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平成23年5月8日(日)本日:被災地に亡き母しのぶカーネーション。 津波で壊滅的な被害を受けた岩手県大槌町で、経営する生花店も自宅も流された女性が、残った倉庫の片隅で仮営業を続けている。8日の母の日を前に、供花に混じってカーネーションの注文が増えている。 「小松生花店」に女児の手を引く女性が訪れた。白いユリに黄色い菊 … 。注文を聞いた小松美恵子さん(60)が「津波で誰か亡くなったの」と尋ねると、女性は「娘、この子の母親よ」と力無く答え、ピンクのカーネーションを加えてほしいと注文してきた。 別の女性客は「夢に出て来た母親が泣いていた」と仏壇用の花にカーネーションを足してと頼んできた。 3月24日に営業を一部再開した店で、売れるのはお供え用ばかり。4月末に子どもの誕生日用の花が売れたぐらいだ。震災四十九日用の在庫が売り切れたらいったん店を閉めるつもりだ。「花を楽しめる心の余裕が生まれるのはいつの事だろう … 」。 本日5月8日(第二日曜日)は、「母の日」です。 ◇ 「三つの母の日」 金沢・曹洞宗・雲龍寺住職 荒崎良徳師 日本には、三つの「母の日」があると思います。 一つ目は、五月第二日曜日の、いわゆる「母の日」です。これは、今から百年ほど前に、アメリカのメソジスト教徒、アンナ・ジャーヴィスという女性が、亡き母を偲び、命日に白いカーネーションを墓前に捧げたことに始まるとされています。それを聞いて感動した当時の大統領・ウィルソンがアメリカ議会の議決を経て「母の日」を定めたと伝えられています。いわば、アメリカ版の「母の日」です。 二つ目は、五月五日です。一般にはこの日を「こどもの日」と称して、こどもに関するさまざまな行事が行われていますが、法律をきちんと読んでみますと、次のように定められてあります。昭和二十三年七月十日発布・法律第一七八号「国民の祝日に関する法律」の第二条に「五月五日、こどもの日、こどもの人格を尊重し、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」と明記してあります。つまり、五月五日は単にこどもたちの幸福を考えるだけの日ではなく、母に対する深い感謝を求める日でもあるのです。いわば、日本国の法律に定められた「母の日」です。 三つ目は、七月十五日あるいは八月十五日です。この日は、いわゆる「お盆」ですが、その原点にまでさかのぼって思惟してみますと、まぎれもなく大切な「母の日」であることが解ります。 「お盆」という言葉の語源を尋ねてみますと、インドの古い言葉「ウランバーナ」を、中国の人が「孟蘭盆(うらぼん)」と音写し、それを省略して「盆」と称するようになったようです。ウランバーナとは、「倒懸(とうけん)の苦しみ」と訳されます。つまり「逆さに吊り下げられたような苦しみ」という意味です。 一般に、親戚一同が集まって賑やかに過ごす楽しさを、盆と正月が一緒に来たようだと表現しますが、その語源を尋ねると、何となく恐怖を感じて、尻込みしてしまうような言葉になります。 では一体、誰が、何が原因で「逆さ吊りの苦しみ」に陥ったかというと、『仏説孟蘭盆経』には「釈尊の弟子・目連尊者の亡き母が、罪根深結(じんけつ)のために餓鬼道に堕ち、倒懸の苦しみに苛まれていた」と記されてあります。 目連尊者は釈尊の十大弟子の一人に数えられるほどの立派なお方です。そんな秀れたお方を生み育てた母親が、何故、餓鬼道に堕ちて逆さ吊りの苦しみに陥らねばならなかったのでしょうか。『孟蘭盆経』には、たった一言「罪根深結」とだけ記されてあり、その具体的な内容は、後世の私たちが推理するしかありません。その一つとして、古歌に詠われている、『たらちねの心は闇にあらねども 子を思う故に迷いぬるかな』の「迷い」を挙げることができると思います。 そして、その「迷い」は、時としてエキサイトし暴走し、どんな犠牲を払ってでも、たとえ自分が地獄に堕ちても一切後悔はしないから、我が子だけは幸福にしてやりたいという願いに膨れ上がります。この願いは、特に母親に強く見られます。それは当然のことで、十月十日の間、自分の血肉を胎内の子に分け与え、張り裂けるような苦しみの中で出産した、いわば自分の分身のような我が子ですから、どんなことをしてでも幸福にしてやりたいと願うのは、自然の摂理と称してもいいことだと思います。しかし、その願いは時として社会生活のルールを逸脱することもあり、いわば「罪」を犯すことさえあります。これを『孟蘭盆経』では「罪根深結」と称しているのだと思います。 私たちは皆、母親の「罪根深結」に守られて、生まれ、育ってきたはずです。そのことを、しっかりと憶念するのが、孟蘭盆に関わる「母の日」だと思うのです。 アメリカの議会で決められた「母の日」に従うか、日本の法律に定められた「母の日」を守るか、孟蘭盆経に述べられた「母の日」を心から念ずるか、ここは、しっかりと考えるべき正念場だと思います。 (「大法輪」2011年4月号より) ※ 「仏説父母恩重経」なるあり。曰く、一切の善男子、善女人よ、父に慈恩あり、母に悲恩あり。その故は、人のこの世に生まるるは、宿業を因とし、父母を縁とせり。父にあらざれば生まれず、母にあらざれば育たず。これをもって、気を父の胤に受け、形を母の胎に託す。この因縁をもってのゆえに、悲母の子を思うこと、世間に比いあることなく、その恩、未形におよべり。はじめ胎に受けしより、十月を経るの間、行・住・坐・臥、ともにもろもろの苦悩を受く。苦悩休むときなきがゆえに、常に好める飲食・衣服を得るも、愛欲の念を生ぜず、ただ一心に安く産まんことを思う。 月満ち、日足りて、生産(しょうさん)のときいたれば、業風吹きて、これを促し、骨節ことごとく痛み汗膏ともに流れて、その苦しみ耐えがたし。父も身心戦き恐れて、母と子とを憂念し、諸親眷属みな悉く苦悩す。すでに生まれて、草上に墜つれば、父母の喜び限りなきこと、なお貧女の如意珠を得たるがごとし。その子、声を発すれば母も初めて、この世に生まれいでたるが如し。 また、父母の恩徳を称えて十種となして曰く、父母の恩重きこと、天の極まりなきがごとし。善男子・善女人よ、わけてこれを説けば、父母に十種の恩徳あり、何をか十種となす。 一には、懐胎守護の恩、二には、臨産受苦の恩、三には、生子忘憂の恩 四には、乳哺養育の恩、五には、廻乾就湿の恩、六には、洗灌不浄の恩 七には、嚥苦吐甘の恩、八には、為造悪業の恩、九には、遠行憶念の恩 十には、究竟憐愍の恩。 【生子忘憂の恩】子の声を発するを聞けば、己も生まれ出でたるが如し。 【廻乾就湿の恩】乾ける処に子を廻し、湿れる処に己れ臥す。 【洗灌不浄の恩】子の糞尿を自ら洗い灌ぎて、臭穢を厭うことなし。 【嚥苦吐甘の恩】苦き物は自ら飲み、甘き物は吐きて子に与う。 【為造悪業の恩】子の為にみづから悪業を造り、悪道に墜つることに甘んず。 【遠行憶念の恩】もし子、遠く行けば、寝ても覚めても、これを憂う。 【究竟憐愍の恩】生きては子の身代わりとなり、死しては子を守護する。 ※ この中の【為造悪業の恩】が、『孟蘭盆経』で「罪根深結」と言われるものです。わが子の可愛さ故の我執が造りなせる悪業と云う訳ですね。 だからこそ、子の母を思慕することも格別というものがあります。 暁烏敏師に次なる一首あり。 十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむや ◇ 今日の誕生花・ゼラニウム(フウロソウ科) 花言葉は、「篤い信仰」「決心」。 摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行 旅にあり子らに貰ひし母の日を 赤松惠子 ゼラニウムの赤がよろしく あざやかな決意ともなくみつめいる朝 鳥海昭子 |

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