如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

目安箱

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私の投稿記事は実践理性批判(カント)、学生に与う(河合栄治郎)を随時引用致して居ります。

尚、このブログは現在戦闘中です。
縁害防止の為、コメントは鍵つきですと安心です。


ブログのアラシクズはゴミ籠に排除しました。
御覧になりたい方は早めにお申し出ください。定期的に完全削除致します。

red*u*g*2*0l
http://blogs.yahoo.co.jp/redpurge2oo9 なる輩に。
私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731
この者には決して話しかけないでください。
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パソコンを更新しました。W98からビスタ。
しばらくは勉強です。失礼いたします。

私の敵は「社会悪」。彼らの一派に「悪徳調査員」がいます。
所謂「不良探偵」という輩です。
タウンページで彼らが占めるページ数は何ページでしょう。

戦国時代であれば「忍び」・「目付け」というところでしょうか?
しかし、「忍び」にはなんとなく「悪」のイメージが沸きません。
徳川幕府では「お庭番」という役職だったようです。

以前、初詣で行列して居た時、傍にいた若者同士の話が聞こえて来ました。
どうやら一人は探偵家業のようで、その話の内容は酷いものでした。
こんな人格がどんな報告をするのか? 金を払ってこんな奴のでっち上げを信じ込まされるのか。

今、日本の法律では興信所、各種調査員の「倫理・道徳」はどのように保証されているのでしょうか?
また、公的資格、認定検査、不正が行われていないかのチェックはあるのでしょうか?

敵に回すとどうなるか、判りますか。
私は本能的に彼らを見分けられます。何と無く「臭い」がするのです。すぐ判ります。
後ろに回るのが好きで、先に、先に回って妨害します。有りもしないウワサを流します。
調査される大方の人は、気づいても、見ざる聞かざる言わざるを決め込んでいるようです。

アイツラ等に気付いた時、何かムカツキます。私は構わず侮辱します。
「何処の調査員だ、ペタペタくっついてくるな!」って。
慌てて、逃げていきます。 後で仕返しが待っていますが。
彼らは「噂」で人を社会的に「抹殺」出来るのです。
彼らに向かって言った言葉は、私の身近の者への侮辱発言として摩り替えられ伝えられます。
俗に言う外へフルのです。人間関係に於ける「離間」が仕返しです。

サラリーマンはかれらの「奴隷」と言っていいのではないのでしょうか?
口入れ屋と組んで何やっているんだ!
自分達の利得、好き嫌いで勝手な結論を出すな!
天罰降れ、悪玉!

この倫理・道徳の崩壊した現代社会で、あんな人格が人間の裏面ばかりを見せ付けられ、
人をつけ回していれば、どんな世界観、人間観ができるのか?
 想像しただけで恐ろしくなります。

誰か、この方面の専門家の方、実際に、法律的に彼らへの審査はどうなっているのか教えてください。
私は彼らを敵に回し、人生を滅茶苦茶にされたと思っています。
馬鹿と言われようと、自業自得と言われようと自分の「正義」を信じ、服従はしません。
彼らの「社会的責任」は明示され、チェックされるべきだと信じています。

行き詰まった教育行政、毎日の悪戦苦闘、ご苦労様です。
第一線で実務を担当されて居られると、我々には判らない問題があるのでしょうね。
門外漢として、一つ質問があるのです。

犯罪を犯した教師を非難するニュース報道で、教師のレベルが落ちたと評価したのです。
これに対して、某有名タレントが「教師がそうなったのじゃあ無くて、そんなのを教師にするようになったんだ」と言っていました。 当たっていると思いました。

ブログを見て回っても、実際この人が教師なのだろうか? と首を傾げる事が多いのです。
その内容は現実否定、ニヒリズムに満ちています。こんな考えを持って教育なんか出来ないはずです。
「とは言っても、実務の自分はチャントやっているし、良い人なんだよ」といった表現が多いのです。
河合栄治郎は、教師の人格は「我が如くなれ」と言いきれるようになれ、と言っています。
人格と教師は合致すべきだと言っています.

なんとなく「暗い」のです。
太陽を感ずる「明るさ」、「希望」に満ちた教師で在って欲しい。

我々の学生時代は、そんな情熱を感ずる教師が、多勢いました。
一部の体育会系の方、暴力的「強さ」を表現しないで下さい。ヤクザじゃあないのです。

学校教育は当然、教育の総べてではありません。
家庭、地域社会がその本質基盤で有ることは承知しています。 その上での質問なのです。

質問(1)
 誰でも教師になれる訳では有りませんが、その資質の内で、
「人格」と言う面ではどのような権威が、
どのような審査の基に教師として、合格か否かの審査をしているのですか? 

自分で調べるべきでしょうが、実務を担当して居られる、貴方のような誠実さを感ずる先生の「生」の声を聞かせて頂きたいのです。


質問(2)
 明治以後の教育は基本的に一大欠陥があったと思っています。
それは「功利主義」です。それで良くなりゃあ、それで良いじゃないか。「嘘も方便だよ」
「最大多数の最大幸福」止むをえないよ、それで多くが良くなるんだよ。犠牲はつきもんだよ。
(功利主義=ヒューム、アダム・スミス、ベンサム、ミル)

 つまり、教育とは学問である。学問とは科学である。科学は実学である。
実学は「立身出世」になるんだよ。だから学びなさい。
良い暮らしが出来るよ。・・・結果主義者

「誠実」さが無い。子供だからと言って「嘘」はいけない。
背中で人格を教えることも大切たと思います。

 John Rawlsは「A Theory of justice」の中で
「功利主義」を否定しています。
○ 個人には「正義」に根ざす不可侵性がある。社会全体の福祉ですらこれを侵すことはできない。
○ 少数に強いられた犠牲が多数に享受されることによる有利性の合計によって、償いを受けると言うことを「正義」は許さない。

 確かに封建制からの脱却としては、取りあえず良かったのかも知れませんが、
「功利主義」もう止めませんか?

体育会系の方々へ、質問があります。 非体育会系より。
脳味噌も筋肉なんだそうですね。 次ぎの質問に正直、「NO」の項目がありますか?

1、この世の中は闘争社会である。
2、闘争において弱さは悪である。
3、勝利が全べてで、勝利=善である。
4、負けると判っていて、戦う者は愚か者である。
5、弱いくせに立ち向かうんじゃない。
6、強い相手には服従しろ。
7、面倒なら暴力で解決すれば良いのだ。

私はこの土壌から社会悪が生まれている。と考えています。
この考え、世界観が「暴力主義」を生み出しているはずです。(行政代執行は暴力ではない)
この人達が、社会で何が何でも勝とうとすれば反則をするのです。
バレなければいいじゃないか?

暴力主義者に「理屈」なんか無いのです。
有るのは「どっちが強いか」だけなのです。
彼等にとって「理屈」は勝つ為の手法でしかないのです。
本当は「理」など、どうでもいいのです。

実は私は「プロ」と言う言葉があまり好きでは有りません。
私の定義では、「プロ」とは結果主義で、「アマ」は過程主義だと思っています.
「アマ」は結果よりその努力、フェアな精神、技に価値を置いています。過程が重要なのです。
「プロ」はいくらフェアであろうが、如何に努力しようが
「結果」を出さなければ何の意味も無いのです。

極論を言えばバレなければ反則しても良いのです。
(訂正文:すみません、表現を誤りました。 この行の頭に”プロにとっては”を付け加えます。
     以後気をつけます。スミマセン)

スポーツは闘争世界なんですか?
その所謂「スポ魂」は、軍事教練(=殺人訓練?)の精神と同じなのですか?

勝てる自信のある人格は別にして、勝てない人格はこの世界で生き抜く為にはどうするでしょう?
彼等は己の弱さを自覚している。

1、結託して、徒党を組む。 強いものに服従してその報酬を当てにし、威勢を駈る。
              服従します。何でも言うことをききます。仲間に入れてください。
              一人じゃ何も出来ないんです〜。
              仲間内で結託すれば、仕切れるじゃないか。
              そして弱者迫害で服従の憂さを晴らす。
              俺達に逆らってやっていけると思ってるのか〜。 
2、闘争から「逃避」する。   2−1:敗北主義者=奴隷
                2−2:自己欺瞞=見ざる、聞かざる、言わざる。(考え猿?)
                    立ち向かっている者への後ろめたさから、
                    自分を正当化する為の批判をおこなう。(無視する)

随分、強がっているけど弱いんじゃない?

これは「封建制村社会」の服従思想ですね、上下関係パラノイア=ヒエラルキーは
常に対等ということは無い。たとえ友人であろうと、何れ決着を付けねばならない。

近代思想では「対等」は前提です。
デモクラシーでは、尊厳有る孤立(Splendid isolation)が出来なければなりません。
勇気、根性が必要です。

因みに「剣道」、「弓道」、「柔道」、「相撲道」はスポーツではありません。「道」です。

理が先か、実行が先か

始めまして。
アメリカ人の言う政治の定義は、日本人にどれだけ理解できるのか。
これが前提条件ではないでしょうか?
John Rawlsの言う正義では、功利主義。ヒューム、アダム・スミス、ベンサム、ミル等の
「最大多数の最大幸福」を否定しています。

どんなに効率的整然としていても、高度に普遍性の有る「正義」に
もとるならば改正・廃止されねばならない。・・・これは政治の問題ではないでしょうか?
人間個人には正義に根ざす不可侵性がある。
社会全体の福祉ですら、これを侵すことは出来ないとしています。

1、 少数に強いられた犠牲が多数に享受される事による有利性の合計によって
   償いを受けるということを正義は許さない。
   (私見、地球侵略を企てるエイリアンの母船に突っ込む特攻ヤンキーが居たけど、SF映画で)
2.正義によって保証される権利は政治的交渉とか社会的損益計算には従わない。

誤った論理に黙従しても良い場合は、より良い理論がない場合だけである。
一層大きな不正義を避けることが必要な場合にのみ、ある不正義にたえられる。

これを理解し、評価できるのが「正義」であるとしています。

正義ある社会とは、自己充足的連合体で、各々及び全体がその拘束を認めている状態である。
そして、協同の体系が明確に定められていなければならない。

これは参加する人々の善を増進するように企図されている。
秩序有る社会では、その企図が同時に、正義の公共的概念によって有効に規制されている。

その結果1、利害が一致する時一人で生活するより良い生活をもたらす。
    2、不一致の時、分配の配分で自分の取り分の多い選択を争うので、
      適正な分配上の取り分の合意が必要となる。
この定めた分配が、誰もが受入れて居て、それを皆が承知していること。
基本的諸制度がこの原理を満たしていて、皆がその事実を知っていなければならない。
      (私見、9.11以後のアメリカの正義は納得できる。しかしそれ以前は?
       彼等が生きようとするもがきを察知する博愛が欠落していなかったか? )  
この基本的憲章は現実には存在していない。・・・・未だに人類連合体は出来ていませんね。
     (つまり、理念が先だ。と言ってます。長くなるので,又後日。迷惑でなければ)

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