ここから本文です
十二六 閑人百聞百記
2018年1月22日(月)から、「十二六」のブログが、新しいブログ「三茶」(さんさ)に引き継がれます。 よろしくお願いします。

書庫全体表示

 
 
イメージ 1
 
 
 

大学1年、役に立たない数学を専攻し
もっと役に立たない選択科目
日本文学「風姿花伝」
一番前の席で、欠かさず
テキストは、岩波文庫版
 
 
あまり、人気が無かったが、いつも出席して、他の必修科目は、欠席が多かった
明治、大正の文学にまで、鴎外や漱石についても論じてくれた
唯一まじめに学んで、毎回レポートを提出しました
 
1年間、転校しようか悩みましたが、「線型代数学」も興味あり、居残りました
 
 
いまでは、ぼろぼろになった文庫本が残るのみ
 
風姿花伝

亡父観阿弥の遺訓から、能を「」と「幽玄」と体系化して、今日に及ぶ
本書は一子相伝の秘伝書ゆえ、日本において明治を迎えるまで観世家・金春家に深く秘蔵され、一般の目に触れることはなかった。
明治末年、吉田東伍博士『世阿弥十六部集』として発刊。
ついで昭和2年岩波文庫版『花伝書』が上梓されるに及んで、広く一般読者の知るところとなった。
 
 
世阿弥
12歳のころより、容姿かわゆく利発、18歳ですでに将軍、義満に生涯と愛され、まだ、あらあらしい熊の能を、古典などを取り入れ、今日に至る幽玄という形式美を一代で構築し、いくつかの花伝書を残しました。
 
 
 
さわりの紹介
 
==========================
秘すれば花なり
 
まずこの花の口伝、「ただ珍しさが花なのだ」ということをすべての人が知ってしまえば、さあ、珍しいものが見られるはずだと思い期待する観客の前では、いくら珍しい芸を披露してみたところで見ている人の心に珍しいという感覚が生まれるはずもない。
 
見ている人にとってそれが花だということがわからないからこそ、シテの花ともなるものなのだ。
 
されば見る人が思いのほか面白く演じる上手だ、とのみ感じ、これが花だとわかっていないことがシテにとって花となる。つまりは人の心に思いも寄らない感動を呼び起こす手立て。これこそが花なのである。
 
秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず

その家々で秘事とされるものは、秘することによって大きな効用があるゆえである。つまり秘事は露見すれば、秘密にしておく程のものではないのだ。
 
 
 
 
初心忘るべからず
 
過ぎし芸風をやり捨てやり捨てしては忘れてしまうこと。ひたすら花の種を失い続けることとなる。その時々に咲く花ばかりで種がなければ、手折られた枝の花のようなもの。種があり、毎年毎年季節が廻りさえすれば、なぜまたその花に逢えないことなどあろうか。ただかえすがえすも、初心忘るべからず。
 
 
年々「来の花」を忘れぬことだ。
毎年毎年、去ってはまた来る花とはいったのだ。
亡父観阿弥・・・
若い時分には行く末の年々去来の芸を得、年とってからは過ぎしかたの芸を身に残すシテ。これまで二人と見たことも聞いたこともないものだ。
==========================
 
父観阿弥の最晩年の能を見て
 
『老い木に残る一輪の花のようと」
 
老いて後の、初心忘るべからず(「花鏡」より)と説く
 
 
今までは、人様によって生かされてきました。
この年になってようやく秘するもの(露見すれば、実につまらないもの)
が見つかったような、
これからは、枯れ木に花をと願う今日この頃です。
 
 

 

  • アバター

    人間は誰しも生きて行く上でいろんなモノに影響を受けます。

    藪さんが生きてきたそれぞれの段階を思い出してみると・・・小学生までの子供時代は昆虫や動物に対する興味でした。中学生時代はプレスリー。高校生時代はフォークソング。大学生時代はブルーグラス音楽。社会人になると・・・飲み屋(^ω^)

    人間にとって失敗の人生なんてないんです。それぞれの人生は神も想像しなかったほどの独創性を持っており、その生涯を記録したものは、どんなベストセラー小説よりも勝っていると藪さんは思います(^-^)v

    藪井竹庵

    2014/9/7(日) 午前 7:58

  • 顔アイコン

    藪さん

    人生いろいろ 男もいろいろ

    中学時代の初恋、高校時代の失恋、大学時代は酒に溺れ、逃げる罪悪感、社会人になって、悲しい別れ、
    ねぇ滑稽でしょ 若いころ、笑い話に涙がいっぱい、
    昨年、島倉さんにお別れに青山葬儀場に行きました。

    十二六

    2014/9/7(日) 午後 6:10

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事