|
最近記事になるネタ、及び写真が撮れていないのでなかなか更新できません(困)。
しかし、とりあえず生きてるよ!という事で昨日の皆既月食の写真をアップする事にしました。最近一眼持たないでいたら写真の下手な事(笑)。
まぁ、我慢して見て下さいね。自宅前から撮影した皆既月食です。
下手な写真はアイデア、構図で勝負するしかないんですよね(笑)。
最後だけは雲に隠れる前にゲットした月のアップです。
なかなか撮影にも行けませんが、身近で撮影できるものがあればそれをネタに記事更新しますので、見放さずに訪問お願いしますね(笑)。 |
お散歩カメラ
[ リスト | 詳細 ]
|
先日私用で三重県にある実家に帰ったのですが、その途中の四日市で昔から気になるモノがあったので寄ってきました。その気になるモノの場所は四日市コンビナート郡の対岸、霞ヶ浦の緑地公園にあります。近くには近代的な四日市ドームや男のロマン?四日市競輪(笑)があり、そのすぐ隣に周りから浮いたように建っています。
まるで恐竜が円盤を攻撃しているような形ですね。実はこれ、私と同年代、もしくは年上の方はよくご存知な建物だと思います。そう、1970年に行われた大坂万博のオーストラリア館なんです。何故ここにあるのか?それは四日市港とオーストラリアのシドニー港が姉妹港という関係で、万博終了後ここに移築されたんです。それを知っていたので、一度は訪ねてみたかったんですよ。
実はこの形、先ほど恐竜のようなといいましたが、私の記憶が確かなら(古い言い回しだ・・・)浮世絵の富士山に高波をモチーフに造られたと書かれていたような・・・ないような・・・(笑)。でも万博当時はみんな未来の日本に夢を見ていたんです。期待していたんですよ。でも現在の日本はどうですか・・・そう思うととても寂しいですよね。
見てくださいオーストラリア館の背中も寂しそうでしょ。もう当時のような高度成長期はこないかもしれませんが、あの当時の日本人のバイタリティーだけは失くさないでほしいと思います。何かだんだん話題が暗く重い方にいってしまったので少々話題を変えますね(笑)。現在この建物はオーストラリア記念館として一般に公開されています。ホールでは期間限定の展示会や即売会、プロレス等のスポーツも行われるそうです。そうそう室内展示物の中にはみなさんご存知の、というか最近だったので覚えのある方もみえるのではと思えるものもありました。
ジャ−ン!こちらは2005年に行われた愛知万博「愛・地球博」のオーストラリア館に展示されていた巨大カモノハシです。当時この上に乗って記念撮影した方も多かったのでは?因みに現在は乗ることは出来ませんので悪しからず(笑)。
そして前庭には、さすがはオーストラリア、このようにたくさんの羊たちが戯れております・・・これ以上書くと自分がだんだん虚しくなっていくような気がする・・・(笑)。でもここを訪れて自分の頭の中の遠い思い出が鮮明とまではいかないまでも思い出すことができました。
ということで普通ならここで終わるのですが、もうひとつ気になるモノがあったので続けます(笑)。この四日市、そしてお隣の桑名、この二つの土地に同じような銘菓があります。
それが桑名名物「安永餅」と、四日市名物「なが餅」です。見た目はほぼ同じなんですよね。若干「安永餅」の方が厚みがあり、「なが餅」の方が平べったいくらい。味は「安永餅」の方が「なが餅」に比べると甘さが少し強いかな?この二つのお餅、どちらが元祖で、どちらが本家?などと考えると夜も眠れないんですよ(これまた古い言い回し・・・)。みなさんも気になるでしょ(笑)。
色々調べてはみたんですが、「なが餅」の方は天文19(1550)年に笹井屋初代の彦衛門という人が創り、勢州日永の里に因んで「永餅」と命名したそうで、なんでも足軽時代の藤堂高虎が「武運のながき餅を食べるは幸先よし」と大絶賛したと伝えられているそうですよ。対する「安永餅」は発祥がはっきりしないんですよ。江戸時代には桑名宿を通る参勤交代の大名や、お伊勢参りの旅人に人気があったのはわかっているんですが・・・一説では、桑名で隠居した松平定信が非常食として考案したなどとも伝えがあるんですがどうも違うようで・・・確かなことはこの形態のお餅を桑名から四日市、鈴鹿にかけて食べる文化が広く残っているということ。もうひとつどちらのお餅も甲乙つけがいくらい美味しいということです(笑)。
どうです?些細なことでも気になりだしたら止まらないでしょ(笑)。それでは私は次のお祭りに行って来ます。 |
|
またまたお祭り記事ではなく、先日京都に行った時の記事です。雨に降られた一日目の夜、ホテルでぶらぶらしていてもつまらないので、弟子一号君と連れだって、宿の近くの先斗町を散策しました。実は数年前に郡上おどりin京都でお邪魔した時に昼間一人で散策してたんですよ。細い路地、人二人がようやく通れるか?と思えるメイン通り、まさに迷路、迷宮、ラビリンスではないかと感じ、ここは昼間より夜の顔を撮影したい。できることなら雨の日に・・・そう思ったんです。その思った通りのシュチエイションになったわけです(笑)。付き合わされた弟子一号君は迷惑だったかな(笑)?まぁ、彼にもいろいろ勉強になったと思うのでよしとするか(笑)。
どうでしょうか?ラビリンス感でてますかね(笑)?あくまで私のイメージですからあしからず(笑)。ちなみにこの先斗町という町は正式名称ではなく通称らしいですよ。名前の由来もポルトガル語の「先」にあたるpontからきたとか、鴨川と高瀬川の堤に挟まれているため鼓にみたてその音のポンとからきたとか言われているそうです。
最後にお知らせですが、6月の2日土曜日に先斗町の近くにある京都市役所で、今年も郡上おどりin京都が行われます。私は行けませんが行ける方、近くにお住まいの方是非来て踊っていってくださいね(笑)。それとこれはブログ友のKさんからの情報ですが、翌3日の日曜日には霊山観音でかんのん市が開かれそこで「パパフラ」のメンバーによるフラダンスが行われます。こちらもよければ見に行ってくださいね(笑)。それでは私は次のお祭りに行ってきます。 |
|
みなさんにまずお詫びをしなければいけません。実は「岐阜祭りの宵宮」の記事を書かなければいけないのですが、まだ写真が整理できずにおる次第で・・・記事が書けない現状なのです(汗)。だから今回も繋ぎ記事でごめんなさい。
みなさんは徳川宗春って人知ってます?宗春は尾張徳川家の七代目の藩主で、質素倹約をモットーにしていた時の将軍、八代徳川吉宗に対し、豪華絢爛、自由奔放に生きた?人なんです(笑)。実はこの人尾張三代藩主綱誠の20男に生まれたんですよ。当然藩主になれる順番ではないですよね。でもなっちゃったんですよ(笑)。それが強運の持ち主ということなのか、名古屋市内に開運ポストとして宗春像を乗せた黄金のポストがあるのです。これ偶然に発見したんですけどね(笑)。
手紙は投入しませんでしたが、ポストをペタペタ触ってきたので少しは御利益あるかも(笑)。良いことが起こると良いなぁ・・・なんて思いながら、次のお祭りに行ってきます。
|
|
少し時間ができたのと、心の余裕?ができたので、ひとつ記事をアップしたいと思います(笑)。
ご存知のように名古屋市は、元々徳川御三家の筆頭、尾張徳川家の城下町として誕生しました。当然町屋もあれば武家地もあり、今回ご紹介する「文化のみち」は、元々は名古屋城の東側を守る武家屋敷地で、武家没落後の明治、大正には産業の先端地として発達しました。江戸から昭和まで、木造からレンガ造りまでといろいろな時代の建築物が訪れる者を楽しませてくれます。
今回は名古屋城を外し(名古屋城の記事を書きだしたら止まらないと思われるので)西から順に歩いてみました。(東の徳川園も訪問した時期が悪くあまり良い写真がなかったので今回は除きます。)
まずは名古屋市市政博物館、大正時代に建てられたネオ・バロック様式の建物です。この日は結婚式が行われていたらしく、正面玄関前で記念撮影をしていました。「お幸せに。」
で、裏に回ってみるとたくさんのニャンたちが(笑)。猫好きの方にお勧めスポットかもしれませんね(笑)。
少し東側に行くと、国道沿いに立派な御神木があり、その上を避けるように都市高速が走っているのが都会の一コマのようで面白いですね。
国道を北に進むととてもかわいらしい教会が目に入ります。これがカトリック主税町教会で、ここの礼拝堂は明治時代に建てられた名古屋最古の教会です。
教会だけではないですよ。お寺も沢山建っていて、このお寺のように境内は都会を離れた空間のようで、その実門の外にはマンションが建っているなんて都会ならではの光景にも出会えます。
その他、尾張徳川家の菩提寺の建中寺や、涅槃仏で有名な徳源寺などがあります。
こちらは「日本の女優第一号」と言われた川上貞奴が居住していた文化のみち二葉館。さすがに私もおじさんですが、貞奴に会ったことはありません(笑)。
で、こちらが文化のみち「撞木館」。こちらには喫茶室などもありますから、散策中の一休みポイントとしても良いですね(笑)。
このような黒塀の屋敷跡がいたるところに残っており、ふいに角から裃に二本差しの侍が出てくるのでは?と思わせる不思議な街並みを散策してみるのも面白いと思います。まだまだ名古屋には古と現在が入り混じる不思議な町がたくさんあります。また暇があったらみなさんをご招待したいと思います。
それでは今度こそ(今から)岐阜まつりに行ってきます。頭ー、みんなー待っててね(笑)。 |



