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黒崎政男〜趣味の備忘録

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我が家のオーディオルームには、CDをかける装置がしばらく不在だった。CDはパソコンでリッピングしてデジタル・ファイルの形にしてからLINNのKlimax DSMで再生する形が常態になっていて、CDを直で聞く、という形態はしばらくやめていた。
 過日、季刊誌 STEREO SOUND(2019winter No.209)に「オーディオファイル訪問記」として拙宅のオーディオ装置が紹介されたのだが、その取材のおり、オーディオ界の大御所、柳沢功力氏から、なんでCD再生装置がないのだ、といぶかしがられた。

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(季刊誌 STEREO SOUND  2019Winter p282~289)

 そんなこともあったし、直にCDをかけたいこともあるし、で、ついこの間、CDが直接かかるプレーヤーを入手した。プレーヤーといっても、トランスポーター。DACの部分が省略されている、読み取り装置だけのような形。これをデジタルのまま、Klimax DSMに送ってそのKlimaxのDACを使用するのだから、通常のCDプレーヤーよりは格段に音がいいことが予想される。機種はNUPRIMEの CDT-8 Pro。

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さて、どんなCDソフトをかけてみようか。そういえば、CDも同じ録音でも、初期盤、後発盤、リマスタリング盤と、いろいろ音質が違うことが予想される。
 ちょっと調べてみると、CDもなんとやはり最初期盤が音がもっともいい、と言っている人たちがいる。それによれば、CDが始まったころ、西ドイツのHanover工場で作られたCD盤が実に自然でいい音がする、というのである。まるでLPレコードの初期盤の世界と同様の構造だ。この真偽はおいおい確かめていくことにするとしても、とにかくまずは西ドイツ製のCDを(自分のCDラックから)探し当ててかけてみることにする。
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そこで行き当たったのが、ブレンデルのピアノでバッハ作品集。実にいい音で鳴る。CDも捨てたもんじゃあない。


じゃあ、最近のCDはどうだろう。ジャズで女性ボーカル、キャロル・キッドのCDをかけてみよう。



このようにCDを直でかけて鳴らす音質と、CDをリッピングしてDSで再生する音質にはずいぶん違いがあるように思える。以前は、リッピングしたほうがいい音がすると思えていたが、今回の装置では、なかなかそう単純ではないようにも思われる。リッピングの音は精緻であるが、エネルギー感という点ではCDのほうが勝っているようにも思われる。これはまだファーストインプレッションだ。
ついでに、CDとLPレコードの音も比較してみちゃおう。


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ちょうど、アルゲリッチのチャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番が、西ドイツ製初期盤CDと、同演奏のLPレコード(オランダ・プレス、ほぼ初期盤と言えるLP)が手に入った。ほんとにラフにちょっとかけで、それぞれ鳴らしてみよう。最終楽章の一部分。まずはCD.
次はLPレコードでほぼ同様の箇所。

さあ、どうだろう。性急な結論は出さないこととしよう。CDもなかなかの音で鳴っていると思われる。ただ、フォルテシモになったとき、および、弦楽器の音色と奥深さに関してはやはりLPレコード再生のほうがいいようにも感じる。
さあ、またいろいろ試してみよう。






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シャンソンといえば、戦前のボワイエ「聞かせてよ、愛の言葉を」やリナ・ケッティ「待つわ」などをはじめ、味わい深い曲で溢れている。戦後でもイヴェット・ジローやコラ・ヴォケール、イヴ・モンタンなど、音楽がアメリカナイズされて<フレンチポップス>となってしまう以前のフランス音楽は、実に魅力的だ。
 そのなかでも、バルバラ(Barbara 1930~1997)のシャンソンは、その独特の声もあって、きわめて独自の魅力に満ちている。
 私がバルバラのレコードをよく聴いていたのは、大学院生のころだから1980年前後のことになる。
 今回、銀座のsound create というオーディオ・ショップで、宗教学者の島田裕巳氏と続けている「オーディオ哲学宗教談義」のために、何曲かLPレコードを選ばなければならなくなった。かつての自分が夢中で聴いていたレコード、ということで思いついたのが、このバルバラ。曲はなんといっても「ナント(に雨が降る)」Il pleut sur Nantes。
 当時は、バルバラの「バルバラ・私自身のためのシャンソン」と邦題がついたBarbara chante Barbaraというアルバム全体を聴いていた。日本盤ではA面1曲目(フランス盤では、B面1曲目。他の曲の配置もまったく異なる)にある「ナントに雨が降る」。この曲の異様な暗さと深さに感心させられて、深く印象に残った。その当時は、なにか、戦争で亡くなった人を悼む曲なのかなあ、と勝手に思っていた。

 その歌詞を簡単に挙げてみる。

ナントに雨が降る
ナントの空は私の心を嘆きに閉ざす
・・・・・
「いまわの際に、彼は一目会いたいと願っているのです。」
・・・・・
彼は死ぬ前に 私の微笑みであたためて貰いたがっていた。
だがその夜に彼は亡くなった。
一言の「さよなら」も「愛している」もなく
ああ、わが主よ (Mon Pere, mon Pere)
・・・・・


いま当時の対訳(レコードのパンフレット)を見てみると、「父」と訳すべきところを「主」と訳してあった。(なるほど!いま分かったのだが)そうすると、この歌には、一切、父が出てこないことになる。「ああ我が主よ!」ではなにがなんだか分からない。

歌詞の内容は、

ずっと会っていなかった父がいまわの際で私に会いたがっていた。私はナントに駆けつけたが一足遅く。彼は私に最期に微笑んでもらいたかった。しかしそれはかなわなかった。ナントに雨が降る

ということだ。
この現実の、都市ナントには、この曲のために「バルバラ通り」が作られ、また歌詞に出てくる架空のグランジュ・オー・ルー通りも、1986年に実際の通りに命名された。ネット上の情報を見ると、当時、バルバラは公演の宣伝を一切行わない。にもかかわらず発売直後にチケットが完売する現象は「神話」と呼ばれ、また、制作・発表した作品群はフランス国民のみならず様々な国の聴き手に感銘を与え、現在も圧倒的な支持と評価を受け続けている、ということだ。

 数年前のことだが、私はバルバラの遺作『一台の黒いピアノ』に書かれていた極めて衝撃的な事実を知って、唖然とした。ブックDataベースから内容を引用しておこう。
シャンソンの女王、バルバラは、ユダヤ人として生まれ、ナチス占領下のフランス各地を逃げまどい、放浪し、苦難のなかからシャンソン歌手として成功する。
その波乱の人生をはじめて綴った本書、未完の自伝が人びとに強い衝撃を与えたのは、父親による「インセスト=近親相姦」の思い出が語られたことだった。
「タルプでの一夜、わたしの全世界が恐怖の地獄に転落した」「父に対して、わたしは強い恐怖心を抱いていた。…夜、大きな扉が音を立てて閉じ、中庭の敷石の上を歩いてくる父の足音が響いてくると、わたしは怖くてベッドの中で震えが止まらなかった」一台の黒いピアノとともに生きたバルバラの生涯…。

この近親相姦の事実を知ってからは、「ナントに雨が降る」の意味が深く変わった。このとんでもない名曲の根底には、まったく語られなかった深い闇が横たわっていた。我々聴く者に名状しがたい情動を呼び起こす曲の最深部である。





再生装置はいつものように、LINN LP12(urika2) +Klimax DSM/2 +自作WE205Fアンプ+タンノイIIILZ

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 今回、e-Bayでフランスオリジナル盤を入手して、そちらのレコードを再生している。日本盤でも、十分バルバラの魅力は味わうことができるので大丈夫だ。ただオリジナル盤は、音像にぼやけがなくて、しっかりと力強い。
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ちなみに日本盤のジャケットもあげておこう。オリジナルの表面と裏面を合わせて一つにしたようなデザインで、輸入元の心意気が感じられる。
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 二月も節分を迎え、なにやら急に身体が緩んだせいか、気分も明るくなってきた。久しぶりに、お茶の水のデスク・ユニオンで中古レコードを探っていると、カラヤンのワーグナー「ワルキューレ」全曲盤が眼にはいる。独グラモフォン<tulip>とあるので、1960年代の初期盤だ。はるか昔、大学生時代にもこのレコードは持っていたが、その時のものは日本グラモフォン盤でしかも後発盤だったはず。今は、独グラモフォン盤tulip印(レコードレーベルのデザインが後年はブルーの二重線になったが、1960年代の初期のものは、チューリップのような形をした柄で縁取られている)
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という記述を見つけると、だいたい入手して聴いてみたくなる。独グラモフォン盤の1960年代の録音は、実にいい音がすることは、ヨッフムの一連のブルックナー、クーベリックのシューマン交響曲、ベームのモーツアルトの交響曲など、体験済みである。
 カラヤンの「指環」は意外とその精緻な(躍動的というよりは静的な)演奏が気に入っていて、あのころは(大学生時代)、ベームの「指環」と並んでよく聴いていたものである。
 今回も、さっそくその一面目、ジークムントが逃げ込んできてジークリンデと出会う場面から聴く。G.ヤノヴィッツのシークリンデも、J.ヴィッカーズのジークムントもなにやら薄く軽い。うーん、カラヤンの指環はこんな感じだったっけなあ。チューリップ盤(初期盤)にしたからと言って、画然とよくなる、ということもないのか。というより、カラヤンの「指環」の演奏は盤の音質的向上によっても感激が大きくなることはあまりないのだなあ、と感じた。
 そこでふっと聴こうと思ったのがショルティの「指環」。1950年代末から1960年代の前半に、DECCAレコードが総力を挙げて録音したこのレコードは演奏史上でも録音史上でも世紀の偉業であり、今日でもこれを超えるものは存在しない、と言われ続けてきたものだ。
 私の場合はショルティの指環は、CD時代になってから聴き始め、何度かCDのリマスタリング盤も買い換えながら、今日に至っている。何度か聴いては、いいなあ、と思ったり、やはりホッター、ヴィントガッセン、ニルソンなど最高の歌手たち、企画のプロデューサー、J.カルショーはすごいなあ、とは思ったりしていた。
 最近のLPレコード再開においては、だから、一応、ショルティ「指環」ハイライト盤4枚組(後年のTELDEC時代のものa.1980年)などを入手してお茶を濁していた感じだった。
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今回は、ショルティの演奏を、国内発売の最初期盤(1966年、キングレコード)でかけてみた。すごい!なんという演奏なのだろう。演奏に構成力があって、確信に溢れている音だ。切迫した緊張感を表現する弦の音が、生々しく恐ろしささえ感じさせる。録音がすごくて、ちょうど巨大な建築物がその内部まできわめてくっきりと見渡せるような心地よさ。このレコードは、わざわざ「sonic stageと謳っているように、実際の舞台以上に生々しい音響空間を作り出したdeccaサウンドの真骨頂と言われてきたわけだが、今日、ついに私はようやっと深くこの 音響のステージを実感した。あまりにすごいので、「ワルキューレ」全10面のレコード盤を、三幕三場のヴォータンの別れ、やら、二幕四場のブリュンヒルデの死の告知、やら、三幕前奏曲ワルキューレの騎行、やら、一幕三場の春の訪れ、と好みの部分をあらかた聴いてしまった。
 
(ショルティ指揮「ワルキューレ」第一幕前奏曲


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しかし、不思議なものだ。何十年も聴いてきた演奏が、ようやっと今日になって、ついにその真価を体感できることになったとは。
まあ音楽に限らず、古典を味わう、ということは、このように時間がかかることなのかもしれない。しかし、そうなると逆に、実に人生(おおげさ(笑))おおいに楽しみである。慣れ親しんだものたちが、ますます味わい深く光り輝く、ということにもなるのだから。

 しかし、不思議。なぜこんなに。おそらく、レコードは国内盤なのではあるが、音のいいLONDON盤で、しかも発売日付が1966年、とほんとに初期盤に近い。このレコードは、音楽関係の友人(プロのチェリスト)から「もうLP装置もやめて聴けなくなったが、捨てるにしのびなくずっと保存してきたもの」をいただいたものだ。パンフレットには、購入日時が1969.12と記されている。ちょうど50年経って、私のオーディオ装置でふたたび再生されることになろうとは。

(装置はプレーヤーがLINN LP12 でurika2を内蔵した形。考えてみれば、urika2を搭載して、ショルティのワーグナーを聴くのは初めてだったかもしれない。LP12(+
urika2)の再生能力恐るべし、ということかもしれない。)



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(実はなんだかんだと言って、「指環」のレコードは「レコード再開」のこの3年のあいだでも、結構貯まっていたことに気がついた)


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LINN LP12 KANDID

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 ジャズが歴史上初めてレコードに録音されたのは1917年。オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dexieland "Jass" Band)が米国ビクターに吹き込んだ「Dixie Jass Band One Step」(A side)と「Livery Stable Blues」(B side)の2曲(米Victor レコード番号18255)がそれだ。
 一昨年2017年はちょうどその100年後にあたったため、ジャズ100周年の年として、いろいろな企画が行われた年となった。

 私もその年の大晦日、NHKラジオ第一「教授の大みそか〜蓄音機&SPレコード特集」(第11回)の番組の中で、ジャズレコード100年、というコーナーを作って、オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド(ODJB)演奏の1917年発売のSPレコードを放送で掛けた。(「ダークタウン・ストラッターズ・ボール」 演奏)オリジナル・デキシーランド・ジャズ・バンド <1917年>※1917年世界初のジャズレコード吹き込みの一枚)


 実は、このコーナーのために、私は1917年のレコードの一番はじめに発売された正真正銘の「史上初のジャズレコード」たる、Victor18255をどうしても手に入れたかった。神保町のFレコード社で相談すると「ODJBのオリジナルのSPレコードなんてほとんど入手困難ですし、いわんや、18255なんて、ジャズの博物館ぐらいにしか存在していないでしょう」という返事だった。

■e-bayで落札してもe-bay発送の段階で勝手にキャンセルされる

 e-bayでも何度も探したが見つからなかった。。と諦めていたときに、なんと18255がアメリカのコレクターから出品された!2017年10月ぐらいのころである。さっそくゲットしてやったあ!放送に使える!と思ったのだったが、そのときは入手することができなかった。
 アメリカの相手から発送済みの連絡が来たにもかかわらず、突然、e-bayの発送センターが勝手にこの取引をcancelし、代金をrefund(返金)してきたのである。このころはよくこんなことが起こった。どうもアメリカから古い貴重品(SPレコードだが)を落札購入したときに、何度か突然のrefundが発生した。米国のe-bayがなにか制限をかけているのかもしれない。しかし、とにかく、このようなアメリカの歴史を形作る骨董レコードなどは、もう入手できないのかあ、とずっと諦めていた。
 先日(2018年12月)、何気なくe-bayを見ていると、なんとこの18255が出品されているではないか。しかも、発送Shipping は、e-bayを媒介する発送ではなく、USPS Priority Mail Express Internationalという出品者が直接日本に送る方式が選択されている。この配送料はかなり高価だったが、直接、私のところに送ってくれるのであれば、キャンセルされずに、あの米vicotr18255 レコードがついに手に入るのではないか。不安な数日が過ぎたが、なんと、ついに無事に「ジャズの史上初のレコード」を手に入れることができたのである。


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三年越しのようやく入手であるが、やはりすんなりとはこない。わざわざ税関にて関税付き!となって到着したのである。
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■Livery Stable Blues とは「馬車屋」のブルース!だった

さてこのレコードの曲名。stableとかって「安定した」とかかなあ。あまり気に留めていなかったのだが、ふとした拍子に、辞書を引いてみてびっくりした。

stable
【1形】
安定した、不変の◆【反】unstable
【2自他動】
馬小屋に入る、馬小屋に入れる
【2名】
家畜小屋、きゅう舎、馬小屋、馬屋

stableとは「馬車屋」という意味だったのである。

さらに、lively なら愉快な、だが
livery なのである!

 livery stable
有料で馬[馬車]を貸す厩舎、馬の世話を請け負う厩舎

つまり、この表題は

「馬車屋のブルース」
あるいは、livelyと読んでしまえば、
「愉快な馬車屋のブルース」

であるということになる。





■宮澤賢治「セロ弾きのゴーシュ」に登場する音楽「愉快な馬車屋」

12/22のブログでも書いたが、作家宮沢賢治(1896~1933)は、我が国で最も初期のSPレコードの愛盤家であり、そして彼の文学作品にはSPレコード体験から霊感を受けて書かれたと想われる箇所がたくさん存在する。
 従来、「セロ弾きのゴーシュ」に登場する音楽は、すべて架空のものだ、と言われてきたが、佐藤泰平『宮澤賢治の音楽』(筑摩書房、1995年)などの研究で、少しずつ、対応するレコードが存在しているのではないか、と考えられるようになった。
繰り返しになるが、セロ弾きのゴーシュ」に登場する音楽は

①金星音楽団が演奏する 「第六交響曲」
②猫「 トロイメライ」「印度の虎狩り」
③かっこう 「ミ・ド」
④狸の子  「愉快な馬車屋」
⑤野ねずみ  「なんとかラプソディー」

であり。前回は⑤の「なんとかラプソディー」の対応レコードとしてストウピンのチェロのレコードを挙げた。今回は
④狸の子  「愉快な馬車屋」
の番である。

 私はかつて、これは「印度へ虎狩りに」( 作曲)エヴァンズ 演奏)ニューメイフェア・ダンス楽団 <1930年>)と同時期に日本で発売されていたレコード、「愉快な牛乳屋」( 演奏)ジャック・ヒルトン楽団 <1930年>)を指しているのではないかと推測し、2016年大晦日の「教授の大みそか」でも、このレコードをかけて紹介した。

しかし、この箇所では賢治はゴーシュに次のように語らせていたのである。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜以下 「セロ弾きのゴーシュ」より〜〜〜〜〜〜〜
狸の子は俄にわかに勢いきおいがついたように一足前へ出ました。
「ぼくは小太鼓こだいこの係りでねえ。セロへ合わせてもらって来いと云われたんだ。」
「どこにも小太鼓がないじゃないか。」
「そら、これ」狸の子はせなかから棒きれを二本出しました。
「それでどうするんだ。」
「ではね、『愉快な馬車屋』を弾いてください。」
「なんだ愉快な馬車屋ってジャズか。」
「ああこの譜ふだよ。」狸の子はせなかからまた一枚の譜をとり出しました。ゴーシュは手にとってわらい出しました。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

この「愉快な馬車屋」はジャズか?
と言っているのである。

賢治は1920年代に、「ジャズ」という用語をどこから知ったのだろうか?
そして、歴史上一番初めの大ヒットしたジャズレコードが「愉快な馬車屋」のブルース、なのであるとしたら、レコードの情報通だった賢治は、この「愉快な馬車屋」というジャズレコードの存在を知っていたのかもしれない。

 この18255レコードは、賢治「セロ弾きのゴーシュ」「愉快な馬車屋」の対応レコードとして、充分に考えることのできる一枚なのだ、と思われる。







蓄音機はHMV#202(英国グラモフォン社、1928年製)で18255をかける
(冒頭の写真は、ODJBの全録音をLPレコード2枚に復刻したアルバムの表紙。70周年記念にドイツから発売されたもの)
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 今日は蓄音機の音がとてもいい。SPレコード(78回転)を電気を使わずに、レコードに刻まれた溝をなぞる針の振動を(ラッパで音を大きくして)聴くのが蓄音機だ。1925年から35年ぐらいまでの間にアメリカや英国で名機が数多く作られた。その後は電気で音を増幅する電蓄(電気蓄音機)が主流となる(これがその後のオーディオ装置に発展していく)ので、今、現役で活躍している蓄音機たちは、いずれも齢80歳から100歳近い高齢者たち、ということになる。
 今日、使っているのは、英国のHandMade蓄音機、1930年ぐらいに作られた(だから御年90歳近い)EMGinn社のExpert Senior。ラッパの口径72cmで紙製。ロンドンの電話帳の紙を貼り重ねて作られたと言われている。
 さて、蓄音機はサウンドボックスという耳にあたる部分があり、それに針をつけてレコードの溝の振動を拾うのだが、その針の素材が音質に大きな影響を与える。
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これが竹針を装着してあるサウンドボックス

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さてこの竹針。日光東照宮から出た燻竹から、このEMGinnのサウンドボックスに合わせて作ってもらった竹針。一回レコードを鳴らすと先が摩耗してちゃんと音が拾えなくなるので、一回一回、竹針を削りながら使用する。

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ハサミのようなカッターで、爪を切るような感じで竹針を削るのだが、実は毎回、切る感触が異なる。湿度が低く部屋が乾燥しているときは、カリッと切れる。だが、加湿器を炊きすぎて部屋全体の湿気が上がっているときには、ヌメッ、という感触になる。こうなってしまうと、音は柔らかくなるが針先が弱くてすぐに減って、再生音が歪みはじめる。一面最後まで持たないことも多い。
 だが、今日の針のカットの感触は、実にカリッとしている。部屋の加湿器を炊くのを忘れていたからだ。だが、こんな竹針のときの再生音は、実にしっかりして硬質で鉄針の再生音に近くなる。しかも竹のしなやかさはちゃんと保ちながら、だ。
 案の定、今日は実にいい音で蓄音機が鳴ってくれる。うれしくなって何枚も掛けて美音を楽しんだ。


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G.エネスコ(violin) プニャーニ作曲ラルゴ・エスプレッシーヴォ(仏コロンビア盤)



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パブロ・カザルス(cello) バッハ アリア








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