愛と励ましの言葉

一生燃焼 一生感動 一生不悟

マザーテレサ

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一滴の水のように

おはようございます。2014年2月20日(木)感謝の朝です。有難うございます。今日も宜しくお願い致します。+543「一滴の水のように」
 
「自分がしていることは、一滴の水のように小さなことかもしれないが、この一滴なしに大海は成り立たない。さらに、自分は、偉大なことはできないが、小さなことの一つ一つに、大きな愛を込めることはできます。」byマザーテレサ
 私たちの普段の中で、笑顔で優しく「有難うございます」の一言、それ自体は、小さな行いです。しかし、それが次の人につながって行って、相手の心を優しくし、その優しさが、社会に、家庭に、平和を作り出していく手助けになっていると考えるならこれほど嬉しいことはありません。
 
今日の一日が皆様にとりまして素敵な時間となりますように( ´ ▽ ` )
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2014年5月14日(火)

おはようご財益す。2013年5月14日(火)感謝の朝です。有難うございます。BW77・8kg今日も宜しくお願い致します。+263「愛と励ましの言葉366日」愛することは許されることより、

アイデンティティの確立と自分への愛との間には深い関係があります。自分を否定し嫌っている人に「自分」はありません。「自分らしさ」が愛せて、初めて自分らしさが育ってゆきます。自分が自分であることに心安らかでいられるのです。

今日の一日が皆様にとりまして素敵な時間となりますように( ´ ▽ ` )
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愛の反対は無関心

マザーテレサの言葉として「愛の反対は、無関心」がありますが、この言葉の原文Mother Teresaのこの言葉を引用とした文を、本でよくみかけます。 大好きな言葉です。
Mother Teresa
1950年に設立したMissionaries of Charity(神の愛の宣教者会)の設立が、unwantedunlovedの救済、という目的を含んでいた以上、例の言葉はその当時からMotherによって発せられていた、と推測しますが、この言葉を世界的に有名にしたのは、1979Novel Prize受賞時スピーチの、以下のフレーズではないでしょうか?
When I pick up a person from the street, hungry, I give him a plate of rice, a piece of bread, I have satisfied. I have removed that hunger. But a person that is shut out, that feels unwanted, unloved, terrified, the person that has been thrown out from society - that poverty is so hurtable and so much, and I find that very difficult.
道ばたで餓えた人には、私は一皿の米と、一切れのパンを渡すことで、その人の飢えを癒すことができます。 しかし、締め出され、必要とされていない、愛されていないと感じ、恐怖におののき、社会からも見捨てられている、そんな貧しさに苦しんでいる人を助けることは、本当に難しい。
Mother
は、むしろこの手の「貧困」は、インドではなく、先進国に顕著である、とも発言しているので、その後、様々な識者が、「現代の先進社会に生きる者への警句」として、しばしば取り上げるようになったのではないか、と思います。
<マザー・テレサ(Mother Teresa 19101997) カトリック教会修道女 「神の愛の宣教者会」創立者 1979年ノーベル平和賞受賞>
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この地上の天国

それは、からし種のようなものです。それを取って庭に蒔いたところ、生長して木になり、空の鳥が枝に巣を作りました。ルカの福音書 1319 
この聖句は、神の国のたとえです。20節では、神の国は、パン種にたとえられていますが、どちらも信じられないくらい大きく成長するということが語られていると思います。 また、別の箇所では、「神の国はどのようなものであるか」、という問いにイエス様は、「神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」(ルカ17:21)とおっしゃいました。 「ただ中」とは、真ん中という意味です。新共同約を見てみると、「神の国は、あなたがたの間にある」と書かれていました。 神の国は、私たちが互いに愛し合う人間関係にあるのです。 イエス様が私たちの間に互いに愛し合う道を備えられたので、イエス様以降の世界には、神の国がやって来たのです。それは、爆発的な広がりで世界に広がり、成長するとともに、私たちの間(人間関係)に信じられない位の成長を遂げるものになるからです。何しろ神の国は、この地上に現れた天国だからです。今の自分の味わっている程度で終わってしまうものではないはずです。この方に今日も信頼し感謝してイエス様のお名前でお祈りいたします。アーメン
あなたがたにお勧めします。ただ聖霊様の導きに従いなさい。聖霊様は、どこへ行くべきか、何をなすべきか教えてくださいます。そうすれば、自分の悪い性質のおもむくままに悪事に走ることがありません。私たちの生まれながらの性質は、聖霊様がお命じになることとは正反対の悪事を好みます。一方、聖霊様の導きのままに歩んでいる時に行ないたくなる善は、生まれながらの願望とは正反対のものです。内面のこの二つの力は、どちらも私たちを思いどおりに動かそうと、いつも格闘しています。そして私たちは、この二つの力の板ばさみになって、したいと思うことが自由にできない状態なのです。(リビングバイブル訳)ガラテヤ人への手紙 516,17
聖書が教えることと、この世の教えることは正反対であることが多くあります。私たちは今、この世に存在している以上、この葛藤から逃れることは難しいのではないかと思います。しかし、私たちはこの葛藤の中で、神様に祈り、求め、相談することで、成長していけるのです。しかしながら、この葛藤に対する基準が欲しいとは思いませんか?自分が果たして聖書の教える道から外れているのか否か。その基準が、19節から21節に書かれています。「生まれながらの悪い性質に従っている時、あなたがたの生活は、次のような悪い実をつけます。すなわち、汚れた思い、肉欲的な快楽を求める心、偶像礼拝、心霊術〔悪霊の働きを助長するもの〕、憎しみ、争い、嫉妬、怒り、利己心、不平、あら捜し、排他主義と、そこから出て来るまちがった教え、ねたみ、人殺し、泥酔、どんちゃん騒ぎ、そんなあらゆる種類のものです。」また、次のような生活を送れているのであれば問題ないのです。「しかし、聖霊様が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結んでくださいます。それは、愛、喜び、平安、忍耐、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」この世での生活は、天国での生活を送るための訓練学校のようなものです。天国へのチケットを手にした私たちは、それだけで満足するのではなく、私たちの最高の個人的なコーチである御霊に導いていただき、与えられた訓練を一つずつ乗り越えていきます。この方に今日も信頼し感謝してイエス様のお名前でお祈りいたします。アーメン

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