今日の出来事ロジー

7月19日は、 河合隼雄 の命日です。

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 『田園に死す』の雛壇

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 ※ 雛壇で、つい連想してしまうのが、青年時代に観た映画『田園に死す』。忘れがたい強烈な印象を受けたこの映画は、有楽町の大劇場“日劇”の片隅にある「日劇文化」という小さな劇場で観た。今は既にない、小さな劇場の、小さなスクリーンで観た、この映画は、私に「寺山修司」を決定づける事になる。

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 『田園に死す』 予告編(1974年)



 ○ 映画『田園に死す』(監督・脚本:寺山修司)

 寺山修司の詩作とJA・シーザー(本名・寺原孝明)の音楽とが見事にフュージョンして、異次元の芸術世界を出現せしめた。 タイトルバック『田園に死す』と共に始まる曲が「こどもぼさつ」。 児童合唱団が熱唱する、この歌は驚くほどドラマティックだった。


 「こどもぼさつ」(唄:児童合唱団)

 賽の河原に集まりし、水子、間引き子、めくらの子(まま)
 手足は石にすれただれ、泣き泣き石を運ぶなり
 指より出ずる血の滴、身内を朱に染めなして
 父上恋し母恋し、呼んで苦しく叫ぶなり
 あゝ、そは地獄、子供地獄や


 「化鳥の詩」(朗読:八千草薫)

 化鳥(八千草薫)が、少年時代の私(高野浩幸)と嵐(原田芳雄)に、自分の過去を語りかけるシーン。八千草の東北訛りの語りは、淡々としていて、しかも哀切極まりない。 八千草薫が、むちゃむちゃきれいだった。寺山の“永遠の母親”像か。

とても長い戦争だったわ。私の家は田圃ニ反の水呑み百姓だったの。でも、父さんが出征したあとは、だれも田を耕す人がいなくなってしまった。母さんが心臓発作を起こして倒れて、田は荒れ放題になり、草はぼうぼうと生えていた。米びつの中はいつも空っぽだった。食べるものがなくて、盗みもしたわ。その頃、田を売らないか、という話があった。

母さんは嫌だと言った。黒い鞄を持った借金取りが毎日やって来て、田を売ることをすすめたんだけど、母さんは半狂乱になって、父さんに申し訳がない、父さんが帰ってくるまでは、田を手放すことなんてできないと言っていた。だけど、その母さんも、まもなく死んだわ。そして、田は人手に渡ることが決まり、わたしは他の町の親せきに引きとられることになった。わたしは、真夜中にそっと起き出して、売られてしまった夜の冬田に、死んだ母さんの真赤な櫛を埋めたわ。

 夜になると、埋めた真赤な櫛が唄をうたった。
 畑をかえせ、田をかえせ、櫛にからんだ黒髪の、
 十五の年のお祭りの、お面をかえせ、笛かえせ、かなしい私の顔かえせ。
 (八千草の、「かえせ」の語りかけが、信じられぬほど悲しく美しい。)

 私は焼跡の女巡礼、うしろ指の夜逃げ女、泥まみれの淫売なのです。
 「母さん、どうか生きかえって、もう一度あたしを妊娠して下さい。
 あたしはもう、やり直しができないのです。」

 夢の中で、あたしは何度も田舎へ帰ってきたわ。
 そして帰ってくるたび、田を掘り起こした。
 すると、どこを掘っても真赤な櫛が出てきた。
 村中の田という田から、死んだ母さんの真赤な櫛、
 うらみの真赤な櫛、血で染めた真赤な櫛が、百も二百もぞくぞくと出てきた。
 そして、どの櫛も口を揃えてあたしに言った。
 「女なんかに生まれるんじゃなかった」
 「人の母にはなるんじゃなかった」。
 (ラストの部分、八千草の朗読が異様な迫力を帯びてくる。)


 『田園に死す』 オープニング



 「地獄篇」(唄:新高恵子、天井桟敷合唱団、東京混声合唱団)

 あゝ、あゝあゝあゝ あゝ、あゝあゝあゝ(もののあはれを感じさせる)
 日は暮れて鐘は鳴る、寺の迷い子が手でまねく
 日は暮れて鐘は鳴る、死んだ我が子の赤い櫛
 (ちょっぴり、アポリネール風)


 「桜暗黒方丈記」(唄:児童合唱団・天井桟敷合唱団)

 天に鈴ふる巡礼や、地には母なる淫売や
 赤き血しほのひなげしは
 家の地獄に咲きつぐや
 柱時計の恐山、われは不幸の子なりけり
 死んでくださいお母さん
 死んでくださいお母さん
 地獄極楽呼子鳥、桜暗黒方丈記

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 「惜春鳥」(唄:蘭妖子、児童合唱団、東京混声合唱団)

 間引きを強要された女(新高恵子)が、子供を川流しにする。子供を追いかける女の遥か後方から、流れて来る雛壇のシーン。やがて流れ寄るものが、雛壇と知れる。次第に雛壇の映像が画面いっぱいになる。音楽もそれに呼応してボリュームアップしてゆく。

 スクリーンを見つめていて、あれほど感動したことは後にも先にもなかった。身の毛もよだつ程の感動を味わった。その後、雛壇を見ると、その時のBGMが頭に響き渡った。天井桟敷の蘭妖子という女優、その名の通り面妖なる人物であった。その風貌、その声音がいかにも天井桟敷だった。

 姉が血を吐く 妹が火吐く 謎の暗黒壜を吐く
 壜の中味の三日月青く 指でさわれば身もほそる
 ひとり地獄をさまようあなた 戸籍謄本ぬすまれて

 血よりも赤き 花ふりながら 人のうらみを目じるしに
 影を失くした天文学は まっくらくらの家なき子
 銀の羊とうぐいす連れて わたしゃ死ぬまであとつける


 『田園に死す』 惜春鳥 雛壇



 「短歌」(朗読:寺山修司)

 朴訥な東北訛りで寺山修司が自作短歌を朗読する。彼の声は同世代の男たちを
 魅了し、抗し難い呪縛力をもって、他を圧倒した。

 ほどかれて少女の髪にむすばれし 葬儀の花の花ことばかな

 亡き母の真赤な櫛を埋めにゆく 恐山には風吹くばかり

 とんびの子なけよ下北鉦たたき 姥捨以前の母眠らしむ

 かくれんぼ鬼のまゝにて老いたれば 誰をさがしにくる村祭

 濁流に捨て来し燃ゆる蔓珠沙華 あかきを何の生贄とせむ

 見るために両瞼をふかく裂かむとす 剃刀の刃に地平をうつし

 新しき仏壇買ひに行きしまま 行方不明のおとうとと鳥

 吸いさしの煙草で北を指すときの 北暗ければ望郷ならず


 「和讃」

 少年の私(高野浩幸)が草衣(新高恵子=間引きした女)に犯されるシーン。

 これはこの世のことならず、死出の山路のすそ野なる、さいの河原の物語
 手足は血しほに染みながら、河原の石をとり集め、これにて回向の塔を積む
 一つつんでは父のため、二つつんでは母のため、三つつんでは国のため
 四つつんでは何のため、昼はひとりで遊べども、日も入りあいのその頃に
 地獄の鬼があらわれて、つみたる塔をおしくずす


 「人々はどこへ」(合唱:天井桟敷合唱団・東京混声合唱団)

 ラスト・シーンの曲。スキャットの繰り返しで、曲調が次第に盛り上がって映画終了。田舎の古びた家で、現在の私と過去の母が、共に向かいあって黙々と食事をしている。カメラが若干退かれる。堅牢に思われた田舎家の三方の壁面が、作り物のセットのようにぱたぱた倒れると、そこは新宿の雑踏の只中。意表をつく演出に、観客が唖然とする中、時空を越えた母子は雑踏に紛れてゆく。これまでの出演者が次々と現れては消えてゆく。実に見事なラストだった。

 たかが映画・・・、本籍地:東京都新宿区新宿字恐山。

 ※ 他に、春川ますみの「空気女」の演技が良かった。全く現実味のないリアリティーとも言うべき、いわく言いがたい雰囲気が漂って、映画に奥行きを与えた。


 ※ 過去はつねに、自分自身によって、脚色されてゆく。
   我々は、たとえ現在において無力であっても、
   過去と、将来においては、何らの拘束も受けない。
   その延長線上にこそ、「現在」という一点が存在している。
 周防正行監督の11年ぶりの新作「それでもボクはやってない」が今日から公開。

 「ファンシイダンス」(1989年)で仏門修行、「シコふんじゃった」(1992年)で学生相撲、「Shall weダンス?」(1996年)でダンスをテーマに独自の切り口で作品を製作してきた周防(すおう)監督が、今回選んだ題材は「裁判」。

 2年後の2009年に裁判員制度が始まり、特別な事由の無い限り国民が裁判員の義務を負うという状況下での「裁判」映画である。裁判員制度では、凶悪犯罪のみを扱うようだが、裁判への関心が高まっているこの時期に、タイムリーな企画だと思える。

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 通勤電車で痴漢に間違えられた青年の刑事裁判を真正面から描いた社会派作品
 被告人=加瀬亮(31)、新人弁護士=瀬戸朝香(29)、主任弁護士=役所広司(50)。

 記者会見で、周防監督は次のように語った。「痴漢事件の被告人が二審で逆転無罪を勝ち取ったという新聞記事を読んで3年前から取材を開始した。日本の刑事裁判って、こういう仕組みなのかと驚いた。今回は初めて『面白い映画を作ろう』と思わないで正面から堂々と描こうと考えた」。

 「取材を進めるうちに、被告人がどう闘ったか、と言うばかりでなく、裁判そのもののあり方について多くの疑問がわいてきました。裁判のシステムや裁判を取り巻く人々の現状についてのドラマを撮りたいと思うようになり、取材を始めて1年経った頃に、今撮らなければならない作品だと確信し、脚本を書き始めました。2年もかけて10回以上も書き直すことになりましたが、裁判というものが一般の人とかけ離れて、とても難しい仕組みと言葉を持っていたため、脚本作りには苦労しました」。


 ◇ あらすじ

 駅を降りるとホームで女子中学生から声をかけられた。「いま痴漢したでしょ」「えっ?痴漢?」、ホームの駅員も騒ぎに気づいてやってきた。話せばわかってもらえる、そう思って、駅員に促されるまま駅事務室へと向かった。しかし駅事務室ではなにも聞かれないままに警察官に引き渡されてしまう。

 会社の面接があるんです、そう警察官に言った。「話は署で聞くから、すぐ終わるから」、言われるままにパトカーに乗り込んだ。しかし、それは長く困難な運命の始まりだった。警察署では頭ごなしに刑事に怒鳴られた。「ボクは何もやってないんだ」そんな訴えには、耳も貸してもらえない。事情を聴いてもらえないなら話しても仕方がない、帰ろうとした、その時、刑事に手錠をはめられた。

 「おまえは逮捕されてるんだ、私人による現行犯逮捕だ!おまえは被害者に現行犯逮捕されたんだよ」、留置房の中で同房の詐欺師に教えられて「当番弁護士」を呼んだ。一回目はタダで相談に乗ってもらえる制度があるという。当番弁護士はすぐに来て話を聞いてくれた。しかし、そこでの話もまた過酷だった。

 「否認してれば留置場暮らしだ。訴えられて裁判にでもなればヘタをすれば3ヶ月くらい出てこられない。そのうえ裁判に勝てる保証は何もない。有罪率は99.9%だ。千件に一件しか無罪はない」、「・・・やってないんだ」。

 徹平の母・豊子(もたいまさこ)、大学時代からの友人・斉藤達雄(山本耕史)らも、事件のことを聞いて弁護士を探し歩いていた。ツテをたどってようやく引き受けてくれたのは、元裁判官の弁護士・荒川正義(役所広司)と新人女性弁護士・須藤莉子(瀬戸朝香)だった。

 警察署、そして検察庁での取調べ、どこへ行っても徹平は自分の主張をまともに聞いてもらえなかった。確かな証拠もないのに検察が起訴できるはずがない、そんな弁護士の言葉を信じて、否認し続けた。しかし検察が起訴し、法廷で争うことに。

 荒川、須藤に案内されて、豊子と達雄は初めて法廷に足を踏み入れた。徹平が手錠をかけられたまま法廷へ入ってくる。張りつめた法廷の空気に裁判官の声が響く。「被告人は前へ」ついに運命の法廷が始まった・・・。

 「それでもボクはやってない」公式サイト
 http://www.soreboku.jp/

 ※ 自分が絶対に無実ならば、駅長室なぞには金輪際入ってはなりません。取調べる側は、その時点で、罪の受容と受け止める傾向が強いからです。プロの手にかかれば、自白の強要など赤子の手をひねるようなもの。冤罪で死刑となり、獄中死した方もおられます。痴漢の冤罪など当局にとっては、なんの痛痒も感じません。でも、市民は、それで一生を台無しにする事だってあるんですから。

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 ○ 服役済みの男性、無実判明 富山県警が別の容疑者逮捕  2007.01.19

 富山県警は19日、同県内で2002年に発生した強姦と強姦未遂の2事件の容疑者として逮捕し懲役3年の実刑判決が確定した男性(39)が無実だったと発表。新たに強姦と強姦未遂の疑いで関与を自供した松江市西川津町、無職・大津英一容疑者(51)を逮捕した。県警は「同容疑者と男性は無関係」としている。

 この男性は約8カ月拘置された後、2年1ヶ月にわたって服役。2005年1月に仮出所した。現在は所在不明で、富山地検は再審請求する方針。県警は現場に残っていた足跡が男性の物と一致しないことを認識しておりながら逮捕。電話の通話記録を調べれば、アリバイが成立する可能性があることも見落としていた。

 ただ、その男が「似顔絵に酷似していた」だけで、自白を強要したのだ。公権力は、いとも簡単にひとりの人間の一生を踏み潰した。

 県警などによると、男性は逮捕前に容疑を否認していたが、その後、認めたため逮捕、送検された。公判でも起訴事実を一貫して認めていたと言う。富山地検は「総合的に検討して起訴に踏み切ったが、県警が作製した似顔絵が男性に酷似していた。それを当時の検察官が客観的証拠と思ったのだろう」などと説明している。

 会見した小林勉・県警刑事部長は「裏付け捜査が不十分だった。謝罪が必要だが、男性の所在がつかめない」と話した。富山地検の佐野仁志次席検事も会見し「捜査が不十分だったと認識しており、申し訳なく思っている」と述べた、同地検は再審請求を検討する方針。

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 ◇“免訴”という名の、門前払い(法律・判例重視、民意に不感症?) 2007.1.19
    元被告側からは「あまりに形式主義的な判断だ」という反発の声が上がった

 戦時下の大規模な言論弾圧事件である「横浜事件」の再審控訴審で、東京高裁は「無罪」を求める元被告側の主張を退ける判決を言い渡した。それはまたも、「免訴」だった。控訴棄却は「免訴の判決に対しては、上訴できない」とした最高裁の判例に沿ったものだ。「この判例は通常裁判で示された判断で、無罪が確実視される再審裁判に適用すべきでない」とした元被告側の主張は受け入れられなかった。

 「無罪」と「免訴」との間にある、余りにも大きな違いに司法は不感症なのか?

 裁判を打ち切る「免訴」では、実体審理はできない。元被告は既に死去するものの、せめて名誉を回復したいという遺族、関係者の祈りは届かなかった。再審開始決定を下しながらも、梯子を外すかの如き司法のやり口には、納得しかねるものがある。


 ◇ 交際の女と痴漢被害でっち上げ、虚偽告訴容疑で大学生逮捕(2008.3.11)

 地下鉄の車内で虚偽の痴漢被害を申告したとして、大阪府警阿倍野署は11日、京都市山科区北花山寺内町、甲南大法学部4年の男(24)を虚偽告訴の疑いで逮捕した。調べに対し、男は「当番弁護士を呼んでほしい」と話しているという。

 調べによると、男は当時交際していた奈良市の無職女性(31)と共謀。2月1日午後8時半ごろ、大阪市営地下鉄御堂筋線の動物園前〜天王寺駅間の電車内で、堺市の男性会社員(58)が女性の尻を触ったとの嘘の申告をした疑い。男は女性を知らないように装っていた。

 男性は男らに天王寺駅の駅長室で同署員に引き渡され、府迷惑防止条例違反の現行犯で逮捕されたが、否認。同署は3人の供述や証言が食い違うなどしたため、約22時間後、男性を釈放した。同7日夜、女性が同署に「金に困っていた男から持ちかけられ、男性から示談金をもらうために2人で被害をでっち上げた。自分から男性に近づいた」と自首した。同署は女性を虚偽告訴容疑で書類送検する方針。


 【参照】5月4日、狭山事件で被害者遺体を発見
 http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/32076845.html

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