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今回は、前回から言っていたみなさんにどうしても見ていただきたい、知っていただきたいお祭りです。このお祭り記事は長文になりますので二回に分けておおくりしたいと思います。写真は第一弾「宵宮」第二弾「本日」を掲載します。
みなさんは三重県松阪市の郊外にある射和(いざわ)という集落をご存知でしょうか?この射和の町は古代から中世にかけて日本最大の水銀産地(奈良の大仏鋳造にも使用された事でも有名)として栄えた丹生、その丹生からの水銀運搬の中継点として、軽粉製造業で繁栄を極めた所で、最盛期には83軒もの窯元があり、その繁栄をもとに射和商人は江戸、大坂、京に進出、いわば松坂商人の先がけでした。主な大商家に富山家、家城家、国分家、竹川家などがあり、現在でも国分邸や竹川家の射和文庫などが残っています。
このお祭りは、元禄年間(1688〜1704)頃にこの地に疫病が流行し、それを鎮めるために始められたと伝わっています。ちなみにこのお祭り、町の繁栄背景に、練物の祭りから発展した近世都市祭礼の典型的な伝承であり、当地方を代表する山・鉾・屋台のお祭りとして重要であるとの事から、県指定の無形民俗文化財に指定されています。
本来お祭りの祭日は7月14日、15日であるが、近年はその日に近い土、日曜日に変更されている。土曜日は「宵宮」日曜日は「本日」と呼ばれています。まず宵宮は、集落6地区の小屋台が射和神社の2基の神輿を先導してお旅所となる射和寺まで巡行します。そして夜になるとそこに6地区の大屋台が加わり、囃子を競い大いに賑わいます。その後大屋台は帰町し、各町で飾り置かれますが、神輿、小屋台は射和寺境内で一夜を明かします。本日は、小屋台、神輿が一旦国分邸前に曳き出され、その後小屋台が神輿を先導し、町の東端(下の町)から西端(上の町)の伊馥寺前まで本通りを巡行し、夜に入ってもみ合いながら神輿が射和神社に遍御し、小屋台が途中までそれを見送ります。
ということで、お待たせしました第一弾の写真をお贈りしましょう。この厳かな光をご覧ください。みなさんに一度は見ていただきたい光景です。それでは次の「本日」の記事をお楽しみに。私は次のお祭りに行って来ます。
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2012年07月26日
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