如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

目安箱

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私の投稿記事は実践理性批判(カント)、学生に与う(河合栄治郎)を随時引用致して居ります。

尚、このブログは現在戦闘中です。
縁害防止の為、コメントは鍵つきですと安心です。


ブログのアラシクズはゴミ籠に排除しました。
御覧になりたい方は早めにお申し出ください。定期的に完全削除致します。

red*u*g*2*0l
http://blogs.yahoo.co.jp/redpurge2oo9 なる輩に。
私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731
この者には決して話しかけないでください。
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死んで生きる

 しつこくご返事して申し訳ありません。
ヘーゲルの構成的概念としての哲学から批判をされているのだと思います。

私がなにを今更「武士道」などを持ち出してきたかともうしますと。
必要だったからです。他に方法がなかったのです。

教養とは人生における戦いである。 自己の偏狭な専門特殊世界から超克して普遍的裏打ちを持って事に処する。 実行すれば戦いになる。(河合栄冶郎)

社会悪が全盛の時代にあって、この実践を貫けば、どういう結果になるか明白ですね。
実践しない哲学は哲学とは云えません。学ぶ意味がないのです。

私は随分と悩みました。悪の軍門に頭を垂れればどれだけ楽だろう。
でも、それは死んでも嫌だったのです。本当に。死も考えました。

そんな時、ふと手にしたのが「葉隠れ」だったのです。
私はこの書で助かりました。又自分のやって来たこと、やるべき事に十分な自信が沸いてきたのです。

「生きる」と言うことは「棲息」することとは違うのです。

武士道がある

 始めまして。
 マックスウェーバーの「プロテスタンティズムと資本主義の精神」、
興味深く読ましていただきました。
ルター、カルビン、ぺティグリムファーザース何れも大変な苦労に立ち向かい実践した人々ですね。
彼等は何故あんなことをできたのでしょうか?

 現代になっても、アジアではそんな理屈を叫んでも誰もついてこないでしょう。
スーチーさんは別にして、アジアでは、民衆レベルで哲学は必要とされていません。
あまり理屈が好きではないのです。

 ましてや、自覚だの,自律だの、人間の尊厳だの云っても、自分の事として考えません。
実生活として、実践すべきは実利が大事なのです。
服従が好きなのです。その方が楽だからです。

 カソリックの重圧なんてアジアでは起こり得ません。精神性を重視していません。
不満を感じないのです。
身の回りを眺めてみてください。免罪符なんてどうって事ないでしょ。

 私は肉食文化と菜食文化の違いかなあ。と思っています。
唯一つ、日本人として注目すべきは、プロテスタントは今でも自己管理をしっかりやっています。
チャンと朝食の前には神への感謝をのべ、それから食事を始め、ビジネスの話をしています。

 日本人にできるかな?
これに対抗できる精神性として、日本人としては武士道しかないのではないでしょうか?
実践理性として。

だから何なんだ!

 早速のご返事有難うございます。
私の悪の定義は「己が依拠する世界を否定し、人間で有ありながら人間を否定し、己の人格も否定する存在です。
当然、それに同調すれば社会悪となります。

 彼等が世の中を否定する理由は確かに事実です。 これを「悪」の論理と言う。
問題は「だから、何なんだ!」と言うことです。
だから、何やってもいいんだと云うことにはなりません。
だからこそ、改革しようと思うのが社会善ではないでしょうか?

 彼等の常套手段は、相手のアラ探しを徹底的にやり、何か見つければ「そ〜ら見ろ!」
と言って「お前だって立派な犯罪者だ、俺の言うことを聞け!」と服従を要求し、
死ぬぞ、殺すぞ、病気になるぞと脅してきます。
何もアラが見つからなければ,平気でデッチあげます。
それで自分達の悪行はチャラに出来ると信じています。

 私は孤独な戦いをしていますが、別に勝てるとは思っていません。
彼等の報復は大変なものですが、暴力で勝てないなら「理」で勝ちます。
文字道理、命懸けです。

社会善は、「どっちが強いか」で結論を出したりしません。
目には目を、の論理は「どっちが強いか」の論理です。犯罪者は決して反省は
しません。力で負けただけだと思うことでしょう。

だから「善」の理で勝つために犯罪者の為にお金を
使うんだとおもいます。

 始めまして、私は政治、法律の専門家ではありません。
でも、私の生き方、世界観から一言云わずにいられません

 私はある日、気付いて以来数十年間、社会悪と戦いつづけています。
世渡りの巧い人は、何の問題も、抵抗も無く社会悪に同化して、己が実利を追いかけている。
大体、悪とは思っていないか、世の中そんなもんだ。と思っているようです。
彼等から見れば、私など世間知らずの貧乏人ふぜいなのでしょう。

 悪は生真面目な商店主から、脅しや、嫌がらせで利得を得て大きな顔をしています。
やっとこ捕まっても、すぐ出てきて、今度は勲章付きで、また同じ事を陰湿にやってきます。
貴方の言いたいことは、ほんとによくわかります。

 彼等は世の中を、建前、道徳、法を公然と否定しています。
自分の人格も否定しているはずです。腹のなかでは。

 しかし、社会悪とは彼等だけではないのじゃないでしょうか?
彼等に金を渡し、己が利益、欲望を達成させている人格、組織があるのでは?
ニュースを見ていれば、答えは明白です。 
有ってはならない事が起きてしまいまして。なんて云ってる。

 更には、ほんとにそうなの?
報道は間違っていないの? 実はもっと大きな問題が隠れているのでは?
判決は正しいの? 無実だったらどうするの。
社会悪の悪智慧は恐ろしい程に発達し、組織化され、浸透しています。

貴方自身、過去に、あるいは最近、無実の罪、濡れ衣を着せられたことはないですか?
事実は作ることができるし、それだけの力を彼等は持っています。
すべては「現象」なのです。真実はその向こうにあります。

目には目を、の判決で問題解決はしません。
社会悪の論理に勝つことが、本来の社会善の取るべき姿勢ではないでしょうか?

だから犯罪者の為にお金を使うのだと思います。

 始めまして、ブログの散策中、ふと目につきました。
好いとこ、ついてるなあ!って感じです。
問題は貴方の経験、感性、知識を貴方自身が超越しているか。ではないでしょうか? (構想力のこと)

 読んでいて、私の頭に浮かんできたのは小林秀雄さんの話でした。
人間はテレパシー能力を持っていません。だから、生まれてきた時から経験した事しか実感できません。そこで先人達は、口承伝達、文字文化、映像文化と発達させてきました。

 日本文化は巧く伝承されてきたでしょうか?
残念ながら大東亜戦争の結果、日本文化は大衆生活の中で断絶されました。

 旧体制は間違っていた。戦争なんてもういやだ!軍隊なんていらない!政府なんて嫌いだ!
焼夷弾の舞落ちてくる中を逃げのびながら、食料不足の社会で、人の事なんか知らない、まず自分が生き残らねば。 死んで逝った奴等は馬鹿だ。 国家社会のことよりも自己周辺の保身に低迷したのです。
今でもやってます。

建前、倫理、道徳の崩壊した社会で、古来の日本文化が生き残れる領域はなくなったのです。
開戦責任者、戦争指導者が悪いんだ。我々は被害者だ。
賛同した自分達。戦争防止に努めた人達をよってたかって誹謗した自分達。日の丸振っていたのに。

 反省しないんです。
そうなんです。都合の悪いことは忘れたいのです。無かった事にしてしまったんです。ついでに伝統も。
酷いのは責任を「戦争」そのものの所為にしてしまいました。「戦争」がいけなかったの? (笑い)
そこまでして正当化したかったの、自分達を?
論理性の無い国民性、情感で結論を出す国民性。あいまいの好きな日本人。

 「我々はこの民衆を嘲笑したい。ただ時勢のままに動く愚衆の波を笑いたい。しかし、笑うことは出来ない。この愚衆こそ即ち日本人そのものだからである。」 (山田風太郎)

 ぜひ視野を広げ、他の範疇の日本文化を吸収し、歴史を学び、貴方のDNAから音楽に還元して創造してください。 そこにはきっと日本文化の香りが、涌き出ているはずです。

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