらの印象主義のグループに加わるが、後年は古典絵画の研究を通じて画風に変化が見られ、晩年は豊満な裸婦像などの人物画に独自の境地を拓いた。 長男のピエールは俳優、次男のジャンは映画監督。 ルノワールは1841年2月25日、フランス中南部のリモージュにて生まれた。七人兄弟の六番目たが、上の二人は早世、他に兄二人、姉一人、弟一人がいた。父は仕立屋、母はお針子だった。三歳の時、一家でパリに移住し、ルーヴル美術館に近い都心に住む。 幼いころから画才を示していたが、美声だったルノワールは、1850年頃に作曲家のシャルル・グノーが率いるサン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊に入り、グノーから声楽を学ぶ。ルノワールの歌手としての才能を高く評価したグノーはルノワールの両親にルノワールをオペラ座の合唱団に入れることを提案したが、同時期に父親の知人からルノワールを磁器工場の徒弟として雇いたいという申し出が父親にあったことや、ルノワール自身が磁器工場での仕事を希望したため、グノーの提案を断り聖歌隊も辞める。 1854年、13歳で磁器工場に入り、磁器の絵付職人の見習いとなるが、産業革命や機械化の影響は伝統的な磁器絵付けの世界にも影響し、1858年に職人としての仕事を失ったルノワールは画家を目指す。1862年に、エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入学。並行して1861年からはシャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入り、ここでモネ、シスレー、バジールら、後の印象派の画家たちと知り合う。画塾で制作中のルノワールに、師のグレールが「君は自分の楽しみのために絵を描いているようだね」と言ったところ、ルノワールが「楽しくなかったら絵なんか描きませんよ」と答えたというエピソードは有名。 1870年、普仏戦争が勃発するとルノワールも召集され、ボルドーの第10騎兵隊に配属されるが、赤痢にかかり、翌年3月に除隊。 ルノワールの友人で援助者でもあったバジールは、普仏戦争に自ら志願し、29歳の若さで戦死している。 ルノワール「芸術が愛らしいものであって何故いけないんだ? 世の中は不愉快なことばかりじゃないか」 ◇ 山本ジャパン、壮行試合2連勝 キーマンは松井稼頭央 < 日本 10―3 豪州 > (24日・京セラドーム)侍ジャパン壮行試合 侍ジャパンの中で唯一人のメジャー経験者・稼頭央の満塁一掃、逆転三塁打! さすがは元メジャー侍。3月2日開幕の第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、3連覇に挑む侍ジャパンは24日、オーストラリア代表との壮行試合に臨み、10―3で連勝した。山本浩二監督(66)は低迷する打線の大幅な組み替えを断行。 「2番・二塁」で初先発した松井稼頭央内野手(37)が、1点を追う4回2死満塁で走者一掃の右翼線三塁打を放ち、逆転に成功。純国産で唯一メジャー経験のあるベテランは2安打4打点で打線を活気づけ、13安打10得点の猛打を演出した。 「久しぶりにスタメンで出していただいた。自分の持ち味である積極さを前面に出そうと思っていました」。 ここまでの強化、壮行の2試合で2番・二塁を鳥谷に譲っていた。日本代表としては2003年のアテネ五輪アジア予選以来10年ぶりのスタメン。初回無死一塁で初球にきっちり送りバントを決め、6回2死二塁ではこの日4打点目となる中前適時打。37歳のベテラン侍が縦横無尽に暴れ回り、大勝に導いた。 侍ジャパンの中でただ一人メジャー経験があり、しかも唯一の両打ち。元来右打ちの松井が7年間のメジャー生活の財産の一つに挙げたのが、左打席での打撃だった。メッツ時代の2004年に同僚から指摘された。「打球の結果を確認してから走り出すくらい、しっかりと右足を踏み込め」。松井は言う。「あの言葉がなければ、ここまで野球を続けられなかったかもしれない」。それまでは内野安打を意識し一塁方向へ右足を逃がす「走り打ち」が多かった。この日の2安打も左打席からしっかり踏み込んだ。渡米前は右打席の打率が2分ほど高かったが、帰国後は左右とも同じ・263。両打ちとして片寄りがなくなり、立浪打撃コーチは「(松井が)2番に入り機能した。あそこで右左、どちらもいけるのは大きい」と両打ちの利点を強調した。 ※ 第一戦の36歳・相川に続き、ベテラン侍勢が山本ジャパンを勢い付ける。 ◇ 今日の誕生花・カンヒザクラ(バラ科) 花言葉は、「あでやか」。 大砲のどろどろと鳴る木の芽哉 子規 ※ 明治期の子規にとって、大砲は国力増強の象徴で好きな主題だった。 鎌倉を驚かしたる夜寒かな 虚子 鶯や障子あくれば東山 夏目漱石 ぶらんこの三つあれば母真ん中に 森田 峠 鞦韆に腰かけて読む手紙かな 星野立子 ※ 鞦韆(しゅうせん、ふらここ、ぶらここ)=ブランコ:春の季語 さみしさのようやくうすれゆく頃を カンヒザクラはあでやかにさく 鳥海昭子 |

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