国際短波放送情報

海外からの日本語短波放送を中心に、メディア関連の様々な話題を紹介します

HCJBアンデスの声

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HCJB日本語放送は5月2日,日本語番組放送開始45周年を記念する
特別番組を放送した。

特別番組は,同局の尾崎一夫さんのリスナーに対する感謝のメッセージ
に始まり,リスナーからのお便りなども織り込み,番組全体を流れるのは,
短波放送愛好者に対する,尾崎さんの熱い想いであった。
又,テーマ音楽 『コンドルは飛んでいく』 に乗せて,尾崎久子さん(故人)
の局名アナウンスも紹介された。

放送内容は,次のとおり。
30分番組の再録ゆえ,長文となっていることを,予めご承知願います。
-------------------------------------------------------------
皆さん,お元気でしょうか。尾崎一夫です。
HCJB日本語放送の『アンデスの声』が,エクアドルの首都キトから,南米
向けに放送を開始して,5月1日で,45周年を迎えました。

そして,半世紀近くも過ぎた今日も,こうして,放送が続けられていること
は,何よりも,番組を聴いてくださる皆様方が,この放送を支えてくださり,
励ましてくださったからに,他なりません。
先ず初めに,心から,リスナーの皆様方に,感謝を申し上げたいと思います。

放送45周年記念の,特別のベリカードを用意いたしました。この特別カードは,
1964年5月1日,HCJB日本語放送が,赤道直下の国,エクアドルから
第一声を放った直後に,HCJBスタジオで撮った記念写真です。

当時は,放送はすべて,ライブでしたから,30分番組が終わった,現地
時間の午後5度半頃に,撮影したものです。

私たちを囲んでいるのは,HCJBの局長夫妻をはじめ,英語部,ドイツ語部,
ロシア語部,スウェーデン語部など,国際放送のスタッフの面々,また,番組
で歌ってくださった,HCJBクワイヤーの人たちです。
この日のために,お祝いのメッセージをくださった,在エクアドル日本大使の
日向精蔵氏の写真も出ております。

放送を開始して10ヵ月後の,翌年3月には,日本の短波リスナーから要請
があり,南米向けとは別に,日本向けにも,30分の放送が開始されました。

日本向けの周波数は,31メーターバンド,9.715メガヘルツを,長い間,
ずうっと変わらずに使用されました。

そのため,この周波数は,『アンデスの声』 の代名詞のようになり,亡くなら
れた山田耕嗣さんも,『9715』 を暗証番号に使っておられたと聞きました。

やがて,北米向け,ヨーロッパ向けも加わって,文字通り,『アンデスの声』 は
世界の空をを駆け巡るようになったのです。

地球は回り,時は刻々と過ぎていきます。通信手段も,時代の変化と共に,
大きく変わりました。衛星による放送が可能になり,ファイバー回線に詰め
込まれた膨大な情報が情報ハイウェーを走り抜ける ――
世は,正に 『超情報化時代』 に突入しました。

情報伝達は,音声だけではなく,映像も加わる,マルチメディアへと移って行く
につれ,放送の方も衛星放送やインターネット放送が主流になり,短波放送
は,影が,だんだん薄くなっていきました。

そして,遂に,その煽りを受けて,"A" は Australia,"B" は BBC−ロンドン,
"C" は Radio Canada,"D" は Deutsche Welle と,次々と日本語短波放送が
姿を消して行ったのです。
そして,"D" の次は "E",Ecuador です。

HCJBでも,国際短波放送の存続に関しての協議は,早くから,真剣に交わ
されてきました。
折も折,予てから,エクアドル政府から要請を受けていた,新国際空港建設
のための,HCJBのアンテナ撤去が,これ以上延ばすことが出来なくなりま
した。おまけに,これまで放送スポンサーをしていた教会からの資金援助も,
次第に少なくなっていったのです。

訪れた危機を,『危険』 と見るか,『機会 ― チャンス』 と見るか。
HCJBでは,これは新しい展開をするためのチャンスと見て,今まで,HCJB
の表看板であった 『国際短波放送』 の大幅な見直しを図りました。
そして,その結果,日本語放送も,2000年,大晦日を期して,一先ず,終了
することになったのです。

2003年5月,エクアドルのHCJBスタジオから,日本語放送としては最後の
最後となる,1時間の特別番組が流されました。
日本語放送開始39周年を兼ね,数字の 『3』 『9』 を,そのまま 『サン・キュー』
と呼んでの,『感謝コンサート』 でした。

HCJBホールには,長い間お世話になった在留邦人の方々やHCJBスタッフ
をはじめ,現地の知人,友人などが沢山出席してくださいました。
私たちも,39年のエクアドル生活に幕を降ろす,忘れられないイベントとなった
のです。

では,その時の 『感謝コンサート』 の実況録音から,お聴きいただきましょう。

---------------------- ( 実 況 録 音 : 敬称略 ) ----------------
尾崎 : さぁ,それでは,『アンデスの声 39周年記念感謝コンサート』 の
     会場へ,皆様をご案内いたしましょう。
     
       ≪ 『コンドルは飛んでいく』 のテーマ音楽に乗せて,故・久子夫人
         の声で,局名アナウンスが流れる ≫

夫人 : こちらは,アンデスの声,HCJBの日本語放送です。
     南米,赤道直下の国,エクアドルの首都,キトからお送りしています。
     この時間の周波数は,15.450メガヘルツ,19メーターバンドです。

     これからの1時間は,アンデスの声,スペシャル番組として,放送39
     周年記念感謝コンサートの模様をお届けします。
     こちらは,アンデスの声です。ここ,赤道直下,アンデスの峰を越えて
     お送りする,日本語特別放送をお楽しみください。

尾崎 : 皆さん,こんばんは。お元気ですか。尾崎一夫です。

夫人 : 如何お過ごしでしょうか。尾崎久子です。

尾崎 : きょう,皆様,ご多忙の中を,アンデスの声の誕生の地であり,そして,
     39年間の活動の拠点であった,HCJB放送局に,よく来てくださいま
     した。

夫人 : ここに,大きく,39 と刻まれています。正に,3 と 9 で,サンキュー
     と言います。
     きょうは,その,39年のお祝いと感謝を込めて,コンサートを,これ
     から開きたいと思います。

尾崎 : きょうは,特別に,日本大使館の平松大使ご夫妻に,ご出席いただ
     いておりますので,コンサートを始めます前に,一言,お言葉をいただ
     きたいと思います。大使,よろしく,お願いいたします。

平松 : 皆さん,こんばんは。
     きょう,こういう記念すべき,アンデスの声39周年,こういう機会に,私ども
     が,このエクアドルのキトに滞在しているということが,われわれにとって,
     非常に光栄であった,非常に幸いであった,と思っております。
     
     私ども,外務省の者は,3〜4年毎に,海外に出て,海外で生活しており
     ますけれども,私は,アンデスの声との出会いは,中米のエルサルバドル
     という国でございます。

     1970年代の初め頃,初めて,中南米に参りました時に,日本から短波
     ラジオを持っていって,日本のNHKの短波の周波数に,いつも合せて,
     日本のニュースを聴こうとしている。そのときに,日本語で,ハッキリした
     日本語で入ってくる局がありました。それが,アンデスの声だったわけです。

     で,私が,そのときに思ったのは,やはり,当時,外国に出ている日本人の
     数は,今に比べて非常に少ないと,そういう時に,短波のラジオで日本語の
     放送が聴けるということ自体,われわれにとって,非常に大きな励みになった
     ということを記憶しております。

     おそらく,当時,中南米に住んでおられた日本の移住者の方々,それから,
     商社,メーカーの駐在員の方々,そういった方々が,このアンデスの声の
     放送を耳にされて,同じような感激と,同じような励みの,気持ちを抱かれた
     ことだと思います。

     尾崎さんご夫妻,本当に,きょう,39周年の,これを迎えて,ご苦労様。
     これからも,ぜひ,日本と世界の人々との理解と平和を求める活動を
     続けて行っていただければ,と思います。

     きょうは,本当に,おめでとうございます。 ( 拍手 )

尾崎 : 有難うございました。

夫人 : こちらは,アンデスの声です。
     南米,赤道直下の国,エクアドルの首都,キトからお送りしております。

尾崎 : このアナウンスで始まる日本語番組が,毎日,南米向けに1時間,そして,
     日本向け,北米向け,ヨーロッパ向けには,それぞれ,毎日30分,流された
     わけですが,その中の,人気番組の一つが,この,毎週,土曜日の,『エクア
     ドル音楽をどうぞ』,ホルヘ・サンブラーノさんが担当くださいました。

     そこで,ぜひ,ホルヘさんの生演奏をですね,日本のリスナーの皆様にお聞か
     せしなければと,1991年,日本各地を周って,コンサートツアーをしました。

夫人 : 1993年には,ハワイとアメリカ西海岸の日本人教会を周りました。今年は,
      カナダから呼ばれております。
      では,『アンデスの山から』 です。  ( 曲の演奏 )

---------------------- ( 実 況 録 音 終 ) ---------------------------

以下,(2)に続きます。

HCJB日本語放送は2月7日,米国テキサス州在住の浅野さんご夫妻への
インタビュー番組を放送した。

浅野さんは南米ボリビアで生れ育った,所謂 『二世』 で,現在は,日本人を
対象とする引越し業に携わっている。奥様は宮崎県の生まれで,渡米して
通訳などをしていた時,教会関係者の紹介で,浅野さんと結ばれた。

今から50年前,浅野さんの祖父は家族全員を連れてボリビアに移住して,
農業を営んでいたが,浅野さんは成人すると,進学のため米国に移った。

この日放送された番組の中から,『アンデスの声』について語られている
部分を抜粋して,再録する。(敬称略)

『アンデスの声』は,1964年5月から2000年12月まで,南米エクアドル
の首都,キトから放送されていた。
---------------------------------------------------------------------
( 浅 野 )
私が子供の頃,親は,NHKの放送を聴きたいという思いがかなり強かった
のですが,ボリビアではNHKのラジオ放送は,朝の4時から5時と言う
時間帯で,しかも,短波であるため仲々聴こえないというので,相当辛い
想いをしていたと思います。

ところが,『アンデスの声』で,尾崎先生の声が入るようになって,ボリビアの
移住者の大方にとって,おそらく全員だと思いますけれども,『アンデスの声』
は馴染みがありまして,日本のニュースは,尾崎先生が放送されたものを,
全部聴かせていただいたと思います。

( 尾 崎 )
私は番組の始まりに,『きょうは,掛替えのないお客様をお迎えした』 と申し
上げたのは,このことでございます。
今,『アンデスの声』のお話が出てまいりましたけれども,私は,本当に涙が
出るくらい,嬉しいんです。

( 浅 野 )
私も,尾崎先生にお会いできるということで,本当に血が騒いでおります。

( 尾 崎 )
南米各地のリスナーのことについては,耳では聞くし,手紙でも読んで,その
事情が分かっていたんですけれども,皆さんが, それほど熱心に聞いて
くださった,ここに,その方がおられる,そして,直接お話を聞くことが出来る
と言うのは本当に嬉しいことです。

『アンデスの声』の放送局がある,エクアドルのキトと言うところは,海抜
3000メートルと,高いところなんですよ。

南米各地からは,『NHKのニュースを聴きたいけれども,NHKの放送が聴こ
えない』と言うお便りが来る。
『それじゃ,私たちが代わって,NHKのニュースを伝えましょう』と言うことに
なった。

今,仰った,朝4時のNHKの放送は,キトでは良く聴こえるんですよ。高い
ところにありますから。
それを,毎日,カセットテープに録音する。朝4時に起きられない時にはね,
ボタンを押して録音をセットして,また,寝て,後から聴くんです。

日本とは14時間の時差がありますから,録音したNHKのニュースを,昼間
のうちに書き写して,主な項目を,夕方の私たちの放送する時間帯に,南米
に向けて放送する。

エクアドルは夕方の5時,ボリビアは夜の7時だから,『夜7時のニュース』と
言うことになります。

私たち,一年間,NHKで研修を受けていました時に,『NHKのニュースを使わ
せてください』とお願いして,『良い』と言う許可をいただいて,実現したわけです。
NHKの放送を,エクアドルで中継するわけに行かない,音質が悪いですからね。

私は,NHKのニュースをノートに書き起こして,読んでいましたが,大変だった
のは,大相撲が始まると,中入り後の,主な取り組みの勝敗を言わなければ
ならないことでした。

南米各地のリスナーは,皆さん,ちゃんと,白星,黒星をつけて,星取表を作って
いるわけですから,一日も休めないわけですよ。

( 浅野夫人 )
そうだったんですかぁ。

( 尾 崎 )
しかし,相撲の関取の名前が,良く分からない時がある。
そんな時は,耳で聞いたとおりの名前をカタカナで書いて,放送したことを
覚えていますね。

『野球もやってくれ』と言う要望もありましたが,『野球はすみませんけれど,
勘弁してください』と。(笑)

( 浅 野 )
それから,私が記憶にありますのは,音楽のリクエストです。
皆さん,音楽のリクエストを出される。僕も何回も出させていただきまして,
3回ほど,リクエストの音楽を掛けていただいた記憶がございます。
大方,日本の童謡だったと思います。

( 尾 崎 )
うん。うん。

( 浅 野 )
子供の頃から,童謡だけは,聴かされておりましたので,それをリクエスト
したり,母の日には,母のために曲をクエストしたと言う記憶もあります。
曲名は,ちょっと,忘れてしまいましたけれども・・・。

( 尾 崎 )
サトーハチローさんの,『母の詩集』と言うのがあるんですよ。

( 浅野夫人 )
あぁ,はい,ありますね。

( 尾 崎 )
それが,歌になっていて,レコードが出ている。
それを,日本から持ってきたんですよ。とても良い詩集でね。
それをかけたら,案の定,やっぱり,同じ気持ちになる方がおられて,
リクエストが良く来ましたね。

誕生日にはね,ピンキーとキラーが歌った,そのレコードの裏にね,
『誕生日は良いもんだ』と言うのがあったんですよ。
これを誕生日にかけたら,皆さん,喜んで,リクエストが,よく来ましたね。

( 浅野夫人 )
懐かしいですね。

( 尾 崎 )
それからね,『森の水車』の,『カタ・カタ・コットン,カタ・カタ・コットン』。
これが, また,明るい。
皆さん,地方から来ておられますから,自分の,わが家のところに,水車
がある方もおられるから,懐かしく思われた方もおられたようです。

( 浅 野 )
聴きました。聴きました。(笑)

( 尾 崎 )
聴かれましたかぁ。(笑)

( 浅 野 )
昔の記憶が蘇ってきて,すみません。

( 尾 崎 )
そうですかぁ。

( 浅 野 )
あと,そうですね。母親なんかは,よく,あの,山田耕筰ですか,聞かせて
いただきました。

私も,そうなんですけれども,尾崎先生の上手な朗読ですね。僕は,
かなり,聞かせていただきました。
涙を流しながら,やっぱり,悲しいお話とかですね,よく聴いておりました。

( 尾 崎 )
『ラジオ図書館』と言う番組ですね。
金曜日に,30分,皆さん,ドラマ的なもの,ストーリーをお聞きになりた
いんですよね。

それで,家内と私が,本によっては,家内が読んだり,私が読んだり
していました。

三浦綾子さんの本は,とても良いものです。実話を使っていらっしゃる。
これを家内が読むんですが,
『塩狩峠』なんて,主人公がね,峠で逆送する列車を止めようとして,線路
の露と消えるわけでしょ,そして,彼を慕っていた彼女が,その線路の傍で
泣く・・・と,
家内が,それを下読みしているうちに,泣いちゃうわけね。

本番で泣いたら,いけない。ラジオだから,声が出なければいけない。
テレビならねぇ,泣いているところは,感激の場面なんですけれど,ラジオ
ですから,そういうわけに行かない。
だから,家内は読む前に,ちゃんと泣きはらして,それから,読むと言う。

家内は,小さい時から近所のおばさんに頼まれて,本をよく読んでいた
そうです。 だから,本を読むのが好きでね。

日本に帰ると,三浦さんのところにおじゃまして,『熱心に聴いておられる
リスナーがおられるんです。三浦さんの本を使わせていただいています』と
言う。

三浦さんはテーブルの下にね,お茶を入れる道具など,いろいろなものを
置いてある。

私たちが来ると分かっているから,その下に,ご自分の新しい本を置いて
おられて,それを,すうっと出されてね,サインして,どうぞ,お使いください
とプレゼントしてくださった。

そういう,心のこもった本を,エクアドルに持ってきて,また,心のこもった
人が読んでいるから,聴く人も,感激するわけね。

( 浅野夫人 )
全部,心が,電波を通して,伝わっていくんですよね。

( 尾 崎 )
そう,思います。

( 浅 野 )
おかげ様で,こちらは,泣いていても,見えないから,母と一緒に,涙をボロ
ボロ流しながら,よく聞かせていただきました。

( 尾 崎 )
いやぁ,そのお話を,家内に聞かせたかったね。そうだったんですかぁ。

( 浅野夫人 )
そうでしょうね。

( 浅 野 )
友達が皆んな,『アンデスの声』を聞いていたので,誰がリクエストを出したのか
と言うことが,スゴイ,興味がありましてね。

よく,『ボリビア,サンファン移住地の誰々様からリクエストをいただいております』と
アナウンスされると,『あいつは,知っている。俺も,同じだ』と。

逆に,僕の方が読まれた時は,友達が,『あぁ,聴いていたよ〜っ』と。
そう言う,何か,楽しみがございましたですね。

( 尾 崎 )
放送する者と,聴く者だけではなくて,聴く人たち同士の,ヨコの繋がりができる。

( 浅野夫人 )
なるほど。

( 尾 崎 )
これは,やっぱり,特に南米の移住地の方たちにとっては,非常に遠いところに,
バラバラになっていらっしゃる人たちのね,繋がりが出来ると言うんで,とっても良い
働きが出来ました。

エクアドルなんて,あんな遠いところから,放送することができた。
その短波と言う放送の,その仕組みと言うのは,本当に,私は,素晴らしいものだ
と思います。

それから,放送を聴きながら,『あっ,同じ船で来た人だ』とか,『まだ,あそこに,
いるんだ。元気で,やっているんだぁ』ってね。お互い,又ね,出会うことが出来れ
ば,良いと思う。

( 浅野夫人 )
なるほど。

( 浅 野 )
ボリビアで上手くいかなくて,アルゼンチンに移住したと言う方が,かなりいらっしゃい
まして,友達同士ですから,その息子さんとか,娘さんとかを,良く知っているわけです。

『アンデスの声』を聴いていますと,アルゼンチンの誰々さんからリクエストが来ています
と放送される。そうしますと,『あっ,あの人,元気でやっているんだなぁ』と言うことが,
『アンデスの声』を通じて,分かる。

『アンデスの声』を通じて,様々なことが伝わってきていたと言うのは,すごく有難いこと
でした。                                            
                                                 (了)
------------------------------------------------------------------------
(注)この記事は,HCJB日本語放送の尾崎一夫さんのご了承を得て,掲載しています。

   現在のHCJB日本語放送のスケジュールは,次の記事を参照願います。
   http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/13742343.html

   HCJBの現在に至る経緯等については,次の記事をご覧願います。
   http://blogs.yahoo.co.jp/swl_information/357432.html

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