如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

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「たかが面目で」

満州から日中戦争へと続く陸軍では、何をどう考えていたのだろう?


NHK「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」より

自分たちが過去にしたことに縛られてですね。
出先に対して曖昧な処罰しか与えられない中央と言うものがある。
また出先は出先でですねえ、組織全体の利益よりも、今自分たちがいるそのセクションの利益だけを考えると言う体質がある。この巨大組織、陸軍の中で中央と出先の、こう言う行動が繰り返される内にですね、どんどん事態が悪化して戦争は泥沼化して行く訳でございます。
その結果、日中双方に多数の犠牲者を出し、それがその後の、所謂、太平洋戦争への道を選ばざるを得なくなった事を、私たちは忘れてはなりません。(松平定知)

この陸軍の中枢にいる軍人たち、彼らは当時の日本の知性を集めた、極めて優秀な、言わば国のため為に存在するエリートでありました。その、国の為に存在するエリートが最終的には、国の利益よりも、自分たちが存在する組織の論理を優先したと言う事実。これこそまさに「組織」と言うものがもつ病理なのでありましょうか。

アメリカから繰り返し突きつけられる中国からの撤兵。1941年9月御前会議では天皇も日米開戦への危惧をほのめかしていました。
しかし、その矢先のことでした。
近衛内閣 閣議
1941年10月14日 (昭和16年)
陸軍大臣東条英機が突然懐からメモを取り出し演説を始めた。

「日米交渉はどん詰まりである。撤兵問題は心臓だ。アメリカの主張にそのまま服したら、支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする。駐兵により事変の成果を決定付けることは当然であって、世界に対し何ら遠慮する必要はない。」(東条陸軍大臣)

組織の面目にこだわる陸軍の態度で内閣(近衛)は総辞職した。
その直後、東条は新たな首相に就任。かつての一夕会のメンバーが皮肉なタイミングで権力の頂点に登り詰めました。
その内閣に企画院総裁として入閣したのが、やはり一夕会の同士、鈴木貞一でした。陸軍が中国から引けなくなった理由について語っています。

「私もねえ、満州から帰ってきた時に靖国神社に行ったんです。そうするとあそこに、ず〜っと遺族が並んでいるんだねぇ〜。それを見て、あ〜こんなに人が死んでいるのか。と思うと、やっぱりこれは何とかしなくちゃいかんと言う気持ちになりますわねぇ。申し訳ないと言う気持ちに、ねぇ。従来の軍の性格から言ってだねぇ、自分らは自分たちのやった成果に対して、言い訳の立つだけのことはしなければいかんと。それはねぇ、そう言う気持ちになりますよ。」(鈴木貞一)

自分たちのやってきた成果へのこだわり。それを守るためには更なる拡大を必要としました。
その先に一夕会のメンバーを待ち構えていたのは彼らの想像をはるかに超える犠牲者を出す太平洋戦争の開戦でした。



私は思う。

登山家も言うではないか。
引き返す勇気。
靖国神社の遺族の多さに驚くならば、もうこれ以上は止めて、引き返そうと考えなかったのか。
弱虫と呼ばれるのが怖かったのか?
たかが陸軍の面目の為に国家、国民をあんな地獄に引きずり込んだと言うのか?
どれだけの苦痛、悲しみ、無残、悲劇、地獄が有ったのだ。忘れたのか?
国民もそれを望んだなどと言う「言い訳」はリーダーたる自覚のない、無責任な態度だ。
国家のリーダーではない。人々の暮らし、生活など考えてはいないのだ。
本当は自分の立身出世の方が大事だったのではないか?

要するにスペシャリストでしかないのに、ジェネラリストの積りになっていたのではないか?
だとすれば、思い上がりだ。
つまり「増長」と「傲慢」なのだと思う。

私の尊敬する井上成美さんが日本軍人にジェネラルは居なかったのではないか。と言っている。

もし、ビスマルクが東条さんを評したら何と言うだろうか?

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