如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

目安箱

[ リスト | 詳細 ]

私の投稿記事は実践理性批判(カント)、学生に与う(河合栄治郎)を随時引用致して居ります。

尚、このブログは現在戦闘中です。
縁害防止の為、コメントは鍵つきですと安心です。


ブログのアラシクズはゴミ籠に排除しました。
御覧になりたい方は早めにお申し出ください。定期的に完全削除致します。

red*u*g*2*0l
http://blogs.yahoo.co.jp/redpurge2oo9 なる輩に。
私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731
この者には決して話しかけないでください。
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

21世紀の君達へ

始めまして。
まさに現代日本のアキレス腱をついた問題だと思います。
なんでこんななんだろう? どうして日本人はこんなに馬鹿なんだろう?
前からそうなんだろうか?

同じ疑問をもった人が居ました。
司馬遼太郎さんです。

私は軍国主義者でもなく、皇道派でも統制派でも、共産主義者でもありません。
戦後、日本知識層はどのように道を切り開いたでしょうか?
国民はどのように世界観、価値観を選択したでしょうか?

良い、悪いは別にして、戦前は天皇制というしっかりした社会規範がありました。
それが崩壊して、何も無くなってしまったのです。
戦前の思想は全て、否定されました。
酷いのは、無思想主義なんて主義が主張されました。たしか、大宅壮一さんだったと記憶しています。
当時としては新しい思想だったのです。

で、アメリカの真似が始まった。
結果はアメリカの悪い所だけ真似しました。
開拓者精神、プロテスタンティズム、自律精神、真似出来ていません。
テクノロジー化された表面だけは近代的に見えても、お頭の中は相変わらず「封建制村社会」で、
親分子分,おでぇかん様お願えでごぜーえますだ。やってます。

新聞の見出しに、商店街の店先に、電車の車中広告に、何を見るでしょう?
今の年寄りが、若者に何を教える事ができるのでしょうか?
胸を張って言えるのは、世渡りの方法、金の儲け方、生き残る方法。

人間の「善意」、性善説を軽く考えては、いけないと思います。
総べてはここから出発しているのです。

現代日本は、社会規範をどう確立するのか、分かれ道に立っています。
今の年寄りはダメです。 自信を持って指導できる人格者達は真っ先に戦死したか、
責任を感じて、口を閉じてしまいました。
因みに、司馬さんは「官僚であります」と言って、死んで逝きました。

生き残った、どうしようもない人達が作り上げた社会が現在社会です。

若い人達の中から新しい、尊敬されるべき人格者が新生されるしかないのです。
私は日本人の資質を、血統を、DNAを信じています。
私は歴史を学ぶ中で、「先人の尊敬すべき心」を受け継ぎました。

是非、歴史から学び、先人達の「声無き声」に耳を傾けて下さい。

天罰降れ

どうもパソコンの調子がおかしい。
このブログとの縁もあまり無いような感じです。
何時までお付き合いできるか、今までと同じく最後まで最善を尽くす迄です。

私は軍国主義者ではありません。でも人間として「恥じ」というものを知っているつもりです。
阿川弘之さんの話で、「ボスポートの佐久間艇長」という話題があります。
浮上できなくなった潜水艇の試運転事故による、軍人の死に様を扱っています。

1.最後まで義務を果たすべくして勤めて死んで逝った日本海軍の乗員と艇長。
2.大戦中、敵国の軍人を、軍人の鏡として褒め称え、仕官学校に掲示した英国海軍。
3.そんな事があったなんて知らなくて駐日英国海軍武官に教えられた日本商社マン。

国家の品位を考えさせられました。

1.義務を果たす。 (結果で評価しない、その姿勢が大事)
2.事実を事実として認められる勇気。 (如何に気に入らなくても逃げない)
3.己自身を知らない視野の狭い知識人。 (仲間内としか対話できない)

日夜、1.損か得か。
   2.好きか嫌いか。
   3.どっちが強いか。
で無条件反射で棲息している、原生生物ども。

己の愚劣さを知るべきだ!恥を知れ。
暴力、脅迫、卑怯、欺瞞、悪智慧、結託、相手の苦しむ様を見て喜ぶ残忍な性格。
人間の醜悪さを寄せ集めて出来あがった奴等だ。

そんな事ばかり言ってると、皆に嫌われるよ。と言われます。
・・・嫌われるべきは、誰なんですか? 逆じゃあないですか。

立ち向かうべき立場、責任、担当は何をやっているのか。
知識人は知性あるが故に、欲望、恐怖に立ち向かう義務があると思うのですが。

「そんな話は、ささやかな独身者の足掻きだ。
妻子があるものは、そんな訳には行かないのだ」と言う声がある。

この様な主張をする人格は、独身であったならば己の慾を更に発展させて、
社会悪そのものになるであろう。(河合栄冶郎)

教養ある方々、戦いましょう。

大変、奥深い世界観、勉強になりました。

信仰に付いては、過去多くの方々にご案内頂きましたが、どうも自分には信仰出来ません。
決して悩みが足らない事はないはずなんですが。
善とか、悪とか拘らない、その中間の漠たる世界を知りなさい。と禅宗の教えも受けました。
その場では、なるほど。と解ったような気がしますが。結局身についていません。

現実に毎日、社会悪を見せ付けられ、卑劣な行いを受けていると、
これで良いはずが無いじゃないですか。
竹林の七賢人も結構ですが、袖手傍観するから悪が蔓延するのです。

「グレシャムの法則」=悪貨は良貨を駆逐する。
駆逐する悪貨は悪い。しかし、駆逐される良貨も悪いし、それを許す社会はもっと悪い。

私は阿弥陀様や大日如来など本当に存在するとは思えません。
一神教の神も、実は悪魔と同じ存在なのではないかと思っています. 勝手に人間が区別しているだけではないのでしょうか?

そんなに絶対存在であるなら、人間風情がその意向を勝手に註釈すべきでは無いのではないでしょうか。
神、天と、或いは仏と自分とは極、極、個人的関係であって、その間に、他の人間が介在してはいけないはず、と思っています。 如何に偉大な人物であっても人間以上の存在ではないはずです。

この世に神が居ようと居まいと、先人が切り開いた、人間が人間の責任において選んだ人間の道を歩めば良いのだと思います。万事を尽くして天命を待つ。

私が信ずるのは「人は善の観念を持つべき義務があるという確信」です。
総てはここから出発しています。

よく「善」「悪」の概念を整理すべきだ。と助言されますが「善」「悪」は定性的であって、
定量的概念ではないと思っています。
別に裁判で罪の大小を判決しているのでは無いのですから、
各々について、分類整理すべき概念ではないと思っています。

又、「正義」を信じられないのは、普遍的正義ではないものを「正義」と称するからだと思います.
つまり、アッチだ、コッチだ、じゃあ無くて。アッチにも悪があれば、善もあり。コッチにも悪があり、善がある。自分にも善があり、悪があるはずです。
概ね世の中に、問題や災厄をもたらすのは、アッチの悪とコッチの悪ですね。

大事なのは、どのようなマキシム「箴言」を個人が持っているか、
それがどれだけ普遍性があるか?ではないでしょうか。

更に、善・悪と良い事・悪い事は全く違います。
信念力、実行力、説得力、勇気、忍耐力、克服力、武力などが強いことは良いことですが、
これを暴力団が持ったらどうでしょう? 組事務所には「和」なんて賛が掲げてあるそうですね。

感謝する心が有れば、人は人の「善」を信じ、
自分は自分の中の「善」を信ずる義務があると確信しています。

真剣勝負

はじめまして
私は決して人に自分の考えを押し付けたりはしていません。
読む側としてはそう取れる。と言う事でしたらあやまります。
スミマセン。

ただ直情的に思いのたけを、このブログに吐露しているのです。
真心、誠、止むに止まれぬ正義感が黙っていられないのです。
今の世の中、全てが逆じゃあありませんか。皆さんよくだまっていられますね〜。

なんでこんなにワルがデカイ面しているのですか。
事件報道で、容疑者評価について、ご近所様が口を揃えて云うセリフは
あんなに真面目なのに、おとなしい人でしたよ〜。

馬鹿か!と言いたい。上っ面しかみていない。と言いたい。 真面目でおとなしいのが悪くて、
ワルぶっているほうのが良い。皆で渡れば怖くない。チョイ悪オヤジが好い。

 こんな考えが世の中の大勢になってしまったら
ヤクザ国家です。そんな事を許してはならないのです。
問題は世間体、肩書き、外見、表面ではなく、「中身」!です。
中身に普段、関心がないのです。社会が。
希薄な人間関係。気にするのは自分とこだけ。

気の利いたセリフなんか台本作家にまかせて、中身、心を磨く事だと思います。

「或人の物語に、大人の名言を仰せ出さるゝこと、不思議に存じ計らず存じあたり候。
下々は慾徳をはじめ、常々きたなき事ばかりを思ひ、胸中をけがし候に付、俄かに思慮を
めぐらさんとしても、 また詩歌等の作為も出がたく候。
大人は元来けがれたる事、御胸中に出来申さず。 清浄心に自然と相叶はれ候故と存じ候由。」
(「葉隠れ」より)

武士と云ったって、同じ人間なのです。同じ喜怒哀楽の生活をしていたのです。
ただ,彼等は真剣勝負で生きていました。腑抜けた現代の「男もどき」とは違っていたことは事実です。
自律していたといっても、良いくらいだと思います。

不安とはなにか?
悩みもせずに、考える。 ふーむ。

私は悩むので考えます。
知識を得る為ではないのです。
不安、悩みが動機なのです。
そうでない人が多いような気がします。

教育となにか? 
真正の教育とは学問、道徳、芸術
を習得する中で「人格の陶冶」を目指す一般的教育である。(河合栄冶郎)

然るに現代教育は本来一体であるべきこの三つの特殊的教育を分離してしまった。
結果としてサラリーマン化した教師、専門領域は知るが、学問は知らない。

知識はあるが身についていない。
知るをもって事足れりとする輩が如何に多いことか!
もう、知識は十分です、実行してください。実生活で。

専門領域を離れ、実生活に入ると途端に利己、偽善、自惚れを発揮する。
学業成績優秀であるにも拘わらず、何故に下様に下劣な人格が出来あがるのか。
学問が自我と結びついていないからである。
知識と行動が一致していないのです。やっていることに知性がないのです。

日本の旧学問(朱子学、陽明学)では「人を造る」ことが学問でした。
思い出す必要があるのではないでしょうか?
何の為の学問、教育なのでしょう?

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事