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ヒゲタ醤油のHPから削除されてしまいましたので、ここに転記します。

問題が生ずるのであれば責任は全て私がとります。

その4 冷し中華祭り開会

会場は熱気と歓声が本大会のシンボルマークである鳴戸(なると)の渦巻きのように波打っていた。第1回冷し中華祭りは1977年4月1日午後6時30分その幕が切って落された。午后1時ごろから入口に並んだ名古屋から来た一番乗りの客を先頭に、6時の開場と共に客席はあっと云う間に埋めつくされ、筒井康隆副会長の開会宣言にはじまり、いとも整然と、メチャクチャに、ものすごい音響と共に進行して行った。

■講演「冷し中華思想の変遷」中州産業大教授タモリ

●対論「バビテン論争の総括」奥成達・平岡正明

●演奏と舞踏 山下洋輔トリオ・大駱駝艦「月の砂漠」

●料理講座

「正調冷し中華の作り方」坂田明(助手・矢野顕子)

■コント「鳴呼!冷し中華」東京ボードビルショウ

●来賓祝辞

10名の来賓の3番目に司会者の林美雄氏から紹介された。

「さて次の方は、ヒゲタ醤油の山下啓義さんです。どうぞおねがいします」

会場からワァーとか、ギャーツとか云う声が一斉に上った。舞台の袖の椅子に座っていた筒井康隆さんが、小さな声で「お兄さんおねがいします」と云った。その声に送られて明るい舞台に出ていった。

(歓声・拍手)

「名前は山下啓義と申します」

(歓声)

「勤務先はヒゲタ醤油です」

(ギャーツという大合唱……ほとんどの客は、黒い噂を知っている!?)

「本日はまことにおめでとうございます。このような会が開かれるということを聞きまして、私共ヒゲタとしては、これこそ日本人の祭りだ。日本人の調味料を作っている我がヒゲタ醤油が何としても協賛させていただかなければならぬと思いまして、私が弟にそのことを申し入れました。ところが全冷中の会長である弟は、それは困ると拒否いたしました。

何故かと云うと、全冷中はどんな企業資本との結びつきも拒否する清いアマチュアの会だとぬかしおりました。(笑)

さらに会長の実の兄がしょうゆ屋に勤めていて、何の因果か、冷し中華のタレを作っているとなっては、もうこれは最初から兄弟で仕組んだ陰謀だと会員からクレームがついても何とも申しわけが立たぬし、自分の地位も危ないと泣く始末であります。(笑)私は云ってやりました。今でこそ、山下洋輔トリオだなんて多少は名が売れたか知らんが、ジャズの道へ導びいてやったのは誰だと思う。腹をすかしていた貧しいピアニスト時代にカツドンを食わしてやったのを忘れたか。と。(笑)その結果やっとのことで、ヒゲタしょうゆは日本一美味しいしょうゆだとか、ヒゲタの冷し中華スープは最高だとかPRめいたことは一切云わないからという約束で本日お祝いに出席させていただくことが出来ました。(笑・拍手)

さきほど楽屋に私共の社長から電話がありました。山下よくやった。給料を上げてやるぞとのことでした。(笑)

これもひとえに全冷中のおかげでございます。本日を期にますますご発展なさいますようお祈りいたします。ありがとうございました。(大歓声と拍手)

袖にもどると、筒井さんが椅子から立ち上って、「いやあ、よかった。ありがとうございました」と手をさしのべてくれた。

その5 宴の後

来賓の挨拶が終ると更にプログラムは進む。

○座談会「漫画家にとって冷し中華とは何か」:黒鉄ヒロシ・高信太郎・長谷邦夫・長谷川法世

○歌:矢野顕子・三上實

○全冷中支部長あいさつ:多数

○会長交代:山下洋輔・筒井康隆

本日一番の大歓声と大拍子に迎えられて、全冷中初代会長の山下洋輔は舞台中央のマイクに向った。トレードマークの口ひげ。細いメタルフレームのメガネを人さし指でちょっとずりあげた。会場は一転してシーンと静まりかえった。会長は、ゆったりとした口調で、適当な間をおき、静かなしかし低く通る声で、会長を辞任することを告げた。

「……(前略)……先ほど、舞台におし入って来た、実の兄が何の因果か某大手しょうゆメーカーに勤めており、冷し中華のタレを作っているという厳然たる事実を認める時、全冷中の会長としてこれ以上在位することは、いたずらに会員諸君の疑惑をかきたて会の健全なる運営と発展を阻害するものであると判断し、ここにいさぎよく身を引くことを決断したものである。……(後略)」

会場からは、「ヤマシターやめるな−!」という声が上った。若い女性のすすりなきの声もあったと聞く。このあと第2代会長に、筒井康隆氏が推挙され、場内破れんばかりの大歓声の中に、年号が冷中3年から鳴戸元年に改められたのである。

○フィナーレ:「大合唱、ソバヤ」リードボーカル・坂田明

かくて舞台と会場は大合唱、大乱舞の内に第1回冷し中華祭りは幕を閉じた。

全冷中は、その後、第2回大会を1978年(鳴戸2年)4月26日に、大森の平和島湯泉会館で開催した。新しい企画をもりこんで、これ又大盛況ではあったが、第1回ほどの盛り上りはなかった。私と全冷中の勝負は、やはりあの第1回が最初にして最後であったと思う。

そして一年後、「全冷中は死んだ!」という声明文と共に全国冷し中華愛好会は解散した。あの連中は、又、新しい遊びを、ジョークを、パロディを求めて旅立ったのだろう。

しかし、それにしても、あの連中の遊びの精神の見事さにはおどろくばかりだ。あの精神、あの発想、あの創造力、あのバイタリティは敬服に値する。

いろいろなジャンルの人々と知り合い、新しいものの見方、考え方を肌で感じとる努力を我々は、もっと、もっとしなければならないと思う。

1981年11月16日、山下洋輔は、新しい試みのリサイクルを新宿コマ劇場で開いた。自分のトリオの他にジャンルの異なる若いジャズミュージシャン達を加えてのリサイタルであった。常に何か新しく進歩している弟の仕事を見ていると、兄の私としても、大いに刺激を受ける。

終って楽屋に行ったら筒井康隆さんも来ていた。筒井さんは、最近クラリネットにこっていて、以前山下トリオでテナーを吹いていた、中村誠一に教わっている。今日のリサイタルのアトラクションに山下トリオプラスで出演し、昔なつかしいベニーグッドマンスタイルでスイングジャズを演奏してヤンヤの喝釆をあびたのだ。

「いやー、冷中以来ですね」

「ほんとに」

「しかし、見事なスイングで」

「いやァ、もうクラリネットを抱いて寝てますよ」

弟が間に入って来て、

「筒井さんは、今、全然ペンを持たなくなっちゃったんだ。かわりに中村誠一に書かしているんじゃないのかな」

「しかし、あの曲はなつかしかった。思わず舞台に飛ぴ出したくなったよ」

「そうだ、お兄さんはドラムやってたんだ。今度是非一緒にやりましようよ」「いや、とても、とても」

と云いながら、それも面白いな。いや尺八でジャズをやってみようかな、などと、私の小さな遊ぴの虫がうずくのであった。


なほ、携帯サイトモビオンにて「全国冷やし中華連合」を結成いたしました。

現在、会員4名です。

mobionです。

登録無料です。

ぜひ、入会して下さいl

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全国冷やし中華愛好会

ヒゲタ醤油のHPから削除されてしまいましたので、ここに転記します。

企業名や個人名、個人情報保護や著作権等のへったくれもあったもんじゃありませんが、問題が生ずるのであれば責任は全て私がとります。

初代会長が、ジャズピアニスト山下洋輔さんで、その実兄でヒゲタ醤油専務である山下啓義氏が「全冷中」発会と「冷し中華祭り」開催までのいきさつを、同社のHPで明らかにしておりました。

本日2009年7月5日放送の「題名のない音楽会」の山下洋輔トリオの年表に「全冷中」の事がでており、醤油疑獄事件と会長辞任についての真相をタモリが明らかにしており、興味をもって調べました。すると以下の記事が見つかりました。

その1 発会のいきさつ

1977年(昭和52年)4月1日、東京有楽町の読売ホールのロビーは開場を待つ若者でごったがえしていた。全日本冷し中華愛好会(全冷中:ぜんれいちゅう)の主催する「第1回冷し中華祭り」が間もなくその幕を切って落そうとしているのだ。集った人の波は、ホールのある7階から階段を下へ下へと流れ一階の入口近くまで続いており、その人波の発する熱気はムンムンとすさまじく、一種異様な雰囲気さえただよっていた。

7階に着くとロビーの壁際にあらかじめ用意しておいてもらった机の上に、ダンボールから取り出した「ヒゲタ冷し中華つゆ」のびんをなるべく目立つように大陳ディスプレイし、ポスターも派手に貼りまくった。読売ホールのロビーの一隅がスーパーマーケットのデモンストレーションセールスの場になった感じである。他には、この日に合わせて発売された住宅新報社出版、全日本冷し中華愛好会編の、「空飛ぶ冷し中華」という本を売るコーナーや、山下洋輔のヨーロッパツアーの演奏を収録したレコードを売るコーナーなどがセットされ、ホールのロビーはお祭りの夜店のようなムードとなってしまった。まさに、この得体の知れない、何が起るか誰もわからない、「冷し中華祭り」の会場にふさわしいお膳立てが出来上ったと云えよう。

瓢箪から駒、ということは聞くが、こんどのことは、まったく、冗談から仕事、としか云いようがない。

弟洋輔が、一寸した冗談から、「全日本冷し中華愛好会」を結成し、自から初代会長におさまったのは、1975年(昭和50年)1月のことであった。

…(前略)…

1月のある日、東京杉並の天沼2丁目の日本そば屋「長寿庵」で昼間からビールを飲んでいたんだ(当時、彼は天沼に借家住まいをしていた)。音楽雑誌の仕事が一段落したあとだったと思う。雑誌の編集者と当時の俺のマネージャーと3人で。結構盛り上がっていたんだ。その時、なぜか急に冷し中華そばが食いたくなった。冬だから無理とは思ったが注文したら、やっぱりまだやっていないと云う返事。この時だ。急に俺の中で何かが燃えた。

「なぜだ!」「なぜ冬はやらないのだ。どうして冬は食ってはいかんのだ。これはまったくいわれのない差別ではないか!」酔いも手伝って考えはかけめぐる……その結果が例の声明文となったわけ。自分でもどこまで本気で、どこまでがジョークかわからないままのめりこんだというか、のみこまれたというか。

…(後略)…

例の声明文というのはこれである。

全日本冷し中華愛好会結成のお知らせ

皆様には益々御活躍のことと存じます。さて、爾来、我国の生んだ最高の食品である冷し中華愛好者は日に日にその数を増している現状であります。しかるに一部の無理解なる杜会風潮が我々をして一年を通じてかの食品を賞味したいという希望を実現不可能なるものとしていることは皆様方の熟知せらるところであります。

〈我々は何故我国の冬季においては、かの冷し中華を賞味できないのであるか!〉

このような間違った習慣を少しでも変えていこうという主旨のもとに私達はここに「全日本冷し中華愛好会」を結成するに到りました。何卒皆様の御賛同を切にお願いする次第であります。

その2 スポンサーへの道

かくして、この不可思議な会は、山下洋輔のマネージメント事務所ジャムライスに本部を置き、そのファン層、仕事仲間、飲み仲間etcを通じて、枯野を走る野火のようにものすごい勢いで全国津々浦々へ浸透していった。タブロイド版の会報「冷し中華」も、その年の9月に第1号が創刊。各界の壮々たるメンバーが執筆し、イラストを描き、全国のファン、自称○○支部長と名のるメンバーも続々と登場して来た。あるものは、真面目にその食文化をテーマに、論文を発表し、又、あるものは冷し中華の起源を遠くバビロニアに求め又、ナルト、ハム、キュウリといった具について研究するもの、つゆ、たれを論ずるもの、食べかたの作法を定めるもの等々真面目、不真面目、パロディ、ジョークが入り乱れて一大ナンセンス集団が形成されて行ったのである。

昭和50年(冷中元年)に発足したこの「全冷中」が第1回冷し中華祭りを開催するという話が私の耳に入ったのは昭和51年(冷中2年)の暮れだ。前から、弟が会長をしているこの全冷中を利用して、ヒゲタ冷し中華スープの宣伝、売りこみを計ろうと秘かに狙っていたので、こいつは絶対にやらねばと心に決めた。

早速、弟に電話を入れた。

「祭りをやるそうじゃないか」

「うん。どこまでエスカレートするんだかわからなくなってしまったよ」

「おれのところで、ヒゲタ冷し中華スープっていう冷し中華のタレをやっているのを知ってるだろうが、こんどの会には是非スポンサーとして後援させてくれ。サンプルも出す。金も若干なら会社へたのんで出してもらうから」

「いや、兄貴、そんなんじゃないんだよ。マジでやられちゃ困るよ。遊びの会なんだ。パロディとジョークだよ。メチャメチャな会になるかも知れないし、かえって会社の名前が出てシラケたり、イメージ悪くなったらまずいんじゃないの?」

「バカ。お前がプロのピアノ弾きなら、俺だってプロのサラリーマンだ。余計なこと心配せんでいい。うまくやるわい」

「弱ったな。実行委員会とも相談せなならんし……」

「お前が会長だろ。権限ないのか?」

「オレはただの飾りだ。そのオレが兄貴の会社をスポンサーにしろなんて云えないよ。会長が実兄の勤務する某しょうゆ会社と黒い癒着、なんてことになったらヤバイぜ」

「おまえよく聞けよ。このところちょっと名前が売れて来たと思って、態度がでかいぞ。おまえをジャズの道へ導びいてやったのは誰だったんだ。もちろんお前の才能と努力は認めるが……」

「ちょっとまってよ。何もそんな……」

「おまえ達にはお遊ぴかも知れんが、俺には仕事なんだ。こういう話は、兄弟で直接話合うより事務局レベルでビジネスライクにやった方がいい。マネジャーか誰かと会いたいので紹介してくれ」

「わかった。でも、結果はどうなるかわからないよ」

数日後、音楽事務所ジャムライスの鈴木利恵というかわいらしい若い女性が会社に来てくれた。浅野君と二人で会って色々と企画の内容などを聞いて、いかなる形でヒゲタが協賛をしたらよいかを話し合った。彼女は若い(当時19才と聞く)に似ずしっかりした人で、本業は音楽事務所のアシスタントマネジャーであるのに、最近は全冷中の事務局長という大役までおしつけられ、むしろその方の会報の作成、発送、会員との連絡等に忙殺されながらも一人二役を見事にこなしている才女と見うけた。

「結構お金もかかるんです」とクレイジーな会長が始めた全冷中なるものにいささか困惑しながらも、4月に開催する第1回冷し中華祭りの成功に花の青春を賭けている、といった決意が全身にみなぎっていた。話し合いの結果は、以下の通りであった。


(1)冷中祭りのB全ポスターの下にヒゲタ冷し中華スープの広告を入れる。

(2)ポスター、入場券に「協賛・ヒゲタ醤油」を入れる。

(3)抽選で200名に冷し中華200mlびんを提供する。

(4)前記(1)〜(3)の広告料として5万円をヒゲタが支払う。

その3 危しスポンサーの座

これでひと安心と思っていたら翌日、ジャムライスのマネジャーである岩神六平という男が会社に現われた。この男は今でも山下洋輔及びそのトリオのマネージメントをしてくれている仲々の腕ききで、若いが色々なアイディアで山下洋輔トりオを売り出した縁の下の力持ちである。

「実は誠に申し上げにくいのですが、私共事務局の手ちがいで、前々から九州のD食品という中華調味料メーカーが、エントリーしておりまして。そうです。50年に全冷中を発足したその頃からその会杜の社長がうちのスープを使ってくれ、社内報に山下会長の冷中談をのせさせてくれとしつこく迫っていたわけで。はい。ですから今度の祭りのことでも、上京して来て是非ともスポンサーに、と後に引かないのです。いえ。もちろん私共では、すでにヒゲタ醤油さんと約束済みであるからとお断りはいたしましたが、先方はヒゲタさんなら一流メーカー、相乗り(注、2社以上で共同スポンサーになること)でも結構、ヒゲタさんがスープを出されるのならうちでは中華めんを出しましょうということで。わかっております。無理は承知の上です。何とか相乗りということでご了解を得られませんでしようか」

「ダメです」

しぱらく沈黙が続いたあと私は云った。

「相乗りするくらいならウチはおります。あなた、よく考えて下さいよ。いくら熱心かも知れないが、九州の名も知れぬメーカー、しかも同じような調味料を作っているところとウチが相乗り出来ますか?それに、どこで祭りを開くのですか?九州ですか?ちがうでしょう。有楽町でしょ。東京ですよ。東京のソバ屋の90パーセントはヒゲタしょうゆの愛用者ですよ。一流をスポンサーにすることはあなた方。格調高い全冷中にとっても大切なことじゃないですか?」

又、しばらく重い空気が三人の間によどむ。

岩神六平氏の顔は、苦悩でゆがみ、口ひげがかすかにふるえている。浅野君の顔は怒りで真ッ赤になって横をむいたままだ。私は何とかここで新しい転換を計らねばと考え、思い切って切り出した。

「岩神さん、あなたの立場もあるでしようから、私の方であと5万出しましよう。それでだめならウチは下ります」

「わかりました。帰って何とか相談してみます。ご返事は明日か明後日になりますが」

「いいですよ。お待ちしています。私も兄としての権威で弟を動かしたくない。何とかあなたとビジネスライクに結論を出したいのです」

その夜私は弟に電話を入れた。

「六平さんから話聞いてくれたか?」

「ああ、聞いた」

「いいな、あれで」

「そういうことになるか」

「じゃ、たのむよ」

「どうも」

「どうも」

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夕やけ

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新宿御苑「夕やけ」の冷やしラーメン大盛\980

ここは自宅の近くにあった「ピヤシリ」という味噌ラーメンで有名なお店の店主が病気療養後に新たに開店したお店です。

東京の味噌部門で「すみれ」に次いで第2位になったこともありました。

早い時間に行きましたがおやじさんが大きなボールで合わせ味噌を混ぜていました。

野菜の盛り付けがきれいです。盛り付けはおばさん担当です。

葱は極限まで細く刻まれているので、この量でもとっても食べやすいです。
加えてボイルされたもやし、きゅうり、短冊切りのチャーシュー、半熟煮卵一個と細切のナルトが入ります。

大量の一味がデフォルトで振りかけられていますが、程よい辛さです。

ここは味噌ラーメンで有名なお店なので、タレも味噌ベース。
黒酢、羅漢果、金胡麻をミックスしたというもので、甘ささっぱり、ピリ辛に仕上がっています。

お酢は結構たっぷりと使われているようですが、良質なものなのでしょう。

このお店のスープのベースは鶏がらだと想像してます。こくがあるけど、しつこくありません。

麺はわずかに縮れた細ストレート麺。

締めには、結構たっぷりと余ったたれを、熱いスープで割ってくれ、希望するとごはんを投入してくれます。冷やしでこのような締め方は初めてでした。

この値段でこのボリュームと内容には大満足。

今年一番というよりも、自分の中での冷やし中華部門では今のところ第1位です。

今だに未食の吉祥寺「春木屋」の冷やしをぜひ試さなければ。

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有昌

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渋谷「有昌」の冷やしそば\850です。

土曜日だっていうのに無性に食べたくなって、このためだけに、わざわざ吉祥寺から井の頭線で出向きました。

固めに茹でられた中細麺。

並々と注がれたあっさり味の醤油味のスープに具はきゅうり、錦糸卵、チャーシュー、海老と,
ここにも甘辛く煮た椎茸がのります。

あっさり味のスープは麺によくからみ、飲み干してしまう程においしいものです。

お酢もいいものを使っているのでしょうか、咽ません。

もう一つは友人が頼んでいた名物「有昌丼」。
八角が効いています。
スープもおいしい。

友人はなにか物足りなさを訴えていましたが、もしかするとここは無化調かもしれません。

と、褒めすぎですが接客態度や日々の味のバラつきなんかがありますので、ご注意を。

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珍萬(レトロ)

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柳生九兵衛の著書「東京最高のレストラン」にも紹介されている中華屋です。

以前に紹介した「宝来」と同様に徒歩五分圏内にある中華屋で、創業は、ナント50年前だそうです。

当時、この辺りは若葉銀座という商店街で賑わっていたそうです。
新宿通りに都電が走り、舗装されていない路地を曲がって、裏路地にある商店街だったんでしょうね。

きっと、三丁目の夕日のような光景だったのでしょう。
今でも畳屋や炭屋なんかがあって当時の面影が残ってます。
「たいやきわかば」はこの時点で既に老舗でありました。

ぼくが住んでいるマンションがそもそもレトロで、前住人が松竹歌劇団のダンサーだったそうだからな。
そういえば、若葉湯のとなりにある理髪店もレトロだし、若葉湯そのものがレトロです。

下の白黒写真は当時の四谷三丁目です。

左に「ビクターレコード」の看板が見えますが、このレコード店は今でもあって、店頭のショウウィンドにカスタネットやタンバリンが飾ってあります。昔よくあった、レコード店と楽器屋を兼ねたお店です。

右端に出前用のスーパーカブが止まってますが、これはおそらく現存する名古屋きしめん「尾張屋」の出前用のものでしょう。(今は出前はしてません)
このさらに手前にしじみ汁(\700)で有名な「天春」があります。今でもあります。

左側におなじみの東京メトロの印があります。
ということは、丸の内線は既にあったみたいですが、階段の降り口に屋根がありません。
階段の上り下りを考えたら新宿に出るのに地下鉄よりは都電を利用したはずですよね。

三菱(コルト)やトヨタの看板が見えて、カローラやコロナが走ってますが、左側を走っている高級車は、ジャガーでしょうか?
知っている人がいたら教えて下さい。

奥に見える「行銀士富」の看板のあたりが津の守交差点(今のみずほ銀行がある場所)で、そこを右折して坂をおりて(右にカーブしてます)まっすぐ行って左に『珍萬』があります。

元気なおじいちゃんが勢いよく中華鍋を振ってます。年季が入りまくってます。きっとチャーハンもおいしいのでしょう。

名物は「たまごそば」\650で、研究を重ねて30年前にメニューに加えたとのこと。
メニューの上に○特印がついてます。

甘めの醤油スープに、ごま油と一味唐辛子でピリ辛に炒めた卵と豚肉、もやし、ざく切りの長ネギがのります。

スープは最近珍しい熱々のもので、ここに炒めたての具がのるので更に熱々。
にんにくが効いてます。

麺は「宝来」の自家製麺に似ていましたが、もしかすると仕入れているのかもしれません。(宝来は元々は製麺所だった)

丼が大きめで、豚肉たっぷり、卵は2個使っているそうで、量が多く完食するのに一苦労でした。

これが\650とは驚き。

隣の人が、かた焼きそばの大盛を頼んだら、おばちゃんが「食べきれないから普通盛にしておいた方がいいよ」と言ってました。

この「かた焼きそば普通盛」はオーダーが入ってから麺を揚げていました。おじいちゃんが「量は多いけどもたれないよ」としゃべり始め、その理由について延々と解説していましたが、ここでは省略します。
興味深く納得のいく説ではありました。

こちらも熱々でおいしそうだった。けど凄い量だった。

昨今のラーメンブームとは全く無縁のお店ですが、「宝来」と同様に昼時は行列ができています。普段はお年寄りばかりで人気のない町ですが、いったいこの人達はどこから湧き出してくるのだろうか?不思議です。

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