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今回ご紹介の桜は、毎年紹介しているのでみなさんご存じの、岐阜県指定の天然記念物である「苗代桜」、別名「暦桜」です。名前の由来は、この桜の開花時期が毎年一定で、その美しい桜の花を見て里人が田植え(苗代)の準備を始めたことからこう呼ばれるようになったそうです。
これも前にお話ししましたが、元は3本の姉妹桜でしたが、昭和27年に1本が枯死し、現在は二人だけの姉妹になってしまいました。樹齢は400年を超えると伝わり、姉桜は樹高30m、幹囲3m、妹桜は樹高25m、幹囲1.3mで現在は姉妹揃って元気に暮らしています。
この姉妹にも毎年会いに来ますが、犬山の「看板女優」や根尾の「淡墨」のような自信タップリで堂々とその艶やかな表情を見せてくれる桜ではなく、可憐にひっそりと暮らしている、その可愛く健気な表情に惹かれるんです。今年も楽しくお話をしました。その中で気になったことがあったんです。いつもは気にしていなかったんですが、今年はお姉ちゃんがほんのり高揚しているよに見えたんです。たぶん見に来てくれる人の中に好きな人ができたんでしょう、それを傍で心配そうに見ている妹が健気に見えました。そして妹にこう言ってあげました。「いつかきっと君にもそういう時がくるよ、そんな君の姿を必ず撮影させてもらうからね。」って、二人ともにっこり笑ってくれました。
また来年も彼女たちに会うのが楽しみでなりません。さて、次回は同じく下呂市の桜です。こちらも毎年伺っているのですが初めての紹介になると思います。タイトルは「樹齢100年の巫女桜」です。どうぞお楽しみに! |
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今回からいよいよ岐阜県の桜たちを紹介させていただきます。岐阜のTOPを飾るのは、みなさん名前だけは聞いたことあるんじゃないでしょうか?国の天然記念物でもあり、福島県の三春滝桜、山梨県の山高神代桜と共に日本三大桜に数えられている根尾谷淡墨桜です。樹齢は1500年と伝えられており、樹高16.3m幹囲9.9mの名桜なんですよ。
この桜は、蕾の時はうすピンク、満開時には艶やかな白に変わり、そして散り際には淡墨色になり、その名前の由来にもなっているんです。
実はこの桜は、大正時代の初期に大雪により約4mの大枝が折れ、本幹に亀裂が生じ、それが原因で枯死する危機に陥ったことがあったんです。しかしたくさんの人々の尽力で再生への施術が何度も行われ、現在見るよるに見事に蘇ることができたんです。本当に並々ならぬ努力があったんですね。
伝説では、1550余年の昔若き日の23代顕宗天皇が皇位継承の争いごとを逃れるため、尾張一宮に避難され、そこで後の26代継体天皇がお生まれになったのです。その後顕宗天皇は、幼い継体天皇の身を守るためにこの地に移され、そしてこの地で継体天皇は結婚をし王子をもうけられました。後に都に帰ることとなった継体天皇は、王子の産殿を焼き払ってそこに一本の桜の苗木をお手植えになり、住民との別れを惜しまれたそうです。それがこの淡墨桜なんですね。
この地を去る時に継体天皇は、「身の代と遺す桜は薄住よ、千代に其の名を栄盛へ止むる」と詠歌一首を遺されたそうです。
今回は少しお話が多かったですね(笑)。次回は毎年お馴染みの、そう、あの奥山の美姉妹をお贈りいたしますね。どうぞお楽しみに! |
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今回は告知通り岩倉の桜をお贈りしますね。
この岩倉五条川の桜並木は、尾張地方ではからり有名な桜スポットで、毎年満開前後には「五条川桜まつり」が開催されるんです。(以前の記事で紹介しましたね。)
この五条川は、かの織田信長公が清洲から小牧に引っ越す際水路として利用したのはみなさんご存じですよね。つまり下流にある清洲から中間の岩倉を経由して上流にある小牧に舟で荷物を運んだわけです。ん、ということは・・・そうなんです。私が毎年撮影している清須の桜とここ岩倉の桜は同じ五条川沿いにあるんです。(そのわりに清須の桜は岩倉ほど有名ではありませんが・・・)
そのせいでしょうかこの岩倉の桜は清須同様、人や露店といったものと撮影すると生き生きするんです。勿論桜たちだけでも十分美しいんですけどね。
でも今年は桜たちに会いに行くのが少し遅れてしまい「今年は来るのが遅いじゃない。もう少し遅かったら葉桜になっちゃうよ。」そう怒られてしまいました(笑)。申し訳なく思いながら彼らが納得してくれるよう今年も撮影しましたが、みなさんにはどう見えますかね?やはり満開の美しく凛々しい彼らの方がいいでしょうね。
長々続けている「華麗なる桜」シリーズですが、お祭り記事が入ればそれを織り交ぜながらもう暫く続きます。次回からは岐阜県編をお送りします。お楽しみにしてくださいね。 |
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今回は予告していた岩倉の桜ではなく、久しぶりにお祭りに行ってきたのでそのレポートをします。何といってもお祭り紹介のブログですから(最近はそうでもないか・・・)。
今回ご紹介するお祭りは、初めてのレポートになります。場所は名古屋市の西区、以前レポートした「石取神事」の津島神社の近くにある「八坂神社」です(と、言っても徒歩なら10〜15分かかりますが)。実はこのお祭り、近くに住んでいながら今まで知らなかったんですよ(お恥ずかしい)。偶然買い物に行ったショッピングセンタ−の立駐から不思議な立柱を発見(下の写真)、それでネットで調べてみてこのお祭りを知ったという事なんです。最近お祭りに行っていないから神様から「怠けてないで足を運べ!」と告知されたんですかね(笑)。
ちなみに左後方に写っている白いビル(公団)なんですが、その下あたりに「石取神事」の津島神社があります。
この柱の高さは約20mで、お祭り当日には最上層に縦に五つ(五穀豊穣を祈る意味で)その下に五段に分けて円形に飾られた提灯が880個(米を表し、米寿にもあやかっている数)献灯するんですよ。えっ、説明だけだとわからない?写真を見せろ?わかりました(笑)。これが提灯を献灯した光景です。
これだと分かり易いでしょ。お祭りは昔は6月14日、15日に行われていたのですが、近年(平成7年)より5月の第3土日に行われるようになりました。写真の山竿提灯は土曜日のみの献灯だと聞きましたので、来年行かれる方はご注意を。
ではここでこの八坂神社の由来などをお話しますね。この八坂神社は文治元年(1285)に平家の侍がこの近所に住みつき、一つ池という沼田の中に祠を建てて「建速須佐之男之命」を祀ったのがはじまりといわれています。
その後、慶長15年(1610)の名古屋開府に伴い、美濃路といわれる現在の八坂通りにできた町屋と一緒に祀るようになり、元禄15年(1702)に現在の位置に御造営正遷宮を行ったそうで、この頃からお祭りも盛大に行われるようになったそうです。
お祭り初日は、午前10時ころから神事が行われ、山竿提灯(上の写真)、大提灯、傘鉾提灯などを掲げ、夕方6時半ころより提灯に灯が入れられます。
山竿提灯は、文政11年(1814)に作られたものを平成18年(2006)まで使用していたそうですが、傷みが激しく平成19年(2007)に新造されたそうです。また大提灯は、40年ほど使用されていましたが、こちらも損傷が激しく平成20年(2008)に新調されたそうです。この大提灯(下の写真)は高さが5m、直径が2.9mあるんですよ。
そしてお祭り二日目(今回は仕事の都合でお邪魔できませんでしたが)は、御神葦舟流しが行われ、いろいろな禍事、罪咎を葦に託し、これを御神葦舟に積んで氏子さんたちが見守るなか町西にある惣兵衛川にお流しする儀式でこのお祭りは終わるそうです。来年あたりはこの御神事も見てみたいなぁ〜。
いやー、久しぶりのお祭り記事ということもあり、桜記事より熱が籠り長文になってしまった(汗)。ということで次回こそ岩倉の桜をお届けしますね。それではお楽しみに〜! |
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天林山笠覆寺って何?と思った方多いと思います。実はこれ「笠寺観音」の正式名称なんですよ。このお寺は、尾張四観音、なごや七福神のひとつとしても有名な真言宗のお寺です。起源等もお話していくと長くなってしまいますので、今回は省略させていただきますね。
ここのお寺の前に放生池があり、そこに架かる橋と桜のコラボレーションは正に極楽への入口といった感があり、毎年撮影に出かけています。
境内ではシーズンになると御覧のように花見を楽しむ方々もみえるんですよ。大きな声では言えませんが、私はもっぱら仕事中にちょっとお邪魔をして楽しませていただいてるんですが(笑)。
自分自身行けるかどうかわかりませんが、極楽ってこんな所なんでしょうね。そんな事思いながら池の水面を眺めています(笑)。さて、次回は岩倉あたりに行きましょうか。ここも桜スポットとしては尾張地方で有名な所なんですよ。お楽しみに! |




