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[何故戦争にしたのか]
五・一五事件
この事件は2・26事件と並んで軍人によるクーデター・テロ事件として扱われるが、犯人のうち軍人は軍服を着用して事件に臨んだものの、2・26事件と違って武器は民間から調達され、また将校達も部下の兵士を動員しているわけではないので、その性格は大きく異なる。
同じ軍人が起こした事件でも、2・26事件は実際に体制転換・権力奪取を狙って軍事力を違法に使用したクーデターとしての色彩がつよく、これに対して本事件は暗殺テロの色彩が強い。
その前年には軍人、右翼によるクーデター計画が発覚したり、井上準之助・前蔵相、団琢磨、三井合名理事長が右翼に射殺されていた。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E3%83%BB%E4%B8%80%E4%BA%94%E4%BA%8B%E4%BB%B6
( ここで私が疑問をもったのは、あの2・26の西田悦も血盟団の襲撃を受け、五発命中生命危急となったのである。何故だろうか ? )
それは
” 十月事件幕僚とその流れを幕僚が、後に統制派とともに、軍内から青年将校の蠢動を追放しようとした(この故に清軍派という)、これが為に青年将校と激しくやりあった。
磯辺は「獄中手記」で、" 改造は中央部で計画実施するから青年将校は引っ込んでおれ。陛下が許されねば短刀を突きつけてでも言う事をきかせるのだ。"等の言辞を平然として吐く、不遜不逞なる軍中央部の改造軍人。と罵倒している。
私はこれらの幕僚の天皇への忠誠心を疑うものではないが、しかし、満州事変に於ける独断専行といい、天皇機関説問題に於ける態度ないし国体明微運動の強引なる態度といい、たとえ、一時天皇の御不興をかっても、いずれは、喜んでいただけるであろう、という考えがなかったとは言えない。
「国に争臣なければ、その国危うし」とか「下能くこれをいい、上能くこれを容れて王道光あり」という下克上に通ずる直諌思想が、その一部に潜在していたことは否めない。
これを不逞といい、不遜ということならば、それは、たしかに指弾に値する悪逆思想であった。
この幕僚の下克上に通ずる忠諫思想が、ずっと尾を引いて、戦争から戦争へと日本を悲劇に追いやった根底に流れるものであったことを、ここで注目して置く必要があろう。 ” 元東部憲兵隊司令官大谷敬二郎著「軍閥」より。
この言から連想するのは東京裁判に於てキーナン検事がその目的を達した東條の証言である。
それは図らずも同じ
" 陛下の御意思に反したかもしれませんが "・・・だった。
越権行為には決まって傲慢と増長がある。
今現在、同じような実行組織がある。徒党を組み、法を軽んじ、掟で実力行使をして当然としている。
建前を崩して平然としている。我が国民は先の大戦から何を学んだのであろか? *9.7.19追記
民主主義ではこの種の横暴に立ち向かう勇気がなければならないと思う。
袖手傍観と事なかれ主義はいけない。
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