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Monday 12 July 2010
1週間が始まった・・・・
今日から1週間大学部生と、一部の大学院生の卒業式が行われる。
今回グレートホール(講堂)が工事のタメ使えないので、
大学内にあるシアターで行われる。
グレートホールに比べて、小さいので1週間かかるのだろう。
それにしても長い・・・
私は12月が卒業式だった。大学院生のみだったので2日で終わった。
今日は何故だか分からないけど、自分の跳ねっ返り人生を振り返ってみた。
23歳:大学を卒業し、国内の生命保険会社に就職。
31歳:絶対これからは英語が必要と思い、会社の人事部に、「1ヶ月間休業し、英語を海外に勉強にいきたい。」
人事部から「退職しか方法はありません」と。
33歳:保険会社退職、カナダに3ヶ月間語学留学。
アメリカかカナダの大学院で国際関係論を学ぶ為の準備開始。(無職)
34歳:高校で英語の非常勤講師を始める、と同時に教員採用試験に挑戦しはじめる。(時すでに遅し・・・)
35歳:高校で英語の常勤講師
39歳:トロント大学応用言語学大学院に出願するが、不合格。北米の大学院を諦める。
40歳:イギリスの大学院を数校出願し、合格をもらう
42歳:応用言語学の修士号を取得
そして今・・・・
英語教員として、自分の英語力(スピーキング)の低さを強く感じ、恥ずかしく思っていた。
カナダから帰国後もイギリス大学院留学する直前まで、プライベートでアメリカ人先生と英会話を勉強していた。
そして、何としてでも英語教員として英語をスキルアップさせたい・・・英語習得の理論を勉強したいと思い、
「国際関係論」から「英語教授法」に興味が移った。
なぜなら、「英語教員」が天職と思えたからだ。
でも、講師は1年更新のとても不安定な状態。毎年大丈夫かなぁ・・・来年仕事あるかなぁ・・・
だから、34歳から39歳までは海外大学院進学より、教員採用試験の方に全力投球した。
でも、この試験には年齢制限があり、福岡県は35歳までだった・・・・
だから、北海道や長崎県も受け続けた・・・でもダメだった。
採用1枠に何百人の志願者・・・・恐ろしい競争倍率。
でも諦めずに最後の最後まで挑戦した。
大学4年生の頃、「教員」も考えた。
でも社会を知らないで、生徒に何を語れるのだろう?と思った。
会社勤務して、それでも「教員」をしたいかどうか考えてみよう・・・と思った。
そして、「よし、教員をやってみよう」と心から思えたときは、時すでに遅し・・・年齢制限。
イギリスで修士論文を書いている時、数県の教員採用試験の不正のニュースを目にし、とてもガッカリした。
仕事をしながら勉強したあの6年間は何だったの??
そんなんなら大学院進学を優先させるべきだった・・・その時そう思った。
そして、国(文科省)なんか信用するモノか!とガッカリしたのを覚えている。
でも、考え直した。大学院進学前までの6年間の学校現場での沢山の生徒や先生達との出会いは
私を育ててくれた・・・かけがえのない時間。
そして40歳での大学院進学だったけど、頭脳は衰えていなかった。
就職では、日本からは年齢で門前払いされるけど、皮肉にもイギリスでは受け入れられた。
どうすれば日本の高校生が「受験英語」ではなく、「使える英語」を学べるか・・・何故か毎日考えている。
バカだなぁ・・・
日本はどうして、「極端な年齢制限」で様々な可能性を摘むのかなぁ・・・・
30歳代でチャレンジ出来ない世の中っておかしいよ。
20歳代なのに、新卒じゃないと就職難しい世の中っておかしいよ。
日本では、若い時に正当なレールにのらないと、人生終わり・・・って感じがする。
でも若い時って、何が良いのか、したいのか・・・考えている時期だと思うけど。
私の人生振り返ったら、日本のレールから脱線してる・・・
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私の人生(歴史)
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