如何ならむ初山歩みの麻衣

理想がないものは、自己内で理と理が対立して、結論が出せない。

時事専用書庫

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私の投稿記事は実践理性批判(カント)、学生に与う(河合栄治郎)を随時引用致して居ります。

尚、このブログは現在戦闘中です。
縁害防止の為、コメントは鍵つきですと安心です。

ブログのアラシクズはゴミ籠に排除しました。
御覧になりたい方は早めにお申し出ください。定期的に完全削除致します。

red*u*g*2*0l
http://blogs.yahoo.co.jp/redpurge2oo9 なる輩に。
私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731
この者には決して話しかけないでください。
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暴力には暴力?

「暴力には暴力?」

何を言っているのか。

若者を惑わすな!

あんたらどう言う道徳教育を受けてきたんだ。
言論の自由だと言ってデタラメなことを若者に教えるな。
社会的責任を意識する心があるならば、暴力を礼讃するるようなことをするな。

これだけ倫理・道徳が崩壊した日本社会に、無法者の考えなど披瀝するんじゃない。

何が正しくて、何が間違っているのか?
若者はただ周りに同調していないで、物事の真理を追究してください。
今、暴力団、インテリヤクザは狡猾な自己正当化を図っています。

暴力は犯罪です。
人類は法律を必要だと思ったから創ったのです。
歴史から学んで下さい。

暴力(ぼうりょく)とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。
{ウィキペディアより}


法律はまだまだ不完全ですが、それは人類の「叡智」なのです。
法の精神を大切にしましょう。

イメージ 1

{ 何が正しくて何が間違っているのか(2)}

                          NHK「知への旅」ルネッサンス より



ヤン・フスの死から100年後、一人の男が再び教会に異議を申したてました。この異議申し立てはヨーロッパを二分し、彼の名を永遠に歴史にとどめることになりました。その人物とはマルティン・ルターでした。

「私が大学で学んでいた時、図書館でヤン・フスの説教集を見つけた。
その本を読んだ私は驚きを隠しきれなかった。なぜこれ程の洞察力と知性をもって聖書を解説した人物を火あぶりにしたのだろう。その名前は忌まわしいものとされていたので、その名を口にしたら天が崩れ落ちるのだろうかと思った。悲しい思いでその本を閉じた。」
ルター

ルターもフスと同じように、こう信じていました。聖書の言葉が全てである。神と人間の間に介在者は必要ない。

昼も夜も、私は、人は信仰によってのみ義とされる、と言う言葉の意味を考え続けた。私は途方に暮れて、もがき苦しんだ。そして突然、私はこう思った。

「そうだ、信じる者は皆、救われるのだ。」
私は生まれ変わり、天国に足を踏み入れた心地がした。」
フス

「異議に立ち向かう者には、真実の瞬間とでも言うべきものがありました。苦しみもがいている内に、突然ひらめき、自分が何をすべきかが判るんです。その瞬間、彼は解放感を味わいます。心が解放されるのです。そして後戻りはできなくなります。」
セオドア・K・ラブ
プリンストン大学歴史学矜持

キリスト教徒には信仰と聖書が有ればよい。聖書を通じて、人は神と直接結びつくことが出来る。介在者としての教会は必要ない。それがマルティン・ルターの発見した真実でした。
ルターは教皇の唱える教義と聖書の教えとの間に明らかな矛盾を見て困惑しました。
しかし勤勉な修道士としての教育を受けたルターは、最初自分の考えを隠していました。

所が1517年、教皇レオ10世はローマのサンピエトロ大聖堂の改築費用を捻出する為に、新たな贖宥状を発行しました。
どうしたら罪を償えるか悩み続けてきたルターにとって、金で罪を償う贖宥状は許せないものでした。
「キリスト教徒の金は強欲な大聖堂に吸い込まれて行く。ローマ中の教会や宮殿、城壁や柱が我々の金で建てられる。だが贖宥状で罪を償うことはできないのだ。」

1517年、ルターは贖宥状を批判する文書をウィッテンブルグ城の教会の扉に貼り出しました。いわゆる95ケ条の論題でした。
「95か条の論題」 1517

ルターは慎重に言葉を選びながら、贖宥状の販売は聖書に反することを公にしています。ルターは神学者たちに議論を促すつもりでしたが、反響はルターの予想を超えて広がって行きました。
教皇はザクセン侯フリードリッヒにルターを捉える様、命じました。

「親愛なる息子よ、かの邪悪なマルティン・ルターをそなたが保護していると聞いておる。直ちにルターを捉え教皇庁に引き渡すよう命ずる。」
レオ10世 1475−1521

しかしフリードリッヒの返事は。
「ルターの説を撤回させるに足る理由があるとは思えません。彼をローマに送るにしても、追放するにしても、それは彼が異端であると宣告されてからで好いでしょう」
フリードリヒ3世 1463−1525
ザクセン侯 ドイツの反皇帝派有力諸侯

ルネサンスの君主の保護により、ウィッテンブルク城の教会は宗教改革の砦となりました。
フリードリッヒの保護を受けてルターは異議申し立てを続けました。
彼の主張は教会の壁を超えて広く世間に知られたのは、ルネサンス最大のある発明のお陰でした。
そう、活版印刷でした。
15世紀の半ば活版印刷が実用化されると知識は特権階級のものだけではなくなりました。すでに人文主義の本が出版され、印刷機の威力を証明していました。

今度はルターの番でした。彼はローマカトリック教会に対する痛烈な批判を展開、彼の支持者も文章や絵で教皇派を風刺しました。
教皇派も反撃しました。どちらが正当かを争う戦いが始まりました。ルター派とカトリック派は世界初の宣伝戦争を繰り広げたのです。
教皇レオ10世はルターの主張を嫌というほど聞かされました。そして1520年、教皇は遂に異議を唱え続けるルターを破門にするという勅令を出します。
「主よ我々の申し立てを裁きたまえ。
イノシシが主のブドウ園を荒らしている。ドイツで古代の異教が息を吹き返しつつあることに我々は深い悲しみを覚える。多くの誤りを含むマルティン・ルターの著作は燃やされるべきである。ルター自身は60日以内に、教皇庁に服従すべきである。」
レオ10世

「もう賽は投げられた。引き返せないのだ。
教皇庁が私をどう思おうと、どうでも好いことだ。彼らとは和解しない、永遠に彼らと関わるつもりはない。
彼らが私の著作を燃やすなら、私もお返ししよう。教皇の教練集を燃やすのだ。あれこそ異端の書だ。」
ルター

「人は迷いを超えて為すべき事をするんです。私がウーマン・リブ運動の出発点となった本「新しい女性の創造」を書いた時、私はどうかしているんじゃないかと言う気持ちの揺れがありました。自分の信じることが社会の常識に挑戦するものだと言う事が判っていたからです。でもあの本があれ程の革命を引き起こすとは思っていませんでした。ほんとに予想もしていなかったんです。もしそれが判っていたら、その責任の重さに、きっと震え上がっていたと思います。」
ペティ・フリーダン
ウーマン・リブの火付け役
「新しい女性の創造」著者

「私たちは学生運動をしながら、自分のことを改革者だと思っていました。歪んだ体制が改革を拒むのなら革命的とも言える位の行動をして、体制を変えて行くしかないと思っていました。ちょうどルターが、神に忠実であろうとすれば、既成の教会と戦わなければならなかったのと同じことです。」
トッド・ギトリン
アメリカ学生運動の元指導者
「60年代アメリカ」著者

ルターはもう後戻り出来ませんでした。
ドイツの新しい皇帝カール5世はルターをウォルムスの帝国議会に呼び出しました。ルターはヤン・フスの二の舞になる事を恐れず、喜んで出かけて行きました。

ドイツ・ルネサンスの1521年、ルターは彼を非難する人々の前に立って力強い演説をしました。
「私の良心は神の言葉に従うものだ。だからこそ私は自説を撤回しない。良心に背いては正義も平和もないからだ。神のご加護を。アーメン。」
ルター

ルターの一歩も引かない挑戦を受け皇帝カール5世は勅令を出しました。

「これよりルターは異端を宣告されたものとする。彼を支持する者も有罪。彼の著作は人々の記憶から抹消されるべきである。」
カール5世 1500−58
ドイツ神聖ローマ皇帝 ドイツ諸侯と反目

人々はルターの運命をかたずを飲んで見守っていました。ルターが行方不明になると殺されたのではないかと言う噂がながれました。ドイツルネサンスの先駆的な画家アルブレヒト・デューラーは日記にこう記しています。

「金曜、マルティン・ルターが裏切りによって捕えられたと言う噂を聞いた。彼の生死は判らない、もし既に殺されてしまったとしたら、それは反キリスト的な教皇制度を非難したからだ。彼はキリストの真実の為に受難したのだ。」
画家アルブレヒト・デューラー
1471−1528
しかし、ルターは生きていました。ザクセン侯フリードリッヒによって連れ出されワルトブルグにある彼の城に匿われていたのです。ルターはルネサンス時代の二人の君主、ザクセン侯フリードリッヒと皇帝カール5世の勢力争いの駒となったのです。ルターはここで支持者と離れて自ら唱えた異論について、一人思索を深めることになりました。

ルターは聖書をドイツ語に翻訳し始めます。
ウィクリフやフスと同じ様にルターも又、キリスト教徒は聖書の言葉に直に触れるべきだと考えていました。
1522年に出版された聖書のドイツ語訳はベストセラーとなりました。
聖書のドイツ語訳出版 1522

ルターの敵はこう書き遺しています。
ルターの聖書は大量に出回り、皆に読まれている。床屋も靴屋も女も、たいして知識もない者も、それがあたかも真実の泉であるかの様に読んでいるのだ。
それがキリスト教の分裂を招くものであると人々に判らせることは出来ないのか。
ルターはこのような批判に、黙っていませんでした。

「信じるも信じないも、その人の良心しだいだ。教区の司祭は人の意思に口出しすべきではない。人々が自分の意思で信じるものを認めるべきである。人々を縛り付けてはならない。」
ルター

ルターがワルトブルクで隠遁生活を送っている間に、彼の宗教改革の政治的、社会的影響は広がって行きました。ドイツでは農民たちルターの考え方に触発されました。
「ルターは全て人は自由だと言う。だが、我々の領主は、奴隷として生まれたからには、領主に絶対服従しなければならないと言う。
領主が我々を農奴の身分から解放する事を望む。」

ルターは彼の主張から枝分かれした新たな異議申し立てが始まったことに気づいていました。
「平民も考え始めたのだ。領主に見下されることに反発して力を結集するようになったのだ。
            ルター
ルター
領主たちは鎮圧のための兵士を繰り出しました。多くの農民が拷問され、辱めを受け、殺害されました。最終的には、農民側の死者は12万にも達したと言われています。
ルターが残虐な弾圧を支持したことに憤慨したトマス・ミンツァーは農民側に立って、新たな異議申し立てをしました。

「マルティン・ルターは貧しい者には神の言葉さえ有れば十分だと言う。彼は判っているのだろうか、日々の糧を得るのに勢一杯で神の言葉を読む時間もない人々が居るということを。
領主が貧乏人を苦しめ、川を泳ぐ魚、空を飛ぶ鳥までも自分のものだと主張する。嘘つきマルティン先生はそれを見てアーメンと言う。日和見主義のマルティン先生に何の勇気があるものか。ウィッテンブルクの教皇め、フラフラと軟弱な、このおべっか野郎。」
トマス・ミュンツァー 1490−1525
ドイツの宗教家 農民戦争の指導者
最大の皮肉は、最大の改革者であるルターが革命に背を向けたことでした。自分の主張を守る為にルターは反動的になりました。自分の説に固執する熱意は時にローマカトリック教会以上でした。

「私の教義は誰にも判断させない。例え相手が天使でもだ。キリスト教徒には命を賭けて信じる事ができる明確な教義が必要なのだ。」

「自分の信じる道を発見した者は、それをどこまでも守り、自分の思う通りに世の中を変えて行こうとします。自分はどうすべきか判っているのだからと。しかしそれは傲慢で反人道的な行為です。人々の生活を考えていないからです。」
プロニスワフ・ゲレメク
ポーランド「連帯」元活動家 下院議員

プロテスタント教会と、復興をしたカトリック教会の対立は宗教戦争へと発展しました。お互いに相手の信仰を認めようとせず、殺しあったのです。

ヨーロッパ中を恐怖と殺戮の嵐が吹き荒れました。

やがて自分たちと違う信仰に対する寛容の精神を求める声が高まって行きます。
フランスの人文主義者セバスチャン・カスティリオは異論を唱える者に対して新しい考え方を示しました。

「人を殺した所で教義を変えることは出来ない。ただ人が死ぬだけなのだ。」
セバスチャン・カステリ・ヨン 1515−63
フランスの神学者 人文主義者


異論に対しても寛容の精神を示す。

この考え方こそがルネサンスが到達した人間の叡智でした。



「ルターや他の改革者たちが行き過ぎとも言える挑戦をしなかったら、現代と言う時代はやって来なかったでしょう。」
トッド・ギトリン
 アメリカ学生運動の元指導者

「異議を唱えると言う事は、人類の歴史に於いて非常に重要なことです。
教会と言う既成の権威に立ち向かった人々の精神は、今日の社会の中でも脈々と生き続けています。」

プロニスワフ・ゲレメク
 ポーランド「連帯」元活動家

宗教改革から500年経った今も、権威に対して異議を申し立てる人々がいます。
今日、街頭で抗議運動が出来るのも、ルネサンス時代に偉大な先人達が居たからなのです。


「ヤン・フスやマルティン・ルターが宗教、政治、社会の権威に立ち向かっただけではありませんでした。
彼等は、そのつもりが有ったかどうかはともかく、異議を唱える者が居なければ権威は簡単に独裁者になり得ることを教えてくれたのです。

ルネサンスの勇敢な思想家たちのお陰で、私たちは異議を唱えること、そして異なった考えに対して、寛容の精神を示すことの大切さを知っています。
本当に自由であれば、真実はどこまでも追求できると言う事を私たちは知っています。それはルネサンスの末期にイギリスの詩人ジョン・ミルトンが書き残した言葉によく表れています。」
案内役
イアン・リチャードソン
 イギリスの俳優 英米の舞台を
中心に 映画 TVでも活躍

「知ろうと言う気持ちが大きければ、当然多大な議論が行われ、様々な意見が登場する。真理と虚偽とを組み打ちにさせるがよい、自由で公開の場の対決に於いて真理が虚偽に負けた例があるだろうか。」
「言論の自由―アレオパチティカ」から

これは今日に於いても、最も解き放たれた理想です。その理想はルネッサンスと呼ばれる時代かちが受け継いだ遺産なのです。



私は思う。
言うこととやる事が違う。
それを追求すると暴力となって返ってくる。

力を信ずるものは道理は後回しなのだ。
人々の上に立てるだけの人格を持たない者がリーダーになるからおかしなことになるのだ。

歴史を振り返ってみれば、どのリーダーが何を間違ったか知ることができる。
むろん、「もしも」や「こうしていれば」は無意味な愚痴かもしれない。
しかし後世への良き、悪しき手本であることは間違いない。
トップリーダーは比較困難なものを比較選択し、データ不足の中で決断しなければならない。
統率すべき部下がどれだけ責任感をもってことに当たっているのか知らなければならない。

フスやルターは何を我々に伝えてくれているのだろうか?
現実主義者は「力」を信じ、理想主義者は「理」を信ずる。
結果は現在の通り「力」が勝利している。
しかし、「力」は人々を押さえつけることはできても、人々を治めることはできないのだ。

権力者はそれを忘れてしまうのだ。
自称、民主主義のリーダーを唱えながら、多数の貧民を押しつぶしている大国。
この少数の富裕層向き国家群は覚醒すべきではないのか?

確かに低所得層は教養がない。道徳、知性に欠けるところがある。
それはやむを得ない。出発点からハンデを背負っているのだから。
それは自由市場経済の自然な成り行きだ。

問題は勝利者層である。
競争に勝ったからそれで良いのだろうか?
個人の自由なのだろうか?

早い話が、暴力団が成り上がって政治、経済を掌握したら、どんな国家になるのだろうか?
デタラメな法律がまかり通るだろう。
彼らの世界認識は弱肉強食世界である。世の中は闘争世界なのだ。

闘争社会に於いて「弱さ」は「悪」なのである。

皆さん、貴方の世界観では現実社会は闘争社会ですか?

{何が正しくて何が間違っているのか?}
                    NHK「知への旅」ルネッサンス より


「中世の終り頃、ヨーロッパでは密かに革命が起こりつつありました。
危険を冒して変革を成し遂げるか。不満が有っても現状に甘んじるか。
私たちには二つの選択肢があります。そして何時の時代にも社会を変える為に、敢えて危険を冒した人達が居ました。」
         プロニスワフ・ゲレメク
         ポーランド「連帯」元活動家

教皇のボニファテウス8世はこう宣言しました。
「我々は全てのキリスト教徒に申し渡す。神によって救済される事を望むならば、如何なる人間なりとも教皇に服従せねばならぬ。」

「私はこう決めている。より優れている考え方を見つけた時には、自分の考えは喜んで捨てるのだ、私の知っていることより知らないことの方がはるかに多いのだから」(フス)

プラハは国際色豊かな街でした。この街でフスは様々な国の人々と出会いました。ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、スラブ人。そして彼らの異なる考え方や生活、信仰などについて議論したのです。
異なる考えを持つ人々は意見を戦わせました。
ヤン・フスがイギリスの神学者ジョン・ウィクリフの主張を知ったのも、そのような討論を通してでした。

「教皇制度は悪に満ちている。
教皇はキリストに背く罪深い人間だ。彼は悪魔の軍団の指導者であり、魔王の手先である。
色を塗った丸太より酷い偶像でしかない。」
フスに先立つこと40年、ウィクリフも聖書の教えによって目を開かれました。
彼はローマ教皇と言う権威に挑戦しました。

「キリストは体を休める場所すらなかったのに、教皇はなんと広大な領土を所有していることだろう。教皇のふるまいは傲慢であり、柔和だったキリストとはかけ離れている。」
(フス)

キリスト教徒が従うべきは教皇ではなく、聖書である。ウィクリフのこの主張にフスも全く同感でした。
フスはその考えを大学の中だけでなく、教会で広く人々に訴えようとしました。彼はラテン語ではなくチェコ語で説教をし、人々に大きな感銘を与えました。
フスはウィクリフの著作を翻訳して宮廷の人々に贈り、支配階級からも支持を取り付けました。しかしプラハの大司教はウィクリフの著作の没収を命じました。フスは抗議します。
私はここに偉大なるジョン・ウィクリフの著作を読み、研究した事を告白する。これは素晴らしい著作だ。聖なる真実を書き記してある彼の著作を誰もが読むべきだ。」
                            (フス)
プラハの大司教はフスを異端と見做しました。そして直ちに戦いを宣言したのです
1410年7月16日プラハの城の中庭でウィクリフの著作200冊が燃やされました。
「なんと愚かなことを、本を燃やしたところで人の信念を変えることが出来るものか。
真実は燃せないのだ。焼かれた本はこの国にとって大きな損失だ。」

フスはチェコスロバキアで異議を唱えると言う伝統を打ち立てました。その伝統は現在にまで受け継がれています。
「教皇様、先ごろ教皇様が下された命令の為に、わが王国は大混乱に陥っております。
お願いでございます。神の名誉の為に、わが国民の為にも出来る限りすみやかにわが教会の司祭ヤン・フスを自由の身にして頂けますでしょうか。神のみ言葉が隠されるべきではありません。聴く者がいるかぎりどこでも説かれるべきなのです。」
ソフィー王妃
宮廷の支持に安心したフスは教皇の召喚を無視しました。

「教皇には絶対服従なのだと彼等は言う。
教皇を非難してはならない。そんなことを公然と言う彼らこそ異端である。」
(フス)

しかし教会を改革しようとするフスの試みは打ち砕かれてしまいます。
政治的な影響を恐れたベンセツラウスは、もう二度と彼を保護しようとはせず、兄の神聖ローマ帝国の皇帝であるジギスムントに処分を委ねました

「ヤン・フスに教会の改革を云々させるべきではない。我々は教皇庁を支持している。近頃はやりの考えに耳を傾ける積りはない。」
ジギスムント 1368−1437
神聖ローマ皇帝 フス派を弾圧

ジギスモントはコンスタンツで開かれる公会議に、自説を弁護してはどうかとフスに提案しました。フスはその言葉を信じてコンスタンツに赴きました。すると異端のかどで投獄されてしまったのです。

「ジギスムントが私のことを忘れてしまったとは驚きである。
彼と話す前に、私は異端の宣告を受けるだろう。こうなったからには自説を撤回し悔い改め罪を償う行為をしない限りは火炙りの刑だ。」

「聴け、ヤン・フス。
神聖なる公会議の決定に全面的に従い、自らの過ちを認めよ。さもないと法の定めるところにより、お前を処刑することになる。」

「私、ヤン・フスは神に背いて偽りの誓いをたてることを、真実に背くことを、聖人の教えに背く事を恐れる。自説は撤回できない。」
1415年7月15日ヤン・フスは火あぶりの刑になりました。


私は思う。
「建前」が崩れたら終わりである。
どう言う社会であろうか。
実際、私が住んでいる所で、数年前こんなことを言われた。
「早く謝って返してもらいな」・・・{解説}(盗まれる、お前の方が悪いんだ。盗みは当然である。と言う意味)。
これは私が部屋の鍵がなくなって困っていた時のことだ。
私は暴力団と仲が悪い。
と言っても一方的に、こっちがやられているだけだが。
この町では暴力団が権威を持っているのである。

私はヤン・フスの気持ちがよく判る。
皆どちらが正しいのか、とっくに判っているのに、暴力団の方の味方をします。
私は常識のないバカとして処理されています。
こんな社会風潮をなんと言うのでしょうか。
「人心の荒廃」だと思います。
彼らに注意できる人がいないのです。
私にはフスが信仰のみの動機で、わが身を投げ出したのだとは思えません。
皆さんはどうですか?

自己の物語的観念

                     ハーバード「白熱教室」より
人間は本質的に物語をつむぐ動物である。

私は何をするべきかと言う問いに答えるには、先ずどんな物語の中で私は自分の役を見つけられるのかと言う問いに答えてからでないと答えることはできない。
これがマッキンタイアーの言う自己の物語的観念である。
これがコミュニティや帰属意識とどう関わってくるのか。
マッキンタイアーはこう述べている。
道徳的な考え方の物語的側面を一度受け入れれば、次のことに気づくだろう。
私は、単なる個人として善を求め、美徳を実践することは出来ない。私たちは皆、特定の社会的アイデンティティの担い手として、周囲と付き合う。

私は誰かの息子か娘であり、どこかの都市の市民であり、この一族、あの民族、この国民に属している。
従って、私にとってよい事は、このような役割を生きる者にとって善いことであるはずだ。私は自分の家族、都市、民族、国民の過去から様々な負債や遺産、期待や義務を受けついでいる。

私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。
私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。

さて、マッキンタイアーは自分の物語的な観念「負荷ありき自己」という図式は現代のリベラリズムや個人主義と対立するという事を認識している。


私は思う
マッキンタイアーの考え方はカントの理論に反するのだろうか。
日本の文化では皇室がその中核になっている。
これは歴史を重んずる民族ならば何の抵抗もなく認められる筈である。

民主主義の先輩たる欧米ではこれを認めない国家もあるだろう。
民主主義と皇室は相いれないと言うのであろう。

それは普遍性に関して言えるかも知れないが、忘れてはならないのは「愛」である。
人間である以上家族愛、同族愛等があるからこそ日々を人間らしく幸せに暮らせる筈だ。
愛情は論理では動かない。
人間だからだ。

人間であることを忘れてはならない。
その意味で、問題はカントの言う「定められた枠組み」をどう捉えるか、の問題だと思う。
つまり、普遍性を排除しないのであれば「愛国心」は何の問題もなく世界に受け入れられるべきだと思う。
当然、その普遍性とは世界平和のことだ。

日本人は世界にも例がない、1つしかない、2600年以上も紡いできた歴史を誇りにおもうべきだ。

暴力はなぜ悪いのか

[暴力はなぜ悪いのか]


傷害致死容疑で父親再逮捕へ=葛飾の2歳女児変死―警視庁て、激しい暴行を加えて死亡させた疑いが強まったと判断した.
本容疑者は当初「数日前に公園の滑り台から落ちた」と説明していたが、司法解剖の結果などから、警視庁は虐待事件とみて捜査。同容疑者が30日未明に帰宅した際、愛羅ちゃんがまだ寝ていなかったことに腹を立

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140218-00000056-jij-soci


私は思う。
赤子の泣き声がうるさいと言って、殺したのが沖縄戦だった。
この父親に、それをどう思うか聞いてみたい。
今の日本人の道徳観念は戦前に比べてどうなのだろうか。

すぐ暴力をふるう自制心のなさはいたる所で目につくようになった。
「弱いくせに逆らうな」という理屈らしい。
それが「道理」ならば法律は必要なくなる。

暴力をふるったら「理屈」も「道理」もふっ飛んでしまうのだ。
後はどっちが強いかしかなくなるのだ。

そうなったらどうゆう社会になるのか。

こんなことが判らない政治家に「知性」はない。


皆さん、「暴力」に「暴力」で応じてはいけません。
それは単なる「ヤクザな縄張り争い」でしかありませんよ。
「悪」は公開の場に引きずり出してやっつけましょう。「真実」は通じます。
争うことで物事が表れてきます、陰で始末させてはいけません。
「証明してみろよ」、「証拠みせろよ」と逆切れされても負けてはいけません。べつに街宣車で怒鳴っている訳ではありませんから。


街に、社会に「正義」を取り戻しましょう。

日本は近代国家なのです。

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