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皇后陛下 本日満78歳の御誕生日 「天皇陛下の回復、何より安堵」
 
 
 皇后さまは20日、78歳の誕生日を迎え、宮内記者会の質問に文書で回答を寄せた。
天皇陛下が2月に冠動脈バイパス手術を受けた後、「一時は本当によくなるだろうかと心配しましたが、春の日ざしが感じられるころからご回復のきざしが見えました」と振り返った。
 
 3月の東日本大震災1周年追悼式に陛下が出席できたことを、「何よりも安堵(あんど)しました」と述べた。陛下の健康を考え、毎朝一緒に散策するほか、食事に炒(い)り豆腐などの手料理を添えることもあるという。
 ご自身の体調については「痛かったり、不自由の感じられる体」と表現。宮内庁によると最近、起床の際にかなり強い腰痛があるが、早朝、陛下と一緒に散策することで軽減するという。昨年夏に頸椎(けいつい)症性神経根症で左肩から左手にあった強い痛みは解消したが、現在も左指先に軽いしびれを感じるという。宮内庁は「長年お体を酷使された影響」として「これからはもう少し休養をとっていただくよう考えなくてはなりません」と述べている。
 
 東日本大震災による2700人以上の行方不明者の家族の心労や放射能の影響下にある福島県の人々の不安を思いやり、「人々が安全で安定した生活ができるよう願います」とつづった。
 
 ロンドン五輪やパラリンピックでの日本選手の活躍を「心楽しい興奮と、少し眠い数週間を贈ってくださいました」とたたえ、山中伸弥教授のノーベル賞受賞を喜び、「山中さんの研究に業績が重ねられ、難病の患者や苦しむ人々の幸せにつながるよう願います」と記した。シリア内戦取材中の山本美香さんの死亡を「日本の女性ジャーナリストの惜しまれる死」と悼み、大相撲での新横綱誕生に触れ「一人横綱を務めた白鵬関の長い間の苦労を思っています」とねぎらった。
 
 5月開業の東京スカイツリーに触れ「陛下と散策中、ビルの上に少しずつ姿を現し、完成に向かう姿を見ました。大工事が大きな事故もなく終了し安堵と誇りを覚えます」と記した。
 
 記者会は皇后さまに対する年1回の質問の機会である今回、両陛下の意向を受けて宮内庁が葬儀方法の見直しを検討することについて尋ねた。宮内庁の判断で回答は示されず、別の機会に伝えるとした。宮内庁は「質問は両陛下のご喪儀に関することで、皇后陛下の誕生を慶祝する日に適切ではない」と説明している。
 
 
 
皇后さまの文書回答全文
 
 皇后さまの誕生日に際しての宮内記者会の質問と文書回答の全文は以下のとおり。今回、回答が示されなかった「問3」についての宮内庁の説明全文も、末尾に添えました。
 
 
 
宮内庁が発表した「皇后さまのこの一年のご動静について」
 
 皇后さまには、本日、満78歳のお誕生日をお迎えになりました。
 
 この一年も皇居内外で様々のお務めを果たされ、ご多忙な日々をお過ごしになられました。この間、天皇陛下は、昨年11月6日から24日まで気管支炎及びマイコプラズマによる気管支肺炎で東京大学医学部附属病院に入院され、また、冠動脈バイパス手術のために今年2月17日から3月4日まで同病院に再び入院されました。皇后さまは、お心を込めてご入院の準備に当たられたほか、ご入院中は、延期のできないご公務をお一人でお務めになりながら、毎日、陛下のお側に付き添われ、献身的に看病されました。とりわけ、陛下が冠動脈バイパス手術をお受けになられた時は、ご手術の前後6回にわたり病院にご宿泊になりました。ご退院後も陛下の健康維持に心を配られています。
 
 この一年間、皇后さまとしてのお立場でお務めになったお仕事は289件ありました。
 
 
全文は以下のとおり。
 
 
 
 
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「皇室とは、祈りです」 ・・・・・私は皇后陛下の、このお言葉が、大好きです。
MYUは、マザーテレサやダイアナ妃も、敬愛していますが
皇后陛下を心から尊敬、とても敬愛しています・・・・・
 
 
「痛みのある、不自由な身体」と、御自身の体調を表現されながら、
それでも天皇陛下とご一緒に、日本のため世界のため、常に世界平和を祈り願い、
たくさんの人々を励まし続け、ご公務に励まれる御姿には、
本当に胸を打たれ、頭が下がります・・・・・
 
 
どうか天皇陛下とご一緒に、末長くお健やかに・・・・・
皇后陛下の御誕生日に心より感謝を思い、御祝福奏上申し上げます。
 
 
 
 
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みなさまも、どうぞ良い週末を、お過ごし下さい
 
 
 
 
 
 
画像はMYA&NOEL様 YUKKY様ブログ素材より  
 
 
 

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平成21年11月3日、宇治橋渡始式、渡女は三世代健在の一族の女主人が務められました。これは長命を寿(ほとと)ぎ、三世代であることが和合を意味する呪い(まじない)である。参列員は全国の三代夫婦61組である。写真の先頭あたりを歩かれる緋袴の方が齢81歳の渡女(わたりめ)です。伊勢在住で、三世代健在でお孫さんまで参列できる崇敬心篤い人が選ばれました。
 
 
 
 
 
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全国の三代夫婦61組
 
 
 
戦後、日本の家族は大きく変化した。その根本原因には、GHQによって強行された拙稿、日本の家族の危機(上)では憲法、日本の家族の危機(中)では民法の改正について述べさせていただきました。しかし、私たちは、戦後の憲法・民法によって作り替えられる以前の、元来の日本の家族について知る必要があるでしょう。戦後改変される前の日本の家庭とはどのようなものだったのでしょうか?
 
大正11年11月、20世紀を代表する科学者・アインシュタインが来日した。その時、アインシュタインは、日本の家族主義の伝統に感銘をうけたと述べています。
 「日本の家族制度ほど尊いものはない。欧米の教育は個人が生存競争に勝つためのもので極端な個人主義となり、あたり構わぬ闘争が行われ、働く目的は金と享楽の追求のみとなった。家族の絆はゆるみ、芸術や道徳の深さは生活から離れている。激しい生存競争によって共存への安らぎは奪われ、唯物主義の考え方が支配的となり、人々の心を孤独にしている。
日本は個人主義はごく僅かで、法律保護は薄いが、世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって、人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている。この尊い日本の精神が地球上に残されていたことを神に感謝する」と・・・
欧米の方々によるこうした見方は、多くの日本人にとって意外な感じがするでしょうが、これらは戦後教育による洗脳が大きいのです。戦前までの日本は封建的であり、個人、または女性が「家」に縛り付けられ、自由が抑圧されていた、人権が保障されていなかった、その主たる原因は家父長制・男尊女卑の家制度にある、伝統的な家族制度を破壊したことによって、戦後の自由で平等な社会が実現した、こう考えている人が多く、現在もこうした教育が為されているからです。
確かに、そういう面はごく一部にあったかもしれません。しかし、戦前までの日本のあり方が、すべて悪かったわけではありません。何もかも悪かったのであれば、上に引用したような欧米の方々の見方はありえません。彼らは、「子育ては日本の最大の美徳」「親子の愛情の交流こそが、日本人の特質」「世代にわたる家族の絆は固く、互いの助け合いによって人間本来の善良な姿と優しい心が保たれている」と言っている。そこに、戦後の日本では失われつつある、本来の日本の家族の美点があったと考えられる。
伝統的な日本の家族制度は、西洋式の夫婦中心で一世一代の単婚家族と異なり、親子関係を中心に世代間のつながりを重視してきました。各家族では、子供の一人(多くは長子)に跡を継がせ、家を子孫へ持続させてゆく。子や孫が親や祖父母と一緒に暮らす。三世代、四世代の大家族が共同生活を行う。そして、祖先と自分たちの生命とは切り離せないものと感じ、自分たちの世代の幸福を望むだけでなく、祖先の慰霊し、子孫の繁栄を願ってきた。このように、日本の伝統的な家族では、世代の連続性という縦の関係を重んじていたのです。
日本の家族は、横のつながりも強く持っていた。親子だけでなく、夫婦の結びつきも強く、また、親族による血縁的な同族意識が強く、それを基盤とした地縁的な村落共同体の結束も固い。そして、社会を、家族的な共同体と考えていたのです。国家をも、一大家族と意識し、自己の家族と民族とが、家族的な原理で一貫していると考えたのです。
こうした日本の家族の本来の姿を理解するには、西洋の家族との基本的な文化の違いを知る必要がある。西洋の家族といっても、古代のギリシャ・ローマと、近代ヨーロッパでは、民族も言語も文化も違います。古代ギリシャ・ローマでは、もともと多神教であり、祖先祭祀が行われていたのです。人々は祖先の霊魂を祀(まつ)り、その信仰の上に家族制度を築いていた。彼らの家族は、祖先祭祀を重視する点で、日本の家族と共通点を持っていました。しかし、ローマ帝国に入ったキリスト教は、こうした伝統を排斥したのです。キリスト教は、一神教であり、神と各個人が直接結びつく。また、自然の事物に霊を認めるアニミズム的な世界観を否定します。キリスト教がゲルマン民族にも広がった結果、西洋では古来の信仰と制度が跡を絶ったのです。祖先祭祀は偶像崇拝として排除され、また、自然との生命的・霊的なつながりは断絶したのです。
、日本は古代から今日まで、祖先祭祀の国である。人間の自然の愛情は血縁の愛情である。日本では共通の祖先の霊を崇拝することにより、血族が団結しています。日本のお国柄は、多数の家族が皇室を中心に結び合って、一つの国家を形成し、それが祖先や神に通じているというものでした。国民は祖先の霊を氏神として祀り、天皇は天照大神を祖先神として祀ってきました。国民と皇室は共通の祖先を持ち、「君民同祖」と信じられてきたのです。また、人間と自然の事物も、神々から産まれたものと考え、人間と自然が共通の根源において結びついていると信じてきたのです。自分と祖先が連続し、国民と皇室が連続し、さらに人間と自然が連続している。そして、人と人との調和、人と自然との調和を大切にし、親子一体、夫婦一体、祖孫一体、また国家と国民が一体の生き方をするのが、日本の伝統的な精神だったのです。
 しかしながら、今日では、こうした日本の特徴が失われつつある。個人の自由や権利が強調され、その個人が本来持っている縦と横のつながりを軽視する傾向が強まり、家族を大切にするという場合でも、自分たち夫婦と子供を中心とした核家族の範囲が主です。親との同居を避け、親もまた子どもから独立して生活する。親が病弱となっても、同居して面倒を見るのでなく、病院へ入れる。介護が必要となっても、家庭で世話をするより、老人ホームに入れるという風潮になっています。親戚づきあいも薄く、居住地の移動が多くなり、出身地の違う夫婦が多くなっていることもあり、血縁的であると同時に地縁的でもあった親族のつながりは、薄れつつあるのです。親の面倒をあまり見ないし、親族のつながりも薄いから、祖先について考えることが少なくなっているのが現状です。当然、祖先を尊ぶ心は薄れつつあり、それは、生命の本質に根差した、愛情豊かな生き方が、忘れられていることでもあるのです。
 これは、日本に西洋文化・近代思想が浸透してきているからである。特に、それは現行の憲法・民法の影響が強いのです。
 
冒頭の画像は、平成21年11月3日、宇治橋渡始式のものです。
長命を寿(ほとと)ぎ、三世代であることが和合を意味する呪い(まじない)です。全国の三代夫婦61組が参列しました。
日本人の寿命が現在よりはるかに短かった往古の時代、寿命は天から授かったもの、肉体は両親、祖先から受継いだものと先人・先祖は捉えてきました。
長命を寿(ほとと)ぎ、三世代が和(なご)み、親子一体、夫婦一体、祖孫一体、また国家と国民が一体の生き方を、神宮の宇治橋渡始式は今日の「家族」に教授しているのです。
 
 

転載元転載元: 美し国(うましくに)

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戦前の子供たち



拙稿、日本の家族の危機(上)では、占領下での家族に関する問題点を述べさせていただきました。
今回は民法について述べさせていただきます。
憲法と同時に、占領政策によって民法の改正が強行されました。これによって、わが国の伝統が深層まで破壊されました。その結果、利己主義的な風潮が助長され、道徳の低下や社会の混乱が促進され、今日に至っているのです。
戦前のわが国には、「家(イエ)制度」というものがありました。明治31年制定の明治民法は、家制度を法律的に定め、家によって家族を最大限に尊重するものでした。明治民法が法的に制度化した「家(イエ)」は「複合家族」といわれ、家族・親族が一つの家に住んでいるものだった。また、この家族は「直系家族」といわれ、両親・祖父母・孫が一緒に住み、世代間の縦のつながりが一番重んじられていました。また、戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などが定められていたのです。
戦後は、この家をもって、封建的で、個人を束縛するものと決め付けています。しかし、明治民法の目的は家を強化することによって、個人を抑圧するというような一面的なものではありませんでした。この民法は、幕末以来のわが国の重大課題である不平等条約改正をめざすという政治的要請によって創られました。明治日本は不平等条約改正に国力を費やしたと言っても過言ではありません。人権先進国といわれるフランスの民法、つまりナポレオン法典等が参考にされたのです。明治民法の制定には、伝統を重んじながら、国際社会で伍していくために日本を近代化しようとする明治の日本人の工夫があったのです。
こうした民法に対し、法学者であり、東京帝国大学法科大学長、貴族院議員、法典調査会査定委員、日本法律学校(現在の日本大学)の設立に参画した穂積八束は、「民法出デテ忠孝亡ブ」として批判しました。民法は個人主義的社会原理を、忠孝は家族国家的原理を象徴する。穂積にとって、民法は日本に西洋式の個人主義を移入することによって、国家原理を根本から崩す危険性のあるものと映ったのです。
こういう批判も出たくらいに、明治民法には、西洋近代的な面があったのです。例えば、この民法は、家族における妻の不安定な地位を厚く保護することを目的の一つとしていました。労農派マルクス主義の指導的理論家であった山川 均(やまかわ ひとし)の妻で、女性解放運動家の山川菊枝は、旧民法に対し、「女性にとっても社会にとってもまことに喜ばしき進歩」「日本の女性のため、かつ国民全体のために祝福されなければなりません」と賞賛したほどででした。
そして、「わが国の離婚率は新しい戸籍法の実施された明治16年当時から、年と共に低下し、殊に明治31年民法の制定によって、妻の地位が在来よりはるかに安定し、みだりに離婚できなくなってから、急に低くなっております」と述べています。実際この間に、離婚件数は5分の1に減少したのです。こうした肯定的評価があったことを見逃すべきではありません。
日本の被占領時代、昭和22年にGHQによって民法改正が強行されました。戦後は戦勝国の占領政策によって、家という伝統的な大家族が解体され、夫婦と子供だけの「単婚家族」、いわゆる核家族が増え、都市化、若年人口の都市への流入、住宅事情等がこれに拍車をかけた。結果、夫婦とその両親、祖父母とその孫という縦のつながり、また夫婦とその兄弟姉妹・おじ・おば等という横のつながりとが、ともに弱くなったいったのです。
民法改正の焦点の一つは、親族相続編でした。これが全面改正されたのです。改正は、わが国の家族制度に重大な変革となるものでした。戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などがことごとく廃止されたのです。
中でも第一に、家督相続の廃止と均分相続の導入は、日本の家族に甚大な影響を及ぼし、それにより、親子・兄弟姉妹の遺産争いが顕在化し、家族の結びつきが利害中心のものに変じたのです。家族における個人主義が、遺産の相続問題をめぐって、家族間の対立・抗争を激化し、今日の訴訟社会へと繋がっているのです。第二に、多額の相続税が課されることにより、家族の経済的基盤が切り崩されました。かつては、親が子供に土地・財産を相続し、子供が祖先伝来の土地・財産を守り維持するところに、家族の継続がありました。また子孫の祖先への感謝と尊敬が保たれていたのです。こうした経済的基盤が崩されたことにより、親子・祖孫の結びつきは弱くされたのです。それは、同時に文化の継承のための物質的基礎を崩すものとなりました。第三に、姦淫罪の廃止は、男女の愛と信頼による結婚制度を根底から弱めるものとなった。
しかし実際は、GHQは当初、これほど過激な改正を行おうとは考えていませんでした。GHQは憲法第24条をもって明治民法の改正を命じはした。しかし、家制度を根こそぎ破壊せよ、とまで指示してはいなかったのです。民法改正における戸主(家長)、家督相続、分家、廃家、親族会などの廃止は、すべて日本の民法学者らが、この機会に乗じて強行したものなのです。その学者とは、中川善之助、我妻栄、川島武宣らです。彼らはマルクス主義の影響を受けていた。この点が重要なのです。
中川善之助は、次のように述べている。「汝の夫婦関係、汝の親子関係、汝の兄弟関係を民主化せよ、そうすれば国の民主化はたちどころになるであろう」(『新憲法と家族制度』)
川島武宣は、次のように述べている。「民主主義は、個人の主体性を否定するような意味での共同体的な……家族を解体し、家族を主体的な個人と個人の関係とすることを要求する」と。(『日本社会の家族構成』)
中川は、「国の民主化」を行うために家族関係を民主化せよ、というわけだが、そもそも民主主義(デモクラシー)とは、民衆が権力に参加する政治制度のことである。国家や社会の制度ではありえても、家族の制度ではありえない。また、川島は「家族を解体し」「個人と個人の関係とする」ことを主張するが、これは個人主義の徹底です。まさに、共産主義やフェミニズムがめざしていることそのものにほかならないのです。中川や川島のいう「民主主義」とは、欧米における自由主義的なデモクラシーのことではないのである。旧ソ連が掲げていた社会主義的な意味での「民主主義」なのです。
彼らのいう「家族関係の民主化」や「家族の解体」とは、マルクス=エンゲルスの共産主義革命の戦略であり、その実行は、スターリンが日本革命のテーゼとして指令した二段階革命の道です。すなわち、共産主義革命のための第一段階としてブルジョワ民主主義革命を行う。そのために、アメリカの占領政策に便乗して、日本の民主化を行い、その戦術の一つが、家族関係の民主化だったのです。それは、共産主義革命の準備としての社会主義的民主化なのです。
 中川や川島やその弟子たちの教育を受けた世代から、共産主義的フェミニズムが台頭するのは、必然の流れであり。昭和22年の民法改正は、共産主義の革命戦略に基づく、日本の社会主義化・共産化への第一歩だったのです。幸い、戦後のわが国は、共産革命の危機を乗り越えてきました。しかし、現在、急進的なフェミニズムという形を変えた共産主義が、「家族の解体」を狙っている。その攻撃から、日本の家族を守るためには、憲法に家族条項を入れ、家族の価値を称揚するとともに、民法から共産化に悪用されるような規定を除いていく必要があるのです。
現在の政府民主党の理念は、その危険性を孕んでいるのです。

 弁護士、法学者でもあり、秀明大学教授を勤められ、平成20年に亡くなった佐藤欣子氏は、次のように述べています。「戦後のわが国の家族の基本原則は個人の尊厳と両性の平等だけである(憲法第24条)。しかし、それは結局のところ、エゴイズムや相手を自分の欲望充足の手段視する孤独で殺伐たる人間関係をもたらした。日本の家族は一家の中心を失い、共通の信仰や理想を失い、祖先と子孫に対する責任も日本文化の伝承の役割も放棄したのである。そしてこれは日本人の人を愛する能力を大幅に破壊した。結婚を避け、子どもを生まず高齢者を嫌悪するなどはその結果に過ぎない」と酷評されています
 憲法と民法が、今日の家族の危機の根本原因となっており、そして、この憲法と民法が、家族を解体しようとする共産主義やフェミニズムの温床となっている事実を知らねばなりません。



投稿文字数に制限がありますので続きは次回に述べさせていただきます。


転載元転載元: 美し国(うましくに)

小津監督の「麦秋」に出てくる家族の記念写真のひとコマ、戦前の家族は皆こうでした。筆者の子供の頃もわずかながら、残っていました。
 
 
 
日本の家族は多くの危機を抱えています。この危機は、戦後のわが国の歩みの結果です。
戦後日本は、敗戦から経済復興を進め、次に高度経済成長を成し遂げ世界第2位の経済大国になりました。
日本国憲法のもとでの近代化・産業化・都市化の過程を図り、その過程で、多くの国民は個人主義的となり、人々は個人の自由を追い求め、またその一方、国民は経済中心の考え方となり、人々はお金や物を中心とする価値観を持つにいたったのです。
この風潮が家庭の中にも深く浸透しており、家庭においても、家族全体のことより個人個人の自由が、いのちや心よりお金や物が、重んじられ、家族を大切にする価値観が見失われ、家族が家庭外の論理に押しまくられまさに、崩壊寸前なのが平成日本の家族なのです。
この現象は「家族の社会化」と呼ばれ、生産は企業に、教育は学校に、健康は病院に委ねられ、出産や死の見取りも、病院に場所を移し、元来生まれ育った家から出していた葬儀さえも葬儀場に委ねる有様です。
これらの急激な進行により、家庭の空洞化が起こり、家族はしだいにバラバラになりつつあります。それは、家庭のもつ様々な役割が、家庭から産業に奪われていることによります資本家・経済界は、経済の論理によって、これを一層推し進めようとし、女性の社会進出を進め、女性を労働力として活用しようとしています。従来、家庭にあって、育児や養育に専念していた女性を、出産直後から労働させ、生命と愛育の論理から、生産と消費の論理の下に支配しようとしているのです。
生産と消費の論理の推進者には、家族の孤族化、離婚の増加、児童虐待や家族間殺人の多発、家庭の教育力の低下、少子化、高齢化などへの考慮はなく、利潤と効率が目的としているからです。
こうした傾向から家族を守ろうとするのではなく、民主党政権が唱える、夫婦別姓、子供手当など、さらに家族を解体しようという動きが急加速しています。
日本人は、いまこそ家族のあり方を真剣に考えなければならないところに立っており、重大な事態となっているのです。
こうしたわが国の家族解体運動の背後には、歴史的な問題が存在する。それは、敗戦後、米国がわが国を占領した期間に行った日本弱体化政策の影響に起因しています。
かつて家族は日本の固有の文化・伝統・精神の基盤であり、民族的団結、国力の源泉でした。GHQはこの日本の持つ家族的団結を弱めるために、日本の家族制度を破壊しようとしました。家族を含め日本の弱体化のために強行されたのが、GHQ製の憲法の押し付けと民法の改正です。ここにこそ、今日の我が国の家族の危機の根本原因があるのです。
具体的に挙げれば、第24条です。この条項には婚姻に関する規定がある。第1項に「婚姻は、両性の合意のみによって成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」とある。また第2項に「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と記されている。
このように憲法に婚姻に関する規定が設けられているのは、世界的に見ても異例なのです。男女が恋愛をし、性的に結びつくことには、法律は不要です。私的な事柄であり、国家が介入すべきことではありません。しかし、結婚した男女は、単なる同棲者ではなく、親や家族や親族・友人などの認知を得た関係となります。私的な男女関係が、ここで公認による公の関係となるのである。それは、結婚は夫婦の性的関係を維持する手段ではなく、家族を形成することが目的だからです。結婚とは、社会の基本単位である家族を形成するという公共性のある行為なのです。そこに、結婚を法律に定める必要があるわけです。そして家族の安定のために、婚姻の安定性を求める法律も定められる。だから、憲法に規定する必要があるのは、婚姻よりも家族に関する規定なのです。
しかし、第24条は、個人の尊厳と両性の権利の平等を強調する一方、家族の大切さを規定していません。そこに大きな欠陥があります。条文には、夫婦と並んで家族を構成するもう一本の柱である、親子への言及がありません。これは、生命と文化が、世代から世代へと継承されていくことを軽視し、憲法の全体に、世代間の縦のつながり、民族の歴史が断ち切られていることを表しています。
先進国の中ではイタリア憲法やドイツ基本法などには、家族に関する規定があり、それらの国法には、家族の権利、子供の教育の義務と権利、国家による家族・母性・子供の保護などを規定した例がああります。それらには、家族は特別な社会であるから、特に保護されなければならないという考えが示されているのです。
家族は、生命・種族の維持・繁栄のための基本単位となる社会であるとともに、文化の継承と創造の基礎となる社会でもある。単なる生物的経済的共同体ではなく、文化の継承の主体、文化の創造の主体でもあるのが、家族である。具体的には、生命と文化を親が子供に継承するわけだが、それは単に私的な行為ではなく、社会全体においては、大人が次の世代を生み育て、生命と文化を継承するという公共性をもった行為でもある。それゆえ、家族は生命と文化を継承する場所として、国家によって保護されなくてはならないのである。子供の教育に関しても、親は子供を教育する権利を有し、また子供を教育する義務を負う。それは、自分の子供を通じて、次世代に文化を継承発展させていくという公的な義務なのです。家族というものを通じて、国民は、生命と文化の継承という公的義務を負うのです。
しかし、日本国憲法の規定には家族という概念がなく、婚姻が両性の努力で維持されるべきことしか規定されていません。「両性の合意のみによって成立する」という単純な発想は、日本の伝統とは正反対のものです。家族より個人を重んじる西洋近代個人主義の考えです。しかも、「両性の合意のみ」というのは、ヨーロッパの伝統とも言えず、キリスト教の伝統でもない。日本国憲法が制定された当時、キリスト教では、結婚は神の意思であり祝福であって両性の恣意ではなく、離婚は神の意志に反するものとして厳しい制約があったからです。
一体どこから、家族を無視した両性の合意なる考えが持ち込まれたのでしょうか?
実は、第24条の規定が盛り込まれたのは、GHQ製憲法案の作成メンバーの一人だった米国人女性の考えが大きく影響しているといわれています。彼女は、ベアテ・シロタ・ゴードン。当時22歳でした。シロタと言っても日系人ではありません。彼女は、戦前、5歳から15歳の時まで日本に居住し、アメリカの価値観と異なる日本の男女観、特に見合い結婚に強い嫌悪感を持っており、日本文化への無理解と偏見による彼女の考えが、第24条の条文の起源となったのです。こうしたアメリカ人の一女性の主張で憲法に条文が加えられ、日本という社会の基礎となる婚姻制度・家族制度が変えられていったのです。
しかし、GHQ案の冒頭には「家族は人間社会の基盤」という規定があったのですが、日本側の方で、その規定を削除してしまったのです。日本国憲法が、婚姻を定めながら家族についての規定を全く欠くのは、わが国にも責任があるのです。
本来、憲法には、各世代には世代としての責任があり、健常な大人の男女は、子孫を生み育て、教育を施し、生命と文化の継承に努める義務があると明記すべきであろう。
特に、今日、家庭道徳の低下と離婚率の上昇など、日本の家族は崩壊の危機にある昨今、女性・子供・高齢者を守るためにも、憲法において家族の概念を明確化することが必要です。
 
 
 
投稿文字数に制限がありますので続きは次回に述べさせていただきます。

転載元転載元: 美し国(うましくに)

水と緑と土と米

 
 
文明の発祥地エジプトやメソポタミア、黄河やインダス川流域は、かつて黒々とした森林に覆われていました。ギリシャもまた然りです。
2500年も以前に、古代ギリシア哲学者であり、ソクラテス弟子アリストテレスの師であるプラトンがその昔の国土を振り返って歎(なげ)いています。
アテイカ(古代アテネ付近)が損なわれないとき、山々は密林に覆われ、国内に放牧が広がっていた。雨は今のように侵食された土壌の表面をそのまま流れて海に注ぐことはなく、国ふところ深く受け入れられ、やがて泉となり川となって豊かな水量は国内広く吐き出された」と・・・
しかし、これらの文明の発祥の地はその後衰退し、また滅んでいるのです。
 
環境問題、水問題について訴えてこられた、立正大学短期大学部教授でもある富山和子(とみやま・かずこ)氏は著書、水と緑と土―伝統を捨てた社会の行方 (中公新書)で次のように述べられています。
 
「文明が滅亡した決定的な理由は、蛮族の侵入や人心の腐敗などでは決してなかった。かりに支配者が入れ替わろうとも土壌がそのままである限り、つねに都市は再建された。土地が老朽化してはじめて都市は崩壊した」「いかなる文明も土壌の生産力を条件として発生し、いかなる文明もそれを失ったときに滅亡する」と・・・
 
では、人類は環境を破壊せずに、農業と文明を維持していくことができるのでしょうか?
歴史を振り返ると、ヨーロッパでは、小麦のできなくなったところでは、草を生やして牧畜をし肉を生産してきました。肉食をするために要する耕地面積は、人間が直接穀物を食べるために要する面積の8〜10倍にもなります。こうした小麦と牧畜の農業は、広い面積を求める農業であり、自然を征服・破壊する農業だったのです。
これらに対し、水田稲作は土壌を痩せさせることなく連作が可能であり、かつ土壌を肥沃にもします。小麦やトウモロコシなどの畑作物は、北米の穀倉地帯の現状を見るように、単一作物の連作によって地力が消耗し、ついには不毛の半砂漠に近づいていきます。一方、東アジアのモンスーン地帯の水田稲作は、ほぼ永続的な生産が可能なのです。
米は、小麦など他の穀類に比べて、栄養価が高く、生産性の高い穀物です。小麦を作ってきたヨーロッパでは、古代から中世へ、2圃式から3圃式に進みましたが、10世紀ころの小麦で播種量の3倍を収穫するのがやっとで、中世末の14〜15世紀でもわずか5倍程度にすぎなかった。ところが、奈良時代8世紀の日本では最下位の田でも7倍、上位の田では25倍もの米の収穫をあげています。近世ですでに40倍にも達していました。この差は現在でも基本的に変わっておらず、稲が、いかに人間の食糧として優れているかがわかります。
連作可能な水田稲作は、地球環境にとって非常に有効な耕作法であり、自然との共生の模範例として注目されています。また水田は、保水能力に優れ、水田の周囲に、森林をつくり、緑化を進めることもできるのです。
 
日本人は、自然環境を大切に守りながら、米を作るということを数千年も前から実践してきました。
 我国は古代から世界に誇る文明を築いてきました。世界最古の土器を作ったのも我国でした。当時の世界の諸文明に匹敵する高い文化をもっていましたのです。しかも当時、栄えた文明はほとんどが滅んでしまったのと対照的に、我国は、今日も世界の先進国の一員として繁栄を続けています。
 日本は国土の3分の2は森林に覆われています。全国土のおよそ40%は人間の手の入っていない天然林です。今日の主要産業国で、これほどの割合を誇れる国は他に存在しません。しかも、この豊かな森林は、米作りと関係があるのです。
 
 
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稲作には水が大切です。水が足りないと凶作となり、多すぎれば水害になります。それを調節してくれるのが山々の森林なのです。森林は降雨による水を貯え、田に水を恵みます。いわば天然のダムの役割をし、森林は川の水を通じて田の土壌に有機源を補い、また水や風の被害を防ぐなどの役割もしています。
 私たちの祖先はこうした森林を大切にし、9世紀には大和朝廷が水源林の禁伐を定める世界最古の保安林立法を行いました。その後、様々な施策によって、森の保護や育成が続けられてきたのです。
高度に発達した文明国の中で、日本人は木を伐(き)っては植え、緑を絶やさなかった唯一の民族であり、これは「世界の奇跡」ともいわれます。それは稲作のためであり、神道の教えであり、日本の森林は米が作ったといえると同時に、米は森林の賜物ともいえるのです。
今日、この精神は全国植樹祭、全国育樹祭に引継がれています。
 
日本神話の物語の一つに、天孫降臨があります。その神話において、天照大神(あまてらすおおみかみ)は、孫のニニギノミコトを日本に派遣される時に、次のような言葉を下賜されたと伝えられます。
 
 「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほのあき)の瑞穂国(みずほのくに)は、是れ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。宜しく爾(いまし)皇孫(すめみま)就(ゆ)いて治(しら)せ、行矣(さきくませ)。宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさんこと、まさに天壌(あめつち)とともに窮(きわま)りなかるべし」
 すなわち、日本は、稲穂が豊かに稔る国であり、皇室の祖先は、この国で末永く繁栄するように、天界より遣わされてきたとされているのです。
 天孫降臨の際、天照大神は、次のように命じたと伝えられます。
 「吾が高天原きこしめす斎庭(ゆには)の稲を以てまた吾が児(みこ)に御(まか)せまつる」
 天照大神は、天照大神自ら高天原で作られた稲を、ニニギノミコトに与え、日本へ行って、米を作るように命じたというのです。
 
 
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 天壌無窮の御神勅
 
神代の遠い昔から今日まで、日本人は米を食べ続けてきました。そして、昔も今も、米を作る日本民族を象徴する存在であるのが、天皇陛下です。
 初代・神武天皇は、伝承によれば、紀元前660年に、大和の橿原(かしわら)において即位式を挙げました。『日本書紀』には、それから4年ばかりたった神武紀元4年の頃に、「天神を郊祀(まつ)りて用(もっ)て大孝(おやにしたが)ふことを申ぶ可しと、乃(すなわ)ち霊時(まつりのには)を鳥見(とみ)の山中に立つ」という記述があります。これは神勅に従って大和に国を定めて農耕に励み、みるべき収穫を得た、という感謝祭を意味するものでしょう。この鳥見山の祀りが、日本の祭りを代表する新嘗祭(にいなめさい)、大嘗祭(だいじょうさい)の起源とされます。
神代の御神勅を今日まで護り、継承している無二の国なのです。
 日本人は、こうして世界史にまれな、自然と調和して発展する文明を築き今日に至っている民族なのです。
戦後、農林業の担い手が減少していますが、日本人は、米と森にかけた先人の智恵と技術を、今日の地球環境問題の取り組みに生かしたいものです。

転載元転載元: 美し国(うましくに)

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