今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 ◇ 映画「オリヲン座からの招待状」

 「ありがとう、あなたがいてくれたこと」

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 原作は浅田次郎氏の「オリヲン座からの招待状」(集英社刊)。日本中を感涙の渦に巻き込んだベストセラー「鉄道員(ぽっぽや)」の最終篇に所収され、長く映画化が待ち望まれていた。そして今、1999年に映画化された「鉄道員(ぽっぽや)」に続く感動作が誕生した。

 主演には宮沢りえ、相手役には加瀬亮。脇を固める俳優陣には宇崎竜童、田口トモロヲ、中原ひとみ、樋口可南子、原田芳雄など。京都を舞台に、西陣織、蚊帳の中の儚い蛍など、日本の伝統美を交えつつ、映画館を守り続けたふたりの愛を描くのは、三枝健起監督。

 メインテーマには、2007年ニューヨーク・ブルーノートで日本人初の3年連続公演を皮切りに、全米・ヨーロッパ・中東など各国でのツアーを大成功させたジャズアーティスト・上原ひろみ。

 2007年10月、第20回東京国際映画祭の「特別招待作品」
 11月3日東映系にてロードショー


 「わしらの仕事、盆も正月もあらへん。同じシャシン何べんも何べんも観なあかん」
 「ええです、そないええ事あらへん」
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 「おやっさん、ボクに言わはったんや。オリヲン座ほかしたらアカンて」

 【CAST/STAFF】

 宮沢 りえ(豊田トヨ)、    加瀬 亮(仙波留吉)
 中原ひとみ(現在の豊田トヨ) 、原田芳雄(現在の仙波留吉)

 小清水一揮(少年時代の三好祐次) 、工藤あかり(少女時代の三好良枝)
 田口トモロヲ(現在の三好祐次) 、樋口可南子(現在の三好良枝)

 宇崎竜童(先代館主・豊田松蔵、トヨの夫)

 監督:三枝健起
 製作:「オリヲン座からの招待状」製作委員会(株式会社ウィルコほか)
 配給:東映株式会社、支援:文化庁
 原作:浅田次郎「オリヲン座からの招待状」(集英社刊『鉄道員』より)

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 「突然ではございますが、昭和25年の開館以来半世紀以上にわたって地元の皆様に愛され親しまれて参りましたオリヲン座は、誠に勝手ながら今秋をもちまして閉館いたす事と相成りました」。

 そんな招待状が、離婚の危機を迎えている良枝(樋口可南子)の元に届いた。その件で夫の祐次(田口トモロヲ)を呼び出すが、祐次の反応は冷ややかだった。立ち去ろうとする祐次の後姿に言葉を掛ける良枝。

 「この頃、夢を見るの。こどもの私がオリヲン座にゆこうと一生懸命に走っているんだけど、オリヲン座が見つからないの。約束の時間は迫るし、私はあきらめて立ち尽くしてしまうの。これって、一体どう言う意味なんだろうね…」。

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 こども時代のふたりは共に家庭環境に恵まれず、近くのオリヲン座で映画を見ることだけが楽しみだった。そんな二人にトヨは金も取らずに映画を見せ、ピーナッツを与えていた。留吉も二人を映写室に招き入れ、やさしくしてくれるのだった。不幸なふたりだが、映写室の小さな窓から見る映画こそが、ふたりに無限の夢と愛を感じさせてくれるものだった…。

 昭和30年代、先代館主・豊田松蔵(宇崎竜童)が病に倒れ、その弟子であった留吉(加瀬亮)が、その志を引き継ぎ、先代の妻・トヨ(宮沢りえ)と映画館を守る事になった。古い因習の残る時代、周囲の人々からは師匠のかみさんを寝取った若主人、不義理な女将などと陰口を叩かれる。映画産業が斜陽になり始め、貧乏に耐えながらもひたすら映画を愛し、映画館の灯を灯し続けたふたり。そしていつしか純粋に互いを思いやり、愛し続けていたのだった。

 ※ 殴られて血反吐にまみれて降る雪の その冷たさの心地よきかな


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 「あのな、おばちゃん、内緒の相談事なんやけどな…」

 一方で、そんなオリヲン座を一番の遊び場として育った幼いふたりが、やがて大人になり結婚して東京で暮らしていたが、いつしか互いを思いやる心を見失い、別れを決意しているのだった。オリヲン座からの招待状は、そんな二人に何かを予感させる様なものだった。オリヲン座は自分たちの愛の出発点。オリヲン座、そこは優しい奇蹟の宿る場所。「わたしたちが終わるのなら、あそこで終わりたいの」、悲しそうに良枝はつぶやいた。だが祐次は行かないと告げて立ち去る。

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 「誕生会なんて、いっぺんもしてもろうた事ない、ありがとう」

 トヨ(中原ひとみ)の病のため、亡き師匠に託された大切なオリヲン座を閉める決意をした留吉(原田芳雄)は、病の進行著しい妻にどうしても最期の映画を観せてあげたくて、必死の覚悟でトヨを病院から連れ出し、映写室に座らせた。トヨは、優しく見守り続けてくれた留吉に感謝しつつも、オリヲン座を守る為だけに、師匠の恩に報いる為だけに、自分の人生を犠牲にして自分と一緒になってくれたのではないかと、ずっと気に病んでいた。トヨは最後の言葉として、留吉に優しく問いかけるのだった… 。

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 劇中、上映される映画として『無法松の一生』『二十四の瞳』『ひめゆりの塔』など、名作の映像が流れるなど、和製『ニューシネマ・パラダイス』と言った観も否めない。主演の宮沢りえが愛する人を陰で支える献身的な女性を好演。

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 「約束を守ったって分かるのは、ずぅーっとずっと先のことですえ」

 【インタビュー】

 Q:お互いの印象を聞かせてください。

 宮沢: この作品はとても想像力をかきたてられる台本だったので、監督やスタッフや加瀬さんや、わたしの想像力をいつも現場でぶつけ合って、試行錯誤していた現場だったんです。わたしは役者さんは普段は何をやってもいいと思うんですけど、ものを作るときだけは誠実だってことが基本であってほしいという気持ちがあるんです。加瀬さんからもそういう思いを強く感じて、刺激になりました。

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 ※ 古ぼけた八ミリ映写のその中に 留めおきたし変らぬ愛

 加瀬: 宮沢さんは、面白い人ですね。いつも愉快に生きてるんだなあという感じがしました。でも多分、1回「登ってみたい」と思うような崖があると、頂上に向かってどんどん挑戦するし、失敗もする。手探りでやっている感じが本当に楽しかったですね。

 宮沢: でも、崖の方向を教えてくれるのは加瀬さんなんですよ。「こっちは崖ですけど行けますよ」といばらの道ばっかり教えようとするんです(笑)。で、わたしは単純なんで「そっかあ」ってそっちに行っちゃうみたいな……。

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 ※ 掌(て)より舞う二匹のホタル寄り添いて 蚊帳の内なる仄かな想い

 Q:おふたりの愛は、どのように変化していったと思いますか?

 宮沢: 個条書きにできないところが、映画のすてきなところなんだと思うんです。観終わった後に、観た人の恋愛観や人生観が、とても変化する映画だと思うんですね。わたしは、そこがとても好きなので、言葉にしたくなくて……。インタビューを受けているのに言葉にしたくないって言っちゃ、ダメなんですけど(笑)。まあでも、そういう微妙で、繊細な心の動きみたいなものが描けていたらいいと思いますね。

 Q:留吉とトヨの愛のどのようなところがすてきだと思いましたか?

 加瀬: あれだけ一緒にいたから、いろんなことがあったんだと思うんです。でも、基本的にいつもどちらかが側にいることが、とてもすてきだなと思いますね。

 宮沢: 普通に見たら、貧乏っていうか、時代の変化に思いっきり乗っていけない2人かもしれません。普通だったら愚痴を言い合う方が簡単なところを、そういう時こそ相手を思いやれたり、優しく接したりし続けた二人が、わたしたちが演じた瞬間にも現れていたと思うんです。原田さんと中原さんが演じられた留吉とトヨも、最後のシーンの中で、本当に相手に対する思いやりを持ち続けていた二人だという感じはするんですよね。時代とか、いろんなものの変化の中でも、持ち続ける気持ちを貫いたことって何かやっぱりすごいなあって。あこがれるというか、すてきだなあと思いました。

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 「なんや、かなわんなー」

 ※ 東急のシネコンで観た。他の娯楽作品が一日6回の上映に対して、「オリヲン座」は一日2回のみの上映だった。日曜日、午前10時35分の第1回上映で観たのだが、観客はわずかに8名のみ。これほどの名画が観客を呼べない悲しい現実。映画の観客動員が往時に復したとは言え、こんな寂しい一面も、また一方の現状なのだ。

 そして、そんな今日の映画状況も含めて、今一度この映画を見直すと、さらにトヨと留吉の哀しい愛がひとしお心に沁みてくるのであった。先代館主の松蔵が「観たいじゃねえか」と言った坂妻の『無法松の一生』の軍検閲によるカットシーン、それは無法松が軍人の未亡人に対して、自身の恋情を吐露する場面だった。

 無法松のカットされた「愛の告白」は、留吉のトヨに対する想いと相通ずるものだった。オリヲン座の最終上映会の日に掛けられた映画こそが、その『無法松の一生』のノーカット版だった。映写室に座ったトヨは最期の心残りとして、留吉に問いかけるのだった。「わたしと一緒になって、オリヲン座を守ってくれたのは、松蔵との約束を守るためだったのか。そのためだけに、あなたは自分の一生を捧げたのですか」。

 場内では『無法松の一生』が上映されている。松が未亡人に自分の気持ちを伝えようとする。留吉は静かに、しかし力強くこう言うのだった。「そんな事はありません。私はあなたが好きだったからこそ今日までやってこれたのです」。その言葉を聞いて、トヨは息をひきとる。そして場内では、祐次と良枝が互いに愛を確かめあっていた。

 エンディング・ロールに長く余韻の残る、後味のまことによろしい逸品。

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 <公式サイトBBSより>

 56. ニックネーム:かもめ座 年齢:35〜39 性別:女性 投稿日 2007年11月12日

 拝見しました!蛍のシーンが綺麗で、それが切なくも思いました。実は私はこの映画が撮影された実在する映画館の娘です。幼い時から出入りしていたのでとても心地よく感じました。といっても劇場内以外はセットですよね。でも真鍮の手摺り、扉、売店、上り下りすると音が鳴る階段、開始のブザーの音、映写室の温度計など全てが懐かしく感じました。映写室へはあまり入らせてはもらえなかったので、子供時代の二人が少し羨ましくも感じました。古い映画館ですが綺麗に撮っていただけて嬉しく思います。ありがとうございました。

 インタビュー&予告編

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 ◇ 「さいなら、吉岡さん」

 随分、寄り道をしてしまいました。書いていることもチグハグでございます。仕事の合間に、この手紙を少しずつ書くので、ひどく時間がかかります。お許しくださいませ。いよいよ、あなたにあの辛い事実を、お知らせせねばなりません。

 あの出来ごとが起こったのは、十二月の二十日でした。二十四日がクリスマスなので、私たちは患者さんたちのために、その日は、何かをして差上げる習慣がございます。どうせ、予算の乏しい病院のことですから、大したことはできませんが、せめてこのクリスマスぐらいは、病気のことを忘れてもらいたいと思っています。

 二十日の午後、私は、ミッちゃんに御殿場まで、お使いにいってもらいました。作業でできた鶏卵と刺繍とを、御殿場の理解ある店におさめてお金に替え、それを患者さんたちのお小遣いに、あてているわけでございます。今から思うと、私が行けばよかったのですが、ミッちゃんは、いつもこの仕事を悦んで手伝ってくれましたし、その日、私は他の用事で忙しかったのです。病院の使役をやってくれている島田さんと、三輪トラックに同乗して、出発したのは三時をすぎてました。彼女は例によって、『伊豆の山々』という流行歌を口ずさみ、患者さんたちに、「ミッちゃん。色気発散させてよ、高く売りつけてくれよな」「卵、わらねえように気をつけてくれよ」そう言われていました。

 五時半に、電話がかかってきました。御殿場の警察からです。電話口に出たのは私でした。ミッちゃんの名と、交通事故にあったということ、それから、収容された救急病院の場所を知らされた時、受話器をおろしたあとも、私の手は長い間ふるえていました。それから、どういう風にミッちゃんの所に駆けつけたか、今でも憶えていないほどです。とに角、駆けつけた時、ミッちゃんは既に昏睡していました。出血が多量で、おまけに首の骨が折れているという話でした。足と腕には輸血の針と、鼻には酸素吸入器のゴム管とがさしこまれ、小さな胸が波のように浮きあがったり、沈んだりしていました。

 島田さんの話では、ミッちゃんが鶏卵の箱を大事にかかえて御殿場駅の広場を横切ろうとした時、トラックがバックしてきたそうです。もし何も持っていなかったなら、素早く体を動かして、助かったかもしれません。しかし、患者さんのつくった鶏卵箱を、両手でかかえたミッちゃんは、そのまま、トラックに横むきにねじり倒されたのでした。

 「卵、卵!」、意識がなくなるまで二分ほどの間、ミッちゃんは卵のことばかり言っていたそうでした。患者さんが、不自由な体と神経のきかない手で飼った鶏の卵は、広場の真中に砕かれ、散乱し、黄色く地面に流れていました。ミッちゃんは、その卵の黄身の中に、うつ伏せに倒れたのでした。

 昏睡は、四時間ほど続きました。心臓が非常に丈夫なため、これだけ保っているので、普通ならば、とっくに脈もとまったろうという話でした。カンフルは、たえず打ちつづけて頂きましたが、昏睡からは醒めませんでした。そして、午後十時二十分に、ミッちゃんは息を引きとりました。息を引きとる前に、私は独断で御殿場の教会に電話をかけ、神父さんに来て頂いて、洗礼をミッちゃんにそっと授けて頂きました。

 昏睡している間に、ミッちゃんは一度だけ叫びました。その言葉を耳にしなかったならば、私はあなたに、このような長いお手紙を差上げなかったと思います。私はミッちゃんとあなたが、どういうお知り合いだったか存じませんし、ミッちゃんからも何もその点、聞きませんでした。しかし、昏睡中、ミッちゃんは一度だけ目をぼんやりあけました。そして、何かを探すように手を動かしました。「さいなら、吉岡さん」。

 これが、ミッちゃんのその時の言葉だったのです。それっきり彼女はもう何も言いませんでした。私は、ミッちゃんの遺品を…、といっても小さな古ぼけたトランク一つしかありませんが、川越の家に送ったばかりです。彼女の肌着やスエータを手にとりながら、あれ以来、幾度も考えたことをもう一度、心の中で噛みしめました。もし神が私に一番、好きな人間はときかれたなら、私は、即座に答えるでしょう。ミッちゃんのような人と。もし神が私に、どういう人間になりたいかと言われれば、私は即座に答えるでしょう。ミッちゃんのような人と。・・・・・


 ◇ 吉岡努の感懐

 ながい間、その手紙を見つめていた。読んでいるというよりは、見つめていた。(なんでもないじゃないか。)ぼくは自分に言いきかせた。(誰だって…、男なら、することだから。俺だけじゃないさ。)

 ぼくは、自分の気持ちに確証を与えるために、屋上の手すりに靠れて、黄昏の街を見つめた。灰色の雲の下に、無数のビルや家がある。ビルディングや家の間に無数の路がある。バスが走り、車がながれ、人々が歩きまわっている。そこには、数えきれない生活と人生がある。その数えきれない人生のなかで、ぼくのミツにしたようなことは、男なら誰だって一度は経験することだ。ほくだけではない筈だ。しかし…、しかし、この寂しさは、一体どこから来るのだろう。

 ぼくには今、小さいが手がたい幸福がある。その幸福を、ミツとの記憶のために、棄てようとは思わない。しかし、この寂しさはどこからくるのだろう。もし、ミツがぼくに何か教えたとするならば、それは、ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか。寂しさは、その痕跡からくるのだろうか。そして亦、もし、この修道女が信じている、神というものが本当にあるならば、神はそうした痕跡を通して、ぼくらに話かけるのか。しかしこの寂しさは何処からくるのだろう。

 ぼくの心にはもう一度、あの渋谷の旅館のことが甦ってきた。蚊を叩きつぶした痕のついている壁。しめった布団。そして、窓の外に雨がふっていた。雨の中を、ふとった中年の女が、だるそうに歩いていた。これが人生というものだ。そして、その人生をぼくは、ともかく、森田ミツという女と交ったのだ。黄昏の雲の下に、無数のビルや家がある。バスが走り、車がながれ、人人が歩きまわっている。ぼくと同じように、ぼくらと同じように・・・。

 『ぼくはあの時、神さまなぞは信じていなかったが、もし、神というものがあるならば、その神はこうしたつまらぬ、ありきたりの日常の偶然によって神が存在するこを、人間にみせたかもしれない。理想の女というものが現代にあるとは誰も信じないが、ぼくは今あの女を聖女だと思っている・・・・・』


 ※ 吉岡努はこの後、『沈黙』のキチジローのように、「神」の影を引き摺って生きてゆくことになるのだろうか。それが「人生の幸福」と言うならば、それは余りにも酷薄な幸福かも知れない。「神」は何故に、人間をこれほどまでに過大評価するのだろうか。自らに似せて人を造り給うた自負ゆえか。


 ◇『わたしが・棄てた・女』、解題

 「・」とは、いかなる謂か? 「わたしが棄てた女」というセンテンスではなく、「わたしが」「棄てた」「女」という三者を現し、その相関関係を意味するもの。

 「わたしが」:神そのもの
 「棄てた」:神の属性(神の沈黙)
 「女」:神の働き(ミツの無私の愛)
 ◇ 映画『私が棄てた女』 1969年(昭和44年) 監督:浦山桐郎、

 出演:浅丘ルリ子、小林トシ江、河原崎長一郎、小沢昭一、加藤武、
 加藤治子、露口茂、佐野浅夫ほか、原作:遠藤周作、脚本:山内久

 (1997年には『愛する』のタイトルで再映画化)
 監督:熊井啓、出演:酒井美紀、渡部篤郎、岸田今日子、小林桂樹、三條美紀、
 松原智恵子、宍戸錠、岡田眞澄、西田健、絵沢萌子ほか

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 ◇『わたしが・棄てた・女』 遠藤周作

 貧乏学生の吉岡努が、文通で知り合った女・森田ミツの体を奪う。安宿でのたった一度の情交だけで、吉岡はあっさりとミツのことなど忘れ去る。その後、運良く就職先で上司の親戚の可愛い女性との結婚話が進んでいく。しかし、結婚する女にはなかなか手が出せないので、ふと思い出したミツを欲望のはけ口にしようと呼び出すと、ミツはハンセン病に侵されているということを知り、吉岡は去っていく。

 結婚後、暫くして吉岡はふとミツのことを思い出し、ハンセン病の療養所に年賀状を書くのだった。やがて、その療養所に努める修道女から長い手紙が届いた。この「修道女からの手紙」こそが、この作品の中核をなすものです。吉岡の賀状は、「謹賀新年、病気の恢復を祈る」とだけ書かれたごく簡単なものだった。


 ◇ 修道女、スール・山形の手紙

 森田ミツさんに過日、お送りくださいました年賀状の御返事が、このように遅れましたことを、心からお詫び申し上げます。そして、その返事とミッちゃん(森田さんのこと、私たちも患者たちもそう呼んでいました。)に起こった出来ごとを、一日も早くお知らせしようと思いながら、多忙にまぎれ、遅延した次第でございます。

 お送りくださいました御年賀状から拝見いたしますと、ミッちゃんのその後のことは、何も御存知でないようですが、実はミッちゃんは当病院で精密検査の結果、陰性反応が判明し、ハンセン氏病ではないとわかりました。こういう例は、千人に一人ぐらいの割合で起る誤診ですが、本当に彼女には大きな痛手だったと思います。

 しかし、ミッちゃんはそのまま、病院に残りました。東京に帰っても同じだからと、例によって、口を大きくあけて笑いながら病院から去ろうとしません。人が嫌がるこんな世界から出ていこうとせず、ここで働かせてほしいというのがミッちゃんの希望でした。

 私たち修道女は、正直な話、こういうミッちゃんの気持ちを、一時的な衝動か、感傷のように考えていました。我々修道女の言葉に、愛徳の実践というものがあり、この愛徳の実践に、修道女は生きようと心がけておりますが、愛徳は感傷でも、憐憫でもございません。私たちは、悲惨な人や気の毒な方を同情しますが、同情は、本能や感傷にすぎず、つらい努力と忍耐のいる愛ではないと、教わってまいりました。だからミッちゃんの気持ちも、病気でない幸福な人間が、病気に苦しむ患者に当然、感じる一時的な感情にすぎないのだろう、と思ったのです。

 だが、そのくせ、患者さんのために働きたいというミッちゃんの申し出を私たちが受け入れたのは本当のところ、人件費を節約せねばならない(癩病院は国家の僅かな援助金と一般の御寄付でどうやら、まかなっているのです。)病院にとって、彼女が雑用をしてくれるのは、助かるからでした。病棟の掃除は、軽症患者がしてくれますが、流石に配膳や厨房の支度は、私たちの仕事でございます。また患者さんが作った農作物や刺繍などを、御殿場の商店に運ぶのは、病人たちには許されません。当然、ミッちゃんが人手不足の私たちを手伝って、こういう仕事をやってくれることになりました。

 私は、今でもミッちゃんの働いている姿が、眼にうかぶようです。

 あなたはきっと御存知でしょう、流行歌が好きなミッちゃんは、頭に白い布をかぶって配膳盆を食堂に並べながら、いろんな歌を、歌っていました。はじめはこんな俗っぽい歌を、大声で歌うのを嫌われる外人の修道女もおられましたが、やがて、ミッちゃんの無邪気さに、もう何もおっしゃらなくなったのです。私のような世間知らずでさえ、あの人から『伊豆の山々、日がくれて』という流行歌を教えてもらって、そっと歌ったくらいです。

 流行歌の次に、ミッちゃんの好きなのは、映画でした。病院では月に二度、御殿場の映画館からフィルムを借りて、患者さんに見せるのでしたが、その日になると、ミッちゃんはそわそわして、落ち着きがなくなります。患者さんたちにまじって、食堂をかねた娯楽室に、映画がうつしだされますと、一番大声をあげて騒ぐのは、ミッちゃんでした。

 そのくせ、彼女は自分で病院外の映画館には行きませんでした。一、二度私は彼女に、「ミッちゃん。日曜日なんだから、御殿場に行けばいいのに。映画みてらっしゃいよ」そう言いますと、「ううん。」彼女は首をふるのです。

 「どうしたの。面白い映画、やっているでしょ」「あなたは?」「わたしは駄目よ。修道女ですもの。勝手に出られないのよ。でも、ミッちゃんは自由なんだから、行ってらっしゃいな」「わたしも、やめとく」「どうして」「だって」と、彼女は当惑したような顔をして、「患者さんたちは映画、ほかの場所では見られないでしょう。あたし一人で行けば…行けない患者さんたちに可哀想だもん」「でも、あなたは…」「いいの。映画館、一人で行ったってさ。患者さんたちのことが気になって…詰まんないんだもん」。

 彼女の場合、こういう行為というのは、ほとんど自発的に出るようでした。私はさきほど愛徳とは、一時のみじめな者にたいする感傷や憐憫ではなく、忍耐と努力の行為だと生意気なことを申しましたが、ミッちゃんには私たちのように、こうした努力や忍耐を必要としないほど、苦しむ人々にすぐ自分を合わせられるのでした。いいえ、ミッちゃんの愛徳に、努力や忍耐がなかったと言うのではありません。彼女の場合には、愛徳の行為にわざとらしさが少しも見られなかったのです。

 私は時々、我が身とミッちゃんとをひきくらべて反省することがありました。『汝、幼児のごとく非んば』という聖書の言葉かどういう意味か、私にもわかります。「伊豆の山々、日がくれて」という流行歌が好きで、石浜朗の写真を、自分の小さな部屋の壁にはりつけている平凡な娘。そんなミッちゃんであればこそなお、神はいっそう愛し給うのではないかと思ったのです。あなたは神というものを、信じていらっしゃるか、どうか知りませんが、私たちの信じている神は、だれよりも幼児のようになることを命じられました。単純に、素直に幸福を悦ぶこと、単純に、素直に悲しみ泣くこと、…そして単純に、素直に愛の行為ができる人、それを幼児のごときと言うのでしょう。

 でも、このミッちゃんは、私が信じている神については、決して首を縦にふりませんでした。

 私自身、決して、患者さんにたいすると同様ミッちゃんにも、信仰に入れなどと奨めませんでした。ただ、二、三度、私たちはこんな会話をとりかわしたことがあります。たしか、昨年の十二月のはじめだったと思います。病院には、四人ほどの小児患者がおりましたが、(子供でもハンセン氏病にかかるのか、とお思いでしょうが、実は、抵抗力の乏しい子供ほど、この病気の進行が早いのでございます。)その小児患者のなかで、壮ちゃんという六つになる子供が、肺炎になった時、ミッちゃんはつききりで、看病しておりました。ミッちゃんの子供好きというのは、病院でも有名で、この子供たちに、自分がもらう僅かな手当から、何かを、いつも買ってやるのでした。壮ちゃんは、特に、彼女になついていたようでございます。

 壮ちゃんは既に、神経まで癩病に犯されていましたし、その上、急性の肺炎のため、ほとんど絶望的な状態になりました。ペニシリン・ショックを受けやすい子なので、あの特効薬も使えなかったのでございます。三日間、ほとんど寝ないで、ミッちゃんはこの子に、付添っておりました。三日目には流石にげっそりして、眼なども充血しているので、私は、彼女に自分の部屋に戻るように、強く言わねばならなかったほどです。

 「でも、あたしじゃなければ、壮ちゃん、ダメなの」、氷嚢袋の氷を割りながら、彼女は首をふりました。霜焼けのできたミッちゃんの手が、青紫にふくれあがっていました。「大丈夫よ。私たちがやるから。第一、あんたがまいっちゃうじゃない」そう申しますと、「あたしね、昨晩(ゆうべ)、壮ちゃんを助けてくれるなら、そのかわり、あたしが癩病になってもいいと祈ったわ。本当よ」ミッちゃんは、真剣な顔をして、そう言うのでした。「もし、神さまってあるなら…本当にこの願いをきいてくれないかなあ」「馬鹿ね。あなたは…」私はきびしい顔でたしなめました。「眠りなさい。あんた、神経まで疲れているわよ」。

 しかし私には、昨晩のミッちゃんの姿が目にうかぶようでした。この娘なら本気で手を組みあわせ、つめたい木造病棟の床にひざまずいて、壮ちゃんが助かるなら、自分がどんなに苦しくても辛抱すると、祈ったにちがいありません。もし、あなたがミッちゃんをよく御存知なら、私のこの想像が、決してウソではないとわかって頂けるでしょう。

 悲しいことに、子供はそれから五日間して、息を引きとりました。ミッちゃんがその時うけた苦痛を、私はここでは書きません。ただ彼女は怒ったようにはっきり、こう申しました。「あたし、神さまなど、あると、思わない。そんなもん、あるものですか」「なぜなの?壮ちゃんが死んだから?あなたの願いを、神が、きいてくれなかったから?」「そうじゃないの。そんなこと、今はどうでもいいんだ。ただ、あたしさ、神さまがなぜ壮ちゃんみたいな小さな子供まで苦しませるのか、わかんないもの。子供たちをいじめるのは、いけないことだもん。子供たちをいじめるものを、信じたくないわよ」。

 純真な小さな子供に癩という運命を与え、そして死という結末しか呉れなかった神に、ミッちゃんは、小さな拳をふりあげているようでした。「なぜ、悪いこともしない人に、こんな苦しみがあるの。病院の患者さんたち、みんないい人なのに」ミッちゃんが、神を否定するのは、この苦悩の意味という点にかかっていました。ミッちゃんには、苦しんでいる者たちを見るのが、何時も耐えられなかったのです。しかし、どう説明したらよいのでしょう。人間が苦しんでいる時に、主もまた、同じ苦痛をわかちあってくれているのが、私たちの信仰でございます。どんな苦しみも、あの孤独の絶望にまさるものはございません。自分一人だけが苦しんでいるという気持ちほど、希望のないものはございません。しかし、人間はたとえ砂漠の中で一人ぽっちの時でも、一人だけで苦しんでいるのではないのです。私たちの苦しみは、必ず他の人の苦しみにつながっている筈です。しかし、このことをミッちゃんにどう、わかってもらえるか。いいえ、ミッちゃんはその苦しみの連帯を、自分の人生で知らずに実践していたのです。
 ◇ 映画「アバウト・シュミット」2002年 アメリカ 125分

 人生の孤独を感じた偏屈な男を描くヒューマン・ドラマ

 監督・脚本:アレクサンダー・ペイン/脚本:ジム・テイラー
 原作:ルイス・ベグリー/音楽:ロルフ・ケント

 出演:ジャック・ニコルソン、キャシー・ベイツ、ホープ・デイヴィス
 ダーモット・マローニー、ハワード・ヘッセマン、レン・キャリオー

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 アメリカ中西部ネブラフスカ州オマハ。この日、勤め先の保険会社・ウッドメンで定年退職の日を迎える66歳のウォーレン・シュミット(部長代理)。彼はこれまで妻・ヘレンと、今は離れて暮らす娘・ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない人生を送ってきた。だが、次の日から彼は全く新たな人生を歩むことになる。朝、目覚めてみると、シュミットは会社中心の生活リズムが染みついていたせいで、手持ち無沙汰の苦痛を味わう日々を迎える。

 何となく歩いていると、知らぬ間に元のオフィスにたどり着いてしまう。少し前まで自分の部署だった部屋をノックする。そこには自分の後継者が忙しそうに働いている。さりげなく、何か業務上の事で分からないことはないかと問いかけるが、完全に無視され冷淡に扱われてしまう。オフィスは自分を全く必要としていなかった。シュミットが引継ぎのために用意した書類の山は、開封もされずに、廃棄処分を待っていた。

 妻のヘレンは、そんな夫の淋しさを察して大型のキャンピングカーを買ってシュミットを驚かす。「これで、新しい人生の思い出を作るのよ」、作り笑いをしながら辟易するシュミット。特に不足があるわけではないが、これまで仕事人間だったシュミットと妻との間には、確かに深い溝があるようだった。

 そんなある日、ヘレンが急死する。葬儀の準備に追われるシュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者なる男・ランドールを伴い戻ってくるのだった。シュミットにとって、その婚約者はヒドイ男に思えた。シュミットは別れたほうがいいと助言するが、娘の反発を買うのみだった。逆に母への愛情のない仕打ちをなじられる始末。

 妻の荷物整理をしていると、不倫の手紙を見つけてしまう。相手は自分の親友だった。憤然としてシュミットは妻の遺品などを廃棄し、相手の男を問答無用で殴るのだった。全てに嫌気のさしたシュミットは、キャンピングカーで旅に出る。運転しながらシュミットは、悪いのはむしろ自分だったことに気づいてゆく。(このあたり、ロードムービー風)

 そんな時、シュミットはテレビCMで、チャリティープログラム(チャイルドリーチ)の活動を知る。「月22ドル(1日わずか72セント)哀れみで命は救えません」、気まぐれで応募してみる。小切手と一緒に、なるべく個人的な内容の手紙を同封するように、と書かれていた。

 シュミットは暇つぶしのように手紙を書いた。アフリカの少年へ、ンドゥグと言う名前の少年に、その時その時の自分の澱んだ気持ちを吐き出すように、手紙を書き続けた。それは決して少年のために書く手紙ではなく、自分の鬱憤を晴らすためだけのものだった。妻を亡くし、家の中が混乱を極めるやもめ男の、唯一の息抜きのようになった少年への手紙。

 やがて、愛娘ジーニーがランドールと結婚する日が近づいた。ランドールの家に泊まったシュミットは、ランドールの店で販売しているウォーターベッドに寝かされ悪戦苦闘する。ひどい寝違いで翌朝は起き上がれぬ始末。意外にも無愛想だったランドールの母親がかいがいしく世話をしてくれた。だがシュミットは、結婚式の当日ある決意をもって臨んだ。土壇場でジーニーに、ランドールとの決別を迫る魂胆だった…、


 ◇ シュミット「取るに足らない人生だった」、一隅にただ一輪咲きにけり

 …、そんな事は結局できず仕舞いで、ある意味感動的なスピーチに終わったシュミットは暗い思いに沈んでいた。自分の人生はつまらないものだった。私が死に、私を知る者も死んだら、私は存在しなかったも同じだ。誰が私に影響を受けただろうか。そんな人間なんて居るはずもない。

 無力感に打ちひしがれてシュミットは、誰も居ない自分の広い家に戻った。一通の封書が届いていた。怪訝そうに開封するシュミット。手書きの丁寧な文字で書かれているその手紙は、シュミットが寄付を送り続けているカトリック女子修道会の修道女からのものだった。「私は、あなたが寄付をして下さっているカトリック女子修道会で働く者です。タンザニアの小さな村で奉仕しています。(中略)ンドゥグは6歳で、まだ読み書きは出来ません。でも彼はあなたの幸せを願っています。それで、絵を描いてもらいました。お送りいたしますので、どうかお受け取り下さい。シスター・ナディーヌ」。

 シュミットが折りたたまれた絵を開いて見ると、それはとても稚拙な絵であった。殆ど線のみで描かれたその絵には、大人と子どもが描かれていた。おそらく、大人はシュミットで、子どもはンドゥグなのだろう。何の変哲もない稚拙な絵を見ていたシュミットは、いつしか大粒の涙を流していた。自分の人生に意味を見失っていたシュミットにとって、ンドゥグの絵は、この上なく嬉しいものだった。

 絵の中で、シュミットとンドゥグは、しっかりと手を結んでいたのだった。

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 「アバウト・シュミット」GyAo放送期間:11/5(月)正午まで
 http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0043916/


 「アバウト・シュミット」予告編


 「アバウト・シュミット」ラストシーン

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 映画『青幻記 遠い日の母は美しく』(昭和48年)


 ◇ 映画『青幻記 遠い日の母は美しく』(117分) 製作=青幻記プロ、1973年

 監督 成島東一郎
 脚本 平岩弓枝、成島東一郎、伊藤昌輝
 原作 一色次郎
 撮影 成島東一郎
 音楽 武満徹
 美術 下石坂成典

 出演 田村高広(大山稔)、賀来敦子(平田さわ) 、山岡久乃、戸浦六宏

 奄美諸島のひとつ沖永良部島を舞台に、母と子の哀しく清々しい情愛を、美しい厳粛な大自然と対面しながら、謳いあげる。原作は一色次郎の同名小説で、映画「儀式」のカメラマン・成島東一郎が脚本・撮影も担当した監督第一回作品。

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 梗概

 わたしは、三十年たった今も、母のことが忘れられない。ふるさとの沖永良部島の青い海と白いサンゴ礁のなかに、なつかしく、くっきり見える。ついに島を訪れたわたしは、母の幻を見た。そして、すっかり老いた鶴禎老人に会った。過ぎ去った昔の想い出を、うすれた記憶にたどる老人だった。わたしの追憶も、あの三十年前の情景をありありとよみがえらせていく。若く美しい母と、幼いわたしの日々を……。

 鹿児島での祖父と、祖父の妾のたかと暮らした辛い生活から逃げるようにして、船に乗り島を初めて見たのは、母が三十歳、わたしが小学校二年生、昭和となってまもない頃だった。母と祖父とわたしの三人の、貧しくとも温く肩を寄せ合った島の生活が始まった。母は、学校帰りのわたしを、毎日迎えてくれた。それよりも、わたしは一度でもいいから、母に抱きしめてもらいたかった。しかし、母は、自分の病いがうつることを恐れて、決してわたしにふれなかった。

 台風のくる頃、海は荒れ、島の食糧は枯れ、灯りの油すら買えず、闇の中でひっそり眠った。それでも、年に一度の敬老の宴で、村人たちは夜のふけるまで、酒をくみ、踊った。母の踊りは、かがり火に映え、悲しみを吐くような胸苦しいまでに美しい踊りであった。島の明るく日射しの強い美しい風景とは対照的に、死を常に感じる日々の生活がもの悲しく描かれている。武満徹の幻想的で寂しい音楽も美しい。そして、冬のある晴れた日、サンゴ礁で、草舟を浮かべたり、魚を捕ったりして、半日を遊んだ母とわたし…。

 それが、母とわたしの最後の日であった。母の葬いの日。母の死を理解できないわたしは、祖母につれられ、ユタを訪ねた。ユタの夜、わたしは、母の声を幻のように聞いた。

 稔さん、お母さんは、一度でいいから、あなたを力一杯抱きしめてあげたかった。稔さん…、稔さん…。

 「稔さん、お母さんは一度でいいから、あなたを力一杯抱き締めたかった」と、霊になってやっと本心を吐く母・さわの幻想が悲しくて胸が締め付けられる。秋の満月の夜に母・さわが踊った「上り(ぬぶり)踊り(うどぅり)」が幻想的で神々しい。藤原釜足が演じるさわを愛したが、ふられてしまった老人も味わいがある。ラストで、母が野ざらしになっていたという話のシーンが哀切極まりない。

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 ◇ 『青幻記』一色次郎、昭和42年8月、筑摩書房刊

 「青幻記」の主人公は、東京の生活に疲れ、沖永良部島に帰ってくる。故郷への旅は、母と過ごした少年時代の記憶にさかのぼる旅でもあった。その旅の果てで、土葬されていた母の頭骨と対面する。「私は、白骨を両手にのせて、目よりも高く捧げた。母と私は、こういう位置で、向かい合っていることが多かった」。

 40年前、胸を病む母は、粗暴な再婚相手と別れ、小学5年生の彼と二人、鹿児島を去った。死に場所と定めたこの故郷の島で、残り少ない時間を息子と暮らすためである。この母が、陰暦九月一五夜の敬老会で、村人に懇望され、上り口説を踊ったのである。

 「立ちゆる煙は、硫黄ヶ島、佐多の岬に、はい並び、エー、あれに見ゆるは、御開聞、富士に見まがう、さくらじま」と、三味線に合わせて手おどりする母の、神々しくも痛ましい美しさは、今も彼に、ひとつの幻として刻みつけられている。

 母と子の濃密な時間は直ぐに終わった。三ヶ月後、母は彼の眼前で、満潮にのまれてサンゴ礁の中に沈んでいく。自殺同然の溺死であった。回想される母は、若く不幸で美しい。母の死によって、濃密な母子関係を一気に断たれた息子の喪失感が、母の思い出を美しい幻に昇華させてゆく。母の死を悼む少年の心情を描いた自伝的な小説。

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 ◇ 賀来敦子(1938年生まれ、本名 樋口敦子)

 ほかに、1971年の大島渚『儀式』に出演しています。俳優座出身。

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 亡き母の面影しのび故里を 訪ね歩けば風そよぐなり

 戯れに爪弾く三線(さんしん)その音にも 亡き人偲ぶよすがありけむ

 大和恋し蝶になりたや蝶とても 島づたいにも大和し到らむ

 ガジュマルに夜鴉鳴いて陽もおちぬ 今宵一夜はお泊りなんせ

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