如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

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本音と建前1

日本人独特の「本音と建前」

ブログで正義を述べた時の意見の対立を考えてみた。

一つ浮かび上がってきた対立は。
(1)ホンネで生きる考え方。
(2)建前を重んじる考え方・・・・・(私)


私は本音と建前がセットになって一本という世界観は「甘えそのもの」なのではないかと考えている。

これを認めていたのでは近代思想としての民主主義は成立しないのではなかろうか?
何故ならば、民主主義は「自律」を前提にしているからである。


                            土居健郎の「表と裏」より
実際、日本人は随分昔から建前・本音の二本立てで人事万般を考えて来ているように思われる。
しかも、それは一つの事柄について云われているのであって、建前と本音二つ合わせて一本と言う風にあらかじめ理解されていることに注意せねばならぬ。
公と私に相当する英語のパブリックとプライベートでは両者が厳密に区別された領域として決して交わらない。
「徒然草」第141段に於ける内容。
京の人間がキレイゴトを言うのは、建前を云うだけのことで、偽善に類すると考えるのは間違っている。
むしろ何とか建前をたてようとするところに、彼らの誠実さを見るべきである。

万事、建前と本音の二本立てで行く日本人全体を外国人と比較した場合にも、ある程度まで当てはまるだろう。たしかにこのやり方だと人々の間の摩擦を最小限に食い止められる。日本人が一般に繊細な気遣いや思いやりを特に喜ぶのも恐らくその為であるにちがいない。

甘えたくとも甘えさせてもらえない時は容易に恨みに転ずる、恨みが全面に出ている時は内に甘えを秘めていると云ってよいのかもしれない。これは精神分析の方で、愛憎半ばする状態を称してアンビバレンス(両極性)というのに相当する。要するに甘えだけで他に何も支えがないと、容易にアンビバレンスの状態に陥る危険が存するのである。

この二本立てはバランス感覚そのものであると云ってよい。建前と本音の二本立てが自覚されているところでは、アンビバレンスが無意識に放置されコントロール不可能になるということがない。
建前と本音がどのように形成されるかという点について、一言だけしておこう。


それは幼少時の家庭環境と、その後の学校教育および社会教育において培われる人間関係を通してである。そしてこのように見てくると、建前と本音が心理学的また社会学的概念である社会化および自我意識と重なることがはっきりする。建前はまさに社会化の産物であり、本音は自我意識の表現であると言える。この二つの特殊な関係が常に暗黙の中に自覚されていることが極めて特徴的であると云うことができるのである。


・・・この矛盾を前提にした世界観は確かに世界にも珍しいのではないか。暗黙の了解事項が仲間・派閥を形成し、徒党を組ませている筈だ。
幾ら対立を避け、協調をもとめるにしても、それはアンビバレンスを避けんが為に、本質的問題解決を「先伸ばし」しているだけなのではないか。(*1)
その場その場さえ旨く切り抜ければ良い、という刹那的実存主義を感じる。

例えば(*2)
「京の人間がキレイゴトを言うのは、建前を云うだけのことで、偽善に類すると考えるのは間違っている。
むしろ何とか建前をたてようとするところに、彼らの誠実さを見るべきである。」
・・・これを欧米型社会で訴えた場合共感を得るのだろうか?


●日本社会が封建制村社会から、何時までたっても抜け出せないのは
この「本音と建前合わせて一本」のせいではなかろうか。            (*1) (*2)追記09.2.3

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