ここから本文です
十二六 閑人百聞百記
2018年1月22日(月)から、「十二六」のブログが、新しいブログ「三茶」(さんさ)に引き継がれます。 よろしくお願いします。

書庫信州 を訪れる

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


朝5時にわんこ2と分れたので
かみさんより早く帰ります
イメージ 1


しなの鉄道上田駅
イメージ 2



上田駅陸橋から
イメージ 3


上田城甲冑隊
イメージ 4

大坂夏の陣(1615年)で、戦国武将・真田信繁(幸村)が
まとったとされる「赤備え」を模した甲冑(かっちゅう)に
身を包んでいます



イメージ 5

ここで、上田の紹介をします

4年に一度のラグビー界最大の祭典である世界一決定戦、
「ラグビーワールドカップ」が、平成31(2019)年に
日本で開催されます。

(公財)ラグビーワールドカップ2019組織委員会では、
RWC2019大会期間中にチームが滞在する公認チームキャンプ地を
日本国内の自治体を対象に、募集
上田市では、菅平高原にキャンプ地を誘致するため、設立した
「上田市菅平高原キャンプ地誘致委員会」を中心に取組を進めてきたが、
この度、これに応募することとしました

平成25年から取り組んできた
菅平高原への海外ナショナルチームのキャンプ地誘致について、
今回、交渉を進めてきたイタリア共和国ラグビー連盟との合意に至る


上田市は、真田三代の郷です

5月前後に上田真田まつりがおこなわれます

 
信州真田鉄砲隊


駅前のバス停
イメージ 6

バスも六文銭と赤揃です

イメージ 12



イメージ 7

上田市は、長野県東部(東信地方)にある市
東信地方および上小地域の中心都市で、
県内では長野市、松本市に次ぐ規模の都市
千曲川右岸の旧市街は、戦国時代に真田氏
が築いた上田城を中心とする城下町
千曲川左岸の塩田は鎌倉時代の執権北条氏
の一族塩田北条氏の所領で、安楽寺、
北向観音などの多くの文化遺産が残されて
「信州の鎌倉」の異称で呼ばれる
別所温泉があります

都市圏は佐久地域にまでおよび、都市圏人口は
37万人になる


イメージ 8

軽井沢駅から屋代駅までが
通勤、通学、買い物に利用しています


イメージ 9

さらに、
上田市は、蚕都と言われるほど、日本の生糸の産地で、
全国の繭がここに集まった
蚕糸業で栄えた遺産群に、是非、立ち寄ってみてください

信州大学繊維学部(上田市常田)
イメージ 14
当時の日本基幹産業であった繊維を支えた
長野県下初の国立学校として上田蚕糸専門学校が設立され
国内で唯一の学部である繊維学部を有している
当時、全国から秀才が集まった
繊維に関する論文数は世界の10%弱を占め、
そのうち「ファイバー工学」分野における論文数、
および「ナノファイバー」分野における論文引用数で
世界1位である

笠原工業常田館製糸場(1900年操業開始)
イメージ 15官営のフランスの技術を輸入して造られた
世界遺産である富岡製糸場と違い
笠原工業常田館は、民間の国産の技術で
造られた現存する唯一のものです
2012年11月、国の重要文化財に指定

上田蚕種(株)(上田市常田)
 国内最大の蚕種製造会社
藤本蚕業歴史館(上田市上塩尻)
 上田地域の代表的な蚕種(蚕の卵)製造会社だった

また、
小岩井紬工房(上田市上塩尻)
 300年以上の歴史のある絹織物「上田紬」を、
 今も織り続けている会社
 「上田紬」は江戸時代に「大島紬」、「結城紬」
 と日本3大紬として知られています

などなど



イメージ 10


烏帽子岳
イメージ 11




イメージ 13


夕方6時に家に帰ると
わんこ2が待っていました
午後1時に顔なじみのおとなりさんが
おやつをやると、いつも一緒に遊ぶ
のに、食べ終わると、すぐ自分の
ねぐらに入ってしまったと

わんこ2は、わかっていたようです
膝の上で、目がうるんでいました




北陸新幹線になって、上田駅には、最速金沢行
が停まりません
「あさま」は、各駅です

かって
東京駅ー上野駅ー大宮駅ー軽井沢駅ー上田駅ー長野駅
こういう「あさま」が、長野新幹線の時は、ありました

上田市は、ホテルに泊まったことがありません
が、駅周辺に目に突きます

上田東急REIホテル
ホテルサンルート上田
上田プラザホテル 
上田駅前ロイヤルホテル −ルートインホテルズ
ホテルルートインGrand上田駅前
ホテルルートイン上田 
ユーイン上田 
上田ステイ
・・・

ホテルルートインは、ここが発祥です






新幹線 上田駅
イメージ 1

かみさんの弟の仲間が
長野市内で、写真展を開いていて
見に行く予定だったが、都合悪く
上田駅で降りました

ここで生まれ、高校までここで育った
家まですぐだが、寄りません。。。
両親、長兄が、亡くなって久しい
行くと義姉は歓待して、おいしい場所へ
案内してくれます
広い家だから、何日でも泊まってと
言ってくれます
が、実家ではなく、親戚という場所に
変わりました


真田幸村のふるさとです
イメージ 2


上田周辺は、くるみの産地です
イメージ 3
上田に来たら
たべてほしい
イメージ 19

丹念にすりつぶした
クルミをそばつゆに加えた
『くるみそば』






イメージ 18


信濃路うさぎや伝来の製法でじっくり練り上げた
餡を香り豊かなそば粉の皮で包み、
くるみをまぶした『銘菓くるみそば』




小さい時から、食べてきました

昨年の葬儀のときは、みすゞ飴を紹介しました


新幹線駅のとなり
イメージ 21


上田電鉄別所線のりばは、陸橋の向こう
しなの鉄道のりばは、左です
イメージ 4

上田電鉄は東急電鉄の子会社です
東急で走っていた電車が走っています
五島慶太さん、この近く生まれ育った


しなの鉄道に乗り換えます
イメージ 5

長野新幹線ができて
在来線となった信越本線の軽井沢ー上田ー篠ノ井
は、第三セクターしなの鉄道が運営しています

イメージ 20


イメージ 6
長野行、通勤、通学の時間帯で
大勢降りました

千曲川に沿って走ります
イメージ 8

長野駅に向かって、ずっと千曲川を左に見て走るが
長野駅の向こうは大きく蛇行して右に見て走る
やがて、曲がりくねった千曲川は
太河 信濃川になり日本海へ

川中島合戦の場は、この先です

イメージ 7



イメージ 9



イメージ 10

普通、快速が走っています

イメージ 11



イメージ 12



イメージ 13



イメージ 14

お寺近くを歩いていると

イメージ 15


お寺に着きました
イメージ 16




義父の大きな絵が架けられています
イメージ 17

あんずの里です


お寺で僧侶による読経のあと焼香が行なわれ
終わってから、車でホテルに行って
食事をいただきました

続きます



1月12日(金)am5:30
イメージ 1
かみさんは、前日に、長野へ
いつもより、1時間早く
朝、4時に起きて、わんこ2に食事をやって
5時過ぎに家を出ると、なんと東京の空に
数個の星が、そして下弦の三日月がくっきりと
見えました


写真は、下弦の下が光で下膨れに見えます
イメージ 14



北陸新幹線(長野経由)大宮駅を過ぎたあたり
イメージ 3
富士山が見えます
昔は、大宮駅ホームから見えました
が、新幹線駅になり、駅前に高層ビルが建ちました
中山道は、左に富士を見て、京へ下った

イメージ 11


まだ、見えます
イメージ 2


イメージ 12




軽井沢駅に着きました
イメージ 4
軽井沢・プリンスショッピングプラザ


旧信越本線を走るしなの鉄道を
追い越します
イメージ 13

今では、高崎から横川の間が信越本線です
横川−軽井沢間は、日本初の アプト式鉄道の導入や、
日本初の幹線電化など、日本の鉄道史にとっても、
とても重要 な意味を持っていました
イメージ 15

現在、碓氷峠は、旧道をJR東日本は、バスでつないでいます
時間に余裕があるときは、利用します


信越本線は、軽井沢から長岡、新潟まで、在来線が
走っています
高崎ー横川 篠ノ井ー長野 直江津ー新潟
は、JR東日本が運行しています
イメージ 16



イメージ 5


第三セクターとして長い間赤字路線
だったが、頑張っています

軽井沢から、篠ノ井駅まで走っています

篠ノ井駅から長野駅は、JR東日本が運営しています
篠ノ井線が長野から篠ノ井駅を走ることから
最近、長野駅から妙高高原駅(北しなの線)も
しなの鉄道が運営主体となった
JR東日本出身が社長となり、みかえりに
赤字路線を抱えたようだ。。。
軽井沢から長野、妙高高原へと接続は可能に
なりました
しなの鉄道の本社は上田市にあります


車窓から見た、浅間山
イメージ 6

ふるさとに帰ったことを知ります

イメージ 7

いつも、変わらず、迎えてくれます

イメージ 8



イメージ 9


佐久の田園風景
イメージ 10


続きます


わがふるさと


クラシックの中で、一番好きな曲です
我が祖国 第2曲「モルダウ」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン

我が祖国
ベドルジハ・スメタナの代表的な作品

第2曲:ヴルタヴァ
「モルダウ」(ドイツ語: Die Moldau、英語: The Moldau)

この曲は、ヴルタヴァ川の流れを描写している。
ヴルタヴァ川は、Teplá Vltava と Studená Vltava と呼ばれる
2つの源流から流れだし、それらが合流しプラハへと流れる
そして長い流れを経て、最後はラベ川(ドイツ語名エルベ川)へと
消えていく


6つの交響詩から成るわが祖国』は、
当時、オーストリア=ハンガリー帝国(オーストリア帝国)によって
支配されていたチェコの独立国家への願望、チェコ民族主義と密接に
関係する曲でもあった


プラハの春、
チェコスロバキアで1968年の春から夏にかけて、
新任のドプチェク党第一書記の下に一連の自由化政策がとられた
社会主義体制の危機を感じたソ連のブレジネフ政権は
同年8月ワルシャワ条約機構軍 20万人を投入し
その民主化の動きを圧殺した
ドプチェクは解任されフサーク政権が 誕生した

あの時、全世界に流された、戦車で埋まったプラハの
石畳の映像を、忘れることができません

ほんとうは、ベルリンフィル、ウイーンフィルでなく
チェコ・フィルで聴きたい


「我が祖国」を聴くと、必ず「わがふるさと」を思い出します
今では、近くて、遠いものとなりました


わがふるさと
イメージ 1



イメージ 7


上信越自動車道 長野県上田市郊外
イメージ 2


この辺りから上田駅へは、
わが祖先の土地であった
この道路の手前に、総本家の
墓が市内を見下ろしている

イメージ 3

上田藩、真田家・仙石家・松平家と
代々にわたって、おつきあいしてきた


りんごの花が咲く、上野
イメージ 4


祖先が建てたお寺に、
海野家、真田信之が寄進した

戦前の昭和恐慌で、
銀行と別所温泉の老舗旅館が
倒産し、担保となった田畑山を
失い、
戦後の農地解放で
最後に残った小作人の田が
永久貸与となりました

咲き誇るりんごの花は、何を語るのか




千曲川
イメージ 5


海野宿
イメージ 6
北国街道の宿場

中山道、江戸日本橋から20番目の軽井沢
追分で北国街道と分岐する
上田宿、善光寺、直江津で北陸道に合流する
善光寺への参拝のために整備され、
佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ
重要な役割を果たした
軽井沢町から上越市までの区間は現在の千曲川沿い
国道18号にほぼ相当する


信濃国小県郡海野宿の地で
海野氏は、東信濃の有力豪族であった

ここから、源義仲の侍大将として東信濃豪族が集結し旗揚げした
ここから、滅亡した海野家を真田家が継承し、六文銭も継がれた

夏草や 兵どもが 夢の跡
           芭蕉




この日本に、そして長野県に生まれてよかった!
長野県は、令制国名の信濃国に因み「信州」とも呼ばれる
古く、日本書紀、古事記のころ、科の木この国に出ず「科野」
から科野国と書いたようである
「科野」は和銅6年(713年)の『風土記』を境に、「信野」を経て
「信濃」へと移り変わっていく

イメージ 1

長野県には、「みすずかる」と「まほろば」の
歌があります

イメージ 2


みすずかる」とは「信濃」の枕詞です

「みすず・刈る」に由来するもの

みすゞ飴
月刊「みすず」
みすず書房
金子みすず(詩人)

そして、歌があります
「小諸 わが想い出」
作詞永 六輔/作曲・編曲:小林亜星/唄:由紀さおり

みすずかる信濃の国の城下町
石垣の名残り雪 名も知らぬ野辺の花
草笛 風に消えて みすずかる信濃の旅

みすずかる信濃の国の浅間山
すずたけを刈る人の 唄は小諸馬子唄
草笛 風を渡り 三筋立つ煙の曲

みすずかる信濃の国の千曲川
川上に八ヶ岳 川下に北の海
草笛 風が運び 水音に稚鮎の影

亡くなった永 六輔さん、戦時中、小諸
に疎開していました

「どこにあるんだろう にほんのうた どこにあるんだろう ぼくたちのうた
 さがしたい つくりだしたい そのしごとをいつまでも つづけたい」
と、デユーク・エイセス が作詞の永六輔、作曲のいずみたく
の両氏と「にほんのうた」を全51曲制作した中に

11番目の曲が「みすずかる」

みすずかる信濃の国の千曲川
 八ヶ岳から佐久平やがて越後の信濃川


みすずかる信濃の国の浅間山
 唐松林の軽井沢 煙はるかに小諸城

みすずかる信濃の国の善光寺
 月は戸隠おらがそば遠くアルプス
木曽の山みすずかる信濃の国

さわりを試聴できます


イメージ 7





まほろば」は、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」
という日本の古語

イメージ 5

古事記に収録されている日本武尊の歌(古事記では倭健命)

 倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるはし

誰でも知っていると思います


長野県には、県歌「信濃の国」とともに、
第二県歌とも云える「まほろばの国」
の歌があります

「信濃の国」を歌えない長野県人はおりませんが
「まほろばの国」の歌は、知りませんでした

イメージ 3


信越放送「信州賛歌」より
岩谷時子 作詞  広瀬健次郎 作・編曲
歌謡曲 「まほろばの国」 ペギー葉山

一. まほろばの 野面に赤く  
     灯をともす 杏の花よ  
     あふれゆく 春の息吹に
   手を取れば 浅間の山も
   一すじの 恋の煙を  
    今日もまた 空に捧げる

二. まほろばの 雲を仰いで
   呼びかわす 山の仲間よ  
    夏空に 果てなく続く
   アルプスは 若人の城  
    美しい 夢を心に  
   青春のケルンを 積もう

三. まほろばの 牧場静かに
   ふりそそぐ 秋の時雨よ  
    思い出を 抱いて歩けば
   白樺の 梢もぬれて  
    肩に散る 寂しい落葉  
    身にしみる 愛の空しさ

四. まほろばの 冬の湖
    空に飛ぶ 銀の小雪よ  
    永遠に 歌をたたえて
   栄えゆけ 我らの故郷  
    豊かなる まほろばの国  
    美わしき 日本の屋根


イメージ 6


「まほろばの国」
ペギーさんが歌った往年のヒット曲で1963年、
昭和38年にはSBCの「長野県を美しくする運動」
のキャンペーンソングとしてテレビやラジオで
放送されていました


夢 わたしの旅 ペギー葉山 愛唱歌のすべてⅠ 
オリジナル・ヒット、叙情歌篇
17.まほろばの国
今は、販売されていません

イメージ 4




訪問していただき
ありがとうございます

毎日、綴ってきたブログ日記
ここで、すこし、ゆるやかに
まいります





おまけです


義母の49日法要に、長野県に行ってきました
ホテルの床の間に、「信濃の国」の歌詞が
飾られていました


長野県 県歌「信濃の国」




全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事