如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

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自己の物語的観念

                     ハーバード「白熱教室」より
人間は本質的に物語をつむぐ動物である。

私は何をするべきかと言う問いに答えるには、先ずどんな物語の中で私は自分の役を見つけられるのかと言う問いに答えてからでないと答えることはできない。
これがマッキンタイアーの言う自己の物語的観念である。
これがコミュニティや帰属意識とどう関わってくるのか。
マッキンタイアーはこう述べている。
道徳的な考え方の物語的側面を一度受け入れれば、次のことに気づくだろう。
私は、単なる個人として善を求め、美徳を実践することは出来ない。私たちは皆、特定の社会的アイデンティティの担い手として、周囲と付き合う。

私は誰かの息子か娘であり、どこかの都市の市民であり、この一族、あの民族、この国民に属している。
従って、私にとってよい事は、このような役割を生きる者にとって善いことであるはずだ。私は自分の家族、都市、民族、国民の過去から様々な負債や遺産、期待や義務を受けついでいる。

私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。
私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。

さて、マッキンタイアーは自分の物語的な観念「負荷ありき自己」という図式は現代のリベラリズムや個人主義と対立するという事を認識している。


私は思う
マッキンタイアーの考え方はカントの理論に反するのだろうか。
日本の文化では皇室がその中核になっている。
これは歴史を重んずる民族ならば何の抵抗もなく認められる筈である。

民主主義の先輩たる欧米ではこれを認めない国家もあるだろう。
民主主義と皇室は相いれないと言うのであろう。

それは普遍性に関して言えるかも知れないが、忘れてはならないのは「愛」である。
人間である以上家族愛、同族愛等があるからこそ日々を人間らしく幸せに暮らせる筈だ。
愛情は論理では動かない。
人間だからだ。

人間であることを忘れてはならない。
その意味で、問題はカントの言う「定められた枠組み」をどう捉えるか、の問題だと思う。
つまり、普遍性を排除しないのであれば「愛国心」は何の問題もなく世界に受け入れられるべきだと思う。
当然、その普遍性とは世界平和のことだ。

日本人は世界にも例がない、1つしかない、2600年以上も紡いできた歴史を誇りにおもうべきだ。


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