ぶらぶらお祭り探訪

今年はお祭りに限らず何でもレポートするからね。お付き合いよ・ろ・し・く・ね(笑)。

名所.旧跡

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みなさんお久しぶりです。いろいろチャレンジしてようやく復活できました。ブログをあーしたりこーしたりしていた間、みなさんのところにも訪問できずごめんなさいでした。訪問者2万人を目前に完全復活できました。もう春祭りも本番になっちゃいましたね。しかし今回は以前から予定していた「名所・旧跡シリーズ」をお贈りします。お待たせしたぶん?今回の記事ではあまり知られていない事をマニアック編としてお届けします。


始めにお城の説明を簡単にしますね。この松阪城は天正16(1588)年に蒲生氏郷公によって築かれた平山城です。氏郷公は宵の森(のちに四五百の森と呼ばれる)と呼ばれていた丘陵地を南北に分け、北に本丸、二の丸をはじめとした城郭を築き、南は自然のままの丘陵として残しそこに八幡社(現、松阪神社)を勧請し、それを一重の堀で囲み城地としました。しかし今回はマニアックに攻めるのでお城の説明はここまで(笑)。


まずは城より先に城下町の話からしましょう。松阪の城は江戸時代にはすでに城としての機能を失っていたので、町も侍屋敷が建ち並ぶといった町ではなく、経済都市、商人の町(写真1、近江商人の故里滋賀の町並みに似ています)、参宮街道の宿場町として発展しています。ちなみに江戸時代に「近江泥棒、伊勢乞食」と揶揄される商人たちは、元々氏郷公が旧領の近江から連れてきたのがはじまりなので兄弟みたいなものですね。三越の祖となる三井高利も松阪の出身で、今でも殿町にはその屋敷跡が残っています。ちょっと話題が脱線しちゃいましたね。そんな発展を遂げた町なのですが、元はというと氏郷公が我が城下町として築いた松坂。万が一の市街戦に備え、町中を走る道のいたるところにクランク状の折れをつくりました(凹んだところに兵を隠すため)。そのため江戸時代には「伊勢の松坂、襞(飛騨)のとりよで襠(町)悪し」と当時松阪商人が商っていた松阪木綿に例えて氏郷公の町づくりを皮肉っています。ここでいう飛騨とは、蒲生飛騨守氏郷公を指します。私が学生だった頃には町のいたるところでこのクランク状の折れが見れたのですが、最近は都市化に伴い道幅を拡張したりして探すのに苦労しました(笑)。2枚目の写真がそうなのですが、判るかなぁ?


さて少しお城に近づいてみましょう。松坂城には総延長2.1Kmの堀があったのですが、明治中期に堀の内側にあった土塁で埋め戻され、宅地や田畑になりました。そのせいでもうこの城には堀がないと思われるのですが、堀の一部や堀の名残を残すものがあるのです。殿町内の松阪工業高校の東から市役所の東に流れる神道川が堀の一部で、最近では案内板が立てられています(写真3)。それと同じく殿町の幸小学校の北にその名もズバリ「堀面地蔵」というお社があります(写真4)。かつての位置より移されてはいますが、その名の通り堀に面して建てられていて、かつてここに堀があったことが判ります。


いよいよ城内に入ります。この城跡ではとても立派な石垣が残っていて目を奪われますが、あえて無視してお城の最上段まで急ぎます(笑)。日本全国のお城にはいろいろな言い伝えが残ってますよね。特に抜け穴に関するものが多いように思います。御多分に漏れずこの松阪城にも昔から実しやかに抜け穴の言い伝えが残っています。地元の人は知っていても案内板には書かれていないので、マニアック度はかなり高いお話です(笑)。さぁ本丸上段の天守閣跡に着きました。この天守閣跡の東側に木立に隠れるように空井戸があります(写真5)。この空井戸こそが抜け穴の入り口で、事あるときはここから城の南側の丘にある八幡社に抜けるというものです。境内には今でも大楠があり、その真ん中には大きな穴が開いており(写真6)、そこが出口といわれています。昔ある方に聞いた話だと、その方の知り合いに本丸の空井戸に降りた方がいて、井戸の底には南に向う横穴が存在したとか・・・かなりマニアック度は高いが本当のことだかどうだか(笑)。


せっかくお城に登ったので町を見渡してみましょう。お城の東側に何やら長屋風の建物が見えますね。これは江戸時代松坂は紀州徳川家の領地で、城主というものがいませんでした。その城の留守を守るために紀州の武士が松坂城警固のために住んだ「御城番屋敷」と呼ばれる建物です。がメジャーなので写真は省きます(笑)。しかし今でもその末裔の方たちが住んでいることは付け加えておきます。その御城番屋敷の手前に大きな蔵があります。何を隠そうこの蔵こそが松阪城内唯一の現存建物なのです(写真7)。今は移築されてますが、元々は現在の本居宣長の生家「鈴屋」が移築されている隠居丸にあった三棟の蔵のひとつ米蔵だったものです。あとあくまでこれは「伝」なのですが、市内の白粉町に建つ来迎寺の裏門(写真8江戸時代の建造)が松坂城の門だったといわれています。あれっ?お城から東南方向を見ていたらほぼ正面に何やらお城が・・・(写真9)このお城を近くで見てみようと出かけてみるとあら不思議?どこにあるかわかりません。これ本当なんですよ(笑)。松阪にお越しの際は是非探してみてくださいね(笑)。


ご訪問のみなさまにご迷惑をおかけしましたが、何とか再開することができました。今回はかなりのマニアック記事でしたが、たまの記事ですからお許しくださいね。それから今回の記事で「松阪」「松坂」の文字を使い分けています。決して変換ミスではありません。昔は「坂」の字を用い、近代に入って「阪」の字を用いるようになったのです。このこだわりもマニアックでしょ(笑)。マニアックついでにもうひとつ、「松阪」の読み方が三つあるのご存知でしょうか?三重県の方は知ってますよね。「まつさか」と「まつざか」それと「まっつぁか」です(笑)。何とかうまく締めることができました(笑)。それでは私は本番真っ盛りの春祭りに行ってきます。(このフレーズもひさしぶりだなぁ。)ということで今後ともよろしくお願いしまーす。

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閉じる コメント(22)

おかえりなさい。
勉強になります。5月に松坂に行くんですよ。もちろん神宮を参拝したあとですが(*_*)

2010/4/9(金) 午後 5:23 イズチン

イズチンさん、ご心配をおかけしました(汗)。松阪にお越しのさいは謎?のお城探ししてみてくださいね(笑)。

2010/4/9(金) 午後 5:31 [ 高橋 遊 ]

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八幡社に抜け穴、そういえば行きました^^
この写真で思い出しました〜
外堀が残ってたんですね!
さすが高橋さん^^

2010/4/9(金) 午後 10:28 おしょう

おしょうさん、ご無沙汰してました(汗)。たまにはこんな記事もいいですよね(笑)。でもマニアックですみません(笑)。

2010/4/9(金) 午後 11:16 [ 高橋 遊 ]

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高橋さん
御帰りなさい 松阪と言えば 松阪肉 あべ静江(少し古い)思い出したいました 今日もありますが諏訪御柱祭下社山出しにに行ってきました 下諏訪駅からのシャトルバスはなく木落とし坂までは徒歩疲れました

2010/4/11(日) 午前 7:47 [ 祭好人 ]

祭好人さん、諏訪までお疲れさまでした。7年に一度ということなので、私の友人カメラマンたちも大勢行ったみたいですよ。

2010/4/11(日) 午後 1:39 [ 高橋 遊 ]

ブログ復活おめでとうございます^^

松坂の城は 関が原の前哨戦の伊勢戦線で一度落ちてるから

そのときに城下も 一度燃えたのかな?

商人を呼ぶくらいだから経済感覚は あるのに

町作りは軍事優先になるのが レオン様らしい(*´艸`)

レオン様が作った 城目指して歩けば迷う道は 今でもあるんですね

迷ってみたい〜(爆

復活祝いポチ!

2010/4/11(日) 午後 6:04 [ - ]

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お帰りなさい。直って良かったですね。 駅前繁華街が賑やかだったころはよく行きましたが今は、年に数回くらいかなぁ 松阪に行くこと。(^^

2010/4/12(月) 午前 7:21 tetsukujira

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復活おめでとうです♪ヨカッタヨカッタ♪ポチ☆

松阪にちらっと住んでいながら知らない事ばかりでした〜^^;
たしかに車を走らせると細〜い道が多かったような。。。
昔の名残だったんですね^^
ちなみに私も「まっつぁか」って言います♪

2010/4/13(火) 午前 0:33 hanachooo

媛さん、ポチありがとうございます。さすがにお詳しいですね(笑)。関ケ原の時は町全体が焼けたということはなかったようですよ。だから後の人たちに揶揄されたんでしょうね。

2010/4/13(火) 午前 2:38 [ 高橋 遊 ]

てっつんさん、ご心配おかけしました。たまには「まっつぁか」も探訪してみてください(笑)。

2010/4/13(火) 午前 2:42 [ 高橋 遊 ]

hanachoooさん、ポチありがとうございます。さすが元まっつぁか市民ですね(笑)。これからもよろしくです。

2010/4/13(火) 午前 2:45 [ 高橋 遊 ]

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更新できてよかったですね。
松坂の話、興味深く読ませてもらいました。
わたしはマツザカと読んで育ちましたよ。

2010/4/14(水) 午前 7:07 Deko

Dekoさん、ご心配おかけしました。松阪の人(私の知るかぎり)は対外的?には「まつざか」市内の人のあいだでは「まっつぁか」と使いわけていたように思います。しかし松阪の人が「まつさか」と言うのは聞いたことないように思います。「まつさか」は市外の方が使われますね。

2010/4/14(水) 午前 7:20 [ 高橋 遊 ]

私の関の記事もマニアックですが 高橋さんのほうが
もっとマニアックですね。(^^;(笑)
「松阪」・・私は「まっつぁか」って言ってますよ。(^^*)
記事アップ美味くできてよかったですね。
復活祝いにポチ♪

2010/4/15(木) 午前 8:50 晴れヨガ

蒲生氏郷は好きな武将なので松阪城にも行ってみたいです。
抜け穴伝説があるのですね。入口と出口の両方がそれらしいのは
珍しいです。案内板に書かれていないマニアックネタ大好き!
ありがとうございました。復活にぽち☆!

2010/4/15(木) 午後 7:31 るな

晴れヨガさん、ポチありがとうございます。マニアックすぎたかな?と思いましたが、結構好評のようでホッとしています(笑)。

2010/4/16(金) 午前 0:15 [ 高橋 遊 ]

るなさん、ポチありがとうございます。蒲生氏郷公は私も大好きな武将なんですよ。是非松阪(まっつぁか)にも来て下さいね(笑)。

2010/4/16(金) 午前 0:21 [ 高橋 遊 ]

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はじめまして!
松阪に住んでいます。
普段見慣れている景色なので、そこまでじっくり見たことが
ありませんが、 今度殿町周辺に行ったときは
商人の館などに行ってみようと思いました^^

2010/12/18(土) 午後 8:00 特急南紀

南紀特急さん、こんにちは。地元だとなかなか見えないことありますよね。私も地元愛知県のことはあまりわかっていないんですよ(笑)。

2010/12/24(金) 午前 11:37 [ 高橋 遊 ]


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