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7,80年代に巨人・阪神で活躍された小林繁さんが17日に亡くなった... まだ57歳の若さだった。現日本ハムのピッチングコーチで前日までは元気だったそうです。 ショックでした... 小林さんは自分が中学の頃巨人のエースで憧れの投手でした。 それはそれは人気のある人でかっこよかったんです。 追憶の意をこめて2008年4月7日に小林さんの記事を書いてたので再アップさせていただきます。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 江川卓と小林繁、オールドファンならご存知の通り因縁の2人です。 当時日本中を大騒ぎさせたプロ野球界いや日本の大事件まで発展したこの出来事、この事件を振り返る前に江川卓と小林繁とはどう言う人物なのかを振り返って見たいと思います♪ 自分が高校野球をはじめて見るようになったのが昭和48年の選抜大会からでした。 その選抜で鮮烈なデビューを飾ったのがこの江川卓。 ものすごいピッチャーでした! 衝撃をうけましたね。 こんなにすごいピッチャーがたった2度しか甲子園に出場できなったのが不思議なぐらいでした... 48年の夏の甲子園の予選大会では5試合で44回を投げて打たれたヒットがたったの2本、75奪三振と言う驚異的な数字を出して甲子園に出場してます。 高校時代に完全試合2回、ノーヒットノーランが9回。 まさに怪物でした。 松坂なんて問題じゃないぐらいでしたね、文句なく今まで見た高校野球ではナンバー1の投手だと思います。 しかし江川卓って今ひとつ運に見放された所があり甲子園では優勝できず大学では通算47勝とタイ記録の48勝にあと1勝たりなかった。 そしてドラフト会議でも3度も1位指名されながら阪急・クラウン・阪神と希望球団(在京セリーグだったらしい)に指名されなかった... まぁそこが江川らしいと言えば江川らしいのだが... プロでは実働9年間で135勝。最多勝 2回(1980年〜1981年) 最優秀防御率 1回(1981年) 最高勝率 2回(1981年、1984年) 最多奪三振 3回(1980年〜1982年) MVP 1回(1981年) ベストナイン 2回(1980年〜1981年) オールスターゲーム選出 8回(1980年〜1987年) もっと努力して燃え尽きるまでプロでやってたら300勝ぐらいいけたんじゃないかと思いますね。 彼が巨人に入団して巨人と言う球団がかなり変わったと言われてます... 根性とか気迫を出すと言う感じじゃなく適当に手抜きをして毎年ちょっとずつ成績を伸ばしていった方が年棒も上がるし利口なやり方みたいに回りに言ったり等... 非常に頭がいい、それが江川卓と言う人物評かな? 個人的には江川が高校時代から大ファンでした♪ それだけにもっとプロで頑張ってほしかったですね。 32歳で引退は早すぎた... ちなみに引退記者会見での鍼の話は作り話だったと後年話してました... (映像)高校時代の江川 第1次長嶋政権時代のエースピッチャーでした♪ 背番号は19 小林繁。 大好きでしたね♪ 当時よく小林のアンダースローの投球フォームを真似たものでした。 177センチで60キロそこそこのスリムな体系で気迫を前面に出して投げる姿が印象的でした。 高校時代は無名でしたが社会人の大丸で巨人のスカウトの目にとまり47年末に巨人に入団。 社会人時代は大丸デパートの婦人服売り場にいたと言う異色の選手でした。 野球選手というよりファッションモデルじゃないかと思うほどファッションセンスが抜群でおまけにハンサムでしたから女性ファンの非常に多い選手でした。 彼が出現するまでは野球選手といえばおじさんっぽいファッションをしてる豪傑のような選手が多かったのですが彼が巨人に入団してそのファッションスタイルは以後の野球選手にかなり影響をもらせたと言われてます。 その点は江川卓同様非常に個性的なキャラの選手でした。 実働11年間で139勝。 昭和51年から引退した58年まで毎年コンスタントに二桁勝利をあげてます。 そしてこれも偶然ですが江川と同じように引退した年に13勝もあげていながらあっさりと「15勝できなかったから」と言い31歳の若さで引退してしまいました。 最多勝 1回(1979年) 沢村賞 2回(1977年、1979年) 最優秀投手 2回(1977年、1979年) ベストナイン 2回(1977年、1979年) オールスターゲーム出場 7回(1976年〜1981年、1983年) 特に阪神にトレードされた54年のシーズンは22勝をあげ巨人相手に無傷の8連勝をあげたのは感動しました。 ある巨人選手は「コバの心情を思うととても打つ気になれなかった」と本音を漏らした選手もいました。 彼は巨人時代もみんなに好かれる人気者でしたから... 引退後はこれまた江川と同じようにタレントとしても大活躍、テレビドラマやバラエティー、司会者などをやりレコードも数枚出してます♪ 特に54年に発売された「亜紀子」はオリコンで最高41位、8万枚を超えるスマッシュヒットを放ってます♪ 江川卓と小林繁、2人とも非常にマルチな才能をもった人物で意外と共通点があるんだなと思いました。 昭和53年のドラフト会議の前日にこの事件はおきました。 前年、江川はクラウンから1位指名をされ拒否しました。そのクラウンとの交渉権がドラフトの二日前に切れ、このドラフト前日のみドラフトの準備日と言う感じでどことの交渉権もないと言うのが当時のルールでありました。 そのドラフトの盲点をついたのがこの空白の1日。 江川は巨人に行きたい、巨人は江川をどうしてもほしい、そしてそのドラフトの準備日と言う暗黙のルールをやぶり巨人と江川は電撃契約をしてしまいました。 これは江川自身の判断ではなく江川の周りの人間たちが仕掛けた作戦だったと言われてます。 しかしセントラル・リーグ会長の鈴木龍二は巨人との契約を無効とする裁定を下した。これに対し巨人が反発。その抗議として、翌22日のドラフト会議を欠席(ボイコット)することになる。 そしてドラフトで阪神が江川を指名。 当時のプロ野球のコミッショナーの金子は巨人の訴えを退ける一方で、「江川には一度阪神と入団契約を交わしてもらい、その後すぐに巨人にトレードさせる」という“強い要望”を提示した。 これにより、1979年1月31日、江川は一度阪神と入団契約を交わし、その後すぐに巨人が阪神に提示した投手・小林繁との交換トレードに出され、念願の巨人入りを果たした。 ごり押しで入団した江川にはダーティーなイメージがつき「エガワル」と言う流行語まで生まれ当時日本中を敵に回した。 対照的に小林には日本中が同情しトレードをさわやかに受け入れた姿勢にさらに人気が上昇していきました。 この頃からかな?巨人の人気が低下していったのは... この江川の入団した54年は巨人にとっても最悪のシーズンで5位と言う結果。 できることならクラウンに入団して2,3年頑張ってから巨人にトレードと言う形もあったんじゃないかな? 希望的にはそうしてほしかった... (映像)江川・小林・CMで共演 |

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