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ポーランド旅行記

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ビルケナウ収容所は、ロシア人の捕虜に造らせたという。
多くのユダヤ人がヨーロッパ中から貨車に載せられて(人間として「乗せられた」のでは
なく、物を載せて運ぶように)、ここに運ばれてきた。
食料も与えられず、雨風にさらされてきたため、途中で命を落とす人もいたという。

1944年に、ドイツ軍は約43万人のユダヤ人をハンガリーからアウシュヴィッツ
収容所に連行してきた。その時に、SS隊員は、ビルケナウ収容所で約200枚の写真
を撮った。その写真には、SS隊員によって新しく連行されてきた人々の選別のシーン、
ガス室へ向かう人々の姿、そしてガス室に入る順番を待っている人々が写っている。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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アウシュヴィッツ強制収容所から2kmほど離れたところに、ビルケナウ収容所がある。
無料のバスに乗って、アウシュヴィッツからビルケナウに移動する。
やがて見えてくる、「死の門」と鉄道の引き込み線の風景は、われわれが小学生だった
頃から、社会科の教科書に載っていた写真で、何回も見てきた風景である。

第2次世界大戦中、ドイツ軍によって、ヨーロッパ各地から多くのユダヤ人が貨物車に
乗せられて、ここに連れて来られ、未曽有の大虐殺が行われた歴史の現場である。
空は晴れ上がっていたが、見学者の間には重苦しい、しかし、厳粛な空気が流れていて、
交わす言葉も少なく、この風景のすべてが灰色に見えたのは、錯覚であっただろうか。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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アウシュヴィッツ収容所は、コルベ神父が殺されたところである。
同神父はポーランド生まれ、1930年から6年間ほど長崎で宣教に当たった。
ナチスは、コルベ神父の説くカトリックの教えとナチスの思想は相反するとして、
同神父をアウシュビッツ強制収容所に送った。囚人番号は「16670」であった。

脱走者の連帯責任として、10人が処刑されることになったが、その中に妻子を
想い泣き崩れた男がいた。すると、コルベ神父が進み出て、「私はカトリックの神父
です。もう若くもなく、妻も子供もいませんから、あの方の身代わりになりたいと
思います」と言って、彼の身代わりになることを申し出た。
そして、犠牲となった。
その時の様子は、次のサイトで詳細に解説されている。
http://kolbe-museum.com/?mode=f2

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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人々は「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と言われて、収容所に
連れて来られたが、実際に自由になることは出来なかった。収容所から脱走
することも出来なかった。
収容所の周りには、金網が張られ、そこには200Vの電流が流れていた。
脱走を図れば、立牢に入れられた。牢の中には90センチ四方の区画があり、
そこに4人を入れ、数日間そのままにしておいた。牢全体に多人数を押し込めて
酸欠状態にした。
この立牢を見て、私は、韓国ソウル西大門にある刑務所跡の立牢を想い出た。
そこは、日本が韓国を侵略し統治していた時代、日本の官憲が韓国の独立運動家
などを逮捕し、収監・監禁していたところである。

収容所では、ドイツ軍兵士が人々の耳元で「逃げろ!」とささやくことがあった。
人々は、これを兵士の温情的な行為と思い込み、「自由になれる」と信じ、逃げる。
そこを、兵士は、背後から撃つ。兵士は、「ご褒美」として3日間の休暇がもらえる
からであった。

アウシュヴィッツ収容所には、「死の壁」と呼ばれるところがある。(上記写真の奥)
ここで、ナチス・ドイツは、抵抗した数千人の人々を銃殺した。
ここを見学に訪れた人たちは、白いバラを手向けていく。第2次世界大戦中の
ドイツにおいて広がった非暴力主義の反ナチ運動「白いバラ運動」を連想させる。
自国の国旗をリボンにしておいて行く人もいる。赤と白はポーランドの国旗、黒・
赤・黄はドイツの国旗、フランスやイタリアの国旗も見える。
国旗の数を見ると、ドイツからも多く人が訪ねていることがわかる。
ヨーロッパ諸国の人々は、ここを「和解の場所」として考えているのだという。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l

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収容所内には、28棟の「囚人棟」があり、最大で2万8000人も収容されていたという。
建物の配置を見ると、ある意味では、「整然」と建設されている。「ドイツ人は几帳面である」
という言説があるが、こんなところにも、その「几帳面さ」が現れたのであろうか。

「アウシュヴィッツ」という言葉を聞いて、真っ先にイメージするのは「ガス室」である。
実際、「ガス室」に入ると、何とも言えない気持ちになる。
当時、ドイツでは「民主的な制度」の下で、国民が政治家を選び、政治家は法律を作った。
法律は、ユダヤ人を排斥することを「移住」と言う言葉で表現した。アウシュヴィッツでは、
その法律の下で指定されたドクターが、連行されてきた人々を、ガス室に送る人と、労働
させる人に選別した。その選別の様子を、軍の監視役が個人的想い出として撮影した写真が
残っている。撮影禁止の光景を撮ったものだが、敗戦のドサクサの中で、その写真を置き忘れ
てしまった。生還した人が、それを見つけた。
われわれは、ここで、軍の医者が、人の生死を決めていた歴史的事実を見る。

「ガス室」行きに選別された人々は全裸にされて、「シャワーを浴びてもらうから」と言われ、
入れられたところは、実は「シャワー室」ではなく「ガス室」であった。
シャワーの噴出し口と見えるところからは、水が出ることはなく、毒ガスが出てきて、15分
ほどで皆んな死んでいった。

ナチスは、毒ガスは当初は障碍者を殺すために使っていたが、それをユダヤ人虐殺に採用
するようになった。他の手段、例えば銃殺や爆薬などで殺害することも実験はしていたが、
その方法では「効率が良くない」ということで、毒ガスを用いるようになった。
銃殺などの様子をドイツの兵士が見てしまえば、兵士は気が滅入ってしまうが、毒ガスに
よる大量殺戮は、その光景をドイツ兵が目にしなくても済む方法だった。

私は、博物館に入場してから、メモ代わりに、何枚もの写真を撮っていたが、この「ガス室」
を案内される頃になると、写真を撮り続ける意欲が消えて行った。
写真を撮り続けることは、ここで犠牲となった人々の尊厳を汚すことになる、その惨状を
写真に収めることは罪悪であると思い始めた。

日本人ガイド中谷剛さんの説明を、最初のうちは、「なるほど、なるほど」と頷きながら聴いて
いたが、写真を撮るよりは、彼が発する言葉の一言一言を書き留めておかなければならないと
いう想いになった。写真には、彼の言葉を写し、記録することが出来ない。
中谷さんの言葉は、ガイドとしての機械的な、無機質な言葉ではなく、ここで殺されていった
人々の地獄からの叫びのように聞こえてきた。自分たちの苦しみを聴いてくれ、この歴史を繰り
返さないでくれという叫びであった。

中谷さんの、少し早めの語りではあるが、感情を抑え、穏やかに、しかし、淡々と語る歴史上の
事実は、聴く人々に強烈な印象を与える。そして、その真摯な解説のキーワードを書き残して
おいて、ブログに見学記を書く時の材料にしたいと考えた。写真をパチパチ撮っている場合では
ない。中谷さんの言葉を一言一句聞き漏らすまい、メモを取らなければならないという、一人の
人間として使命感にも似た気持ちになった。

中谷さんの活動については、伊吹早織さんが次のサイトで紹介している。
https://www.huffingtonpost.jp/ibuki-saori/post_9105_b_6738410.html

連行されてきた人々の持ち物の極一部が残ったまま、展示されている。
ここは「写真撮影禁止」である。
女性の髪を編んで、絨毯や背広にしたが、使い切れなかったものが残ったままとなっていて、
展示されている。死体から髪の毛を刈り取る作業もユダヤ人にやらせたという。靴や日常生活
用品も残っている、小さい靴も沢山あり、子どもも連れて来られ、殺されたことを示してして
いる。開けられることのなかったトランクもある。衣服やトランク、靴など、その膨大な量に
驚く。義足や義手などもあり、障碍のある人々も例外なく連行されてきて、殺害されたことを
示している。

人々が収容された時に撮ったと思われる何枚かの写真も残っていて、収容された人々の名簿や
衣服などが写っている。粗末なスープとパンだけだった日々の食事や、やせ細った人々の写真
もある。

国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館のホームページは次のとおり。
http://auschwitz.org/en/more/japanese/
http://auschwitz.org/gfx/auschwitz/userfiles/auschwitz/historia_terazniejszosc/auschwitz_historia_i_terazniejszosc_wer_japonska_2010.pdf

(「ポーランド旅行記」一覧)
https://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/folder/1147858.html?m=l


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