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今日、お友達のブログに、コメントを書かせていただいてた時、ふと思いついた事なのですが・・・
時々私の頭の中では、ふと見た日本語が、すごく不思議な音で響く事があります。
日本語のような英語のようなフランス語のような・・・・・不思議な発音・・・ なんだか、とっても懐かしい、ふんわりとやわらかい音のような気がします(笑)
話は変わりますが・・・ 私は、日本人ほど外国語を覚えられない人種も、珍しいよなあ〜と、いつも思っています(苦笑)
今時の若い人は、たいがい中学〜高校と、6年間は英語を勉強してきたはずなのに・・・
ほとんど、喋れない、聴こえないって、案外普通。
上記の話を海外ですると・・・・すんごく驚かれますよね〜★
信じられない・・・日本人て、実は馬鹿なの? って(苦笑)
(↑ これ、実話です〜〜 ^^;)
でも、外国語の勉強を始めると、あっという間に取得してしまう外国人(ユダヤ人など)も、
日本語を覚えるためには、かなり苦労するようであり・・・日本語って世界で一番難しい言語なのかも?
私はこの件にすごく興味を持っていて・・・・・一時期色々調べたのですが・・・・・
やはり周波数の違いが、大きいのかな〜? という気もします。
日本人の大人は英語の周波数帯が聞き取れない・・・英語が上達しない理由「日本人が英語が上達しない」最大の問題は・・・周波数にあります。
あなたは、周波数をご存知ですか?
周波数とは1秒間に繰り返される電気振動の回数で、「HZ(ヘルツ)」と言う単位で表されます。
音は振動で伝わるものですので、ここでの周波数とは日本語と英語の「音域」になります。
つまり、日本語で使われている音域(周波数)と英語で使われている音域(周波数)が存在するということです。
日本語と英語の最大の違いはこの周波数(音域)の違いだと言われています。
あなたが英語のリスニングを練習しても早口に聞こえて何を言っているのか分からない理由はここにあります。
日本人は大人になると英語の音域が聞き取れなくなるんです。
その理由は日本語と英語は周波数帯(音域)が最もと言っていいほど離れているからです。
数値にして比較してみると分かりやすいのですが、
日本語の周波数が125〜1500ヘルツ、
対して英語の周波数は2000ヘルツ〜12000ヘルツです。
違いをみれば分かると思いますが、交わってすらいません。
感のいい人はここまで話せば、どうして英語の周波数が聞き取れないのか想像が出来るかもしれませんね。
125〜1500ヘルツの音域だけを使っている日本語を毎日聞いている私たち日本人は、英語の周波数帯2000ヘルツ〜12000ヘルツを言語として認識しなくても生きていけるんです。
私たちの脳は「2000ヘルツ〜12000ヘルツなんて聞き取る必要なし!!」と指令を出してしまうのです。
ちなみに私たち日本人もかつてはこの音域(2000ヘルツ〜12000ヘルツ)も聞き取れていました。
かつてと言うのは大体9歳ぐらいまでです。
その9歳を過ぎると、「2000ヘルツ〜12000ヘルツ」と言われている英語の音域の音は聞き取っても言語ではなく、雑音として処理されてしまうようです。
この現象を教育現場では9歳の壁と呼んでいるそうです。
<音(周波数)と能力>
♪音は人間の様々なところに影響を及ぼしています♪
耳鼻咽喉科、および音声医学を専門となされ、聴覚・心理・音声学国際協会会長でもある アルフレッド・トマティス博士は125ヘルツ〜8000ヘルツの音を3つのゾーンに分け人間との関係を 次のように述べられています。 ● 第1ゾーン(125〜800ヘルツ)=低周波音域 この音域は、音楽やダンスでのリズム感、スポーツでは身体のイメージ・バランス感覚、 学習面では時間的空間的概念に関係しています。体では尾てい骨から腹部の辺りに対応します。 ● 第2ゾーン(800〜3000ヘルツ)=中周波数音域 この音域は、音楽やダンスでは音程やメロディー、感情表現、語学では記憶力、言語における 説明能力、社会生活におけるコミュニケーションに関係しています。 体では腹部から頚部あたりに対応します。 ● 第3ゾーン(3000〜8000ヘルツ)=高周波音域 この音程は、音楽やダンスでは芸術性や積極性、語学では子音の聞き取り、学習面では知力、 生活や仕事面では気力に関係しています。体では頚部から頭頂に対応します。 *クラッシック音楽には高周波音域がたくさん含まれています。 ******************************************************************************
私は子どもを産んでまもなく、上記に類似する多数の文献に出逢い、
ふむふむ、なるほど〜?? と思ったので、
子ども達が幼い頃から、生活の中で常にクラシック音楽や英語を流し、BGMとして聴かせてきました。
結果、今年13歳になった長男は、クラシックや英語を聴かない日がほとんどない人生ですが・・・
はっきり言って、抜群に耳が良いです☆
英語のリスニングも上手ですし、発声・発音なども、よくネイティブに誉められます。
周波数科学は正しいのか?
科学者ではない私に、断定は出来ませんが・・・・・
正直言って、母親の直感として・・・
誕生したばかりの赤ちゃんは、世界の全てを認識する、完璧な能力を有しているように思います。
しかし、成長するに従い、脳が認識を必要としない事項は、どんどん退化してゆく・・・
それが人間の成長の過程の、真相のような気がします。
だから、アマゾンのジャングルや、アルプスの大自然に囲まれ育った人間と、
都会の、コンクリートジャングルに囲まれ育った人間とでは、
『緑』の見え方が、全く異なっているのだろうと思います。
生命の多様性が織り成す、大自然の 『緑』 の 微かな色合いの相違とは、
おそらく、数百種類、数千種類とか、分類する事も出来ないほど・・・
無限の多様性に満ちていると思います。
その微かな色合いの相違に囲まれ育った人間と、微かな色合いを見る機会もなく、
都会のコンクリートジャングルに囲まれ、成長成人した大人とでは・・・
後者は、その微かな色合いの識別がつかず・・・
全て似たような『緑』として、脳が認識するのではないか?
私はそんなふうに、思っています。
まさに、見えてるのに見えない状態とは、この事であり・・・
要するに、見えていても認識出来ない、相違に気づかない状態・・・そうゆう事なのだと思います。
音楽も然り・・・世界の認識とは、全てそうやって成り立っているのかもしれませんね・・・。
ですから、世界に名ただる一流の画家や音楽家とは、
この微かな相異を識別し、表現出来る、繊細な才能の持ち主なのだと思います。
通常の一般人は、その微かな相異が認識出来たとしても
表現する才能にまで恵まれるのは、稀ですから・・・
その相異を表現した芸術に魅了され、感動するものなのではないかと・・・ナントナクそう思います。
そして世界の概念や観念と言われる価値観も、実はそんな幻のような物なのかもしれないと、
そんなふうに、思っています。
そして芸術とは、確かに存在する世界の片鱗を、幻のように儚く 表現するものだからこそ、
人を魅了し、感動させられるのかもしれませんね・・・・・
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それから正直言って、私自身は昔から、「日本語」って、
ふんわりした、やわらかな『何か』を・・・縮めて、固めてしまった、【塊】のような気がして・・・
音とか含めて・・・実はあんまり、好きではありませんでした(苦笑) なんとなくですけど・・・カタカナは骨、ひらがなは・・・どろどろの何か(肉や体液みたいな)、 漢字は鎧とか家とか箱みたいな・・・そんなイメージでしょうか?? 周波数で言うと、
第一ゾーン・・・身体のイメージ・バランス感覚、時間的空間的概念。体では尾てい骨から腹部
第三ゾーン・・・芸術性や積極性知力、気力に関係。体では頚部から頭頂。
に現されている通り・・・日本語と外国語には、腹と脳ほどの隔たりがあるのか・・・
いずれも人体に欠かせない、とても大切な役割と思いますから・・・合一統合が非常に大切ですね。
そして現状、いまだ脳と腹が括れていないのは、非常に残念にも思いますが・・・
脳と腹が括れたら、日本人もみんな、すぐに英語がペラペラに?? (笑)
本来の ( ことば * kotoba ) がもつ、雲のようにふんわりした、透明なやわらかな 『何か』が、 日本語から、解放されたらいいなあ・・・♡
そんなふうに思った、ある一日でした☆
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言葉を想う
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憐れみ深い人々の幸い
憐れみ深い人々は、幸いである、/その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5:7) ここで使われています、「あられみ深い」という言葉は、エレーモンというギリシャ語です。この言葉の意味は、単に涙もろいとか、かわいそうに思う、そのような性格を言っているのではありません。それも含まれますが、もっと強い意味です。それは「意志」そして「行動」「習慣」を表す言葉です。 「憐れみ深い」の意味はこうです。とは相手の心を感じ取り、相手の立場に立って物を見ること。その人の身になって考え、その人が感じるように感じること。これを「憐れみ深い」を言います。 相手と一緒に感じ、考え、経験する、この「憐れみ深さ」を習慣とする者、もしくは志すものは幸せです。 1.間違った親切、助言をしなくなる 多くの人々は、助言や解決策を必ずしも求めているわけではありません。彼らは共感してくれる人を探しているのです。一緒に考え、感じ、一緒に悩んでくれる人を探しています。 もし、私たちがもっと、隣の人の話をそのまま聴いて、その人と共に悩み、考えることができたら、人生はもっと優しく、そして豊かになれるのかもしれません。 2.人を赦すことが容易になります 人を赦せないく、怒りをためていると、人生は暗く、憂鬱になります。しかしこれがなかなかままなりません。どんなに赦そうと思っても、相手の顔をちらつきます。ふとした拍子に相手の言葉がよみがえってきます。しかし、「憐れみ深さ」は人を赦すこと、それを容易にしてくれます。 その人が何故、そのようなことを考え、そのように行動するのか?もし、その人の背景や理由を少しでも理解できれば、私たちはもっと人をいたわり、ゆるすことができるのです。 3.共感することはそれ自体が喜びである カウンセリングの父として有名なカール・ロジャースは、その著書の中で、「共感は喜びです」という内容を書いています。 もし、私たちが想像力を最大限に働かせて、その人の思いを共に思い、その人の考えを共に考え、その人の悩みや痛みを、一緒に体験しようと努力するならば、それらがたとえ、痛みや悲しみ、苦しみの分かち合いであったとしても、そこには感動が生まれる。充実と喜びさえ、生まれてくる、と書かれていました。 もし、私たちが思いをつくして、心をつくして、相手の考えを共に考え、その人の悩みや痛み、苦しみを共に体験しようとするならば、それは2人にとって素晴らしい経験、喜びの経験とさえなる、というのです。 4.イエス様の憐れみ深さを知る体験
私たちが誰かに「憐れみ深く」あろうとする時、思い知らされます。自分にはその人に希望を与えることができないということ。私の心の貧しさ、愛のなさが暴露されます。そして、私自身が実は傷を負って、癒しを必要としている魂の一人に過ぎないことを、知らされるのです。 そして、私は、その心の貧しさのゆえに、主、イエス・キリストに目を向けます。イエス様に助けを求めます。そして、そこで憐れみ深いイエス様と出会います。私を憐れんでくださるイエス様、共に悩み、共に感じ、共にいてくださるイエス様の憐れみ深さを知るのです。 そればかりではありません。多くの兄弟姉妹から憐れみ深く、祈られ、支えられていることを知るのです。これが第四の幸いなのだと思います。 ホワイト夫人は、『祝福の山』26−27で次のようにお語りになっています。 「人間の心は本来冷たく、暗く、愛なきものである。あわれみとゆるしの心があらわされる時はいつでも、それは人間から出たのでなく、その心に働く神の霊の感化によるのである。 『わたしたちが愛し合うのは、神がまずわたしたちを愛して下さったからである』(・ヨハネ4:19)。 神はわたしたちの功績にしたがってわたしたちを取り扱われるのではない。神はわたしたちが神の愛を受ける価値があるかどうかは尋ねられない。かえって神はわたしたちを価値ある者とするために、その豊かな愛をそそがれるのである」(『祝福の山』27)。 (by 藤田 昌孝) |
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