国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

アッピア街道、ポンペイ旅行記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

イメージ 1

アッピア街道では、起点から数キロ以内に、様々な遺跡や教会、廟などが比較的まとまった
形で遺っている印象がある。観光案内所でもらった案内図を見ると、もちろん、その先にも
遺跡などはあるのだが、パラパラと遺っていると言った感じである。

遺跡などがまとまった形で遺っている区域の終わりに、チェチーリア・メテッラの墓がある。
直径30m、高さ12mの円筒形の遺跡で、紀元前1世紀に建造された、ローマ時代の名門
貴族出身のチェチーリア・メテッラの墓と言われている。内部は博物館となっていて、古代の
彫刻などが展示されている。
チェチーリア・メテッラは、第1次 「三頭政治」 の政治家の一人、クラッススの妻であったと
伝えられている。

( アッピア街道、ポンペイ旅行記 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1139574.html?m=l

イメージ 1

ドミネ・クォ・ヴァディス教会から、1時間くらいは歩いただろうか
道路幅が狭く歩道も確保されていないアッピア街道を、ときどき通り過ぎる
車に接触しないようにと、注意しながら歩いた。

やがて、アッピア街道の左側に、広い原っぱと、崩れかけている要塞のような
建造物が見えてきた。マクセンティウスの競技場である。

ガイドブックでは、次のように解説されている。
ローマ市民によって擁立されたマクセンティウス帝は、306〜312年の
在位期間に、アッピア街道に沿った、この地に館と競技場を造営した。
館はほとんど跡を留めないが、競技場はほぼ完全な形を今日に伝えている。
長さ520m、幅92mの競技場には1万人の観衆を受け入れ可能であった
と推定されるが、グラウンドに敷かれる砂が見られないことから、統治期間
の短かったマクセンティウス帝の死で工事は中断し、おそらく一度も使用され
なかったのではないかと思われる。ただし、息子ロムルスの廟があることから、
競技場では早逝した息子ロムルスの葬儀が行われたものとみられている。

( アッピア街道、ポンペイ旅行記 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1139574.html?m=l

イメージ 1

アッピア街道に入って間もなくのところに、ドミネ・クォ・ヴァディス教会は、ひっそりと
した佇まいで建っている。
周りには観光客の姿はなく、澄み渡った青空の下、木々の小鳥のさえずりが心地よく
聞こえるだけの、静寂の時が流れている。

教会の入口のドアを静かに開けて会堂に入ると、30人分ほどの木製のベンチがあり、
一番前の席で、親子連れと思われる観光客がお祈りをしていた。
右の壁にはキリストの、左の壁にはペテロの肖像画が掛けられ、ベンチ後方の床の
中央には、大理石の 「キリストの足跡」 がある。(上記、右側写真)

様々な伝えによれば ——
ペテロが、迫害の激しいローマを逃れて行く途中、この地に差し掛かると、彼の前に
キリストが現れた。そこで、ペトロはイエスに「主よ、何処へおいでになるのですか?
(ドミネ、クォ・ヴァディス? "Domine, quo vadis?")」 と尋ねると、キリストは
「私の民を救うため、もう一度ローマに行き、十字架に掛かる」 と答えた。
自分を恥じ、全てを悟ったペテロは、ローマに引き返し、「主と同じ十字架では畏れ多い」
と自ら申し出て、「逆さ十字架」 の磔 (はりつけ) にかかった。
「キリストの足跡」 は、キリストがペテロに会った時に残した。

ペテロのキリストへの問いが、そのまま名前になった、ドミネ・クォ・ヴァディス教会は、
9世紀には既にここに建っていたが、現在の建物は17世紀に建立されたものだという。

そして、現在に、話は進む ——
1982年 (一説では1983年)、「空飛ぶ教皇」 と呼ばれたローマ教皇、ヨハネ・パウロ
2世は、この教会を 「ローマの歴史とキリスト教会の歴史にとって特別な重要性を持つ場所」
と定めたという。

( アッピア街道、ポンペイ旅行記 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1139574.html?m=l

イメージ 1

最初のマイル・ストーン (里程標) を過ぎると、緩やかな上り坂道となり、
アッピア街道が本当の姿を現す。しかし、観光客がパラバにしか見えないのは、
意外な感じがする。ローマの代表的観光地であるにも関わらず、視界に入るのは、
数人の観光客だけで、時々、自転車に乗った若い観光客に出会うくらいである。
11月中旬では、ちょっと寒くなりかけていて、観光シーズンには当たらない
のかも知れない。

やがて、観光案内所の入っている建物が見えてきたので、立ち寄ってみた。
お洒落な 「ローマの観光案内所」 のイメージとは懸け離れた、古い建物の
一角にひっそりと構えていて、デスクには 「アッピア街道」 の案内地図が
置いてあるだけの簡素な案内所である。
男性スタッフ2人の主な業務は、自転車の貸出業務のように見えた。

「アッピア街道」 と言えば、日本の北海道大学のポプラ並木のような、松並木が
どこまでも続く風景を思い浮かべる。ガイドブックに載っている、そんなアッピア
街道の写真を示して、案内所でもらったリーフレットの地図上のどこに、松並木が
あるのかを尋ねた。案内所のスタッフは、地図の一番端を差して、案内所からは
30キロ先になると教えてくれた。

貸自転車に乗ることも考えたが、外国の自転車は日本の自転車と型が異なり、運転
に慣れていないこと、アッピア街道は石畳みであることから、滑って横転してしまう
可能性もあること、そして、何よりも30キロも自転車に乗るのは、今の体力では
とても無理であることから、自転車に乗るのは諦め、適当なところまで歩いて行き、
疲れたら折り返して来ることにした。

「四軒長屋」 風の建物に入る観光案内所の隣りは、小さな食堂である。
レストランなどと呼べるほどのものではなく、店内にはテーブルが4卓あり、8人が
座れる程度である。メニューには何種類かの料理が載っていたが、われわれは定番の
カルボナーラとニョッキを頼んだ。量と質の割には、ちょっと高めの感じもしたが、
こんなに閑散とした観光地で、しかも食事処が少ないところで、独占的に営業している
お店ゆえ、止むを得ないことだろうと思われた。

( アッピア街道、ポンペイ旅行記 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1139574.html?m=l

イメージ 1

「全ての道はローマに通ず」 ―
アッピア街道は紀元前312年に敷設され、何回かの延長工事を経て、最終的には
イタリア南部、アドリア海に面した港町プリンディジまで延びた。その後、1784
年には、アッピア街道の途中から分岐して、新しいアッピア街道が敷設されたため、
新旧のアッピア街道が並行して走ることになった。今、われわれが観ることのできる、
最初に敷設されたアッピア街道は 「旧アッピア街道」 又は 「アッピア旧街道」など
と呼ばれることもある。

アッピア街道には、起点からの距離がわかるように、1マイル(1609m) 毎に
マイル・ストーン (里程標) が置かれ、今でも、それを道端で観ることが出来る。
上記の写真は、第一番目のマイル・ストーンで、これは西暦76年に建てられた
里程標の複製らしく、実物はローマ市庁舎前の広場に置かれているという。

このマイル・ストーンは、一見すると、昔、日本の道端にもこんな形の郵便ポストが
あったなあ、でも色は赤色だったなあ、と想い出させるものである。あの郵便ポスト
よりは、マイル・ストーンの方が、ちょっと背が高い感じがした。

( アッピア街道、ポンペイ旅行記 一覧 )
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1139574.html?m=l


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

お肉、魚介、お米、おせちまで
おすすめ特産品がランキングで選べる
ふるさと納税サイト『さとふる』
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事