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『 ノルウェイの森 』 (2010年)
愛すること、生きることの意義を静かにかつ激しく、
そして限りなく美しく描いた究極のラブストーリー
1987年に刊行された村上春樹の小説「ノルウェイの森」。 自殺した親友の恋人だった直子と大学の同窓生・緑との間で揺れ動く主人公ワタナベの青春のもがきを描いた究極の恋愛物語に、多くの人々の心が動かされ、時代が動かされた。画期的な赤と緑の装丁も話題となり、当時はその本を持つこと自体が一つのステイタスにもなった。そんな20世紀を代表する小説は21世紀になった今も読み継がれており、その累計発行部数は1000万部を突破し、日本の国内小説累計発行部数歴代第1位の記録を更新し続けている。更には、その小説世界は日本だけでなく世界をも魅了しており、現在までに36言語に翻訳されて各国で熱狂的なファン(ハルキスト)を生み出している。村上春樹は現在「世界でもっとも有名な日本人作家」と言っても過言ではない。
そして、出版から20年以上の時を経て「ノルウェイの森」が遂に映画化を果たす!
監督は『青いパパイヤの香り』『夏至』などの作品で叙情性溢れる映像美で人間の機微を静かに、しかも温かく描くことに定評のあるトラン・アン・ユン監督。 1994年にパリで原作を読んで、「力強く繊細であり、激しさと優雅さが混沌としていて、官能的かつ詩情にあふれている」と、その世界観に魅せられたトラン監督は、世界中のどんな監督よりも映画化を熱望した。
そのトラン監督の熱意が、ずっと不可能と思われていた「ノルウェイの森」の映画化への扉への鍵となったのだった。そして、スタッフも撮影には候孝賢監督やウォン・カーウァイ監督の作品の他に日本でも『春の雪』や『空気人形』などを手掛けた世界からリスペクトされるアジアの巨匠、マーク・リー・ピンビン、音楽にはカリスマロックバンド・レディオヘッドのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドなど、日本映画の枠を越えた国際色豊かな面々が揃った。さらに、主題歌は何とあのビートルズ! 世界配給の邦画としては史上初の快挙だ。
そして、キャストには主人公の「ワタナベ」に、作品ごとに印象を変える演技派俳優・松山ケンイチ、ワタナベが恋に落ちる女性「直子」には、圧倒的な演技力で国際映画祭の常連女優・菊地凛子、新たにワタナベの前に現れる女性・緑に本作が映画デヴューとなる期待のミューズ・水原希子らを迎え、原作のイメージは受け継ぎながらも新しい「ノルウェイの森」を誕生させている。
The Beatles 『 Norwegian Wood 』 (This bird has flown)
本作には愛と性、生と死、男と女、動と静、強さと優しさ、刹那と永遠、ビートルズとドアーズなど様々な要素が溢れている。そのように様々な要素がそれこそ森のように茂っているために、多くの人の心を惹きつけ、またその人達の心の中に何かの種を残していくことだろう。人が人を愛することは美しく素晴らしいことだが、人が人と生きていくのは生半可なことではない。そこには脆さもあれば、醜さもある。そして、愛したその人を失ってしまうこともある。
どのような強さも優しさも、その哀しみを癒すことは出来ないだろう。でも、それでも人はまた誰かを愛し生きていく。たとえ、それが世界の涯てに落ちることになっても。そして、そこからまた新たな強さと優しさを現出させていくのである。それこそが本作で紡ぎ出される、生きていく上での強さであり優しさの在り様なのである。どうかそんな世界の涯てでも存在し続ける強さと優しさのひとつの姿をこの映画で目の当たりにして欲しい。それはきっとあなたの心の中に永遠に続く美しい森を残してくれることだろう。
1987年に小説が刊行され、1994年にトラン監督がその小説に出会い、2004年に村上春樹とトランが出会い、2008年に映画化が決まり、2009年に撮影が始まり、2010年に映画が完成し公開される。これは一つの事件であって、一つの確かな奇跡である。
予告編 『 ノルウェイの森 』
※ 直子の自死、遺された者らの蘇生、そして、ラストシーン …
緑「いま、どこにいるの?」
ワタナベ「あれっ、ボクは今、何処に居るのだろう?」
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥し (空海『秘蔵宝鑰』)
生きてきて、生きてきたけど、わからない、わからないことも、まだわからない。
死んでみる、死んでみたけど、わからない、わからないことも、まだわからない。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず (空海『秘蔵宝鑰』)
不狂の狂、不盲の盲、もとより識らず、三界は吾が愛しの家郷ならずや。
※ 2010年12月11日公開 東宝モレラ岐阜、1月12日、12:20〜14:45
ウイークデイにしては、いつになく客足が良かった。
このような映画こそ、ひっそり淋しく観たかった … 。
◇ トラン・アン・ユン監督
1962年12月23日、ヴェトナムのホーチミン市近郊の街ミー・トー(My Tho)生まれ。75年にヴェトナム戦争の戦火を逃れ、一家でフランスに亡命。フランスの映画学校に学ぶ。長編第1作『青いパパイヤの香り』(93)で第46回カンヌ国際映画祭カメラドール賞受賞、第19回セザール賞第1回監督賞受賞、そして第66回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートを果たし、一躍世界の注目を集めた。続く第2作『シクロ』(95)は、第52回ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞(グランプリ)を獲得。
『夏至』(00)も第53回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に出品、わずか3作にして国際映画祭の常連となる。静かな官能性を孕んだ豊潤な映像美によるリリカルなストーリーテリングに定評がある。
(問)原作との出会い、そして映画化へと至る経緯を聞かせてください。
原作を読んだのは1994年にフランスで出版された時です。すぐに魅了され、映画化したいと思いました。しかし、周囲から芳しい反応が得られなかったため、半ば諦めかけていたところに、暫くしてアスミック・エースの小川真司プロデューサーから連絡がありました。まず、僕と小川プロデューサーは映画化の方向性について徹底した議論を重ね、その後、村上春樹氏に会いに行くことになりました。そこで彼から言われたのは、『まず脚本の第一稿を見せてほしい』ということです。それで、第一稿を書き上げ、村上氏に提出しました。戻ってきた脚本にはたくさんのメモが貼ってあり、例えばそこには原作にないセリフなども書かれていて、その意見に対し第二稿をまとめ、以降は特に村上氏からの要望もなく、自由に脚本を書き進めていきました。おそらく、村上氏は僕が原作を掴んでいると感じたのでしょう、結果、このように映画化が実現したのです。
(問)あなたが感じた原作の魅力とは、どの点にありましたか?
村上氏の作品は読者に親密さを感じさせるメカニズムを持っていて、私も読んだ瞬間に親密な感じを抱きました。それが第一の理由だと思います。また、『ノルウェイの森』は若い世代のラディカルな内面を、登場人物の体験を通して見事に描いた素晴らしい作品です。自分の人生の定義を探し求め、それを受け入れていく、そして同時に愛に目覚め、その感情に真摯に向き合っていく姿が描かれています。それは村上氏が言うように、彼らをとても危険な場所へ誘っていきます。しかし、私が魅かれたのは、まさにそのような青春の渇望だったのです。さらに魅かれた理由を挙げるなら、それは官能性です。すべてが登場人物の性的な行動と関連していて、視覚的にはその部分を決して下品に描くことなく、同時に快楽だけでない性の感覚を観客に与えられる、適切なバランスを見付ける必要がありました。
(問)日本人キャストの起用、日本での撮影は当初から想定していたか?
僕にとって、この作品を日本人でないキャストを起用し、日本以外の場所で撮る選択肢はあり得ませんでした。なぜなら、僕が原作の中で気に入ったのは、日本らしい文化や日本人らしい佇まいなどだったからです。もちろん日本語で撮影することは、大きな困難の一つではありましたが、その点は小川プロデューサーにカヴァーしてもらいました。
(問)キャスティングで重視した点はどこでしょうか?
常にキャスティングで重視するのは、その役者の人間性です。特に、一度も芝居をしたことのない人物の場合、その人が映画の世界観にどれだけフィットしているか、役柄にどれだけ適しているかということを見るのです。その次に、もちろん役者としてどれだけの可能性を秘めているかを見極めます。
(問)ワタナベ役に松山ケンイチさんを起用した理由を教えてください。
最初にオーディションのビデオを観た時、実は彼を起用したいとは思いませんでした。でも、何か特別なものを感じたので、一度彼に会おうと考えたのです。会った瞬間、彼しかいないと思いました。それは、先ほどお話しした人間性が理由です。ただ佇んでいるだけで、彼の人間性が発揮されている瞬間がある。素晴らしい俳優です。
(問)直子役の菊地凛子さんはどうでしたか?
『バベル』を観て、彼女はこの役柄に相応しくないと思っていたのですが、オーディションだけでも受けたいという彼女の強い意志があり、オーディションのビデオを観て彼女だと確信しました。実際、最初に会った彼女の印象は、繊細な若い女性のものでした。後日、その時彼女は殺人鬼を演じる映画(『ナイト・トーキョー・デイ』)の撮影中で、合間を縫い女の子らしい姿になって僕に会いに来たと知り、凄い女優だと再確認しました。
(問)緑役に水原希子さんを起用した理由はどこにありましたか?
緑のキャスティングは難航して、その過程でたくさんの女性と会いましたが、彼女に会ってすぐに魅了されました。彼女を見て、人が感じるのは、絶対的な優しさです。それは緑に必要不可欠なものだったので、彼女を選びました。
(問)日本でのプロダクションに際し、日本語のセリフやコミュニケーション
など、言葉や慣習の違いをどうやって克服したのでしょうか?
たとえ言語が違っても、そのセリフが適切な芝居によって表現されたかどうかはわかります。だから、こちらが求めた領域に達するまで、役者には何テイクも芝居を行ってもらいました。非常に難しいシーンでは、セリフのイントネーションなどが適切だったかを小川プロデューサーに確認して、さらにテイクを重ねるかどうか判断しました。自分の知らない言語で作品を作ることは、実は非常に楽しい経験なのです。セリフ自体がまるで音楽のように聞こえてきて、次第にミステリアスになっていく、フェティッシュな感覚を味わいました。
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