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			<title>如何ならむ初山歩みの麻衣</title>
			<description>常に新しく、又益々つよい驚異と崇敬とを以って心を充たすものが二つある。
１、（上にある星の空）この宇宙の一点に生きている動物としての我々の価値を誠に惨めなものとして見せる。
２、（内にある道徳）叡智としての我々の価値を、我々の人格性によって無限に高めることができる。



尚、このブログは現在戦闘中です。
コメントは鍵つきでお願い申し上げます。

red*u*g*2*0l なる輩に。

私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>如何ならむ初山歩みの麻衣</title>
			<url>https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9d-d7/sw5491/banner/banner.gif?1139277204</url>
			<description>常に新しく、又益々つよい驚異と崇敬とを以って心を充たすものが二つある。
１、（上にある星の空）この宇宙の一点に生きている動物としての我々の価値を誠に惨めなものとして見せる。
２、（内にある道徳）叡智としての我々の価値を、我々の人格性によって無限に高めることができる。



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red*u*g*2*0l なる輩に。

私の所にくるならば、先ず謝罪しなさい。↓
http://paranoiawatch.jugem.jp/?day=20080731</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491</link>
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		<item>
			<title>暴力には暴力？</title>
			<description>「暴力には暴力？」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何を言っているのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
若者を惑わすな！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あんたらどう言う道徳教育を受けてきたんだ。&lt;br /&gt;
言論の自由だと言ってデタラメなことを若者に教えるな。&lt;br /&gt;
社会的責任を意識する心があるならば、暴力を礼讃するるようなことをするな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これだけ倫理・道徳が崩壊した日本社会に、無法者の考えなど披瀝するんじゃない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何が正しくて、何が間違っているのか？&lt;br /&gt;
若者はただ周りに同調していないで、物事の真理を追究してください。&lt;br /&gt;
今、暴力団、インテリヤクザは狡猾な自己正当化を図っています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴力は犯罪です。&lt;br /&gt;
人類は法律を必要だと思ったから創ったのです。&lt;br /&gt;
歴史から学んで下さい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴力（ぼうりょく）とは他者の身体や財産などに対する物理的な破壊力をいう。ただし、心理的虐待やモラルハラスメントなどの精神的暴力も暴力と認知されるようになりつつある。&lt;br /&gt;
｛ウィキペディアより｝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
法律はまだまだ不完全ですが、それは人類の「叡智」なのです。&lt;br /&gt;
法の精神を大切にしましょう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/67331346.html</link>
			<pubDate>Tue, 21 Oct 2014 12:55:29 +0900</pubDate>
			<category>社会教育</category>
		</item>
		<item>
			<title>何が正しくて何が間違っているのか（２）</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-9d-d7/sw5491/folder/1504782/06/67257006/img_0?1409847798&quot; width=&quot;223&quot;&gt;&lt;br /&gt;
｛　何が正しくて何が間違っているのか（２）｝&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＮＨＫ「知への旅」ルネッサンス　より&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヤン・フスの死から１００年後、一人の男が再び教会に異議を申したてました。この異議申し立てはヨーロッパを二分し、彼の名を永遠に歴史にとどめることになりました。その人物とはマルティン・ルターでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私が大学で学んでいた時、図書館でヤン・フスの説教集を見つけた。&lt;br /&gt;
その本を読んだ私は驚きを隠しきれなかった。なぜこれ程の洞察力と知性をもって聖書を解説した人物を火あぶりにしたのだろう。その名前は忌まわしいものとされていたので、その名を口にしたら天が崩れ落ちるのだろうかと思った。悲しい思いでその本を閉じた。」&lt;br /&gt;
								ルター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターもフスと同じように、こう信じていました。聖書の言葉が全てである。神と人間の間に介在者は必要ない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昼も夜も、私は、人は信仰によってのみ義とされる、と言う言葉の意味を考え続けた。私は途方に暮れて、もがき苦しんだ。そして突然、私はこう思った。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「そうだ、信じる者は皆、救われるのだ。」&lt;br /&gt;
私は生まれ変わり、天国に足を踏み入れた心地がした。」&lt;br /&gt;
								フス&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「異議に立ち向かう者には、真実の瞬間とでも言うべきものがありました。苦しみもがいている内に、突然ひらめき、自分が何をすべきかが判るんです。その瞬間、彼は解放感を味わいます。心が解放されるのです。そして後戻りはできなくなります。」&lt;br /&gt;
						セオドア・Ｋ・ラブ&lt;br /&gt;
						プリンストン大学歴史学矜持&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教徒には信仰と聖書が有ればよい。聖書を通じて、人は神と直接結びつくことが出来る。介在者としての教会は必要ない。それがマルティン・ルターの発見した真実でした。&lt;br /&gt;
ルターは教皇の唱える教義と聖書の教えとの間に明らかな矛盾を見て困惑しました。&lt;br /&gt;
しかし勤勉な修道士としての教育を受けたルターは、最初自分の考えを隠していました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
所が１５１７年、教皇レオ１０世はローマのサンピエトロ大聖堂の改築費用を捻出する為に、新たな贖宥状を発行しました。&lt;br /&gt;
どうしたら罪を償えるか悩み続けてきたルターにとって、金で罪を償う贖宥状は許せないものでした。&lt;br /&gt;
「キリスト教徒の金は強欲な大聖堂に吸い込まれて行く。ローマ中の教会や宮殿、城壁や柱が我々の金で建てられる。だが贖宥状で罪を償うことはできないのだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
	１５１７年、ルターは贖宥状を批判する文書をウィッテンブルグ城の教会の扉に貼り出しました。いわゆる９５ケ条の論題でした。&lt;br /&gt;
						「９５か条の論題」　１５１７&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターは慎重に言葉を選びながら、贖宥状の販売は聖書に反することを公にしています。ルターは神学者たちに議論を促すつもりでしたが、反響はルターの予想を超えて広がって行きました。&lt;br /&gt;
教皇はザクセン侯フリードリッヒにルターを捉える様、命じました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「親愛なる息子よ、かの邪悪なマルティン・ルターをそなたが保護していると聞いておる。直ちにルターを捉え教皇庁に引き渡すよう命ずる。」&lt;br /&gt;
						レオ１０世　１４７５－１５２１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかしフリードリッヒの返事は。&lt;br /&gt;
「ルターの説を撤回させるに足る理由があるとは思えません。彼をローマに送るにしても、追放するにしても、それは彼が異端であると宣告されてからで好いでしょう」&lt;br /&gt;
フリードリヒ３世　１４６３－１５２５&lt;br /&gt;
ザクセン侯　ドイツの反皇帝派有力諸侯&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルネサンスの君主の保護により、ウィッテンブルク城の教会は宗教改革の砦となりました。&lt;br /&gt;
フリードリッヒの保護を受けてルターは異議申し立てを続けました。&lt;br /&gt;
彼の主張は教会の壁を超えて広く世間に知られたのは、ルネサンス最大のある発明のお陰でした。&lt;br /&gt;
そう、活版印刷でした。&lt;br /&gt;
１５世紀の半ば活版印刷が実用化されると知識は特権階級のものだけではなくなりました。すでに人文主義の本が出版され、印刷機の威力を証明していました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今度はルターの番でした。彼はローマカトリック教会に対する痛烈な批判を展開、彼の支持者も文章や絵で教皇派を風刺しました。&lt;br /&gt;
教皇派も反撃しました。どちらが正当かを争う戦いが始まりました。ルター派とカトリック派は世界初の宣伝戦争を繰り広げたのです。&lt;br /&gt;
教皇レオ１０世はルターの主張を嫌というほど聞かされました。そして１５２０年、教皇は遂に異議を唱え続けるルターを破門にするという勅令を出します。&lt;br /&gt;
「主よ我々の申し立てを裁きたまえ。&lt;br /&gt;
イノシシが主のブドウ園を荒らしている。ドイツで古代の異教が息を吹き返しつつあることに我々は深い悲しみを覚える。多くの誤りを含むマルティン・ルターの著作は燃やされるべきである。ルター自身は６０日以内に、教皇庁に服従すべきである。」&lt;br /&gt;
レオ１０世&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「もう賽は投げられた。引き返せないのだ。&lt;br /&gt;
教皇庁が私をどう思おうと、どうでも好いことだ。彼らとは和解しない、永遠に彼らと関わるつもりはない。&lt;br /&gt;
彼らが私の著作を燃やすなら、私もお返ししよう。教皇の教練集を燃やすのだ。あれこそ異端の書だ。」&lt;br /&gt;
ルター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人は迷いを超えて為すべき事をするんです。私がウーマン・リブ運動の出発点となった本「新しい女性の創造」を書いた時、私はどうかしているんじゃないかと言う気持ちの揺れがありました。自分の信じることが社会の常識に挑戦するものだと言う事が判っていたからです。でもあの本があれ程の革命を引き起こすとは思っていませんでした。ほんとに予想もしていなかったんです。もしそれが判っていたら、その責任の重さに、きっと震え上がっていたと思います。」&lt;br /&gt;
ペティ・フリーダン&lt;br /&gt;
ウーマン・リブの火付け役&lt;br /&gt;
							「新しい女性の創造」著者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私たちは学生運動をしながら、自分のことを改革者だと思っていました。歪んだ体制が改革を拒むのなら革命的とも言える位の行動をして、体制を変えて行くしかないと思っていました。ちょうどルターが、神に忠実であろうとすれば、既成の教会と戦わなければならなかったのと同じことです。」&lt;br /&gt;
トッド・ギトリン&lt;br /&gt;
アメリカ学生運動の元指導者&lt;br /&gt;
「６０年代アメリカ」著者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターはもう後戻り出来ませんでした。&lt;br /&gt;
ドイツの新しい皇帝カール５世はルターをウォルムスの帝国議会に呼び出しました。ルターはヤン・フスの二の舞になる事を恐れず、喜んで出かけて行きました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ドイツ・ルネサンスの１５２１年、ルターは彼を非難する人々の前に立って力強い演説をしました。&lt;br /&gt;
「私の良心は神の言葉に従うものだ。だからこそ私は自説を撤回しない。良心に背いては正義も平和もないからだ。神のご加護を。アーメン。」&lt;br /&gt;
							ルター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターの一歩も引かない挑戦を受け皇帝カール５世は勅令を出しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「これよりルターは異端を宣告されたものとする。彼を支持する者も有罪。彼の著作は人々の記憶から抹消されるべきである。」&lt;br /&gt;
カール５世　１５００－５８&lt;br /&gt;
ドイツ神聖ローマ皇帝 ドイツ諸侯と反目&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人々はルターの運命をかたずを飲んで見守っていました。ルターが行方不明になると殺されたのではないかと言う噂がながれました。ドイツルネサンスの先駆的な画家アルブレヒト・デューラーは日記にこう記しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「金曜、マルティン・ルターが裏切りによって捕えられたと言う噂を聞いた。彼の生死は判らない、もし既に殺されてしまったとしたら、それは反キリスト的な教皇制度を非難したからだ。彼はキリストの真実の為に受難したのだ。」&lt;br /&gt;
画家アルブレヒト・デューラー&lt;br /&gt;
１４７１－１５２８&lt;br /&gt;
しかし、ルターは生きていました。ザクセン侯フリードリッヒによって連れ出されワルトブルグにある彼の城に匿われていたのです。ルターはルネサンス時代の二人の君主、ザクセン侯フリードリッヒと皇帝カール５世の勢力争いの駒となったのです。ルターはここで支持者と離れて自ら唱えた異論について、一人思索を深めることになりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターは聖書をドイツ語に翻訳し始めます。&lt;br /&gt;
ウィクリフやフスと同じ様にルターも又、キリスト教徒は聖書の言葉に直に触れるべきだと考えていました。&lt;br /&gt;
１５２２年に出版された聖書のドイツ語訳はベストセラーとなりました。&lt;br /&gt;
						聖書のドイツ語訳出版　１５２２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターの敵はこう書き遺しています。&lt;br /&gt;
ルターの聖書は大量に出回り、皆に読まれている。床屋も靴屋も女も、たいして知識もない者も、それがあたかも真実の泉であるかの様に読んでいるのだ。&lt;br /&gt;
それがキリスト教の分裂を招くものであると人々に判らせることは出来ないのか。&lt;br /&gt;
ルターはこのような批判に、黙っていませんでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「信じるも信じないも、その人の良心しだいだ。教区の司祭は人の意思に口出しすべきではない。人々が自分の意思で信じるものを認めるべきである。人々を縛り付けてはならない。」&lt;br /&gt;
								ルター&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターがワルトブルクで隠遁生活を送っている間に、彼の宗教改革の政治的、社会的影響は広がって行きました。ドイツでは農民たちルターの考え方に触発されました。&lt;br /&gt;
「ルターは全て人は自由だと言う。だが、我々の領主は、奴隷として生まれたからには、領主に絶対服従しなければならないと言う。&lt;br /&gt;
領主が我々を農奴の身分から解放する事を望む。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルターは彼の主張から枝分かれした新たな異議申し立てが始まったことに気づいていました。&lt;br /&gt;
「平民も考え始めたのだ。領主に見下されることに反発して力を結集するようになったのだ。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　			ルター&lt;br /&gt;
								ルター&lt;br /&gt;
領主たちは鎮圧のための兵士を繰り出しました。多くの農民が拷問され、辱めを受け、殺害されました。最終的には、農民側の死者は１２万にも達したと言われています。&lt;br /&gt;
ルターが残虐な弾圧を支持したことに憤慨したトマス・ミンツァーは農民側に立って、新たな異議申し立てをしました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「マルティン・ルターは貧しい者には神の言葉さえ有れば十分だと言う。彼は判っているのだろうか、日々の糧を得るのに勢一杯で神の言葉を読む時間もない人々が居るということを。&lt;br /&gt;
領主が貧乏人を苦しめ、川を泳ぐ魚、空を飛ぶ鳥までも自分のものだと主張する。嘘つきマルティン先生はそれを見てアーメンと言う。日和見主義のマルティン先生に何の勇気があるものか。ウィッテンブルクの教皇め、フラフラと軟弱な、このおべっか野郎。」&lt;br /&gt;
	トマス・ミュンツァー １４９０－１５２５&lt;br /&gt;
ドイツの宗教家 農民戦争の指導者&lt;br /&gt;
最大の皮肉は、最大の改革者であるルターが革命に背を向けたことでした。自分の主張を守る為にルターは反動的になりました。自分の説に固執する熱意は時にローマカトリック教会以上でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私の教義は誰にも判断させない。例え相手が天使でもだ。キリスト教徒には命を賭けて信じる事ができる明確な教義が必要なのだ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「自分の信じる道を発見した者は、それをどこまでも守り、自分の思う通りに世の中を変えて行こうとします。自分はどうすべきか判っているのだからと。しかしそれは傲慢で反人道的な行為です。人々の生活を考えていないからです。」&lt;br /&gt;
プロニスワフ・ゲレメク&lt;br /&gt;
ポーランド「連帯」元活動家 下院議員&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プロテスタント教会と、復興をしたカトリック教会の対立は宗教戦争へと発展しました。お互いに相手の信仰を認めようとせず、殺しあったのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ヨーロッパ中を恐怖と殺戮の嵐が吹き荒れました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
やがて自分たちと違う信仰に対する寛容の精神を求める声が高まって行きます。&lt;br /&gt;
フランスの人文主義者セバスチャン・カスティリオは異論を唱える者に対して新しい考え方を示しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人を殺した所で教義を変えることは出来ない。ただ人が死ぬだけなのだ。」&lt;br /&gt;
セバスチャン・カステリ・ヨン １５１５－６３&lt;br /&gt;
フランスの神学者 人文主義者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
異論に対しても寛容の精神を示す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この考え方こそがルネサンスが到達した人間の叡智でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ルターや他の改革者たちが行き過ぎとも言える挑戦をしなかったら、現代と言う時代はやって来なかったでしょう。」&lt;br /&gt;
トッド・ギトリン&lt;br /&gt;
　アメリカ学生運動の元指導者&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「異議を唱えると言う事は、人類の歴史に於いて非常に重要なことです。&lt;br /&gt;
教会と言う既成の権威に立ち向かった人々の精神は、今日の社会の中でも脈々と生き続けています。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プロニスワフ・ゲレメク&lt;br /&gt;
　ポーランド「連帯」元活動家&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
宗教改革から５００年経った今も、権威に対して異議を申し立てる人々がいます。&lt;br /&gt;
今日、街頭で抗議運動が出来るのも、ルネサンス時代に偉大な先人達が居たからなのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ヤン・フスやマルティン・ルターが宗教、政治、社会の権威に立ち向かっただけではありませんでした。&lt;br /&gt;
彼等は、そのつもりが有ったかどうかはともかく、異議を唱える者が居なければ権威は簡単に独裁者になり得ることを教えてくれたのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ルネサンスの勇敢な思想家たちのお陰で、私たちは異議を唱えること、そして異なった考えに対して、寛容の精神を示すことの大切さを知っています。&lt;br /&gt;
本当に自由であれば、真実はどこまでも追求できると言う事を私たちは知っています。それはルネサンスの末期にイギリスの詩人ジョン・ミルトンが書き残した言葉によく表れています。」&lt;br /&gt;
案内役&lt;br /&gt;
イアン・リチャードソン&lt;br /&gt;
　イギリスの俳優 英米の舞台を&lt;br /&gt;
中心に 映画 ＴＶでも活躍&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「知ろうと言う気持ちが大きければ、当然多大な議論が行われ、様々な意見が登場する。真理と虚偽とを組み打ちにさせるがよい、自由で公開の場の対決に於いて真理が虚偽に負けた例があるだろうか。」&lt;br /&gt;
					「言論の自由―アレオパチティカ」から&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これは今日に於いても、最も解き放たれた理想です。その理想はルネッサンスと呼ばれる時代かちが受け継いだ遺産なのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う。&lt;br /&gt;
言うこととやる事が違う。&lt;br /&gt;
それを追求すると暴力となって返ってくる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
力を信ずるものは道理は後回しなのだ。&lt;br /&gt;
人々の上に立てるだけの人格を持たない者がリーダーになるからおかしなことになるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴史を振り返ってみれば、どのリーダーが何を間違ったか知ることができる。&lt;br /&gt;
むろん、「もしも」や「こうしていれば」は無意味な愚痴かもしれない。&lt;br /&gt;
しかし後世への良き、悪しき手本であることは間違いない。&lt;br /&gt;
トップリーダーは比較困難なものを比較選択し、データ不足の中で決断しなければならない。&lt;br /&gt;
統率すべき部下がどれだけ責任感をもってことに当たっているのか知らなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フスやルターは何を我々に伝えてくれているのだろうか？&lt;br /&gt;
現実主義者は「力」を信じ、理想主義者は「理」を信ずる。&lt;br /&gt;
結果は現在の通り「力」が勝利している。&lt;br /&gt;
しかし、「力」は人々を押さえつけることはできても、人々を治めることはできないのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
権力者はそれを忘れてしまうのだ。&lt;br /&gt;
自称、民主主義のリーダーを唱えながら、多数の貧民を押しつぶしている大国。&lt;br /&gt;
この少数の富裕層向き国家群は覚醒すべきではないのか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確かに低所得層は教養がない。道徳、知性に欠けるところがある。&lt;br /&gt;
それはやむを得ない。出発点からハンデを背負っているのだから。&lt;br /&gt;
それは自由市場経済の自然な成り行きだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
問題は勝利者層である。&lt;br /&gt;
競争に勝ったからそれで良いのだろうか？&lt;br /&gt;
個人の自由なのだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
早い話が、暴力団が成り上がって政治、経済を掌握したら、どんな国家になるのだろうか？&lt;br /&gt;
デタラメな法律がまかり通るだろう。&lt;br /&gt;
彼らの世界認識は弱肉強食世界である。世の中は闘争世界なのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
闘争社会に於いて「弱さ」は「悪」なのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皆さん、貴方の世界観では現実社会は闘争社会ですか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/67257006.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Sep 2014 01:23:18 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>何が正しくて何が間違っているのか？</title>
			<description>｛何が正しくて何が間違っているのか？｝&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＮＨＫ「知への旅」ルネッサンス　より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「中世の終り頃、ヨーロッパでは密かに革命が起こりつつありました。&lt;br /&gt;
危険を冒して変革を成し遂げるか。不満が有っても現状に甘んじるか。&lt;br /&gt;
私たちには二つの選択肢があります。そして何時の時代にも社会を変える為に、敢えて危険を冒した人達が居ました。」&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　プロニスワフ・ゲレメク&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　ポーランド「連帯」元活動家&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
教皇のボニファテウス8世はこう宣言しました。&lt;br /&gt;
「我々は全てのキリスト教徒に申し渡す。神によって救済される事を望むならば、如何なる人間なりとも教皇に服従せねばならぬ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私はこう決めている。より優れている考え方を見つけた時には、自分の考えは喜んで捨てるのだ、私の知っていることより知らないことの方がはるかに多いのだから」（フス）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
プラハは国際色豊かな街でした。この街でフスは様々な国の人々と出会いました。ドイツ人、イタリア人、ユダヤ人、スラブ人。そして彼らの異なる考え方や生活、信仰などについて議論したのです。&lt;br /&gt;
異なる考えを持つ人々は意見を戦わせました。&lt;br /&gt;
ヤン・フスがイギリスの神学者ジョン・ウィクリフの主張を知ったのも、そのような討論を通してでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「教皇制度は悪に満ちている。&lt;br /&gt;
教皇はキリストに背く罪深い人間だ。彼は悪魔の軍団の指導者であり、魔王の手先である。&lt;br /&gt;
色を塗った丸太より酷い偶像でしかない。」&lt;br /&gt;
フスに先立つこと４０年、ウィクリフも聖書の教えによって目を開かれました。&lt;br /&gt;
彼はローマ教皇と言う権威に挑戦しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「キリストは体を休める場所すらなかったのに、教皇はなんと広大な領土を所有していることだろう。教皇のふるまいは傲慢であり、柔和だったキリストとはかけ離れている。」&lt;br /&gt;
                                             (フス)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キリスト教徒が従うべきは教皇ではなく、聖書である。ウィクリフのこの主張にフスも全く同感でした。&lt;br /&gt;
フスはその考えを大学の中だけでなく、教会で広く人々に訴えようとしました。彼はラテン語ではなくチェコ語で説教をし、人々に大きな感銘を与えました。&lt;br /&gt;
フスはウィクリフの著作を翻訳して宮廷の人々に贈り、支配階級からも支持を取り付けました。しかしプラハの大司教はウィクリフの著作の没収を命じました。フスは抗議します。&lt;br /&gt;
私はここに偉大なるジョン・ウィクリフの著作を読み、研究した事を告白する。これは素晴らしい著作だ。聖なる真実を書き記してある彼の著作を誰もが読むべきだ。」&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（フス）&lt;br /&gt;
プラハの大司教はフスを異端と見做しました。そして直ちに戦いを宣言したのです&lt;br /&gt;
141０年７月1６日プラハの城の中庭でウィクリフの著作200冊が燃やされました。&lt;br /&gt;
「なんと愚かなことを、本を燃やしたところで人の信念を変えることが出来るものか。&lt;br /&gt;
真実は燃せないのだ。焼かれた本はこの国にとって大きな損失だ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
フスはチェコスロバキアで異議を唱えると言う伝統を打ち立てました。その伝統は現在にまで受け継がれています。&lt;br /&gt;
「教皇様、先ごろ教皇様が下された命令の為に、わが王国は大混乱に陥っております。&lt;br /&gt;
お願いでございます。神の名誉の為に、わが国民の為にも出来る限りすみやかにわが教会の司祭ヤン・フスを自由の身にして頂けますでしょうか。神のみ言葉が隠されるべきではありません。聴く者がいるかぎりどこでも説かれるべきなのです。」&lt;br /&gt;
ソフィー王妃&lt;br /&gt;
宮廷の支持に安心したフスは教皇の召喚を無視しました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「教皇には絶対服従なのだと彼等は言う。&lt;br /&gt;
教皇を非難してはならない。そんなことを公然と言う彼らこそ異端である。」&lt;br /&gt;
                                                                (フス)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし教会を改革しようとするフスの試みは打ち砕かれてしまいます。&lt;br /&gt;
政治的な影響を恐れたベンセツラウスは、もう二度と彼を保護しようとはせず、兄の神聖ローマ帝国の皇帝であるジギスムントに処分を委ねました&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ヤン・フスに教会の改革を云々させるべきではない。我々は教皇庁を支持している。近頃はやりの考えに耳を傾ける積りはない。」&lt;br /&gt;
                            ジギスムント　１３６８－１４３７&lt;br /&gt;
                            神聖ローマ皇帝 フス派を弾圧&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
ジギスモントはコンスタンツで開かれる公会議に、自説を弁護してはどうかとフスに提案しました。フスはその言葉を信じてコンスタンツに赴きました。すると異端のかどで投獄されてしまったのです。&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
「ジギスムントが私のことを忘れてしまったとは驚きである。&lt;br /&gt;
彼と話す前に、私は異端の宣告を受けるだろう。こうなったからには自説を撤回し悔い改め罪を償う行為をしない限りは火炙りの刑だ。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「聴け、ヤン・フス。&lt;br /&gt;
神聖なる公会議の決定に全面的に従い、自らの過ちを認めよ。さもないと法の定めるところにより、お前を処刑することになる。」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「私、ヤン・フスは神に背いて偽りの誓いをたてることを、真実に背くことを、聖人の教えに背く事を恐れる。自説は撤回できない。」&lt;br /&gt;
	１４１５年7月１５日ヤン・フスは火あぶりの刑になりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う。&lt;br /&gt;
「建前」が崩れたら終わりである。&lt;br /&gt;
どう言う社会であろうか。&lt;br /&gt;
実際、私が住んでいる所で、数年前こんなことを言われた。&lt;br /&gt;
「早く謝って返してもらいな」・・・｛解説｝（盗まれる、お前の方が悪いんだ。盗みは当然である。と言う意味）。&lt;br /&gt;
これは私が部屋の鍵がなくなって困っていた時のことだ。&lt;br /&gt;
私は暴力団と仲が悪い。&lt;br /&gt;
と言っても一方的に、こっちがやられているだけだが。&lt;br /&gt;
この町では暴力団が権威を持っているのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私はヤン・フスの気持ちがよく判る。&lt;br /&gt;
皆どちらが正しいのか、とっくに判っているのに、暴力団の方の味方をします。&lt;br /&gt;
私は常識のないバカとして処理されています。&lt;br /&gt;
こんな社会風潮をなんと言うのでしょうか。&lt;br /&gt;
「人心の荒廃」だと思います。&lt;br /&gt;
彼らに注意できる人がいないのです。&lt;br /&gt;
私にはフスが信仰のみの動機で、わが身を投げ出したのだとは思えません。&lt;br /&gt;
皆さんはどうですか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/67237732.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Aug 2014 21:48:51 +0900</pubDate>
			<category>その他政界と政治活動</category>
		</item>
		<item>
			<title>自己の物語的観念</title>
			<description>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ハーバード「白熱教室」より&lt;br /&gt;
人間は本質的に物語をつむぐ動物である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は何をするべきかと言う問いに答えるには、先ずどんな物語の中で私は自分の役を見つけられるのかと言う問いに答えてからでないと答えることはできない。&lt;br /&gt;
これがマッキンタイアーの言う自己の物語的観念である。&lt;br /&gt;
これがコミュニティや帰属意識とどう関わってくるのか。&lt;br /&gt;
マッキンタイアーはこう述べている。&lt;br /&gt;
道徳的な考え方の物語的側面を一度受け入れれば、次のことに気づくだろう。&lt;br /&gt;
私は、単なる個人として善を求め、美徳を実践することは出来ない。私たちは皆、特定の社会的アイデンティティの担い手として、周囲と付き合う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は誰かの息子か娘であり、どこかの都市の市民であり、この一族、あの民族、この国民に属している。&lt;br /&gt;
従って、私にとってよい事は、このような役割を生きる者にとって善いことであるはずだ。私は自分の家族、都市、民族、国民の過去から様々な負債や遺産、期待や義務を受けついでいる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。&lt;br /&gt;
私の人生に元々与えられたものであり、私の道徳的な出発点である。それがある程度私の人生に道徳的特性を与えるのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、マッキンタイアーは自分の物語的な観念「負荷ありき自己」という図式は現代のリベラリズムや個人主義と対立するという事を認識している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う&lt;br /&gt;
マッキンタイアーの考え方はカントの理論に反するのだろうか。&lt;br /&gt;
日本の文化では皇室がその中核になっている。&lt;br /&gt;
これは歴史を重んずる民族ならば何の抵抗もなく認められる筈である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
民主主義の先輩たる欧米ではこれを認めない国家もあるだろう。&lt;br /&gt;
民主主義と皇室は相いれないと言うのであろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それは普遍性に関して言えるかも知れないが、忘れてはならないのは「愛」である。&lt;br /&gt;
人間である以上家族愛、同族愛等があるからこそ日々を人間らしく幸せに暮らせる筈だ。&lt;br /&gt;
愛情は論理では動かない。&lt;br /&gt;
人間だからだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人間であることを忘れてはならない。&lt;br /&gt;
その意味で、問題はカントの言う「定められた枠組み」をどう捉えるか、の問題だと思う。&lt;br /&gt;
つまり、普遍性を排除しないのであれば「愛国心」は何の問題もなく世界に受け入れられるべきだと思う。&lt;br /&gt;
当然、その普遍性とは世界平和のことだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本人は世界にも例がない、１つしかない、２６００年以上も紡いできた歴史を誇りにおもうべきだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/67220245.html</link>
			<pubDate>Sun, 10 Aug 2014 22:03:59 +0900</pubDate>
			<category>祭りと伝統</category>
		</item>
		<item>
			<title>暴力はなぜ悪いのか</title>
			<description>[暴力はなぜ悪いのか]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
傷害致死容疑で父親再逮捕へ＝葛飾の2歳女児変死―警視庁て、激しい暴行を加えて死亡させた疑いが強まったと判断した.&lt;br /&gt;
本容疑者は当初「数日前に公園の滑り台から落ちた」と説明していたが、司法解剖の結果などから、警視庁は虐待事件とみて捜査。同容疑者が30日未明に帰宅した際、愛羅ちゃんがまだ寝ていなかったことに腹を立&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140218-00000056-jij-soci&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140218-00000056-jij-soci&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う。&lt;br /&gt;
赤子の泣き声がうるさいと言って、殺したのが沖縄戦だった。&lt;br /&gt;
この父親に、それをどう思うか聞いてみたい。&lt;br /&gt;
今の日本人の道徳観念は戦前に比べてどうなのだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
すぐ暴力をふるう自制心のなさはいたる所で目につくようになった。&lt;br /&gt;
「弱いくせに逆らうな」という理屈らしい。&lt;br /&gt;
それが「道理」ならば法律は必要なくなる。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
暴力をふるったら「理屈」も「道理」もふっ飛んでしまうのだ。&lt;br /&gt;
後はどっちが強いかしかなくなるのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そうなったらどうゆう社会になるのか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こんなことが判らない政治家に「知性」はない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
皆さん、「暴力」に「暴力」で応じてはいけません。&lt;br /&gt;
それは単なる「ヤクザな縄張り争い」でしかありませんよ。&lt;br /&gt;
「悪」は公開の場に引きずり出してやっつけましょう。「真実」は通じます。&lt;br /&gt;
争うことで物事が表れてきます、陰で始末させてはいけません。&lt;br /&gt;
「証明してみろよ」、「証拠みせろよ」と逆切れされても負けてはいけません。べつに街宣車で怒鳴っている訳ではありませんから。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
街に、社会に「正義」を取り戻しましょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本は近代国家なのです。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66890795.html</link>
			<pubDate>Tue, 18 Feb 2014 17:58:18 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>靖国神社問題</title>
			<description>ウィキペディア（Wikipedia）より&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
松平永芳（まつだいら ながよし 1915年（大正4年）3月21日 - 2005年（平成17年）7月10日）は、日本の海軍軍人、陸上自衛官、神官。靖国神社第6代宮司（1978年 - 1992年）時代には、昭和殉難者（東京軍事裁判におけるA種戦犯容疑者、俗にA級戦犯）の合祀を実施したことで知られる。&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	松平が宮司になって考えたのは、何か決断を要する場合、祭神の意に沿うか沿わないか、遺族の心に適うか適わないか、それを第一にして行くとの方針の下に、次の三原則を定めた。&lt;br /&gt;
1.	日本の伝統の神道による祭式で、御霊をお慰めする。&lt;br /&gt;
2.	鳥居や神殿などの神社のたたずまいを、絶対に変えない。&lt;br /&gt;
3.	明治天皇が命名した社名を変えない。&lt;br /&gt;
&amp;#8226;	いわゆる“A級戦犯”14柱の合祀についての松平の考えは、「国際法的に認められない東京裁判で戦犯とされ処刑された方々を、国内法によって戦死者と同じ扱いをすると、政府が公文書で通達しているから、合祀するのに何の不都合もない。むしろ祀らなければ、靖国神社は僭越にも祭神の人物評価を行って祀ったり祀らなかったりするのか、となる」であった。故に靖国神社の記録では、戦犯とか法務死亡と云う言葉を一切使わないで、「昭和殉難者」とすべし、という「宮司通達」を出し、これを徹底させた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「富田メモ」&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公開された富田メモの一部は以下の通りである。靖国神社についての発言は1988年4月28日（昭和天皇の誕生日の前日）のメモにあった。&lt;br /&gt;
私は或る時に、A級が合祀され&lt;br /&gt;
その上 松岡、白取までもが&lt;br /&gt;
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが&lt;br /&gt;
松平の子の今の宮司がどう考えたのか&lt;br /&gt;
易々と&lt;br /&gt;
松平は平和に強い考えがあったと思うのに&lt;br /&gt;
親の心子知らずと思っている&lt;br /&gt;
だから 私あれ以来参拝していない&lt;br /&gt;
それが私の心だ&lt;br /&gt;
※「易々と」の左側の位置から「そうですがが多い」「全く関係者も知らず」の2行が縦書きで書かれている。&lt;br /&gt;
メモは、「私は或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白取までもが、筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」と記している。松岡は日独伊三国同盟を締結し、A級戦犯で合祀されている元外務大臣の松岡洋右、白取はこれもA級戦犯で合祀されている元駐イタリア大使の白鳥敏夫、筑波は1966年に旧厚生省からA級戦犯の祭神名票を受け取りながら合祀しなかった靖国神社宮司の筑波藤麿とみられる。昭和天皇は、筑波宮司がA級戦犯合祀に慎重であったのに対し、筑波が退任後、A級戦犯が合祀されたことに懸念を表明し、その中でも松岡洋右と白鳥敏夫までもが合祀されたことに強い不快感を表明した。&lt;br /&gt;
メモは、さらに「松平の子の今の宮司がどう考えたのか」「松平は平和に強い考があったと思うのに」と記している。「松平」は終戦直後の最後の宮内相の松平慶民。「松平の子」は、長男で1978年にA級戦犯を合祀した当時の靖国神社宮司・松平永芳とみられる。「親の心子知らずと思っている」として、松平慶民は合祀に慎重であったのに、その子供である松平永芳が、「易々と」合祀してしまったことに対して昭和天皇は強い不快感を表明した。末尾には「だから 私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」と記述されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昭和天皇が1975年11月21日以降靖国神社に参拝しなくなった原因として、以前から推測されていたA級戦犯合祀が問題だったという説を裏付けるものだとして、テレビ・新聞などは大々的に報じた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う&lt;br /&gt;
爆弾三勇士を讃え，永くその誠真を尊崇することは武人、遺族，国民にとって当然だ。&lt;br /&gt;
しかし、彼等が神になるというのにはついていけない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「人間宣言」は1946年1月1日に官報により発布された昭和天皇の 詔書の通称である。&lt;br /&gt;
「神の末えいにはあらず、には同意できない」との陛下のお言葉も素直に賛意できます。&lt;br /&gt;
そもそも神社神道と国家神道は違う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
根本的に、靖国神社は国家神道そのもののはずだ。&lt;br /&gt;
国に命を捧げた兵士たちの御霊をお慰めするのに反対する人は世界にも僅かだろう。&lt;br /&gt;
では靖国神&amp;#12851;の何が問題なのだろうか。&lt;br /&gt;
帝国主義の軍隊はみな侵略し、掠奪し、犯した。&lt;br /&gt;
当時はそれが当然のこととしてまかり通っていたのだ。今の暴力団のように。&lt;br /&gt;
神官が天皇の御意志に逆らって「まつりごと」を右顧左眄するのも同じだ。&lt;br /&gt;
昭和天皇は当時の日本に於いて、最もバランスのとれた、啓かれた広い思想と國際感覚をもつ知識人だったと思う。&lt;br /&gt;
偏った考えで物事を専横する輩は決まって，力を背景にする「増徴と傲慢」だ。&lt;br /&gt;
今、松平永芳がやったことの弊害が此の国を危機に落とし入れている。&lt;br /&gt;
日本は近代国家です。民主主義国家です。&lt;br /&gt;
もういいかげんに封建制村社会を脱しましょう。&lt;br /&gt;
もうヤクザなことは止めましょう。&lt;br /&gt;
おまかせ民主主義、自分ちさえ好ければ、はもう止めましょう。&lt;br /&gt;
人類は「進歩」しなければならない「義務」を負っているのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし国家改革のあまり自己存在を失わぬようにアイデンティティはしっかりと持ちましょう、</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66797225.html</link>
			<pubDate>Fri, 27 Dec 2013 16:27:17 +0900</pubDate>
			<category>軍事</category>
		</item>
		<item>
			<title>脅迫、犯行予告</title>
			<description>がほどよくボケましたね&lt;br /&gt;
 &lt;br /&gt;
もうすぐ何もかもわからなくなるでしょう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
2013/10/3(木) 午後 7:06[ red*u*g*2*0l ]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66540812.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66540812.html&lt;/a&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66660692.html</link>
			<pubDate>Thu, 10 Oct 2013 13:02:02 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>東京裁判　２</title>
			<description>国家が国家を裁くのはおかしい、国際法があって初めて可能となる筈だと思う。この人たちはそのことに普遍性を確認しながら裁判に臨んだのだろうか？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[裁判管轄権問題]&lt;br /&gt;
当事者である連合国が裁判を行う権利を持つか否か。&lt;br /&gt;
もし持たぬとすれば裁判は成立せず被告は釈放される。&lt;br /&gt;
勿論そのようなことが起こり得ると考えた被告、弁護人は一人も居なかった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「その第一は、当裁判所に於いては平和に対する罪、また人道に対する罪について御裁きになる権限がないと言うことであります」（清瀬弁護人）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「裁判長、十一の国が本法廷に集まり告発の席にいます。彼らは秩序ある国家の代表であります。これらの国は地球全住民の１/２から２/３を含んでおりますが、今次侵略戦争における莫大な量にのぼる資源の損失とおびただしい数の悲惨な人的損失は殺人、略奪等の犯罪行為によるもので、こんにちこれら十一ｹ国が本公判において世界中にこの不幸を招いた責任者を罰しないことがあるでしょうか。これら十一ｹ国の連合国がこの侵略戦争を武力により終結させたのでありますが、彼らがこの侵略者に対し、こんにちただ手をこまねいて、なんら法の処置を加えずに放置しておくことができるでしょうか」（キーナン検事）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
キーナン主席検事は弁護側の法律論議は、文明を救う為に行っているこの裁判に対する挑戦だと言う。&lt;br /&gt;
法律論による反対で犯罪人が処罰されないなら、人類は生き残る法律的権利がなくばるではないか。&lt;br /&gt;
キーナンの反駁はスターリンの演説を引用し、ルーズベルトの言葉をひき、休憩を挟んで延々２時間に及んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
再び反論に立った清瀬弁護人は、時の大統領トルーマンの言葉をひいて報いた。&lt;br /&gt;
「世界の歴史始って以来、初めて戦争製造者を罰する裁判が行われつつある」（トルーマン）&lt;br /&gt;
と言う言葉である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「あなた方の大統領自身が従来の法律的観念では律しえない裁判が行われていることを認めているではないか。それなのに、この裁判が適法であり公正であると主張するのは矛盾ではないか」（清瀬）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「トルーマン大統領が言ったと言うことは本件について何らの関係はありません」（ウェッブ裁判長）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[アメリカ人弁護人による補足動議]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ファーネスは主張する。&lt;br /&gt;
「真に公正な裁判を行うのならば、戦争に関係のない中立国の代表によって行われるべきで、勝者による敗者の裁判は決して公正ではありえない」（ファーネス）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
国際法は国家利益の追求のために行う戦争をこれまで非合法とみなしたことはないとブレークニーは言う。&lt;br /&gt;
歴史を振り返ってみても戦争の計画、遂行が法廷において犯罪として裁かれた試は一つもない。我々はこの裁判で新しい法律を打ち立てようとする検察側の抱負を承知している。&lt;br /&gt;
しかし、そういう試みこそが新しくより高い法の実現を妨げるのではないか。平和に対する罪と名付けられた訴因は、故にすべて当法により却下されねばならない。&lt;br /&gt;
国家の行為である戦争の個人責任を問うことは法律的に誤りである。&lt;br /&gt;
なぜならば国際法は国家に対して適用されるものであり、個人に対してではない。個人による戦争行為と言う新しい犯罪をこの法廷が裁くのは誤りである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
戦争に関し国際法の法規が存在していることは戦争の合法性を示す証拠であります。&lt;br /&gt;
戦争の開始、通告、方法、終結をきめる法規も戦争自体が非合法なら全く無意味です。&lt;br /&gt;
戦争での殺人は罪にならない。それは殺人罪でない。戦争が合法的だからです。&lt;br /&gt;
つまり合法的な人殺しなのです。殺人行為の正当化です。たとえ嫌悪すべき行為でも、犯罪としての責任は問われなかったのです。&lt;br /&gt;
キット提督の死が真珠湾爆撃による殺人罪になるならば、我々はヒロシマに原爆を投下した者の名をあげることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。この国の元首の名前も我々&lt;br /&gt;
は承知している。彼らは殺人罪を意識していたか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
してはいまい。&lt;br /&gt;
我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからです。&lt;br /&gt;
いかな証拠で戦争による殺人が違法なのか。&lt;br /&gt;
原爆を投下した者がいる！&lt;br /&gt;
その投下を計画し、その実行を命じ、それを黙認した者がいる！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その人たちが裁いている。（ブレークニー）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
このくだりは、現在日本で発行されている速記録には、以下通訳なしとして印刷されていない。ブレークニーの論法は必ずしも原爆という新兵器の非人道性を正面から攻撃するものではなかった。しかし昭和２１年５月という占領下の日本で原爆問題に触れることだけでも連合国代表によって構成される法制を刺激したに違いない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
アメリカ人弁護士の協力が必要であるという要請は日本側から出され。マッカーサーが２５人の派遣を承認したものであった。&lt;br /&gt;
果たして昨日までの敵国人である被告の為に、アメリカ人が心から弁護できるものかどうか、ただ裁判の公正を装う見せかけに過ぎないのではないか。&lt;br /&gt;
こうした危惧と不信を抱いた被告、弁護人も多かったと言う。しかし、この日ファーネス、ブレークニーの弁論は法廷の日本人を驚かせた。&lt;br /&gt;
アメリカ人弁護人は日本人弁護人同様に、いやそれ以上に法の公正を要求し、その裁判の欠陥を突いて止まなかった。&lt;br /&gt;
しかし、日米弁護人の裁判管轄権に対する真正面から異議に対しウェッブ裁判長は５月１７日言葉すくなに却下を申し渡した。理由は将来宣告するとして明らかにされず休廷となった。&lt;br /&gt;
裁判は有無を言わさず成立した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う。&lt;br /&gt;
清瀬さんは全力を尽くして戦い、責任を十分に果たしたと思う。&lt;br /&gt;
しかし、アメリカ人弁護人の強烈な理論的追求はどうだろう！&lt;br /&gt;
それをさせるマッカーサーも凄い。&lt;br /&gt;
こんなことは日本ではあり得ない。&lt;br /&gt;
正にこの弁論をもって、この裁判の結論をたたきつけたと言えるのではないだろうか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
これだけの整理された理念と、現実的打算などにも微動だにしない信念は凄い。&lt;br /&gt;
今の日本にこれだけの人物がいるのだろうか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66543108.html</link>
			<pubDate>Wed, 07 Aug 2013 23:16:50 +0900</pubDate>
			<category>軍事</category>
		</item>
		<item>
			<title>東京裁判　１</title>
			<description>[東京裁判]&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
今、日本人はここに戻って考え直す時だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　企画制作　講談社&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　極東国際軍事裁判&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　International military tribunal for the far east.&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　監督　小林正樹　　ナレーター　佐藤　慶&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　キングレコード（株）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　より（抜粋）　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
[裁判長挨拶]&lt;br /&gt;
本法廷を構成する私たちは、ここに集合する前に共同して、公平に感情を交えず法に照らして裁くことを確約した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
［起訴状］　Ｉｎｄｉｃｔｍｅｎｔ&lt;br /&gt;
先ず、原告である連合諸国と被告の個人名を列挙してから、起訴状はニュールンベルグ裁判に倣い、パリ不戦条約に照らしてこう説き起こす。&lt;br /&gt;
１９２８年（昭和３年）１月１日から１９４５年（昭和２０年）９月２日に至る期間に、日本の対内外政策は犯罪的軍部に支配され、且つ指導された。この政策は重大な世界的紛争と侵略戦争の原因となり、平和を愛好する諸国の利益と日本国民自身の利益を大きく失う原因となった。起訴状の殆どを執筆したのは英国の参与検察官コミンズ・カーであっと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
膨大な起訴状は二日に亘って朗読された。東条以下２８名の被告たちは一つの共同謀議に加わっており、その目的は侵略による世界支配であり、その目的の為、通常の戦争犯罪の他、平和に対する犯罪及び人道に対する犯罪を犯し、あるいは犯すことを奨励したと断じた。そして５５の具体的な訴因を列挙し、各被告がどの訴因によって起訴されたかを述べていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
起訴状の内容について２８名の被告たちの思いは様々であったに違いない。&lt;br /&gt;
しかし、被告の一人、賀屋元蔵相の感想は多分全員に共通するものだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「ナチと一緒に挙国一致、超党派的に侵略計画を立てたと言う。そんなことはない。軍部は突っ走ると言い、政治家は困ると言い。北だ、南だと国内はガタガタで、御蔭でろくに計画もできず戦争になってしまった。それを共同謀議などとはお恥ずかしい位のものだ」（賀屋興宣）&lt;br /&gt;
事実、被告たちの中にはこの時までお互いに一面識もなかった者もいたのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う&lt;br /&gt;
コミンズ・カー氏はニュールンベルグ裁判の前提の元で起訴状を作成したのだと思う。&lt;br /&gt;
この時点で三国同盟へのこだわりが、既成事実として確定していると思う。&lt;br /&gt;
彼は日本が計画的に侵略を開始したと思ったのだろうが、それは違う。&lt;br /&gt;
日本はそんなにまとまった政策で開戦などしていない。&lt;br /&gt;
賀屋蔵相の言う通りだ。&lt;br /&gt;
元老が絶えて軍部への押さえがきかなくなって、政府が機能を失ったのだ。&lt;br /&gt;
つまりシビリアンコントロールができなくなってしまったのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その考えで起訴するには、あまりに主観的思い込みが強すぎたと思う。&lt;br /&gt;
日本とドイツの違いを知らなすぎると思う。&lt;br /&gt;
欧米側が相手の状況を知ろうなどとしていない証拠だと思う。&lt;br /&gt;
そこには敵か味方かの思考しか感じ取れない。&lt;br /&gt;
思い込みが強すぎる。&lt;br /&gt;
「公正な裁判」を目指すならば司法の知性的な状況認識を重視しようとする姿勢が示されるべきだと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66540812.html</link>
			<pubDate>Tue, 06 Aug 2013 18:42:19 +0900</pubDate>
			<category>軍事</category>
		</item>
		<item>
			<title>アフガンをどう思っているんだ？</title>
			<description>[アフガンをどう思っているんだ？]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・こんな質問を受けたようだ。&lt;br /&gt;
私はすでに結論を出している。&lt;br /&gt;
と言うか、伊勢崎さんの意見に賛同している。&lt;br /&gt;
彼はこう言っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
争いの一番の原因と言うのが、ちゃんとしたリーダーが作られていないと言うことですか。（ザヘル・ローズ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
か、あるいはリーダーを作るシステムが無いのか。（伊勢崎）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
どう言うシステムが必要なのですか？（ザヘル・ローズ）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そこは難しい、民主主義という言葉を使わなければいけないでしょ？民主化されれば好いシステムが作られる、好いシステムのガバナンスのシステムが出来る。世界中の国が、民主化されれば紛争がなくなるだろうと言うふうに信じたい。しかしその考えを押し進めて行くと。無理にでも民主化されていない国を民主化しようと言う考えが出てくる訳ですね。&lt;br /&gt;
で、戦争が起こる訳です。（伊勢崎）&lt;br /&gt;
【無理な民主化も戦争の原因となり得る】[伊勢崎賢治]&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　以上、ＮＨＫ 　探究Ｑ　なぜ戦争するのか　より（抜粋）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/65474824.html&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/65474824.html&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私は思う、&lt;br /&gt;
この批判論は何もアフガンに限った話ではない。&lt;br /&gt;
これからアフリカではもっと数多く、手のつけようもない厄介な紛争が起きるだろう。&lt;br /&gt;
アメリカはどこまで抱え込むのだろう？&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
もう。そろそろ国連に下駄を預けるべきではないだろうか？</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sw5491/66320444.html</link>
			<pubDate>Mon, 15 Apr 2013 15:15:39 +0900</pubDate>
			<category>中東情勢</category>
		</item>
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