|
MYUが、GWには必ず、夫と自分の実家に帰省ツアーをするようになって、20数年が過ぎました。
正直言って、まだ若い頃はやはり、
「たまには夫婦や家族だけで、どこか旅行に行きたいな〜〜☆☆」
なあんて思った事も、多々ありました。
しかし、ひとり息子をこよなく愛する夫の母が、長期休暇の1〜2カ月前になるといつも、
今度の休暇はいつ泊りにくるの? と、
毎回MYU宛てに、電話をかけてきて下さいます・・・・・
息子に言っても、なしのつぶてなのは、お母さんもよく判っているようですから (苦笑)
毎回必ず、わたしに相談して下さいます。
そうなると、やはり夫の両親の喜ぶ顔が見たくなり・・・・・結局毎回、帰省ツアーとなります(笑)
そして前回の日記にも書いた通り、
わたしはGWに帰省する時はいつも、母の日のプレゼントを持参します。
話が飛びますが、今年新年度の4月2日には、某所某ビル内に、父の長年の夢であった、
我が社にとって、とても重要な新店舗が、Newオープンする運びとなりました。
その新店舗に、オープニングスタッフとして勤務させて頂いてる私は、
4月は連日、目の回るような忙しさで・・・・・本当にとっても大変でした。
今年はMARが中学に入学、サッカー部に入部したこともあり、入学式や保護者説明会も複数あり、
休日もMARの中学制服始め各種用品やサッカー用品、RUNEの新学期用品など購入する物が多く、
また購入した用品の開封・洗濯・名前付けなどの準備や、2人分の学校提出書類も山積で、
もお本当に一日一日が、綱渡りのような思いで・・・・・
なんとか日々、無事に過ぎていく感覚です☆ (現在進行形)
そしてGW前半は、夫の両親に宿泊して頂く為、自宅内の客室清掃と準備に細心砕身し、
姪達の発表会に持参するための、ギフトやフラワーアレンジなども色々準備させて頂きました。
またGW後半は、夫婦それぞれの実家への帰省という、大切な恒例行事に備え、
親類達への帰省土産や、母の日のギフトなど、色々と準備しなくてはなりません。
しかし今年はあまりに忙しく・・・・・それらをなかなか準備する時間が、とれませんでした。
結局、帰省前日の5月2日・・・勤務から帰宅した18時半過ぎ、MARに軽食を与え塾に送り出し、
RUNEを学童保育にお迎えに行き、その足で近所のショッピングセンターに出かけ、
かろうじて、親類達への帰省土産と母の日のギフトなど、色々購入準備する事が出来ました。
忙しい毎日の中、久しぶりに自分の好きなショップに入り、
わずかな時間ながらも・・・・・真心込めて、母の日のギフトを選ばせて頂けた時間は、
本当に心が暖かくなる・・・・・とても楽しいひと時でした。
今年MYUが、自分の母と夫の母のために選んだ母の日ギフトを、以下に紹介させて頂きます♡
*****************************************************************************
ローラアシュレイ / パジャマ / チャールベリー
公式ショップホームページから画像をお借りして、アップしようと思ったのですが、
いつまでもブログ初心者の私には、それは出来そうもないので、
以下に画像の直リンクを貼りますので、画像を見ていただけると、嬉しいです♪
薄手のローン生地を使用した春夏用パジャマです。サラサラと気持ちの良い肌触りと軽い着心地です。
薄手でコンパクトに折りたたむことができ、ミニバッグに入っているので、旅行などにも便利そうです。 ******************************************************************************
どうしてパジャマにしたかというと、それには理由がありました。
関東では昨年、オリンピック病 (=4〜5年に一度、流行する、はやり病の事)と呼ばれる、
『りんご病』 『マイコプラズマ肺炎』 等が大流行。YAHOO!のトップニュースにもなりました。
YAHOO!のトップニュースになった昨年6月頃、学校で流行中だったりんご病に、私とRUNEが感染。
ほっぺたがりんごのように紅く可愛い顔♪ になっただけで済んだRUNEと違い、
全身の倦怠感と発熱の後、風疹か麻疹のような発疹が全身に出現した私は、
その後、全身の神経マヒ症状と、強烈な関節の痛みに襲われ
数日間は、まともに歩行する事も出来なくなってしまいました。
それら神経マヒや関節の激痛など、感染症特有の症状が消失するまで約3週間も要してしまい、
完治するまでの間は本当にとても辛く・・・色々と大変な思いをしました。
私のりんご病が完治して少し経った頃、夫の母が自宅で倒れ救急車で運ばれ、緊急入院しました。
夫は即日すっとんで見舞いに行きましたが、
夫の話から、母の入院は急を要する症状ではない事がわかりましたので、
その週の週末、家族全員で帰省して、花を持って母のお見舞いに伺いました。
夫の母は10年ほど前から、パーキンソン症候群 という診断を受けています。
パーキンソン症候群はパーキンソン病と同様、歩行困難を始め、身体機能が著しく衰えてゆく、
発症した本人にとっては、身体の自由をじわじわと奪われてゆくという・・・・・とても辛い病気です。
母もこの10数年の間、随分症状が進んでしまい・・・・・最近は非常に身体の不自由が多いです。
よって入院先の総合病院では、今回倒れた原因も、パーキンソン症候群悪化の疑いを受け、
脳波や心電図の検査など、主にパーキンソンの進行具合を調べるための検査を受けていました。
安眠できない不安の日々を送っていたようでした。 しかし家族全員で母をお見舞いした際、わたしが本人から直接詳しくお話を伺ってみると、
救急車で運ばれる少し前から、熱っぽい日々が続き、顔や身体など全身が腫れた感覚になり
いつにない痛みを全身に感じ、特に関節の痛みが酷かったと、お話を伺いました。
そして倒れたというよりは、冷蔵庫の前でしゃがんだら、そのまま立ち上がれない状態になってしまった為、驚いた義父が救急車を呼んでしまった事など、詳しい状況を伺うにつけ、
母も流行中のりんご病を発症していた疑いが、非常に濃厚であるように思いました。
そこで両親に、わたしのりんご病体験をくわしく話し、母にりんご病の抗体検査を勧めました。
抗体検査は2回行われ、1回目より2回目の抗体値が急激に上昇していれば、それは最近りんご病にかかった証拠となる事。
今回の症状が、りんご病による神経症状であった事が確認出来れば、パーキンソン悪化の懸念が薄まり、その後の日常生活の心配をしなくて済む事などを説明しました。
しかし夫の父も母も、医師や看護師の言う事には、すべて「はいはい」と従うべきであり、
医師や看護師に、自分の疑問を質問したり、診療方法を希望(自己提案)するなんて、考えたこともないという・・・・・典型的な、善良な日本人のお年寄りタイプです。
ですから、医師や看護師に、どうやってそのような要望を伝えたらよいか、判らないと言う事でした。
私自身は、長年家業である医療関係企業に勤めているため、現代医療について割と詳しいです。
ですから、母から、現在受けている診療や検査の話を聞いてみると、
【診療報酬点数表マニュアル通り】だな・・・・・という印象を受けます。
昨今の日本の現代医療は、【診療報酬点数表】という、悪魔のようなシステムに支配されてしまい、
神聖な医療・診療行為を行いたいという、心ある医師や看護師や病院経営者たちは
経済的打撃を受け苦しむという・・・・・とんでもない状態となっています。
私は、母が、もしこれがパーキンソンの悪化なら・・・・・
張り切っていた、油絵教室の展覧会発表の作品制作も、もう断念せざるをえないだろうかとか、
大好きなカラオケ教室の発表会の舞台にも、もう2度と立てないのではないかとか、
本当に先々の色々な心配をしては、絶望と悲しみで心を満たし、苦しまれているかもしれず・・・・・
そんな母の心を思うと、1日も早く、パーキンソンの悪化ではなかったと安堵させてあげたく、
りんご病の抗体検査を依頼するため、母の担当医師を探しましたが、土日は非番で不在でした。
そこで当番の看護師に、現在りんご病が流行中であることを知らせ、念の為その抗体検査を希望する事を担当医師に伝えて欲しいと、そのように依頼しました。
母にも、今回の急激な身体機能低下は、パーキンソン悪化のためではなく、もしかしたら流行中のウィルス感染症のせいかもしれない事。
感染症であれば、身体からウィルスが排泄されれば身体機能が回復し、体力回復のためのリハビリをすれば、おそらく以前の身体状態に戻れる可能性が強い事を伝え、
だから今回の身体機能低下は、一時的なものかもしれないから、先々の日々に絶望することなく、回復の可能性を信じ、乗り越えて欲しいと
私はベッドの脇にしゃがみ、母の目線と同じ位置に立ち、
母の目をみつめて、母の手をしっかりと握りながら、
そう心を込めて伝えました。
そして、お母さんの美声がまた聴ける事、お母さんの描く綺麗な絵がまた見られる事を信じて、とても楽しみにしています、という私の心の想いを笑顔に込め、お見舞いの挨拶をしました。
こども達も義母の手を握り、「ばあば、早く元気になってね。また遊びにくるからね。また遊ぼうね。」と
何度も伝え、
そして「またうちにも遊びに来てね。ピアノの発表会もバレエの発表会も観に来てね。温泉も一緒に行こうね。」と言うと、
母の目がうるみ、「そうだね・・・まあたんとるうたんがもう少し大きくなるまで、がんばらなきゃねえ」と そう言葉にしてくれました。
すると、急に母に日常感覚が戻ったのか、
「急な入院だったから、パジャマもろくに準備できなくて、仕方ないわねえ」 とおっしゃいました。
「そんな事ないですよ、可愛いパジャマじゃないですか〜」と受け答えながら、
(本当に可愛いパジャマでした)
やはり女性は、どんな時でもおしゃれを楽しむ心が、生きる気力にさえ繋がるかもしれない、と
そう思いました。
だから今度の母の日には、素適なパジャマをプレゼントしようと、そう思ったのです・・・・・
プレゼントやギフトというと、
わたしはやっぱり、クリスマスやサンタさんを、連想してしまいます・・・
プレゼントやギフトとは、所詮単なる『もの』かもしれないけど、
愛する人に、夢や希望を与えたいという、真心をこめて贈る行為が
『もの』 と 『こころ』 を
愛の架け橋で繋げる
わたしは、そう信じています・・・・・
だから、こどもたちに愛と夢を与えてくれるサンタさんが、
私はいつまでも大好きです
画像Myaさま&NOELさま
現在NOELさまは、事情によりブログをお休み中ですが
Myaさま&NOELさまからお借りした、素晴らしい画像の数々は
私のブログでも、これからも大切にご紹介させて頂きたいと、そう思っています 素晴らしい画像を、大切に愛し続けさせて頂く事で、
Myaさま&NOELさまへの、心からの愛と感謝をお伝え出来たらと
そう夢見ています・・・ つづきは、文字制限のため、次の記事に書かせて頂きます ☆
|
日記
-
詳細
コメント(2)
|
MYU一家は毎年、年末年始・GW・お盆には、夫婦それぞれの実家に帰省します。
だいたい、それぞれの実家に、1泊〜2泊づつ・・・いつも、3泊4日〜4泊5日の、帰省ツアーとなります。
私達夫婦は、結婚してから、今年で16年目なのですが、
私にとって、この帰省ツアーは、私達が結婚する前から、もう20年以上の習慣です。
いつの頃からか、夫が実家に帰省した時、「母が、MYUも連れて来いって、呼んでる。」と言われ、
お言葉に甘え遊びに行ったら、夫のご両親の歓迎を受け、是非泊まっていきなさいと強く勧められ、
いつの間にか、年末年始・GW・お盆には、私まで泊りに行くのが、習慣になってしまいました。
そういえば、いつからそんなふうになったんだっけ?と記憶を探ってみると・・・・・
やっぱり、アレかな〜〜??と、 なんとなく思い当るのが、母の日の想い出でした。
私が夫(SHIRYU)と、お付き合いを初めてから、始めて迎えた母の日の前週の日曜日。
夫とデートの最中、私は自分の母に、母の日のフラワーギフトを贈るため、お花売り場に寄りました。
お会計のレジに並んでいる時、何の気なしに
「SHIRYU先輩は、今年の母の日は、お母さんに何をプレゼントするんですか?」と聞いてみました。
夫は当時、大学の軽音楽サークルの先輩で、聖闘士聖矢の 紫龍(SHIRYU)に、そっくりでした (笑)
すると、「別に何も。毎年母の日に、プレゼントとかしないし。」 というお返事。
ええ〜〜!? 毎年母の日に、何もプレゼントしないの??
私はとてもびっくりしてしまい、
「母の日には、お母さんに日頃の感謝の気持ちを伝えると、とっても喜ばれると思いますけど・・・
先輩も、お花を贈ってみたらどうですか?」
と思わず言いました。
すると彼は、「ふ〜ん、そうかな。。。」 とそっけない返事をしたまま、黙っています。
しーーーーーん。
どひゃ〜〜〜〜。
私はなんだか、彼のお母さんが、とても淋しげに思えてしまい・・・・・つい、
「じゃあ、発送先の住所を書いてもらえれば、私の母の分と、先輩のお母さんの分と、2つ買いますけど・・・
いいですか?」
と言ってしまいました。
「え? ああ、そう・・・・・」 とSHIRYU。
「どうせなら、ついでに住所も書いて。」と言われ、結局発送先の彼の実家の住所まで、私が書く事に。
そして私の母と、夫の母の2人に、母の日のためのフワラーギフトが、同時に発送されました。
買い物が終わってから、私はなんとなく 「SHIRYU先輩とお母さんて、仲悪いんですか?」と聞いてみました。
すると夫は、「別に。でも花なんか送ったら、相当びっくりすると思うな。」
「多分、保育園の時、”お母さんありがとう”ってカードと、折り紙の花か何かを、プレゼントして以来だから・・・」
と言いました。
えええ〜? そうなの??
「じゃあ、お母さんのお誕生日にも、毎年プレゼントとか、してあげてないんですか?」と私が聞くと、
夫はなんだか、半ば笑いながら、
「そういえば、母親の誕生日とか、よく覚えてないなあ〜〜」 なあんて、言ってます。
え"・え"・え" ーーー!?
自分の母親の誕生日を、覚えていないですってえ !?
そんなの私には、とても信じられないわ・・・・・
「SHIRYU先輩って・・・・・もしかして、すごい親不幸息子なんですね??」
「親が生きてるうちに親孝行しておかないと、後で後悔すると思いますけど・・・・・・・」
思わず私がそう言ってしまうと、
夫は、「ふーーーん」 と言って、
無言でどんどん歩いて行ってしまいました。
確かその年のお盆、実家に帰省した夫から、
「母が、MYUをうちに連れて来いって、呼んでる。」と、
初めて言われたように、記憶しています・・・・・
しかし私の実家は、父の両親の御仏壇があり、お盆の時期には、毎年30人くらいの来客があるため、
来客のおもてなしで大変な両親を手伝うため、3人の子ども達・・・特に娘である私はとても忙しく、
お盆の最中、ふらふら余所のお宅に遊びに行くなんて、私にはとても考えられません。
夫にその事情を伝え、「せっかくだけど、ごめんなさい・・・」と断りましたが、
「忙しいのが一段落したらでいいから、どうしてもお盆中に来て欲しい。」と言われました。
その当時、私達はまだお互い学生でしたから、夏休みは比較的自由に過ごせていました。
でも私の両親も、夫の両親も、まだ現役でバリバリ働いていました。
ですからお盆が終わると、両親達は日中は仕事がある為、
夫の両親は、お盆中に私に会いたかったらしいです。
しかし結局、お盆様のお見送りが終わるまで、私は実家のお手伝いを続け、
夫の実家に遊びに行く事は、出来ませんでした。
お盆が明けてから夫に、お盆中遊びに行けなかったお詫びの電話をすると、
やっぱり母親が、MYUに遊びに来いと言っている。
両親が帰宅したら一緒に夕食するから、泊りの準備をして遊びにくれば、と言われました。
はあ??
初めて遊びに行くお宅に、お泊りなんて、していいんですか??
・・・・・てゆうか、うちの両親、外泊なんてとても許さないし。
多分無理です。
何度かそう言ったのですが、
まあ、とりあえず顔だけでも見せにおいでよ、と言われ・・・・・なぜか断りきれず、遊びに行ってしまいました。
日中は、彼の地元の観光地や、ショッピングセンターなどをめぐり、
それから、SHIRYUの母校の、小学校や中学校をめぐり、
夕方6時過ぎ頃、御自宅に伺いました。
SHIRYUのご両親は既に御帰宅されていて、2人で夕飯の準備をしながら、私をとても歓迎して下さいました。
私が自己紹介をすると、SHIRYUのお母さんが、
「貴女が母の日に、お花を贈ってくれたMYUさんね。 宛名を書いてくれたのも、MYUさんなの?」と聞かれ、
「はい、そうです。」と答えると、
彼のお母さんが、とっても嬉しそうに微笑まれたのを、今でもよく覚えています。
夜7時過ぎに夕食の支度が出来上がり、みなで楽しくおしゃべりしながら夕食を頂いているうち、
あっという間に10時を回ってしまい、私の自宅に帰る為の終電に、本当に間に合わなくなってしまいました。
私がびっくりして青くなっていると、SHIRYUのお母さんが、私の実家の両親に、電話をしてくれました。
MYUさんが遊びにきて下さって、とても嬉しく思ったこと、楽しく過ごしているうち、終電がなくなってしまったので、今日はうちに泊まって頂き明日お帰り頂きますと、私の目の前で、両親とそう話されていました。
門限にうるさく、外泊など絶対許さない私の両親が、ではよろしくお願いします、とすんなり言ったらしく・・・
私はキツネにつままれたような気持ちで、そのやりとりを聞いていました。
その時以来、夫が実家に帰省する時には、なぜか私も、一緒に行く習慣と成ってしまいました(笑)
そしてGWの帰省時には、必ず母の日のプレゼントを、毎回持参して手渡しています。
私から夫の母に差し上げた母の日のプレゼントも、もう20回を超えました。
毎回楽しく選ばせて頂くプレゼントは、どれも想い出の品ばかりです。
それらの品を、母が大切に使って下さってるのを見て、懐かしい想い出話をさせて頂けることも、
本当に嬉しく、いつも感謝の気持ちでいっぱいです。
今年の母の日に選んだプレゼントを、次の記事で紹介させて頂きたいと思います。
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
|
|
5月13日は母の日でしたね。
母の日には毎年、2人の子ども達が、わたしに可愛い手作りのプレゼントなどを、贈ってくれます。
これは昨年の母の日に、MARとRUNEが、私に贈ってくれた、プレゼントです。
子ども達が、折り紙で折ってくれた、お花のカードと
子ども達が、ショッピングモールで、買ってきてくれた花束
(今はピンクのくまさんの飾りだけですが、もとは紅いカーネーションの生花入りでした)に、
子ども達が、江ノ島で拾った 『鳶(とび)』 の羽根=宝物 のプレゼントと
そして、「何でもお母さんの好きなものを買ってね」と、お小遣い入り☆
とっても嬉しい母の日のプレゼントは、一年間ずっと、
私のパソコンの目の前に、飾られていました。
今年の母の日は、夫は終日仕事。
私は終日、学童保育総会。
RUNEは、私が会議の間、学童保育のお友達のお家に預かっていただき、
MARは、中学の部活動と塾。
こども達が産まれて以来、初めて家族バラバラの、母の日でした。
しかし夕方私が会議から帰宅、RUNEをお迎えに行ってからは、
RUNEが母の日のパーティーの件で、夫の携帯に電話をしたり、
帰宅したMARとプレゼントの相談をしたり、
私を喜ばせようと、一生懸命がんばってくれました 。
RUNEのがんばりの御蔭で、今年もとても楽しい母の日を、過ごさせて頂く事が出来ました(*^-^*)
母の日の夜は、お休みのお祈りの時、RUNEに心からのありがとうを伝えました。
RUNE・・・お父さんとお母さんのところに産まれてきてくれて、本当にありがとう。
MARとRUNEが産まれてきてくれた御蔭で、お母さんは、とっても幸せよ。
お母さんは、MARとRUNEの事が、ずっとずっと大好きだから・・・いつまでも、見守っているからね。
するとRUNEは・・・お母さん、お父さんと結婚してくれて、わたしを産んでくれて、本当にどうもありがとう。と言ってくれました。
わたしも、お母さんの事が、ずっとずっと大好きだから・・・もしお母さんと、離れ離れになる時がきても、
わたしはお母さんの事、いつまでも忘れないよ。ずっとずっと、大好きだよ・・・と言ってくれました。
私が、RUNE、ありがとう、大好きよ・・・と抱きしめると、RUNEも、お母さん、ありがとう、だあい好き♪
と、私を抱き締めてくれました。
そして私がRUNEにお休みのキスをすると、RUNEも私に、たくさんキスをしてくれました。
そうしてRUNEとラブラブしていると、たいがいMARがぼくもぼくも〜と乱入してくるのですが(大笑)
中学生になり、個室の寝室を与えたせいか、今日はMARの乱入はありませんでした。
少し淋しいような、ホッとしたような(笑)
しかしMARのバカ男子ぶりには、毎日笑わせて頂いてます★
今日も、MARのバカ男児炸裂ぶりに、大笑いしてしまいました・・・
その件については、機会あれば、いずれまた書かせていただきます (苦笑)
|

>
- 生活と文化
>
- 祝日、記念日、年中行事
>
- 誕生日
転載元:ZUZU criartions http://www.avis.ne.jp/~zuzu/culture/wordsworth/6hyakusetsufutou.html
|
|
ゴールデンウィーク (大型連休)
内訳
4月29日 昭和の日
故 昭和天皇誕生日=1988年までは天皇誕生日(現在の天皇誕生日は12月23日)
2006年までは 「みどりの日」
5月 1日 メーデー 「労働者の日」
5月 3日 憲法記念日
5月 4日 みどりの日
2006年までは 「国民の休日」
5月 5日 こどもの日
以上、GWの内訳です。
みなさん、ちゃんとご存知ですか?
最近の若者やこども達の多くが、
黄金週間の内訳・・・その歴史と文化をろくに知らず
GWといえば、「大型連休」としての 認識しかないのではないかと・・・
そう心配するようになったのは、
私が年をとった証拠なのかもしれません(笑)
4月29日とは、故昭和天皇の御誕生日であらせられた事を懐かしく思い出し、
昭和天皇の苦悩や功績に想いを馳せ
5月1日には、特殊階級の支配から自由を求め立ち上がった、
労働者達の記念日「メーデー」の、熱い歴史を想いおこし
5月3日の憲法記念日には、日本国憲法について考察し
日本の根底に横たわる、様々な根深い問題を思う時、
例え表面上だけだとしても、『それでも』 憲法が尊重され
第9条第1項「不戦条約」が守られている、『現状の平和』 に心から感謝し
みどりの日には、二十四節季の節分や立夏など、
暦のおこりとその歴史について想いを馳せ
5月5日には、こどもの日の歴史や、その親心を想い
「こいのぼり」 ♪やねより高いこいのぼり〜
「鯉のぼり」 ♪いらかの波と雲の波〜
などの歌を口ずさんでみる・・・
そんな、歴史や文化・伝統を大切にする 「日本人らしい心」 を
我が子達には、ぜひ継承して生きたいと思っています。
国民の祝日
以上、国民の祝日です。
みなさん、スラスラと全部 言えますか? (笑)
国民の旗日を、単なる休日と勘違いして、余暇やレジャーに費やさないような
国民の祝日の、全ての成り立ちと歴史を、外国人にもスラスラと説明出来るような
我が子達には、そんな教育と躾「=身を美しく保つ」 をしたいものと
いつもそのように、思い願っています。
|

>
- 生活と文化
>
- 祝日、記念日、年中行事
>
- その他祝日、記念日、年中行事




