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「遷御の義」を前に公開された伊勢神宮内宮の新しいご正殿。
ヒノキの香りが漂い、清々しさにあふれる=三重県伊勢市
「いただきます」の意味
「いただきます」の本来の意味は、食べ物そのもの(動物や植物から『命をいただく』ことなのです。食事の前に唱えることで『命』を戴くだけの資格があるのか、自らをいましめる意味が含まれています。もちろん愛情込めて料理してくれた人達への気持ちだけでなく、食材の生産や輸送にかかわってくれたすべての人達に対しての感謝の心も意味します。
「ごちそうさま」の意味
「ごちそうさま」の「ちそう(馳走)の本来の意味は、お客さんのために命懸けで四里四方を走り回り食材を集めて来て目の前の料理が出されていることです。つまり、食材を作る人、運ぶ人、料理を作る人といった多くの人々への心がけや知恵・労力に対して注がれた『作り手の真心に対するねぎらい』の意味も含めた言葉で、相手を思いやる気持ちを忘れないようにといったことです。
食前の感謝のうた
たなつもの 百の木草も 天照 日の大神の 恵えてこそ
(たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ)
食後の感謝のうた
朝宵に もの食うごとに 豊受の 神の恵みを 思え世の人
(あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと)
《本居宣長(江戸前期の国学者)》 かつて日本人は、食前に「いただきます」食後に「ごちそうさまでした」は必ず言いました。
正式には神社を参拝する時のように、一拝一拍手してから和歌を詠んでから食事をいただいていたのです。
食後も和歌を詠んでから「ごちそうさまでした」と感謝していました。
食事というものは、肉や魚に限らず野菜などの生命をいただくことに他なりません。
神のめぐみ=大自然の恵みであるから感謝していただきなさい。
植物の命、動物の命をいただいていることに感謝しなさい。
日本人は、食事を摂ること自体が神事だったのです。
筆者の祖母、両親から「食べ物を粗末にしてはいけません、お米一粒も残しては駄目ですよ」と、食事のたびに躾けられ育ちました。
儀礼、節度を失いつつある今日の日本人。
今一度、かつての日本人の習慣に倣い、その精神をとりもどしてみたいと筆者は思うのです。
●食前
・静座、一拝一拍手 ・「味つ物 百の木草も 天照 日の大神の 恵み得てこそ」 (たなつもの もものきぐさも あまてらす ひのおおかみの めぐみえてこそ) ・「いただきます」 ●食後 ・端座、一拝一拍手 ・「朝宵に 物喰ふごとに 豊受の 神の恵みを 思へ世の人」 (あさよいに ものくうごとに とようけの かみのめぐみを おもえよのひと) ・「ごちそうさまです」 転載元:美し国(うましくに)
この記事のURL: http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/45846131.html
カマちゃん様の「美し国」(うましくに)ブログより、転載させて頂きました。
カマちゃん様、いつも素晴らしい記事を、どうもありがとうございます。
日本では食事とは古来より、動物の生命、植物の生命を頂く事により、人(神)と大自然とが和合し合一すると考えられた、最も神聖なる神事のひとつでしたね。
ですから現在も伊勢神宮外宮では、毎日朝夕の御饌(みけ)=神さまにお供えする御食事)の祭祀こそ、最も重要な神事であるとされています。 今日も伊勢神宮外宮では、御祭神である豊受大神始め、八百万の神々達に朝夕2回の御食事(=御饌)を奉納し、世界のハタラキと大自然の恵みへの感謝を祭祀する「日別朝夕大御饌祭」の伝統が、1300年以上の間一日も休まず継続されるとゆう、素晴らしい伝統を誇っています。
この伊勢神宮外宮「日別朝夕大御饌祭」に供される全ての食材は、天日干しの海塩や昆布や鰹節等はじめ、すべて昔ながらの手作りで生産されています。 また御米は天皇陛下御自ら、毎年伊雑宮の神田に御田植され、そして御刈り取られた御米が供される伝統が、今日も守られ続けています。
私は、カマちゃん様からの転載記事「いただきます」「ごちそうさま」にあります通り、この伊勢神宮と天皇陛下の「食事=御饌」に対する大御心こそ、「日本の心」「大和心」の原点・根本であり、世界に誇る日本の精神であると考えます。 よって「食事=御饌」を通し「世界の全てのハタラキと、大自然恵みの全てに感謝する」とゆう「日本の心」「大和心」こそ、未来そのものである子ども達に必ず継承してゆかなくては成らない、世界の至宝の精神であると想っています。
明後日10月5日は、伊勢神宮外宮の「遷御の儀」が執り行われますね。 我が家は今年、伊勢神宮に参る機会が持てそうになく、少し残念に想います。 しかし我が家では毎日、朝は夫が夕は私が、自宅神棚にて伊勢神宮や白山神社始め八百万の神々への神恩感謝の神祀りと、御先祖様たちへの報恩感謝の御供養を、日々継続させて頂いております。
また夫は毎朝、伊勢白山道式「▽」の形に御線香を置かせて頂いている様ですが、
私は神霊や精霊からの感応により、毎夕「△」の形に御線香を置かせて頂きます。
よって我が家では毎日「朝夕」「夫婦」で、「▽・△=六芒星」への慰霊鎮魂を、奉納させて頂いている事になりますね(笑)
MYUは神恩感謝の祝詞を奏上する場合もすべて、「陰陽」にて奉納します。
つまり「アマテラスオホミカミ・アマテラスオオミカミ」です(笑)
私はこの世界の全てとは、「陰陽」から成り立っているのが真相と想います。
よって他人様の思想や意見を、それぞれ大切に想い尊重しながらも、最終的には他人様と自分自身のバランスをとる事、つまり万事に於いて片寄りないのバランスを育くんでゆく事が最も重要であると想います。
これを図形に例えるならば、自分自身が中心点と成り、身の回りの他人様との距離を全て「半分半分=フィフティフィフティ」に置いてゆきます。
つまり自分自身を中心「・」に、全ての他人様との距離を半径に定めてゆきますと、全ての他人様との御縁に囲まれた、円い世界「○」が出現します。
この円い世界「○」に包まれた自分自身「・」=「○ヽ(丸チョン)の世界」を、
人類の一人一人が完成させる事・・・・・それが「弥勒の世」=「三千世界」の真相であり、「自分自身とは、世界が丸く収まらないと存在出来ない。また自分自身とは、世界の内側にしか存在しない」の真実であると、私はそう想います(笑)
よって私はこれからも、「いただきます」と「ごちそうさま」の感謝の真心を根本として、自分自身と他人様と世界の全ての距離を何時如何なる時も「半分半分=フィフティフィフティ」に置けるよう努め、そしてどんな時も「分かち合い助け合う」「お互い様」の精神を基本に、世界を円く収めるバランス感覚を大切にしながら、生きてゆきたいと想っています・・・・・
伊勢神宮と御皇室と国民の皆様と世界中の皆様
世界のハタラキと大自然の恵みのすべてに
篤く感謝御礼申し上げ
世界中のすべてのすべての共存共栄と彌榮を
真心より祈念奏上奉納申し上げます
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2013年10月03日
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