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平成26年3月1日(土)昨日:被災地の医療 避難者の健康守る体制拡充を。
東日本大震災から3年を迎える今も、26万7000人が避難生活を強いられている。被災者の健康を守るための体制をさらに充実させるべきである。 被災者のうち、プレハブの手狭な仮設住宅に暮らす人は約10万人に上る。住み慣れた土地を離れて孤立し、部屋に閉じこもる人は少なくない。高血圧、糖尿病といった生活習慣病や、うつ状態に陥るケースも目立つ。 自宅や職場を失い、生活再建を見通せないことが、被災者の心身に暗い影を落としている。 東京電力福島第一原子力発電所の事故で、帰還のめどすら立たない福島県沿岸部の住民の場合は、特に深刻である。
被災者の心理的ストレスを軽減することが大きな課題だ。 心臓病など、持病の悪化による震災関連死が増え続けている問題への対処も重要である。 津波で被災し、再建されていない医療機関は多い。鉄道が寸断されたままの地域もある。被災者にとって通院は容易ではない。地元自治体は、厚生労働省や県の支援を受け、訪問診療などの体制を整備してもらいたい。 約4000人が暮らす宮城県石巻市の仮設住宅では、敷地内の仮設診療所から医師、看護師が訪問診療、看護に出向いている。「被災者支援員」と呼ばれるヘルパー経験者らも各戸を巡回する。 支援員が話し相手になり、入居者の体調の異変に気づいて治療に結びつけることもあるという。 長純一所長は「医師や看護師だけで被災者をケアするのは難しい。様々な立場の人が協力することが大切だ」と強調する。
被災地では、若い世代の流出で高齢化が一段と進んだ。 医療・介護関係者をはじめ、NPO(非営利組織)やボランティアが連携し、在宅の高齢者を支える。その仕組み作りは、高齢化が進む日本全国で必要だが、とりわけ被災地では急務である。 被災地は元々、医師不足が深刻だった地域だ。 政府は、医師の確保策として、長年認めていなかった医学部の新設を、東北地方に限って容認する方針を決めた。中長期的には、一定の効果は見込めるだろう。 これに加え、医師や看護師が、人材不足の被災地や過疎地に赴くための支援策も必要になる。 最優先の課題は、当面の医師の確保である。医学会や全国の病院が協力し、被災地への医師の派遣を継続していくべきだ。(3月1日付・読売社説)
1954年3月1日、米軍の水爆実験で第五福龍丸が「死の灰」を浴びて60年。
◇ 遠洋マグロ漁船・第五福竜丸の被曝
1954年3月1日に、ビキニ環礁でのアメリカ軍の水素爆弾実験「キャッスル作戦・ブラボー」により発生した大量の放射性降下物(死の灰)を第五福竜丸は浴びた。無線長だった久保山愛吉 (1914年生まれ)は、半年後の9月23日に死亡する。
3月14日に焼津港に帰還し、静岡大学の塩川孝信と山崎文男により検査を受けた。3月16日の検査では船体から30メートル離れた場所で放射線を検出したことから、塩川は人家から離れた場所へ係留するよう指示をし、鉄条網が張られた状態で係留された。その後、文部省(現:文部科学省)が船を買い上げ、8月に東京水産大学(現:東京海洋大学)品川岸壁に移される。その後、三重県伊勢市大湊町の強力造船所(現:株・ゴーリキ)で改造され、東京水産大学の練習船・はやぶさ丸となる。 1967年に老朽化により廃船となり、使用可能な部品が抜き取られた後に、東京都江東区夢の島の隣の第十五号埋立地に打ち捨てられるが、同年、東京都職員らによって再発見されるや保存運動が起こり、現在は東京都により夢の島公園の「第五福竜丸展示館」に永久展示されている。
心臓部であるエンジン部分は廃船時に船体からはずされ、貨物船「第三千代川丸」に搭載されていたが、この貨物船は1968年に航海途上の三重県熊野灘沖で座礁、沈没。 1996年12月、民間有志(「第五福竜丸エンジンを東京・夢の島へ」和歌山県民・東京都民運動)により海底から引き揚げられ、第五福竜丸展示館の脇に展示されている。
◇ “想定外”に拡がった「危険水域」 甘い見通しによる被曝
1954年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海において操業中にビキニ環礁で行われた水爆実験(キャッスル作戦・ブラボー (BRAVO) 、1954年3月1日3時42分実施)に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被爆した。 実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していたが、危険を察知して降灰からの脱出を図った。だが、延縄(はえなわ)の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続ける。こうして、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。 後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。
第五福竜丸が米軍による水爆実験に巻き込まれて被爆した出来事は、日本国内で反核運動が萌芽する動機となった。反核運動が反米運動へと転化することを恐れた米国政府は、日本政府との間で被爆者補償の交渉を急いだ。一方の日本政府も、復興のために米国経済に依存せざるを得ない状況であり、かつ平和的利用の名目で原子力技術を米国から導入できる可能性も出てきた時期でもあったことから、占領国であった米国を刺激したくないという思惑もあった。 結果、両者は「日本政府は米国政府の責任を追及しない」という確約のもと、事件の決着を図った。1955年に200万ドルが支払われたが、連合国による占領からの主権回復後間もなかったこともあり、賠償金ではなく好意による見舞金として支払われた。また事件が一般に報道されると、焼津では「放射能マグロ」による風評被害が発生した。
米国政府は、第五福竜丸の被爆を矮小化するために、4月22日、米国の国家安全保障会議作戦調整委員会 は「水爆や関連する開発への日本人の好ましくない態度を相殺するための米政府の行動リスト」を起草し、科学的対策として「日本人患者の発病の原因は、放射能よりもむしろサンゴの塵の化学的影響とする」と明記し、「放射線の影響を受けた日本の漁師が死んだ場合、日米合同の病理解剖や死因についての共同声明の発表の準備も含め、非常事態対策案を練る」と決めていた。実際、同年9月に久保山無線長が死亡した際に、日本人医師団は死因を「放射能症」と発表したが、米国は現在まで「放射線が直接の原因ではない」との見解を取り続けている。
広島、長崎、そして、第三の「原子力災害」としての第五福竜丸
焼津の漁船・第五福竜丸の水爆実験による被爆は、広島、長崎への原爆投下に次ぐ「日本を巻き込んだ第三の原子力災害」となり、日本は原子爆弾と水素爆弾の両方による原子力災害(被爆と被曝)を経験した国となった。 第五福竜丸で被爆した久保山愛吉・無線長(当時40歳)は、「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」と遺言した。彼の遺言が契機となり、反核運動が形成されてゆく。
※ 第五福竜丸が、後生大事に持ち帰った大量のマグロは全て廃棄された。 一方では、これに着想を得た映画『ゴジラ』が制作され、大ヒットする。 焼津での風評被害と『ゴジラ』の大ヒットとは、表裏一体のものだった。 岡本太郎は、第五福竜丸をモティーフに取り入れた大壁画『明日の神話』を制作した。原爆の炸裂する瞬間を描いた、彼の最大、最高の傑作と言われる。渋谷駅の連絡通路で公開中です。
岡本敏子氏によれば、大壁画『明日の神話』は「猛烈な破壊力を持つ凶悪なきのこ雲はむくむくと増殖し、その下で骸骨が燃えあがっている。悲惨な残酷な瞬間。逃げまどう無辜の生きものたち。虫も魚も動物も、わらわらと画面の外に逃げ出そうと、健気に力をふりしぼっている。第五福竜丸は何も知らずに、死の灰を浴びながら鮪を引っ張っている。中心に燃えあがる骸骨の背後にも、シルエットになって、亡者の行列が小さな炎を噴きあげながら無限に続いてゆく。その上に更に襲いかかる凶々しい黒い雲。悲劇の世界だ。だがこれはいわゆる原爆図のように、ただ惨めな、酷い、被害者の絵ではない。燃えあがる骸骨の、何という美しさ、高貴さ。巨大画面を圧してひろがる炎の舞の、優美とさえ言いたくなる鮮烈な赤。にょきにょき増殖してゆくきのこ雲も、末端の方は生まれたばかりの赤ちゃんだから、無邪気な顔で、びっくりしたように下界を見つめている」
「外に向かって激しく放射する構図。強烈な原色。画面全体が哄笑している。悲劇に負けていない。あの凶々しい破壊の力が炸裂した瞬間に、それと拮抗する激しさ、力強さで人間の誇り、純粋な憤りが燃えあがる。タイトル『明日の神話』は象徴的だ。その瞬間は、死と、破壊と、不毛だけをまき散らしたのではない。残酷な悲劇を内包しながら、その瞬間、誇らかに『明日の神話』が生まれるのだ。岡本太郎はそう信じた。この絵は彼の痛切なメッセージだ。絵でなければ表現できない、伝えられない、純一・透明な叫びだ。この純粋さ。リリカルと言いたいほど切々と激しい。二十一世紀は行方の見えない不安定な時代だ。テロ、報復、果てしない殺戮、核拡散、ウィルスは不気味にひろがり、地球は回復不能な破滅の道につき進んでいるように見える。こういう時代に、この絵が発するメッセージは強く、鋭い。負けないぞ。絵全体が高らかに哄笑し、誇り高く炸裂している」。
2014年3月1日、今日からオープン戦 です。
◇ 東北楽天・松井稼、合流し練習 今日からオープン戦
東北楽天は28日、福岡市のヤフオクドームで練習し、1、2日に同球場で行われるソフトバンクとのオープン戦に備えた。 練習は午後1時から3時間ほど行った。投手陣では、1日に先発予定の森雄大投手がブルペン入りし、約30球を投げ込んだ。同じ1日に登板が見込まれる則本昂大投手らはランニングやキャッチボールで体を動かした。 野手陣では、沖縄県久米島町で調整していた松井稼頭央内野手がこの日からチームに合流。フリー打撃や守備練習に汗を流した。松井稼は「みんな声も出ているし、動きに切れがある。こっちが気を引き締めてやりたい」と話した。 ドラフト1位の新人松井裕樹投手(神奈川・桐光学園高)は高校の卒業式への出席と、都内で行われる日本野球機構(NPB)の新人研修に参加するため、練習後に東京に移動した。
この時期のNPB新人研修に星野監督は、おかんむり(怒!)
松井裕は練習後、星野監督らに挨拶をして東京に移動。チーム練習が3日間できなくなることに「寂しい気持ちもあるがリフレッシュする機会と、いい意味で捉えたい」と前向きに語った。 この日はブルペンで106球を投げ込んだ。「チームを離れるので多めに投げた。調子は良かった」と満足そうに振り返った。 1月に入寮して以来、高校の同級生とはなかなか会えない日々が続いている。それだけに「(卒業式で)会えるのは楽しみです」と久々の再会を心待ちにしていた。
星野監督がNPBに対して不満の声を上げた。オープン戦が本格化する時期に新人研修が組まれ、松井裕がチームを3日間離れることになり、「卒業式は分かる。(新人研修は)なんで今なんだ。ふざけんな」とかみついた。 チーム練習を3日間中断されることは、高校生左腕には調整面で痛手となりかねない。指揮官にとっても、開幕に向けての起用計画に大きな狂いが生じてしまう。 「この時期に研修をやるというのは、(開幕1軍を目指す)新人に対して失礼。向こうには小さな事かもしれないが、現場にとっては大ごと。松井の開幕投手も考えていたのに。これでずらさないといけないな」と皮肉を交えながら、NPBの姿勢を批判した。
◇ 巨人ドラフト1位・小林がオープン戦出場へ
川相ヘッドコーチがドラフト1位・小林(日本生命)について「使っていって面白いと思わせる存在」と、オープン戦も出場機会を与えることを明言した。阿部の調整もあるため途中出場となるが、小林は「少ない時間かもしれないですけど、(相手打者の特徴を)見落とさないようにやっていければ … 」と前向きだった。
深刻度をます若年世代の自殺率
日本全体の自殺死亡率は平成21年以降、一貫して減少が続いていますが、20〜30代は下げのペースが鈍く、若い世代に対する自殺対策の強化が求められています。 国際的にみても、この年代の自殺死亡率は際立って高く、15〜34歳の死因1位が自殺なのは先進7ヶ国において日本だけという、極めて深刻な状況にあります。 自殺の原因を詳しく見てみると、20代では「勤務問題」が上昇の一途をたどり、平成24年にはついに、全年代の中で最も高い数値を示すまでになりました。就職活動での失敗や、職場環境における悩みを苦に、自ら命を絶つ若者たちが増加している実態がうかがえます。
※ 長い就職活動で心身を消耗させ、劣悪な職場環境でボロボロになって …
※ 孤独は楽しむことができます。でも、孤立してしまうと、人は …
◇ 今日の誕生花・ハハコグサ(キク科)
花言葉は、「いつも思う優しい人」。
日に烏それがどうして春の朝 子規
※ 蕪村の俳諧句文集『新花摘』の斬新さに魅せられて“新調”を試みる。
碧梧桐の曰く「半ば浮かれ調子で我々は、言はば傍若無人でもあった」。
その中に小さき神や壷すみれ 虚子
我ら知らぬ母の青春母子草 寺井谷子
母子草やさしき名なり莟もち 山口青邨
老いて尚なつかしき名の母子草 高浜虚子
母子草とその名教えし一瞬の 母のない子の表情(かお)を忘れず 鳥海昭子
※ ハハコグサ(母子草):別名を御形(おぎょう)と言う。御形とは、人形(ひとがた)のことであり、桃の節句に母子草を用いた草餅(母子餅)が供えられたことから御形と呼ばれるようになった。春の七草で呼ばれるゴギョウは御形の俗称です。 また、「母と子を臼と杵でつくのは縁起が良くない」として、平安時代頃から蓬(よもぎ)に代わったとも伝えられます。あるいはまた、新芽がやや這うことから「這う子」、訛って「母子」とも云々 … 。
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