ペーパードライバー教習徒然日記(横浜)

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戦国武将石川数正

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石川数正について

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国宝松本城のお土産に「古瓦煎餅」を頂きました。
歴代城主の家紋を焼いた煎餅でご覧のように「笹竜胆」もありました。

石川 数正(いしかわ かずまさ)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
三代に渡って松平家に仕えていた家柄に生まれた数正は、徳川家康とは人質時代も一緒だった「竹馬の友」。
長じて西三河の旗頭となり、今川との人質交換によって嫡子・信康を取り戻したり、姉川の合戦で一軍を率いたり、長篠合戦で織田軍の援軍を引き出させたりして、徳川家重臣として活躍した。

その後、小牧・長久手の戦いの後に徳川家を出奔して豊臣秀吉に臣従した。
出奔した翌年の天正14年(1586)、数正は秀吉より和泉国14万石を与えられ、従五位下に叙任され、それまでの伯耆守から出雲守に改称した。その後、豊臣の武将として九州征伐、小田原の陣に従軍し、
同18年(1590)には、信濃国松本城主として8万石を領した。

石川数正とその子康長が、天守を始め、城郭・城下町の整備を行う
その後、文禄元年(1592)3月には文禄の役に従軍、肥前国名護屋城に出陣したが12月に陣中で没した。同月14日には京都の七条河原で葬礼が行われている。又、その遺骸も密かに三河の本宗寺(愛知県岡崎市美合町)に埋葬されたという。

●戦国時代から安土桃山時代
生誕: 天文元年(1532年)? (1533年)
死没: 文禄元年(1592年)? (1593年)
別名: 幼名:助四郎
通称: 与七郎、石川伯耆守
別名: 康正(昌)、吉輝
戒名: 箇三寺殿的翁宗善大覚位
墓所: 長野県松本市の正行寺
     愛知県岡崎市の本宗寺
官位: 従五位下、伯耆守、出雲守
主君: 徳川家康→豊臣秀吉
藩  : 信濃松本藩主
家紋: 笹竜胆
宗教: 浄土真宗
氏族: 石川氏
父母: 父ー石川康正、母ー松平重吉の娘
兄弟: 石川数正、妹(松平家信室)
妻  : 正室:内藤義清の娘
子  : 石川康長、石川康勝、石川康次、

家系
河内源氏の八幡太郎義家の六男・陸奥六郎義時が河内国壷井(現在の大阪府羽曳野市壷井)の石川荘を相伝し、義時の三男の石川義基が石川源氏・石川氏の祖となったという。
数正の家は三河に下った石川氏の与党である。

家康の近侍
天文2年(1533年)、石川康正の子として三河で生まれる。徳川家康が松平竹千代の幼名を名乗っていた今川義元の人質時代から家康の近侍として仕え、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いで今川義元が討たれて松平氏(徳川氏)が独立すると、数正は今川氏真と交渉し、当時、今川氏の人質であった松平信康と駿府に留め置かれていた元康(家康)の正室・築山殿を取り戻した。永禄4年(1561年)、家康が織田信長と石ヶ瀬で紛争を起こした際には、先鋒を務めて活躍した。

家康の懐刀
永禄5年(1562年)、織田信長と交渉を行ない、清洲同盟成立に大きく貢献した。永禄6年(1563年)、三河で一向一揆が起こると、父・康正は家康を裏切ったが、数正は浄土宗に改宗して家康に尽くした。このため戦後、家康から家老に任じられ、酒井忠次と並んで重用されるようになった。家康の長男・松平信康が元服すると、その後見人となった。永禄12年(1569年)には家康の命令で、叔父の石川家成に代わって西三河の旗頭となった。

また、軍事面においても元亀元年(1570年)の姉川の戦い、元亀3年(1572年)の三方ヶ原の戦い、天正3年(1575年)の長篠の戦いなど、多くの合戦に出陣して数々の武功を挙げた。天正7年(1579年)に信康が切腹すると、岡崎城代となる。

天正10年(1582年)に織田信長が死去し、その後に信長の重臣であった羽柴秀吉(豊臣秀吉)が台頭すると、数正は家康の命令で秀吉との交渉を担当した。このため天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いにも参加。この戦いにおいて家康に秀吉との和睦を提言したともされる。

国宝松本城(旧:深志城)
石川氏城主(1590〜1613)
今残る松本城の天守閣は、戦国時代末期、石川数正・康長親子の手になるもの.高麗門・太鼓門は近年復旧されたものである.いずれも当時の姿を留めている.今では天守を含む本丸・二の丸の敷地が、松本城公園として解放されていて、松本城の姿は、北アルプスの常念岳をバックに、美しい風景美を成している.
松本は、平安時代信濃国府の置かれていたところで、中世には信濃国守護小笠原氏本拠地であった.小笠原氏の治める頃は深志城、長篠の戦以降は松本城と称した。
天正18年(1598)、豊臣秀吉の家臣となっていた石川数正が入って8万国を領した。現在の松本城は、この数正親子が、築城し、現存する天守一画の建築のうち,五層六階の大天守・正面左手の渡櫓(わたりやぐら),右手の乾(いぬい)小天守は関ヶ原の戦(1600)前後には完成していたとみられ,現存天守の中では最も古い。国宝に指定されている。











































※私の両親が亡くなる前に石川数正と関係があるんだと聞いたことが有りました。
同姓だからそんなこと言ってんだろうとしか思いませんでした。
まして証拠なるものは何も無ありませんし。
当時は関係があっても無くてもどちらでもいいと無関心でしたが
最近、ひょんなことからちょっと調べてみました。
現在は横浜市に住んでいますが、父親の出身地は代々西三河(現・碧南市)。
宗教は浄土真宗(東本願寺派)、家紋は笹竜胆・・・

今となっては・・・

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