心を打たれた言葉

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私は、右翼でも左翼でもない。
 
日本に生まれ育って日本が好きで愛国心がある。
 
私がカイロプラクティックの大学で勉強していたとき、アメリカでナショナルボードを取得してアメリカで働きたいという者もいた。
 
その気持ちが私にはさっぱり分からなかった。
 
私は、早く技術を身に付け、早く地域の方に貢献したいと思っていた。
 
なぜ縁も由もない外国へ行って、外国人の治療をしたいのだろうと思って不思議だった。
 
まずは、身近な親兄弟から治療したいと思うのが、普通だと思っていた。
 
今では、外国へ行きたい、そこで治療をしたいと強く思う人たちは、前世でそこに住んでいたのではないかと思っている。
 
そうと思わなければ私には理解できない。
 
竹田恒泰氏によると。。。
 
アメリカ先住民、ケルト、アボリジニなど、日本の縄文時代に他の地域に存在していたアミニズム精神を持つ民族は存在する。しかし、彼らは国土と国家を持たず、言語すら失われつつある。原始民族で国土、国家、言語を持ち一億人以上の人口を擁しているのは世界で日本だけであり、日本は現存する唯一の古代国家なのである。
 
日本は過去に亡国の危機があった。
 
元寇襲来、幕末、太平洋戦争。。。
 
しかし、敗戦はしたが、亡国には至らなかった。
 
亡国の危機のたびに、誇り高く古代国家を守り抜いてきた。
 
「武剋隊」廣森達郎中尉の言葉に、私は号泣した。嗚咽した。
 
武剋隊は沖縄戦で特攻の第一陣の役目を果たした。
 
出撃の前日、沖縄の中飛行場で廣森中尉は8名の隊員に話した。
 
「いよいよ明朝は出撃だ。
 
いつものように俺についてこい。
 
次のことだけはお互いに約束しよう。
 
今度生まれ変わったら、それが蛆虫であろうと、国を愛する誠心だけは失わないようにしよう」
 
特攻を肯定するつもりは無い。
 
しかし、廣森中尉この時24歳2ヶ月。
 
今の若者とかは知らないが、私と比べてみると精神的な成熟度が驚くほどである。
 
私が24歳のときといえば、結婚した年だが、特攻隊員のような覚悟をもってはいなかった。
 
結婚もし、仕事もしていたが、まだまだ遊びたいし、政治や日本の未来に何の興味も持っていなかった。
 
初めて靖国神社で、特攻隊員たちの手紙を読んだ時は、衝撃を受けた。
 
あの遺影に囲まれた部屋では、息が詰まるほどの圧迫感というのか、何かとても重苦しい感じを受けた。
 
それは、あの方たちに比べて何も立派に成し遂げることもなく、ノホホンと暮らしてきた自分に対しての強烈な恥ずかしさだったのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 

目的

偉大な魂は目的を持ち、そうでない者は願望を持つ。
        ―――ワシントン・アービング
 

この言葉ぴったりです。
 
奈良腰痛専科万葉の患者様も、痛みを取りたい!このような願望が基本的にあり、来院されるのです。
 
病院でリハビリ業務していたときも、患者様のニーズに合わせたゴールを設定するのですが、これがどうも願望止まりなのです。
 
ケガや病気を治し、退院する。これが入院患者のもっとも大きな願望です。
 
外来患者の願望は、もっぱら痛みを取りたいです。
 
しかし、その先を視なければいけません。特にリハビリテーションでは。
 
退院したあとの目的。痛みが取れたあとの目的。
 
それが実現したとき、何がしたいのか?
 
それが実現したとき、それはどんな気持ちなのか?
 
そこまで術者は引き出さなければいけません。
 
ワシントン・アーヴィングの言葉は、まさにピッタリです!
 
 
 
 
 

酒井雄哉師の言葉

 

「慣れた道でも毎日が違う」
千日回峰行を2度も満行した「大行満大阿闍梨」酒井雄哉師の言葉です。
深い言葉です。
毎日毎日同じ手技を繰り返す。
 
何度も何度も同じセミナーに出て勉強する。
 
その理由は、この酒井雄哉師の言葉に込められている。
 
私は、認定を貰ったからもうそれで良しとは思わない。
 
認定を貰っても、慣れた手技でも、また何度も診てる患者さんでもやはり日により違う。
 
そのことを自覚して、初心を忘れないようにしなければいけない。
 
 
日回峰行は、平安期の相応が始めたとされ、十二年籠山行を終え、百日回峰行を終えた者の中から選ばれたものだけに許される行である。[4] 行者は途中で行を続けられなくなったときは自害するという決意で、首を括るための死出紐と呼ばれる麻紐と、両刃の短剣を常時携行する。頭にはまだ開いていない蓮の華をかたどった笠をかぶり、白装束をまとい、草鞋ばきといういでたちである。回峰行は七年間にわたる行である。
無動寺谷で勤行のあと、深夜二時に出発。真言を唱えながら東塔、西塔、横川、日吉大社と二百六十箇所で礼拝しながら、約30キロを平均6時間で巡拝する。
700日目の回峰を終えた日から「堂入り」が行なわれる。[5]入堂前には行者は生き葬式を行ない、無動寺谷明王堂で足かけ九日間(丸七日半ほど)にわたる断食・断水・断眠・断臥(「臥」とは、横たわること)の行に入る。堂入り中は、明王堂には五色の幔幕が張られ、行者は不動明王の真言を唱え続ける。毎晩、深夜2時には堂を出て、近くの閼伽井で閼伽を汲み、堂内の不動明王にこれを供えなければならない。堂入りを満了(堂さがり)すると、行者は生身の不動明王ともいわれる大阿闍梨(だいあじゃり)となり、信者達の合掌で迎えられる。これを機に行者は自分のための自利行(じりぎょう)から、衆生救済の化他行(けたぎょう)に入り、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、1日約60キロの行程を100日続ける。7年目は200日ではじめの100日は全行程84キロにおよぶ京都大回りで、後半100日は比叡山中30キロの行程に戻り、千日を満行する。この行を終えた行者は延暦寺の記録では47人である。またこの行を2回終えた者が3人おり、その中には現存の酒井雄哉大阿闍梨も含まれる。
なお、千日回峰行を終えた者は京都御所への参内が許される。通常、京都御所内は土足厳禁であるが、千日回峰行を終えた者のみ、御所へ土足のまま参内できる(土足参内)。     ウィキペディアより

やってみよう!

物事が難しいから、我々はあえて行わないのではない。我々があえて行わないから、物事が難しくなる。

古代ローマの政治家、思想家、詩人のセネカの言葉。

いい言葉だ…

私は、若返ったとして、やり直したい事や、やり残した事っていうのが思いつかない。

大概のやりたいことはやって来た。

死んだ父には、おまえはワガママだと言われた。

本当にそうだと思う。

ワガママを許されてきたことに感謝している。

人生は一度きり!

チャレンジあるのみ!

私の元へ来る患者さんにも、セネカの言葉をしっかり伝えていきたい。

腰が痛いから、動けないのではない!動かなければ動けないのだ!

与えるということ

先日からトレーナーと鍼灸師が、私のところへ勉強に来ている。
 
おそらく1時間半はかけて来ているようだ。
 
もともとまったく知らない方たちだが、なんとこのブログを見て直接私のところへ勉強させてほしいと連絡があった。
 
臨床に出ている者が、誰かにものを教えてくれと頼むのは、ましてやまったく面識のないものに頼むということは、とても勇気のある行動だと思う。
 
それでも彼らは、やって来ました。
 
私は、立場のあるものなので守らなければならないルールというものがあります。
 
教えられることと、教えられないことがあります。
 
私には教えることを許されていない手技があります。
 
だから、私の出来る範囲で力になれればと思っています。
 
 
まず私は、私の治療院のコンセプトを説明しました。
 
「腰痛治療を通じて患者さまの生き方を変える」
 
これがコンセプトです。
 
誰かの人生にポジティブな変化を与えられたときは、物理的な見返り以上に大きな満足を得ることが出来ます。
 
これが私の仕事です。
 
そのための考え方や手段を彼らに伝えていけたらなと思います。
 
 
 
「一本のろうそくから何千本ものろうそくに火をつけることができる。かといって、それで最初のろうそくの寿命が短くなることはない。幸福は、分かちあうことで決して減らない。」                    (仏陀)

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