味覚人生 〜ココロのグルメ〜

神は必要な物をあたえたまう。苦しいことも楽しいこともその人には必要なもの。それならそれを悠々と味わう

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6人の言うゾウ

6人の言うゾウ


6人の目の不自由な人が生まれて初めてゾウに触れた。

足に触った目の不自由な人は
「ゾウとは木のようなものだ」と言った。

しっぽに触った目の不自由な人は
「違う。ゾウとはロープのようなものだ」

鼻に触った目の不自由な人は
「何を言うか。ゾウとはヘビのようなものだ」

わき腹に触った目の不自由な人は
「いやいや、ゾウとは壁のようなものさ」

耳に触った目の不自由な人は
「バカだね。ゾウとは木の葉のようなものだ」

牙に触った目の不自由な人は
「ゾウとは槍のようなものだ」

同じゾウのことを指しているのに、それぞれの人は全く違う生きものだと思っているみたいです。
なぜでしょうか?

この六人の人たちは、ゾウのからだの一部分だけしか触っていなかったので、
これがゾウだと思い込んでしまったんです。
私たちは、ものごとの一面しか見ずに、あたかも全て知っているようなつもりに
なっているようなことが多い。

友だちや色んな人との出会い、
趣味や勉強との出会い、
すべての出会いについても同じことだと思います。
看脚下(かんきゃっか)


ある和尚が、師匠の和尚の紹介状を持って、初めて東京に出て 有名な御上人さんを訪ねた時、
そこには、修行僧等もたまたま居なかったとみえて、その御上人さんご本人が
自分で台所から鉄瓶を提げて出てきました。

その御上人さんは、紹介状を読むと「 上がれ。」と言って、鉄瓶をそこへ置いたまま、
中へ入ってしまわれました。
その訪ねてきた和尚は、置かれたままの鉄瓶を提げて 後からついて行って、
部屋の火鉢の上にその鉄瓶をかけてから 挨拶をしました。
その御上人さんは、それ以来その和尚を褒め称えたという話があります。

鉄瓶は玄関にあるべきものではなく、火鉢の上にあるべきもの。
あるべき所に、そのものがある。
何事によらず、その時その時で第一になすべきことをする。


漢字の「 看 」を分解すると、『 手 + 目 』となります。
手に目があるように手をまめまめしく、細やかにはたらかせる状態。
(看護 などという使い方をみるとわかると思います。)

今、新聞を騒がせている事件のほとんどは、自分の脚下が看えていない人。
自己を見つめ直し、脚をしっかり大地に踏みしめ、するべきことをする。
そうすれば、変な政治家や変な事件も減ると思います。

地蔵盆

地蔵盆


8月23日,24日に地蔵盆が行なわれる。
京都は今でも盛んで,関西を中心に行なわれている。

地蔵菩薩は,多くの仏様のなかでも一番親しまれている存在。
いまでも路地などに姿を見かける。
「笠地蔵」など昔話にも良く登場し子供には身近な存在だといえる。

地蔵菩薩は、釈迦の入滅後、56億7000万年後に弥勒菩薩が出現するまでの間、
現世に仏が不在となってしまう。
その間、六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)を輪廻する衆生を救う菩薩である
とされる。
まさに仏教会のスーパースター。

地蔵菩薩が子供と結びつけて考えられるのは,賽の河原で子供の霊を守ってくれている,
と考えられているからだ。
幼くして死んだ子供の霊は,賽の河原で自分を生んでくれた親の恩に憂くいるために石を積み,
塔を築こうとするが,鬼がやってきてはそれを壊してしまう。
地蔵はそこに現れ鬼達を叱りつけ子供達を守るのである。

実は、今年に入って檀家さんが家を転勤する時に、家の敷地にあった地蔵さんを
うちの寺の境内に持ってこられた。
そのお陰か、うちの家内もご懐妊した。

地蔵盆は子供達が主役のお盆と言うことがいえる。
子供たちにとっては,お菓子がもらえる嬉しい行事である。

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盂蘭盆会

盂蘭盆会(うらぼんえ)


日本の夏の行事には色々とあるが、お盆は企業等を含め一番関心があると思う。
特にお盆は正月休みと同じで、長期休暇と私自身も思っておりました。
なんと罰当たりな坊さんでしょう。

お盆と呼んでいるこの行事は、一般には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」「盆会」「お盆」
「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんでいる。
この「盂蘭盆会」のよりどころとしているのは、『盂蘭盆経 』というお経です。

その中で、

安居(個々に活動していた僧侶たちが、一定期間一カ所に集まって集団で修行すること)の最中、
神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。
喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、
ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。
哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、
「安居の最後の日にすべての比丘(僧侶)に食べ物を施せば、
母親にもその施しの一端が口に入るだろう」と答えた。
その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、
比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。
すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。

とある。

日本におけるお盆の場合、お精霊さま(おしょらいさま)と呼ばれる各家の祖霊が、
一年に一度、家の仏壇に還ってくるものとして、盆の期間中、盆供として毎日供物を供える。
それと同時に、無縁仏となり、成仏できずに俗世をさまよう餓鬼にも施餓鬼棚(せがきだな)等
を設け施すようになる。

各宗派によっては、施餓鬼会をされない宗派もあります。
しかし、親戚や兄弟が年に一度集まって供養するという日。
社会人にとっては数少ない長期休暇ですが、たまにはお墓参りをしてみて下さい。
きっと良いことがあると思います。

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花まつり

花まつり


4月8日は『 花まつり 』。
お釈迦様のお誕生日。ハッピーバースデー、仏陀。

お釈迦様が白いぞうさんにまたがり、甘茶を掛けて誕生を祝う日。

お釈迦様がお産まれになった時、空から甘い雨が降ってきた、ということで、
花御堂の中のお釈迦様の子ども姿に甘茶を掛ける。
白いぞうさんは、お釈迦様のお母さん「マヤ」婦人が、夢で白いぞうさんが
脇から入る夢を見られてご懐妊され、そして、脇からお釈迦様が産まれた。

(※ カースト制度の影響で、位の高い人は、頭から、その次の位は脇から産まれてくる、と
されている。普通の人は、股から、一番位の低い人は、足の裏から産まれてくる、とされる。
つまり、産まれた時から既に身分が決められている。)

さて、その花まつりの日、私は市の仏教会の要請で、ぞうさんに乗った花御堂を
各寺院の前までお連れするという毎年恒例の行事に参加してきました。
天気もよく、また今年も時期を逃していたので、花見が出来ていませんでしたが、
ついでに花見をしながら回ってきました。

イメージ 1

この写真は、観音霊場にもなっている三井寺さんでのお勤めの様子。
私がバタバタしていても桜は綺麗に咲いており、出遅れましたが、桜の花見もしながら
記念写真を撮影。

イメージ 2


たまたま昨日は、この辺りも入学式が催されていた為、学校の近所を回ると
子供たちの歓声が飛ぶ。
なかなかこのぞうさんも人気者。

毎年この行事に参加しているが、お寺に子どもが集まる寺と、集まりにくい寺がある。
その寺院の住職のがんばりがあって、子供たちが集まっているのだろうが、
やはり子どもが賑やかに集まって、ワイワイしているのを観ると、
嬉しくなります。
昨今では、子どもを虐待する親も多い。
しかし、こういった行事に参加する子どもや親なら、きっと優しい大人に成長するだろうし、
また、気の付く立派な大人になってほしいと思います。

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